3-17 皇后筆頭候補(代理) は、“粛正皇帝”の最愛を求めない。
若き皇帝、クラウスの皇后候補選定舞踏会に、ある思惑を持って名乗りあげた辺境伯爵令嬢のリーザ。
しかし、舞踏会前日、公爵令嬢ヒルデからボロクソに言われたお返しで、ビンタしてしまったところを、皇帝に見られてしまう。このままでは思惑達成不可能と落胆するが、舞踏会開始早々、なぜか真っ先にクラウスからダンスを申しこまれた。周りの視線を気にせず、二人は愛を囁きあう……のではなく、密約を交わしていた。
「皇后は、すでに決まっているが、皇后筆頭候補になれ」
「彼女の命を狙う連中を炙りだすんですね」
「そうだ。そして、群がる令嬢たちに灸を据えろ」
「陛下も、足を掬われませんように」
皇后筆頭候補(代理)に決まったあと、嫌がらせを受けはじめるが、やられたらやり返すのがリーザ。
無事に、皇后(本物)の命を狙うものを炙りだせるのか。
そして、皇后(本物)の正体とは、いったいだれか。
差し出された右手を見て、これはなにかの挑戦状かと思った。
「いつも通りでいろ」
目の前に立った金髪の男が、冷酷に、しかし、周りに聞こえないように囁く。
黒い服に付けられたいくつもの肩章やサッシュが主役である男の身分を表していて、普通ならば喜ぶところであるのだろうが、リーザにとっては死刑宣告に等しかった。
もちろん貴族の一員という自覚はあるから、ここで、皇帝からの申し出を断れば後でどんな目に遭わされるか、想像がついている。
仕方なく、その手にそっと自分の手を重ねる。
周りから、なぜ自分ではないのか、という歯ぎしりが聞こえてくるのは幻聴ではないだろう。とくに、あのヒルデという公爵令嬢から。
(ですよねぇ……)
貴族の家格としては、あちらが上。彼女に限らず、ほかの参加者たちも、まさか、こんな取るに足らない小娘が、皇帝の、この皇后候補選定舞踏会のファーストダンスの相手に選ばれるとは、思ってもいなかったに違いない。楽士たちも驚きすぎて、音が止まっていることに気づいた皇帝は、演奏するよう、鋭い視線を向けた。
ごく一般的なワルツが始まる。リーザは、自然と体が動きだした。
* * * * *
こんなことになった、ことの発端は、皇后候補選定舞踏会の前日の昼過ぎだと、リーザは思っている。
「あら、なんで、田舎暮らしが長いお嬢さんが、こんなところにいらっしゃるのです?」
しばらくはいるであろう、宮殿内部の配置を確認しようと、昼食後、中庭を散策していたとき、噴水の脇にあるガゼボにいた、銀髪の少女に呼び止められたリーザ。
端っから喧嘩を売られていることに気づいていたが、わざわざ買う必要もないと、無視しようとしたが、少女の取り巻き令嬢たちがそうさせてくれなかった。
「この舞踏会で、皇后になるヒルデ様がお声かけてくださっているのに、無視するなんて、無礼ですわ」
「ええ。皇后候補選定舞踏会におこぼれで参加なさるからって、つけあがっているのかしら」
取り巻き令嬢たちが、両側に退いた。リーザは、仕方なく正面に向かったが、いつでも逃げられるように、少女が座っている場所から、ほんの少しだけ離れたところに立ち止まった。
仕方ないが、友好的ではない状況に気は重い。
「ねぇ、あなた、カザーラン伯爵の娘よね。たしか“青の魔女”と呼ばれている」
「……ええ、そうですが」
「お父様から聞いたのだけれど、あなた、蛮族に毒薬を盛って、殺したんですって?」
知っているのかと、心の中で毒づいたリーザ。不名誉なあだ名を頂戴してしまったのだが、どうやら、皇都まで知れ渡っているらしい。
「そんなことなさるとは思えないくらい、可愛いらしいお嬢さんね。あなたならば、参加しなくても、あちら側の方々から、選び放題じゃないの?」
ヒルデの口調は本物の令嬢だったが、言っていることはエゲツない。
公爵令嬢でさえ、こんなものなのかと、この国の行く末に、ため息をつきそうになったが、天然なのか、それとも計算しつくしているのか、優雅に毒を吐き続けるヒルデ。
「そもそも、あなたのご両親って、どうかしていらっしゃるのかしら? 辺境からあなた一人で放りこむなんて。よっぽど豪胆なのか、それとも、そもそも貞操なんて、気にされないのか」
「あなた、ヒルデ様に、なんてことを!? しかも、陛下の御前で!!」
ヒルデの言葉にリーザは、思わず、扇子を投げ捨て、彼女の顔面を平手打ちしていた。
行動を咎めた令嬢の叫び声で、我に返ったリーザ。たしかに噴水の向こう側に、冷酷さをまとった、獅子のような威圧を感じさせる青年が供を連れて、歩いていた。
しかし、女たちの諍いには興味がないようで、リーザたちに関わることなく、去っていった。
「あら、クラウス様がいらっしゃったのね。せっかくだから、皇都を楽しんでいって頂戴ね。まあ、“粛正皇帝”様のご機嫌がよろしければ、ですけれど」
平手打ちを食らったはずのヒルデが、おっとりと微笑えむ一方で、食わらせたリーザのほうが、ダメージを食らっていた。
(終わったわね……皇后候補に選ばれることは端っから、望んでないけど、それでも、ここに来た目的が果たせないわね)
