アスラーン・ミハイ・セルジューク前編
アスラーン視点
『心の中で舌を出して悪意を持っていたとしても、表面上笑顔で接するのは、大人の対応と言うのではなくて? 言動が全て内面と一致するなんて、子どもの証よ』
表情も窺えない暗さの中でアンネローゼにそう言われ、目が覚める思いがした。
確かにそうだ。成熟した大人が、自分の欲望のままに振る舞うなど有り得ない。ある程度は表面を取り繕う。当然だ、大人なのだから。
そんな分かりきったことを、この童女の如き澄んだ心の持ち主に言われるなんて思っていなかった。『王女』という身分を持つ人間は、綺麗に着飾って、甘い菓子を喰って、見目の良い男を誑かす事しか考えない存在。そんなものだと思っていた自分を恥じた。
しかも。
透明で何もないと思っていたが、それすら間違いだった。雲が切れたのか、闇から一転、聖堂内が明るくなった。ステンドグラス越しに降り注ぐ満月の光が、彼女の周りにキラキラと光る金剛石を見せた。大きな金剛石の中に煌めく王女。それがアンネローゼ・フォン・ローリンゲン、その人の本質だった。
◇◇◇◇◇◇
俺、アスラーン・ミハイ・セルジュークは対峙した人間の本質が視える。その人の為人が輪郭より溢れ出て、木々だったり、花々、或いは動物など様々な形で視えるのだ。
この能力は我が国、初代国王が持っていた能力の劣化版だ。
テュルク国の初代国王が魔法使いと呼ばれる人間だったのは、伝説ではなく事実だ。彼はその圧倒的な能力を存分に奮ってテュルク国を建国した。彼の息子も似たような能力を示したが、時を経て時代が変わる毎に、初代様のように突出した能力を示す人間は減っていった。
彼を崇拝したテュルクの民は、彼のような能力を示す人間を『初代様のご加護』があると認識し、国王とした。
我が国の王位継承権は初代様の血を引く男、かつ、初代様のような能力を持つ者に与えられる。これは絶対的な最優先事項となった。
俺が生まれた当時、我が国には王太子がいなかったらしい。王子が生まれても幼くして亡くなったり、初代様のご加護がなかったりできちんと定められなかった。跡目争いをしていたのは、国王の王子(加護無し)を推す一派と、王女を嫁にしていた公爵家の公子を推す一派との争い。この公爵家は初代の孫のひとりが興した家で、王位継承権はあった。
当時の王――俺の祖父――は後継者を指名しないまま亡くなり、我が国は内乱状態に突入した。ちなみに、祖父にも『初代様のご加護』はなかったらしい。テュルクは王位を賭けた戦が代替わり毎に常に起こる血生臭い国となっていたのだ。
俺の母は、当時公爵家の公子だった俺の父の妻。彼女は自分の弟に対抗し、夫に挙兵させた。自分の夫も初代様の血を継いでいる。夫と弟、どちらも初代様の能力が無い以上、王位を継承する条件は同じである、として。
母はテュルク王女だった。母に王位継承権はなかったが、王女の生んだ男子には継承権がある。母は俺を王位に就ける為に挙兵したのだ。
俺が生まれた当時に起こったこの内戦は、決め手のないまま5~6年続いたが、終止符が打たれる事件が発生した。
王女が暗殺されたのだ。
そして彼女の暗殺実行犯を俺が言い当てた。
要するに、俺に『初代様のご加護』が認められたということ。問答無用で絶対的な後継者の登場に終戦となったのだ。
俺には、人間の本質が視える他にも、相手の考えが読める。正確には相手の思考や感情が、靄のようなものとなり、それが様々な形になって視えるだけなのだが。
それのおかげで、母を暗殺した人間がすぐに解っただけでなく、父を暗殺しようとする輩を見分ける事も出来た。
俺の記憶が確かなら、それは俺が8歳の頃の出来事だ。
