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体調不良

 

 寝坊しても良い朝のはず。

 なのに、いつもの習慣って恐ろしいわね。夜明けと共に目が覚めてしまったわ。わたくしは慌てて飛び起きて、ベランダを確認する……も、そこに花は無かった。


 昨夜、ここに居たのに。夢だったのかしら? もうお花は届けてくれないのかしら。私の足は力を無くしてしまったみたい。へなへなと座り込んでしまう……


 どうしましょう、とても……

 とても、悲しい気がするわ……

 昨夜、確かに来てくれたのに。

 わたくしをその長い腕で抱き締めたのに。


 いつの間に眠ってしまったのかしら。彼の首筋に額を擦り付けたのは覚えているわ。なんだかいい匂いがして……そこから記憶が無い。

 わたくし、寝付きはいい人なのよね。そんな自分が恨めしいわ。

 あら? もしかしたら全部、……全部夢だったのかしら?


 お部屋には、わたくし、ひとり。


 それが当然。それが普通。決して狭くはない部屋がいつも以上に広く感じる。


 何故かしら、とても寂しい。


 確かに彼は居たのよ、圧倒的な存在感を持って。

 あの時は寧ろ部屋が狭く感じたわ。部屋のどこにいても彼の腕の中に閉じ込められる。そう感じたの。

 その彼が、居たはずなのに。


 今は。

 居ないの。


 わたくしはノロノロと立ち上がって、ベッドに戻る。

 二度寝しましょう、そうしましょう。なんだか悲しくて寂しくて、泣きたいような気持ちだから。泣きたい時はベッドに入って隠れて泣くのよ。涙は人に見せる物じゃないから。心配、させちゃうから。有難い事に、心配してくれる人がここには一杯いるから、ね。


 あ!


 ベッドに戻ったら……枕元に、鳥の羽……この赤茶の、ちょっと黒が混じった羽は、あの子のじゃないかしら。

 アスラーンが連れていた、あの賢い(ふくろう)……羽……確かに昨夜、彼がここに居た証……夢では、ないのね。


 良かった……夢じゃなかったのね。


 泣いてないわよ。泣いてない。ちょっと、涙が溢れただけ。


 アスラーン……

 なんだか胸が、胸の奥が痛いの。昨夜、アスラーンの長い腕の中に抱き込まれた時には、そんな事思わなかったわ。ドキドキして、ハラハラして、でも嬉しいって思ったのよ。ずっと見ていたい、ずっと側に居て、ずっと抱き締めて。そんな風に感じていたのよ。


 急に居なくなるなんて、酷くない?


 せめて、退室の挨拶を一言するものではなくて?

 わたくしが起きるまで、待っていてくれても良かったのでは、なくて?


 ……いいえ、解ってるわ。彼が何時までもここにいる訳にはいかないって。だって、不法侵入者だもの。


 不法、侵入……どうやって城の警備を掻い潜って王女宮に来たのかしら。昨夜は年越しのパーティーに参加していたのだから、城内に居るのは良いとしても、迎賓館からここまで、だいぶ距離があるわよ? 警備の見直しが必要なのでは?

 でも……、黙っていれば。警備の隙をついて、また来てくれる?


 え。待って。


 わたくし今、酷く不埒な事を考えていなかった? どうして? 城の警備を掻い潜って侵入した不届き者が居たのなら、捕まえるのが筋よ。なのにそのままにしよう、だなんて……。


 わたくしに『理性』という物が無くなってしまったのかしら。困るわ、そんなの。

 わたくしは王女なのよ?


 この国の女性の中で、誰よりも理性を無くしてはいけない人間なの。もっとも、それはお母様やお義姉様も同じだけど。王族に生まれついたわたくしが、民の手本となるべきわたくしが、こんな不埒な考えを持つなんて、赦されない事だわ。




 侍女が起こしに来るまで、わたくしは混乱の極みに置き去りにされたまま、あぁでもない、こうでもないと考え続けて。


「殿下? もしかして、お熱が有りますね?」


 そう、指摘されて。

 強制的にベッドに寝かされて。

 侍医が呼ばれ、発熱が認められ。

 暫くは療養となったのでした。


 そう、ね。

 発熱による意識混濁なのね。だから変な事ばかり考えたのよ。

 そうよ。きっとそう。



 そう思っていたのだけど。

 わたくしには、重大な疾患があるのだと判明したわ。


 2日程学園を休むと熱も下がり、侍医から登園の許可が下りたからやっと学園へ向かったわ。新年になって初めての登園だもの、みんなに会うのが楽しみだったの。レオニーを始めとする一年専科クラスのみんなやメルツェ様。皆様には冬のお祭りの様子をつぶさに見学して貰っているから、お話を聞くのを楽しみにしていたのよ。


 馬車を降りようと開けられた扉から外を見たら、そこに居たのは在りし日の再現のように、メルツェ様と。


 アスラーン。

 アスラーン……

 アスラーン…………


 深い森の色の瞳がわたくしを見て柔らかく輝いている。

 どこか嬉しそうに、緩んだ頬が染まっているわ。

 薄い唇が笑みの形を結んでいてよ。


 キケン。

 コノヒト、キケン。


 わたくしの足は、地に着いたと同時にそれを蹴った。

 一目散に、わたくしはその場を駆け抜けた。多分、このスピードで走ったのは生まれて初めて。


「「アンネローゼさま?!」」


 わたくしに置いてけぼりを喰らったキャシーとメルツェ様の声が聞こえて来たけど、それにも振り返らなかった。


 だって。

 だって。

 だって。


 アスラーンを見た瞬間、わたくし、目の瞳孔が開ききったのが自分でも解ったわ。視界いっぱいにアスラ―ンが居て、彼以外見えなくなったわ。同時に息が、心臓が止まるかと思った。鼓動が停止したようにも、逆にスピードアップして早鐘を打つかの如く動き始めたようにも感じて。眩暈も覚えて。貧血? 立ち眩み?


 このままアスラーンを見ていたら、死んでしまう、危険だと本能が告げるから。


 わたくしはその場から走って逃げたの。




「ローゼ! 新年おめでとう。よかった、熱下がったんだね。心配してた……んだ、よ?」


 教室に入ったら穏やかなレオニーのいつもの笑顔が出迎えてくれて、わたくしは彼女に抱き着いた。いつもの笑顔。

 わたくしの安心できる友。

 走ったから息が切れて何も話せなかったけれど、レオニーはわたくしの背中をポンポンと優しく撫でてくれた。





「アスラーン・ミハイ・セルジューク。いま。明らかに。アンネローゼさまは貴方から逃げたわ、よ、ね? 何があったの? 何をしたの? 事と次第によっては、生きて国に帰れると思わないでよね? 解っているわよね?」


「え? え、いや、俺は……」


 メルツェ様が氷の微笑を携えてアスラーンを尋問しているなどと、露ほども思わずに。




知恵熱 = 乳児が知恵づきはじめる頃、不意に出る熱。 ちえぼとり。 生後六、七か月を過ぎたころの乳児に見られる原因不明の発熱。

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