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3-13 三文小説家、華の帝都の闇に墜つ

 文は無し、妻子も無し。

 帝都のすみで、ひっそりと安い文を売る恐怖小説家・タレ葉月ようげつ

 大正12年の春を、彼はなんともなしに生きていた。

 都の裏側に巣食う、大いなる闇へと足を踏み入れてしまった、そのときまでは。


「あなたは近いうちに消されるでしょう」


 迫る“組織”からの魔手。

 そして進みゆく、冒涜的な計画。


「奴らを潰すのさ。そのためには、“小説”を書けばいい」


 世界を揺るがす目論見を前にして、私立探偵の少女はかく語りき。

 生き残るための逃亡劇が、幕を開ける。



 ──華の帝都に、銃弾と魔術が乱れ咲く!

 狂気の闇を駈く、サスペンス・アクションの始まりだ。

 さあ、筆を執れ。

 何遍も繰り返されてきた問答にウンザリし、手のひらで机を叩く。

 人々の視線が集まるが、知ったことか。


「くどい。おれは作風を変える心算つもりなどないぞ」


 吐き捨ててやった言葉に、奴はあご髭をさすりながら。


「そうは云うがね葉月ようげつ君。僕はきみの筆力を高く評価していて、それ故に。きみが三文小説家として燻っているのが放っておけないんだよ」

「己がどう在ろうと、お前には関係のないことだろう」

「これは友人として、同じ作家としての忠告なのだがね。それでも、恐怖小説を書くのを止めないのかい?」


 こちらを下に見て憐れむような声、そして表情。

 奴のそういうところが、さらに神経を逆撫でしてくるんだ。


「筆を執るのなら、ホントウに人の心を震わせられるものが書けなきゃあ仕方がないだろう」

「きみにとっては、それが恐怖小説だと?」

「あぁそうだ。畏れは人の根っこだよ」


 落ちつきを取り戻したカフェーの、者々の顔をあまねく見渡しながら、フゥと息を吸う。


「いまどき、古典的な“ホラー”なんてのは、物好きな『怪奇倶楽部』誌くらいしか拾わないだろう。違う題材なら、もっと活躍の場はあるはずだ」

「何度も繰り返させるな」

「ふゥむ。きみがそれでいいなら、これ以上はなにも。ただ、もう三十にもなって、子どもも妻もいないまま浮かんでいる訳にもいかないだろうに」


 嫌なことを云う奴だ。

 椅子から立ち上がり、懐から使い古した財布を取りだす。


「オヤ。もう帰るのかい」

「このあとも用事があってな。らば」


 卓上に代金を置き、挨拶もほどほどに店の出口へ。

 扉を開けると、肌を刺す冷たい風が吹きつけてきて。

 一拍遅れて、桜の花びらが視界を彩る。


「さて、と」


 つまらない会話よりも優先すべきこと。

 取材だ。


「あの偏屈ジジイ、今度はどんな珍品を集めたのやら」


 奇妙な縁で出会った爺さんだが、あれもなかなか趣味がいいようだ。

 きっとまた、呪術的な品やいわく付きの書物やらを書い漁っているのだろう。

 見る前から、心が浮き立つようだ。


「遅れんよう、急ぐか」


 足を頼む費用は惜しみ、目的の屋敷へ、シャカリキ歩を進める。



 バロック様式と呼ぶのだろうか。

 帝都の外れ、久しぶりにやってきた館はこぢんまりとしながらも、なんとも豪奢で、ひときわ目をひく存在感を放っている。

 老後の金持ちの道楽、ってやつだろう。


「おうい、葉月だ。開けてくれ」


 なかにいるであろう使用人に向けて、大扉の前から声を投げかけるが、チットも返事がない。

 やれやれ、出払っているのだろうか?


