3-15 偽神殺しは祈らない
超常の能力を持ったものが『神』と呼ばれる世界。
僕は、今まさに人為的な神である『偽神』に捧げられる真っ最中だった。
そこへうさんくさい男と刀を手にした少女がが圧倒的な力を引っ提げて現れる。
彼は言う。
「神様、殺しに来ました」――と。
思えば、神話はとうの昔に終わっていたのかもしれない。
◇◆◇
この世界に、『神』は実在する。
『神』と呼ばれるものはごく普通の生命体だったものだ。
それがある日突然、科学や生物の枠組みでは理解できないちからを手にする。
ある神は、触れただけで傷をいやす。
ある神は、そこにいるだけで地を豊かにする。
ある神は、その手から食料をこぼれさせる。
ある神は――。
……すべてを挙げるのはキリがない。なんせ今、この国だけでも大小五十余りの『神』がいるのだから。
基本的に、『神』となった時点で不死に近いものになる。
生命維持の為の食事は摂らなくなり、信者からの信仰を糧として存在していくこととなるのだ。
安上がりと思うなかれ。信仰を集めるのは大変なことだ。
信仰が無くなってしまえば『神』は消滅する。逆に信仰がある限り、存在し続けることが出来る。長ければ二百年以上。短ければ――三か月程度。
信仰を集めるために様々な努力をしなければならないのは、人間界のせちがらさと重なって何とも言えない気分になるが。
『神』には、なろうと思ってなれるものではない。
そもそもどういった基準で選ばれるのか各国が躍起になって研究していてもいまだ明確な答えは出ていない。三億円の宝くじに当たるほうがまだ現実的だ。
どうしても『神』になりたい人間が手を出すのが、違法ドラッグ『ルチア』。
原材料は不明。生産元も不明。売人を辿れど途中で追跡できなくなる。含まれている物質は現代技術ではいまだ解析ができない。
その不可思議なくすりを服用することで『神』にはなることは出来るが、それは不完全なものでしかない。信者以外の人はそのままの意味で『偽神』と呼ぶ。
天に選ばれなかった『偽神』は、信仰だけでは存在できない。そういう輩は定期的に『天使』と呼ばれる肉を食べて生きながらえなければならない。
『天使』というのはわずかながら力を持つ者のことだ。
神にも人にもなれない、中途半端な存在。偽物の神に食われることでしか存在価値がないと言われる、安い命。
そして僕がその『天使』であり、今まさに異形と化した『偽神』に捧げられて食われるところであった。
全裸で。
最悪だよ。
ぐるぐる巻きに縛られて祭壇に転がされた僕は、諦観と恐怖の感情をあわただしく入れ替えながら『偽神』を見上げていた。
表皮がドロドロに溶け、異臭を放ちながらそれは僕に近寄る。自分の身体が維持できなくなっているのだ。
――終わりだ。
僕は『偽神』の開かれた口内の奥を見る。びっしりと無数の牙が並んでいた。
その歯が、突然爆ぜる。あとから爆発音が鳴り、わんわんと聖堂に響き渡った。
「どーも、どーも」
のんびりと聖堂に入ってきたのは、色黒の男。二十代か三十代ぐらいの若い人物。
黒スーツとネクタイをきっちりと身に着け、指と耳にはシルバーアクセサリー、ツーブロックの黒髪を揺らしていた。腰に取り付けた革のベルトには本を吊っている。
顔の傷跡は痛々しいが、同性の僕でも端正だと思わせる顔つきをしていた。
「まあまあ皆さん、落ち着いて。怪しいものではございません」
どよめく信者たちに、思いっきり怪しい人が何か言っている。
拳銃を無造作に脇下のホルスターにしまいながら、うやうやしく言う。
「神司省、神秘部、偽神処理実働課。通称『神滅官』――小鳥遊ゆらぎ。覚えなくてもいいですよ、俺もあんたらの名前覚える気ないし」
しんめつかん? なんだろう、聞いたことがない。
不敵な笑いを浮かべながら男は首をかしげて見せた。すべての動作が挑発的だ。
「神様、殺しに来ました」
ちょっとした掃除にでも来たような気軽さで彼は言う。
何人かは未だ倒れている『偽神』の元へ走り寄り、何人かは男をどうにかしようとにじりより、何人かは呆然と立っている。
男――小鳥遊さんは、落ち着き払って腰に吊るしていた本を手に取り、ここからでは聞こえない小さな声で何かを呟く。
すると、ほのかな光をまとって本が浮き、ひとりでにページを開いた。
「スズちゃーん、もうこいつら汚染されてるわ。処理は頼んだ」
「了解しました」
小鳥遊さんの後ろから白髪の少女が現れた。
短い白髪で、サイドを赤いピン留めでまとめている。男と同じくかっちりと黒スーツを着、ネクタイを巻いていた。
腰からは左右に一本ずつ刀が下げられている。
少女もまた、ここからでは聞こえない声で何かを呟くと右側の白い鞘がかすかな光を帯びた。刀をすらりと抜くと、今まさに彼らに襲い掛かろうとした信者を躊躇なく切り捨てた。
