シャティエル国、宮内省長官の憂い
第三者目線、続きます
シャティエル国上層部には、ここ何年も棚上げし、先送りしていた一つの懸案事項があった。
この国の唯一の王女、アンネローゼ・フォン・ローリンゲンの縁談だ。
昔は国力増強の為、或いは同盟の為、王族の婚姻関係は結ばれてきた。
が、近年のシャティエル国には、そのどちらも差し迫っての問題はない。周辺諸国とは友好を結んでいるし、財政の心配もない。
そしてこの国の最高責任者である国王、オスカー・マクシミリアン・フォン・ローリンゲンがその話題になると、率先して問題を先送りするようになった。彼は娘に来る縁談の悉くを潰してきた。国王のその姿勢に、上層部の人間、特に宮内省(王族全般の活動補佐や、王宮に住まう王族の生活基盤の管理等を主な仕事にしている)は王の意を汲んだ。この問題に目を瞑るようになったのだ。
王女の婚姻など、とりあえず国の運営の中で緊急を要するものではないし、王太子は国内有力貴族の令嬢を妃とし、世継ぎも生まれている。何の問題も無い。
もし万が一、王女が一生涯独身だったとしても、彼女の生涯を支える為の資産くらいある。
そして何よりも、彼ら自身が王女の存在に救われた過去がある。彼女の誕生によって、面倒臭い国王の側室問題は解決の一途を辿り、それ以降国は発展を遂げる。誰が言い出したかは判らないが、王女が幸運の女神の愛し子だからだろう、というまことしやかな噂は、あながち間違いではなかった。王女を手元に置きたがる国王の意図も致し方ない。王女はこのまま王宮で生涯を終えるのではないか……そんな未来予想をなんとなくしていた面々に届いたニュースは、彼らを慄かせた。
王女が学園に通うようになると、殺害予告を含むとんでもない書簡が来るようになったのだ。
その不埒者の処分は済んだが、警備状況の見直しを図り、騎士団では人事異動の嵐が吹き荒れた。やはり教育は大切だ、と比較的新しく設立していた文部教育省に更に力を入れるようにもなった。新たに年若い者の為の学園設立に尽力していたら、王女のデビュタントで堂々と求婚する者が現れた! しかも隣国テュルク国の王子! そしてその場で王女自身が彼を婚約者候補にするのだと宣言してしまった!
驚いたのは宮内省の人間だ。彼らは王女の婚姻に関しては国王陛下から宣下がなければ動けない。ここ最近はテュルク国から縁談を持ち込まれていたが、その後どうなったのか聞いていなかった。相変わらずのらりくらりと逃げ回っていた国王が悪いのだが。
次に問題になったのは、王女本人が『婚約者候補』と言った為に、その場に居合わせた他国大使が、自国の王子を引っ張り出して来た事だ。
恐らく、『候補』であるのなら、そして王女本人が気に入れば、自国の王子が婚約者の地位に抜擢されるのではないか、と目論んだのだろう。魔鉱石の生む巨万の富は、この国を大国に押し上げた。阿る国も増えた。王女の婚姻など、絶好の機会だろう。
国王陛下はのらりくらりと逃げ回るので、困り果てた宮内省長官は、王太子に問題の是非を委ねた。
この王太子殿下、ヘルムバート・フォン・ローリンゲンもまた自身の妹姫に関しては親(兄?)バカの気があるが、逃げ回る国王よりはマシだった。王女殿下の婚約者候補として押しかけて来た二国の王子殿下を年越しの夜会に招待し、アンネローゼ姫に会わせたのだ。
そこで、どういった語らいがあったのか宮内省長官は知らないが、二国の王子殿下は何も要求する事なく帰国した。宮内省長官は、取り合えず胸を撫で下ろした。
が、その後彼は、文部教育省長官からと統括侍女からの報告に顔色を青くした。異口同音に齎された報告は『王女が学園から逃げる様に帰宮した』『王女が学園をずっと休んでいる』。
一体、どうした事だろうか?
文部教育省長官は青い顔をして言う。
「また学園内に王女殿下を付け狙う不埒者が出現したのか? そのせいで王女殿下は登園しなくなったのか? 私が整備した学園は間違った人材を作ってしまったのか?! この責任、どうとれば良いのだ?!」
王族の生活の全てを管理下に納める統括侍女は言う。
「王女殿下が寝所に立て籠り、誰との面会も拒んでおります。お食事も碌に召し上がりません」
困った宮内省長官は、またしても王太子殿下に問題解決の為、お出まし願った。
王太子は自ら王女宮を訪れたが、彼さえも面会叶わなかった。困った王太子は、己の妻に相談した。
王太子妃殿下、サラ・フォン・ローリンゲン。彼女は妊娠初期のつわり症状に悩まされていたが、夫から持ち掛けられた相談事に目を見開き即座に立ち上がった。
「一大事じゃない! ローゼちゃんの宮に行くわっ!」
◇
先触れもなく王女宮に押しかけた王太子妃殿下は、勝手知ったる場所、とばかりに王女宮に押し入り、筆頭侍女と宮に詰めていた侍医から現状を聞き出した。
そして寝室へ続く扉の前まで突き進んだ。
王女宮を守る護衛兵も侍女たちも、妃殿下を前にすれば道を譲らざるを得ない。無人の野を進むが如く突き進んだ妃殿下は扉の前から大声で王女を呼んだ。
「アンネローゼ! 貴女のおねえさまが来ました! ここを開けなさい!」
王女の身を案じる王女宮の侍女たちが息を呑んで見守る中、思ったよりもあっさりと扉は開いた。薄く開いた扉の向こうに金髪が見えたが、王女の様子を確認する前に、王太子妃殿下がするりと部屋に入り込み扉は再び閉じられた。
カチャリと音を立てて鍵が掛けられ、皆の不安の行方は王太子妃殿下の双肩に委ねられたのだった。