父を推す一派は元より、叔父を推していた一派も手のひらを返し俺の前に膝を屈した。俺が唯一の『初代様のご加護』を得た人間だったからだ。そのくらい『初代様のご加護』はこの国の民には絶対的なモノなのだ。
俺はすぐさま王位に就けようとする動きを一旦保留にさせた。国王は父に継いで貰い、俺は王太子という地位に就いた。父は俺が成長するまでの繋ぎの王となった。
俺が、成長して見聞を広げる迄王位は父にお願いすると言った時、重鎮一同が『これぞ、初代様のご叡智! アスラーン様は初代様の生まれ変わりか』と騒ぎ始めたのには辟易した。
ふざけるな。俺は俺だ。
俺はただ、若いうちから国王になんかなってたまるかと反発していただけだ。
なんとかして隙を窺い、この国から逃げ出したかっただけだ。
血で血を洗うようなテュルク国が、母を毒殺したこの国の民が俺は嫌いだった。
だから父には俺の隠れ蓑になって貰った。
俺から見た父の本質は『鳩』だ。凶暴な爪も嘴も持たない平和主義者。だが、父には為政者としての能力はあった。これからのテュルク国は初代様の加護に頼らず、実務能力のある者が治めればいいのだ。
禍根が残らないようにと、叔父は妻子諸共処刑された。
俺がその動きは知っていれば止めたのだが、間に合わなかった。いかんせん、当時の俺は8歳の子ども。考えが及ばなかった。
こんな事をやっているから貴重な『初代様』の血を継ぐ者が減ってしまうというのに。
自分たちのやっている事の矛盾に気が付かない。この国の上層部は『初代様』を妄信するばかりで現実を見る目がない。大うつけの大馬鹿野郎ばかりだ。
王宮内は毒殺やら暗殺やらがそこらに転がっていた。多分、それらから身を守る為にこの能力が開花したのだと思う。
物理的に自分の身を守る手段として剣術や体術を学んだ。『初代様のご加護』があったからなのかわからないが、師範からすぐに免許皆伝を貰えた。
嫌厭していたこの国を逃げ出す一手とばかりに隣国の学園に留学した。名目は勿論『見聞を広める為』だ。あわよくば魔鉱石の秘密を知りたいとも思ったが。
お目付け役兼護衛として俺と共に留学したのは、俺と同じ年の腹違いの弟、カシム・チェレビ・マクブルだ。
カシムは俺の母に育てられたのを恩に着ている節があって、しかもガチガチに初代様を崇拝している。俺が『初代様のご加護』を顕現させた時、真っ先に俺に屈した。自ら俺の臣下になると宣言し、父に願って誓いのピアスを付けた。8歳の時だ。
それ以前から視えていたが、カシムの本質は『犬』だ。こいつは絶対、主と決めた人間を裏切らない。俺は父と共に王家の人間となったが、カシムは父の実家の公爵家に籍を置いたまま、王宮で俺と寝食を共にした。俺の留学にも当然のようについて来た。
隣国、シャティエルは良い国だった。
肥沃な大地に農作物は豊かに実り、人々は長閑に暮らしている。それもこれも、王家が絶対の力を誇示し民を守っているからだ。いつまでも初代様の力に固執し、王となる人間をちゃんと育てようとしないテュルク国はどうかしている。
潤沢な資金に物を言わせ作られた学園都市も素晴らしいものだった。この学園で社会学や地政学、そして帝王学のさわりを学んで、母国のどうしようもなさを痛感した。
もう、この国に亡命したい、そんな事まで考えていたある日のカフェテリアで、下級生たちが一悶着起こしていた。女子に人気の男子学生二人組が一人の女生徒に絡んでいたのだ。
驚いたのは、その女生徒に何も視えなかった事。大抵の人間の本質が俺には視える。(例外は自分。俺は俺の本質が視えない。鏡に写してもダメだ)
