グレオン家の令嬢はやはり誘拐がお好き
眠るにはまだ早い夜、グレオン侯爵家の屋敷では使用人が人を探していた。現在屋敷の主であるグレオン侯爵は、王家から承った仕事のため屋敷を留守にしている。そのため使用人が探す相手は、グレオン侯爵夫人だった。
「奥様、ラジー様の自室にこのようなものが!」
息も絶え絶えな使用人から渡された紙切れに、グレオン侯爵夫人は目を通した。
「待っていれば、そのうち帰ってきます」
紙切れを見ても、グレオン侯爵夫人は一切動じない。グレオン侯爵夫人が見せられた紙切れには、『ラジーはゆうかいした』と拙い文字で書かれていた。
一方その頃、第一王子レオドール・アタラクサーは王宮の自室にて、死角から飛び出してきた人影に襲われていた。人影はレオドールをベッド上に押し倒して、馬乗りになってくる。
「また来たの? ラジー」
レオドールは声に呆れを含ませながら、自身を襲った人影に話しかけた。襲ってきた人影ことラジー・グレオン侯爵令嬢は、元気いっぱいに返事をした。
「うん、来ましたのです」
頑張って敬語を使おうとして、幼いラジーは奇妙な敬語になりがちだ。
「もしかして、またいつもの?」
「ふふん。『ラジーはゆうかいした』と置手紙を置いてきたので、わたしは今誘拐されてますことになってるのです」
「誘拐ではなくただの家出だよね。毎回よくやるよ」
レオドールはラジーに元気がないことを察した。ラジーが夜ここに来るのは、いつも元気がない時だ。
「今回は何があったの?」
レオドールに訊かれた途端、ラジーの大きな目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「わたしは、落ちこぼれ、なのです」
それを聞いてレオドールは顔をしかめた。ラジーが落ちこぼれのはずがないことを、レオドールは知っている。
「なんでそう思ったの?」
「お祖母さ、まや、お父さまは、今のわ、たしの歳、の時に、一人で、魔の森、を三時間で、横断したのに、でも、わたしは五時間も、かかっちゃって」
嗚咽を交えながらラジーが話した。ラジーは自身を落ちこぼれだと言うが、比較対象がとんでもなくおかしいだけだ。普通に考えて、ただの六歳児が厳重な警備の第一王子の自室に、誰にも気づかれずに忍び込めるはずがなかった。
ちなみに騎士団所属の騎士でも、単独での魔の森横断は不可能だ。決してタイムアタックするようなものではない。
「もっと周りを見るといいよ。ラジーが思うよりも世界はすっと広いから。それでもラジーが落ちこぼれだと思うなら、もっと頑張ればいいんだよ。だから元気出して」
レオドールに励まされて、ラジーはさらに泣いてしまう。
「ぼくも一緒に行くから、屋敷に帰ろう?」
溢れた涙をごしごしと拭きながら、ラジーは大きく頷いた。
レオドールがラジーを送りに行くならば、誰かにラジーが来たことを知らせないといけない。ラジーと手をつないで、レオドールは自身に仕える侍女の元へと向かった。
夜間に王宮内に不法侵入するのは、本来大問題だ。しかも侵入先が第一王子の自室なのだから、ますます問題だ。なのだが、ラジーはまあグレオン侯爵家だしと、毎回なあなあですまされている。
レオドールはラジーより一歳年上であり、あわよくばという王家の狙いが透けて見えるのだが、まだ幼いラジーやレオドールの知る所ではない。
約束通りにレオドールは、ラジーに付き添ってグレオン侯爵家の屋敷を訪れた。レオドールが夜にラジーを送りに来たのは、今回が初めてだ。
「この度は殿下にご足労いただき、大変申し訳ありません」
出迎えたグレオン侯爵夫人が、レオドールに向かって頭を下げた。
「気にしないでください。ぼくがしたくてしてることです」
「ただいま」
レオドールの背に隠れながら、ラジーは母に対して帰宅の挨拶をした。
「お帰りなさい」
レオドールの予想に反して、グレオン侯爵夫人はラジーに全く怒っていないようだ。屋敷に帰宅したラジーはいつも、グレオン侯爵夫人に怒られているのだとばかりレオドールは思っていた。だからどうしても訊きたくなった。