しかし、皇后候補選定舞踏会からの追放を、直前になっても言い渡されなかったリーザは、これ以上、目立たないようにとただの壁の華に徹するつもりで参加を決めていたのだが……――
* * * * *
「陛下には、遊び相手を指名するシステムでもあるんですか」
優雅に、和やかに。
ヒルデの言う田舎暮らしで、鍛えあげられた筋肉をフル活用して、皇帝陛下に指名されて嬉しいという表情をしながら、皮肉を放った。
「あるわけないだろう。お前に頼みたいことがあってな」
「私にできることなんて、あるんですか?」
リーザの口調を咎めないクラウス。ちょうど、ヒラリと回転をし、しっかりとした腕に抱きしめられる。
「簡単なことだ。俺の隣で、皇后筆頭候補として、笑え」
「あら、初対面なのに性格とか、なんで、ここに参加しているのかとか知らなくても、いいんですか」
「構わん。俺の事情には関係ないからな。だが、あのヒルデに平手打ちを食わすくらいだ。それなりの度胸があるのは知ってる。それだけで十分だ」
どうやら、リーザがヒルデに平手打ちをしたところを、バッチリ見ていたようだ。
しかし、それさえも愉快そうに笑うクラウスは、やはり“粛正皇帝”というべきか、それとも、性格が悪いのか悩んでしまったリーザ。
「そもそも、なんで、皇后候補、なんです? もう皇后を決めちゃえばいいのに」
「……お前には事情を話すべきだな。実はもう皇后は決まっている」
まだ曲は続いている。いくら田舎暮らしだろうとも、表面上は淑やかに踊っているつもりだったが、さすがにその言葉には表情を強ばらせてしまうところだった。
「それ、もし公になったら、ここにいる大半の人たちに、後ろから刺されますよ」
「だろうな。だから、辺境伯、言い換えれば真の忠誠心を持っている奴の娘であるお前に頼みたかった」
「さいですか」
短期間で自分の身辺を洗いだすあたり、さすがは皇帝だと、感心しながら、次の流れを考えるが、思いつかない。
「実家の侍女に『“粛正皇帝”と“青い魔女”って、お似合いじゃない!』とか言って、参加したんじゃないのか?」
「あんた、千里眼ですか」
「お前の性格や、行動から想像しただけだ」
おもわず皇帝をあんた呼ばわりしてしまったが、クラウスは気にすることもなく、鼻で笑い飛ばした。
「だが、その感覚で間違ってないだろう。即位三年で次々と粛正を行い、処刑台を血塗れにした“粛正皇帝”。国境の異民族との交渉で、十三歳ながら父親から全権を委任され、こちら側に有利な条件を、次々と飲みこませる“蛮族殺し”の“青い魔女”。どちらも、似たもん同士だろう。だけれど、事実がきちんとここまで伝わっていないだけで、俺の治世より長く政治に携わっている。最高じゃないか」
「だと、いいのですけれど」
彼と書簡でやり取りを、したことはある。
だが、直々に評価されると、やはり嬉しい。ステップを踏む足が少しだけ軽くなった、気がした。
「話を元に戻すが、“候補”と付けているのは、夢を見させたくないからだ」
「なるほど」
「とはいえ、曲がりなりにも、皇后を守るんだ。そこら辺の令嬢じゃ務まらないだろう。敵愾心剥きだしの連中に」
「あー彼女、命を狙われているんですね。で、容姿が似ている、ではなく、立場が似ている私を、表向きの皇后筆頭候補として扱って、彼女を傷つけようとする連中を炙りだそうと」
「さすが、話が早いな」
表にできない事情を、ようやく理解したリーザ。
自分の能力を買ってくれて、頼んでくれているのならば、すすんで協力したいと、素直に思った。
「ついでに言うと、俺に群がる令嬢たちに灸を据えろ、とくにヒルデに」
「なぜ、彼女のことをそこまで目の敵に?」
「あいつにとって、皇帝であればだれでもいい。それに、気づいているか知らんが、あの女の父親、お前の父親を食いつぶそうとしている司法官だぞ」
「やはりそうでしたか」
ヒルデやその取り巻き令嬢たちの口調から、クラウスのことを、ただ“皇帝”という最高位についている人、という認識でしかないのでは、と思っていたが、正解だったか。
そして、リーザの“蛮族殺し”の異名を知っているのは、目の前の人も含めて限られた人しかいないはずだと思っていた。だいたいの想像はついていたが、間違っていなかったようだ。
「わかりました。陛下も、足を掬われませんように」
リーザの忠告に、笑いながら心得たと頷くクラウスは、“粛正皇帝”と呼ばれると思えない、ただの十八歳の青年で、同い年のリーザとしては、眩しい存在だった。
もっと話をしていたかったのだが、曲が終わってしまった。最後に軽く抱き寄せられ、終わったら、なんでもしてやると囁かれた。それに答えることはせず、ただ微笑んで、繋いでいた手を放し、カーテシーするリーザ。
視線をあげると、ちょうどヒルデの姿が映った。
“青の魔女”のまっすぐな黒髪に対して、猫毛のような、ヒルダの銀髪。
リーザは、紺碧の瞳を細めて、彼女を見やる。
こちらから仕掛ける気はない。
十日間の間に、かならず仕掛けてくる。さて、どうするべきか。
否、答えは一つ。“青の魔女”らしく、皇帝のために、狩ることをリーザは決意した。