それらが常に視えても鬱陶しいので、人を見る時はあまり凝視しないように、視点を合わせないようにしていたのだが、この時は。
学園でも人気の高い人間が3人揃っていた。
タンポポとマングースと灰色熊。
いや、間違った。
ピンク頭が特徴のノア・フォン・リュメルと、赤髪が特徴のケビン・フォン・クスナーと、金髪縦ロールが特徴のメルセデス・フォン・エーデルシュタインだ。
それらと一緒にいた女生徒。彼女が俺の目を惹き付けた。
何故なら、彼女には何も視えなかったからだ。
こんな人間は生まれて初めてお目にかかった。
本当に本物の人間を見た気がした。
俺は離れた席に居て、彼らが何を話していたのかは分からなかったが、制服姿の女生徒が澄んだ声で周りを制したのは聞こえた。
離れた俺の席にまで、王者の覇気が飛んできた。
俄然、興味が湧いた俺は、カシムに彼女を調べるよう命じた。
その日の放課後、タンポポとマングースが決闘騒ぎを起こした。面白そうだから審判役を買って出た。白熱した試合はタンポポが勝った。
その場に何故か、あの女生徒が居合わせていた。
タンポポはその女生徒に告白をしたかったらしい。彼女に近づく一歩手前で、灰色熊と黒ヒョウが立ち塞がった。あの女生徒を庇っているらしい。
これはいったい、なんだろう? と観察していたら、カシムが俺に近寄ってきて、報告する。
どうやらあの女生徒はこの国の王女殿下だと。なかなか英邁な王女らしく、一目見ただけのカシムをテュルク国の王族だと、しかも王子の護衛だと見抜いたと。そして我が国の初代様が魔法使いだという伝説の真偽を問うたと。
なんと規格外な姫君だろう!
「お前と話をする前に、そこまで見抜いていたと?」
「あぁ。アスラーンが簡単に手出しできない女だと言った意味が解ったよ。この国では『幸運の女神の愛し子』と言われ、国民に愛されているらしい。なぜそう呼ばれるのか、経緯は判らなかったが」
カシムとふたり、そんな話をしていたら、この場にいるはずのない第三者が登場した。話を聞いていたら、彼は大貴族・ベッケンバウワー公爵家のルーク公子だと判明した。彼の本質は楠の巨木だった。
『長老』と呼んでも差し支えの無い巨大サイズの、視界を遮る鬱陶しい巨木男を見詰めるアンネローゼ王女の笑顔に、俺は衝撃を受けた。
とても可憐で
とても愛らしくて
あれが欲しい、と唐突に思った。
そもそも余計なモノが視えない人間というものを初めて見たうえに、あれほど美しく愛らしく、しかも邪念のない女など!
視れば視る程、アンネローゼ姫には清浄さしかなかった。彼女の思念に邪な物は一切なかった。
あれは生きている人間なのだろうか? 天使の間違いじゃないのか? 生まれたばかりの赤子や、世俗を知る前の幼子なら、あの清浄さは納得する。それが16歳の女性で、カシムを一目で見抜く英邁さを持つ王女が、あの清らかな魂を持つなんて!
衝撃を受けている間に、タンポポとマングースが連行されていったが、俺はそれどころではなかった。すぐに王女に求婚した。あんなに衝動的に行動したのは生まれて初めてだった。
だが、その求婚は即座に断られた。
断られて初めて気が付いたのは、俺自身が、どんな返事を聞いても彼女を連れて帰ろうと思っていた事実だ。
テュルクの先祖の血だろうか。狙った女は確保しなければ気が済まない。今では廃れた風習なのだが、俺の中に確かにその気概はあったのだ。そんな自分に呆れて笑った。
同時に、我が国のこんな廃れた風習を知ってくれている事実も嬉しかった。
断られて良かった。
俺はそう思いながら彼女の白魚のような手を取りくちづけた。呆然とする彼女から読み取れたのは、誘拐される事への怯えだった。
ますますこの少女が欲しいと思った。