「怒らないんですか?」
「誘拐は血筋なので仕方ありません」
冷静にそう言うグレオン侯爵夫人に対して、レオドールは幼心に、この人何言ってんのと思った。
「ということがありましたね」
「僕に馬乗りになった状態で、回想しないでもらえるかな?」
あれから十年、立太子して王太子となったレオドールは、自身の上にいるラジーを見上げた。
ラジーの王宮への夜間不法侵入は未だに続いている。昔と文面は違っているものの、誘拐されたと自室に置手紙を残すのが、ラジーのこだわりだ。レオドールにタックルして馬乗りになるのも、ラジーのこだわりだ。される方のレオドールとしては、たまったものではないが。
またレオドールは成長するうちに、グレオン侯爵家で過去に何があったのかを知った。グレオン侯爵夫人の言葉の真意が分かり、グレオン侯爵家は何やってんのにレオドールの思いは変化した。
「今日はどうしたんだい?」
今日ここに来たのなら、ラジーが落ち込むようなことが何かあったということだ。レオドールに訊かれて、ラジーは一度唇をかんだ。
「私の親友が婚約しました。そろそろ私をレオ様の婚約者にしてください。私ももう十六歳です!」
最初はただの友人のはずだった。共に過ごすうちに、ラジーの中で友情は恋愛感情へと変わっていた。正面からラジーの思いをぶつけられたレオドールは、嬉しくてにやけないように必死だ。
「ラジーと婚約したら、皆諸手を挙げて喜んでくれるだろうなあ。でも僕は障害があった方が燃えるんだよね」
「そんな……。分かりました。それならレオ様が満足するような障害を、作り上げてみせましょう!」
握り拳を突き上げるラジーは、その美貌と相まって尋常ではなく勇ましい。レオドールはしばらく見惚れていたかったが、ラジーが本気を出せば大体のことが実現できてしまうので、程々の所でレオドールはネタばらしをした。
「冗談だよ。明日正式に王家から、グレオン侯爵家に書状が行く予定だよ。驚かせたかったのに、残念だなあ」
「本当ですか!?」
二人の婚約が先延ばしになっていたのは、理由がある。ラジーを利用するのだけは許さねえと、グレオン侯爵家から圧がかかったのだ。
この数年間、レオドールは水面下で動き続けていた。王太子妃となっても、ラジーが良いように利用されることが無いように、法の整備や人員の見直しなどを行った。ラジーに協力してもらえば、もっと早く片は付いていただろう。でもそれではラジーを利用するのと変わらない。
だからレオドールは、己の力で婚約を勝ち取った。表情には出ていなくても、ここまで長かったと感慨深くなる。
レオドールが黙ってしまい、ラジーは不安げな表情になった。中々素直になれないレオドールは、つい素直でないことを言ってしまう。
「君のお祖父様やお母様が絆された話を聞いた時、嘘だろと思ったよ。でもこうして我が身に起きてみると、絆されるものだねえ」
「レオ様も好き!? つまり私達は両思い!?」
一人で盛り上がるラジー。
「ほら、そろそろ離れてね。僕も我慢するの大変なんだよ?」
余裕ぶるレオドールは、上に乗り続けるラジーを優しく諭した。
レオドールの話を聞いていたのかいなかったのか、浮かれたラジーは魔法で宙を舞い出した。ふわふわくるくると優雅に舞う動きは演舞のようで、レオドールの視線はラジーに釘付けだ。
「気が済んだらそろそろ帰るんだよ」
だんだん自制できるか怪しくなってきたので、レオドールは断腸の思いでラジーに早く帰るように促した。
「えへへ、また学園で。おやすみなさい、レオ様」
満面の笑みでラジーは窓から外に出て行った。レオドールの自室は一階ではないので、ラジーは魔法で飛ぶなりなんなりしているのだろうと、レオドールは思っている。
ラジーが帰ったことをしっかり確認してから、レオドールは叫んだ。
「だああああああ! かわいすぎて反則だろおおおお!!」
ラジーが帰った直後、毎回レオドールがベッド上でのた打ち回っていることを、ラジーは知らない。実はラジーが惚れるよりずっと前に、ラジーに一目ぼれしていたレオドールだった。