ざわめきの中、小鳥遊さんは僕の元へとまっすぐ歩いてくる。革靴と床のぶつかり合う固い音が、どこか現実感なく聞こえた。
祭壇の前で彼は立ち止り、じっと僕を見る。ちなみに僕はここまでずっと放置されていた。
彼は口を開く。
「その若さで衆人環視の公開緊縛プレイしてんの? ニッチすぎて引くわー」
好きでやってるわけじゃねえんだよこっちも。
「まあいいや。天使くん、そこでじっとしていてくれよ」
小鳥遊さんは『偽神』に目を向けた。
信者たちは、己が信仰対象を守るように立ちふさがっている。その中には僕の母さんと父さんもいた。……息子が生贄に出されるときは顔色一つ変えなかったのに。
「はいはい、敬遠なる信者さんたち。そこ退かないとひどい目に遭うぞ」
「なにを……」
指導者のおっさんは何か言おうとして、『偽神』の伸びた腕に引っ掴まれぐちゃぐちゃの口内に放り込まれてしまった。
骨と肉が砕ける音がする。僕は昨日からなにも口にしていないのに強い吐き気を覚えた。
「か、神様!? 我々は『天使』ではありませんよ!?」
そう叫んだ人も食べてしまった。
この『偽神』は目が見えない。そのため、匂いや音には敏感だ。だからたぶん、今の状況で声を出すのは良くない。
小鳥遊さんはというと腕を組んで静観していた。
『偽神』に縋りついた父さんともう一人の信者が、どろどろの液体に呑み込まれて消える。
小鳥遊さんはまだ動かない。なにしに来たんだこの人。
僕の視線に気づいたのか、囁き声で小鳥遊さんは言う。
「慈悲だよ慈悲。カミサマは最後の晩餐を楽しめるし、信者も食われちまえば置いていかれることもないだろ?」
「神様は『天使』によって満たされるのです!」
母さんが金切り声をあげた。
「あなた方は何をしたいのですっ! わたしたちも殺すつもりですか!?」
「そうに決まってんだろ」
冷めた表情で小鳥遊さんは言う。
「神司省は『偽神』とその信者の存在を許さない。だから俺たちに課せられた仕事は――組織の瓦解だよ」
「な……」
驚いた表情のまま、母さんが食われる。甲高い悲鳴がずいぶん長く聞こえた。
ここにいたすべての信者を食いつくし、『偽神』はにおいを頼りに僕らの方を向いた。
小鳥遊さんは開かれたページには視線を向けず、腐り落ちていくソレを見上げた。右手をゆるりと上げ、掌をかざす。
「――諦めて永眠れよ。子守歌ぐらいは歌ってやるからさ、≪大島ユヅキ≫」
名を言われ、『偽神』は動きを止めた。まだ人間であった記憶が残っていたのだろうか。
魔法陣がいくつも空中に描き出されていく。金色に光る図形が空中に浮かび上がった。
それはとても幻想的な眺めで、そうしている場合ではないと分かっているのに見とれてしまう。
「在るべきところに還れ。行くべきところに戻れ。死すべきところへ沈め」
キィン――と甲高い音が一瞬聞こえた。その直後に魔法陣から眩しい光が発射され『偽神』へと降り注ぐ。
手に、口に、胴体に、足に、当たって――そして、ガラスの割れるような音とともに砕け散った。痕跡もなく消えてしまう。
完全に『偽神』が消滅したことを確認すると、「執行完了。接続切断」と呟く。本が力を失ったようにページを閉じ、男の手に落ちた。それを無造作に再び腰に吊るす。
小鳥遊さんは息を一つ吐くと、あらためて僕を見た。
「お前、ちんちん丸出しだけど恥ずかしくねえの?」
「僕だって好きでやってない…」
小鳥遊さんはひょいと僕を脇に抱えた。細いように見えて、けっこう力がある。
「スッズちゃーん。こっちは終わったから帰ろうぜー」
今ようやく少女のほうを見ることが出来たが、彼女の周りは大惨事というほかなかった。
幾多もの死体と真っ赤な海が出来上がっている。これがまさかこの女の子の手によって作られたものとはにわかに信じがたい事であった。
「はい」
返り血か自分の血か、ともかくべっとりと汚れた顔をこちらに向けながら彼女は無表情で応える。
「スズちゃんは仕事が遅くて困っちゃうちゅん。しっかりしてちゅん」
よく考えずとも分かる、明らかに馬鹿にした言動をとる小鳥遊さんと、刀の柄に力を込める少女。頼む、やめてくれ。そこに僕を巻き込まないでくれ。
少女は大きなため息をひとつついて「執行完了。接続解除」と呟き刀を収めた。
「……質問します。彼はどうするのですか」
ようやく僕の話になった。
「連れて帰る。天使くん、最終学歴は?」
「え、えっと……中学ですけど……」
「よし、なっちゃえよ! 神滅官!」
「え?」
「待遇はクソだけど給料はいいから! いやー、ごっそり死んで人手不足なんだよな」
「あの?」
僕は疑念の声を上げた。が、それに対する答えは返ってこない。
小鳥遊さんはすたすたと歩きだし、少女も黙ってついてくる。
え? なに? 僕の身にはこれから何が起こるんだ?
あと、僕まさかこの格好で保護されるの!?