「このくらいの時間に来ると、伝えておいたはずなんだがな」


 仕方なしと扉に寄りかかると、不意の慣性に引っ張られながら、屋敷のなかへと倒れこんでしまう。


「ってて。なんだ、開いていたのか」


 ちらと周囲を見渡しながら、誰もいないことを確認し。

 体を起こしてから、着慣らしてよれよれになった洋服の汚れをはらう。

 けっこう大きな音が鳴った筈だが、給仕の一人もやって来やしない。


「…………?」


 誰も、来やしない。

 それどころか、人の気配も、生活音すら一切なく。

 薄い、うすい鉄の匂いだけが漂っている。


「なんだ、こりゃ……」


 嫌な予感に突き動かされ、周囲を伺いながら、屋敷の内部を進む。

 二階へと繋がる階段に差し掛かって、踊り場までたどり着くと。


「ひッ」


 思わず、尻もちをついてしまう。

 そこには、給仕姿の女がひとり。

 赤黒い血溜まりのなかに沈んだその身体は、這い近づいて揺り動かしてみても、いっさいの反応を返さない。

 腹部を大きく裂かれており、この様子じゃあ生きてはいないだろう。


「冗談だと云ってくれよ」


 壁に手をあてて立ち上がり、こみ上げる吐き気をおさえながら。


「ってえことは、ジジイも……」


 息を深くつき、手すりを掴んで階段をのぼりきる。

 目の前にある扉の奥は、館の主の部屋。

 より濃くなってゆく悪臭のなか、意を決して戸を開く。


「おい、爺さん! 無事か!?」


 途端、強烈な死の香りにむせ返りそうになった。

 一面の本棚や、珍品を仕舞ったケースばかりの部屋の中心で、男が一人倒れている。

 間違いなく、ジジイだ。

 踊り場の使用人のように、絶命しているであろうことが見てとれる。

 状況を確かめんと、駆け寄って近付き。


「しっかりしろ、おッ……」


 真横から、すさまじい力で殴られる。

 刹那、なにが起きたかを理解できなかったが、視界に黒い影が映りすべてを把握した。

 犯人は現場に残っている。

 そして、己はいま、下手人に死角からの一撃を受け、大きくよろめいていた。

 脳が警鐘を鳴らす。


「なんだ、お前」


 倒れないよう足を踏みしめ、軽く血を吐きながら問いかけるも。

 犯人──奇妙な意匠の軍服? を身にまとい、帽子を目深にかぶっている。上背は五尺ばかりだろうか──は答えることなく、口もとに冷酷な笑みを貼りつけたまま、音もなく歩み寄ってきては、己の首根っこを左手で掴み、そのまま持ちあげてしまう。

 先ほどの殴打といい、矮躯からは考えがたい膂力だ。


「はな、せ……!」


 奴の左腕を掴んで抵抗するも、びくともしない。

 息もうまくできず、足のつかないまま、焦りだけが募ってゆく。


「此処に来てしまったことが、運が悪かったのだと諦めてくれ」


 軍服男が、少年の声で囁きかけ。

 空いた右手をおもむろに己の胸の中心に当てると──その瞬間、心の臓が掴まれたかのような感覚に陥り、早鐘をうつ。

 なんだこれ、なんだこれ。


「苦しいだろう? じきに楽にしてあげるよ」


 ぎゅっと、臓腑にかかる力が強くなった。

 このままだと、じきに心臓が破裂して、己は死ぬだろう。

 それが、直感的に理解できてしまった。


「や……ろ。やめ……!」


 手も足も出ない。

 このままだと死ぬ。

 なにも分からないまま死んでしまう。死ぬ。殺される。死んでしまう!


 意識を手放しそうになったとき、ふと、心臓を掴まれる感覚が消失した。

 どうも左手で持ちあげられていたのも解かれたらしく、そのまま床に倒れ伏す。

 なんとかして顔を上げると、眼前にはかすかに揺れる、明るい茶色の長髪。

 入り口の扉を背に、インバネスコートの少女が立っていた。

 彼女の手には拳銃が握られており、銃口から煙がのぼっている。


「ちっ、邪魔をするなァ!」


 軍服は鉛玉を左手に受けたようで、だらだらと出血しながら叫ぶ。

 ちらりと覗く腕は、魚のように鱗に覆われ、肥大化していた。

 彼奴は深く息を吸い。


「いィあ、いあァぁぁア、だごんゥ……!」


 地の底から響くような声で、理解不能の音節が紡がれる。

 すると、信じられないことに、その姿が一瞬にして掻き消えた。

 これはいったい、なんなんだ。


「おや、逃がしてしまったか」


 そう呟く少女に、慌てて問う。


「ガハッ、ハァ……。いまの、なんなんだよ!? あいつは、これは……」

「あ〜。ここで話すのもなんだし、場所を変えないかい?」


 小さく、白い手を差しだされる。

 それに頼らず、床に腕をついて起きあがると、彼女はにやりと微笑んで。


「私は樺太からふと あい、私立探偵さ。これからよろしく」



タレソ 葉月さん。あなたは近いうちに消されるでしょう」


 人気ひとけのない喫茶店の一角。

 向かいの椅子に座したまま、樺太と名乗った少女はそう言い放つ。


「は……?」

「言い直そうか。殺されるってことだよ」

「それは判らァ。問題は、何故そうなるかってトコロだ」


 問い直すと、探偵女はフムと息をつき。

 そして、淡々と語りだした。


「連中──“黒犬”は、目撃者を決して逃がしはしないのさ」

「黒犬ゥ?」

「秘密組織さ。それも、帝国ぐるみのね」


 さらりと信じ難いことを云いながらも、樺太は幼く端正な顔を、能面のように固めたまま。

 手もとの器へと、角砂糖がざららと注がれる。

 黒い液体が、かさを増して溢れんとしていた。


「その目的は、“神の招来”」

「とんと意味が解せん」

「だろうね。ただ、意図は明快さ」


 喚びだした“神”の力で、他国を侵略する。

 そのために、黒犬とやらは在るらしい。


「そして、奴らはその目的のために人を殺す権利を与えられている。狂った組織さ」


 公立探偵も、特高も頼りにはならないさと。

 少女は吐き捨て、珈琲をひといきにあおる。


「なんだよ、そりゃ」


 小説の話だと、笑い飛ばせりゃあよかったのだが。

 脳裡に焼きついた死の気配が、それを許しはしない。


「あんなのに、己は狙われ続けるってことかよ。冗談じゃあない」

「だろうね。……だから、ここは協力しないかい?」


 ことん、と洋杯コップが置かれる。

 底には溶け残った砂糖が張りついていた。


「私があなたを護ろう」


 その代わりに、と探偵は続け。


「あなたは、小説家として。黒犬を世間の日のもとにさらしてくれ」

「そんなことが、出来るのか?」

「“小説”を書けばいいのさ。それが大衆に広まったときこそ、告白の機だよ」


 ──奴らを潰すのさ、死にたくないならね。

 彼女はつぶやき、外套の内側から取りだしたるは二挺の拳銃。

 それに合わせるように、喫茶店に来客の影があり。

 濃い磯の香りが、室内に拡がった。


「ほら。犬どもの大所帯が、お出ましさ」


 そして、引き金はひかれる。

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