体調不良、再び
講義を受けている時は平気だった、と思うわ。
でもひとたび『彼』を思い出せば、ダメになってしまう。
遠くの廊下の向こう側にいる、豆粒程の大きさなのに『彼』だと解ってしまうのは何故かしら? そして『彼』だと認識すると、途端に動悸が激しくなって、発熱と、手のひらに異常な発汗を感じ、息苦しくなる。
『彼』が見えなくなると、安堵を感じると共に急激な喪失感と気落ち、発熱後のだるさ等の諸症状。
病気?
なんなの? こんなアレルギー症状あったかしら。それともこれは更年期障害と言う奴かしら? 最近確認された、閉経ま近の女性特有の疾患だと論文を読んだわ。嫌だわ、年が明けて17歳になったとは言え、まだ出産も未経験だと言うのに!
そして、食欲不振。どうしたと言うのかしら。いつも美味しく頂いていたカフェテリアのランチが喉を通らない。一口、口に入れて噛んでも味がしない。飲み込むのにとても苦労する。苦労して飲み込んだら、もうこれだけでお腹いっぱいだなんて、おかしくない? 変だわ。
視界の隅にアスラーンの姿が映る。あぁ、だめ。真正面からは見る事が出来ない。一度目にしたら、またあの激しい動悸と発汗に見舞われるに決まってる。
……こわい。
自分の身体が自分の知らない反応を示す。こんなわたくしはわたくしではない。
わたくしは、何に追われているのかも解らない恐怖に、駆り立てられるように立ち上がった。
恐くて堪らない。
今はただ、王宮の、王女宮のわたくしの部屋に帰りたい。
「ローゼ?」
「アンネローゼ様?」
気遣う友の声がわたくしを呼ぶ。でもそれにさえ答えられない。
「どうした、何を混乱している?」
その美声。わたくしの手首を掴んだ手の主。
わたくしの動きを止めた手の主を、無意識に振り返って見てしまった。
アスラーン
亜麻色の長い髪。
日焼けした肌。
きりっとした眉毛と、亜麻色の長い睫毛の下に、深い森色の瞳。
高い鼻梁。薄い唇。
本当にわたくしを心配して、案じている表情。
何があったのかとその瞳が語る。
掴まれた手首が、熱い。
瞬間。
一気に発熱を自覚した。熱い。顔が熱い。
何か、訳も解らず急に“恥ずかしい”と思った。
どうしてか解らないのに、視界が滲んで歪んでぶれた。……目に、涙が溜まっている、から?
わたくしに、いったい何が起こっているの?
「落ち着け、アンネローゼ」
アスラーンがわたくしを落ち着かせようとしたのか、わたくしの手首を掴んだ方と反対の手でわたくしの肩を叩こうとしているのが視界の隅に映り込んで……。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーあああああああぁぁぁっぁぁ!」
はしたない程の大声の悲鳴を上げてしまって。
その大声に驚いたのか、アスラーンがわたくしの腕を離した隙に、わたくしは逃走した。
またしても、今朝走ったスピードを超す勢いで駆け出したわたくしは、そのまま馬車停めまで走り抜け、学園にある予備の馬車に無理やり乗って王宮へ帰った。
ちなみに、わたくしが物凄い形相で馬車使いを命じたせいで、王宮で何事か起こったのでは、と懸念されたらしい。しかも、護衛のキャシーを置き去りにしそうになった。なんとかわたくしに追いついたキャシーは、でもわたくしに何があったのか問い質そうとはしなかった。
わたくしが馬車の中でも座席に顔を埋めて、一切の会話を拒否する姿勢を取っていたから。こんな態度、はしたないし、あり得ないし、淑女がとる行動ではないし、非常識だし、子どもじゃあるまいに、こんな、こんな、こんな事って――。
馬車の中である程度落ち着いたわたくしは、王宮に着く頃には姿勢を正して普通に、進行方向を向いて座った。相変わらず会話の一切を拒否したし、頬の熱は冷めないままだったけれど。




