デビュタントの翌朝、女子寮にて(レオニーナ視点)
その日の朝早く、レオニーナは自身を呼ぶメルセデス・フォン・エーデルシュタイン伯爵令嬢の大声で叩き起こされた。彼女は女子寮に乗り込んで、一年専科クラスの面々を大きな声で呼んだのだ。大事件だ、至急対策会議を開かねばならない、と。
場所を寮の食堂に移して話を聞けば。
どうやら昨夜の舞踏会で、アンネローゼは無事デビュタントを果たしたらしいのだが、その場であの3年生がやらかしたらしい。
テュルク国からの留学生、アスラーン・ミハイ・セルジューク先輩。
驚く事に、彼は第一王子で、昨夜の舞踏会の真っ最中にアンネローゼに求婚したらしいのだ!
朝の食堂なので、当然、一年専科クラス以外の者もその場にいる。メルセデス嬢の齎した情報に場は騒然となった。
「あの野郎……まさか王宮でしでかすとは思わなかったわ……そもそも招待客に紛れてるとも思ってなかったし……」
「メルセデス様、お言葉が、かなり乱れてますよ?」
「あら、ごめんあそばせ。心の乱れが言葉の乱れになってしまったわ」
「メルセデス様は、昨夜の舞踏会に出席していたのですか?」
「えぇ、勿論! 出席いたしましたわ! わたくしがアンネローゼ様の晴れ舞台を見逃すと思って?」
この人、実はただの熱狂的ローゼファンなだけだよな……。レオニーナは遠い目をした。
「ローゼの様子はどうでした? ドレス姿、綺麗でしたか?」
「それはもう! 白いローブデコルテ姿がとても可憐でお美しく、その清らかさは天上から舞い降りた天使の如く、素晴らしいお姿でしたわ」
両手をお祈りする時にように組み、昨日のローゼの姿を拝むかのようなメルセデスさま。姿だけなら、貴女様も美しく可憐だと思います。寮生全員の視線を独り占めである。いろんな意味で。
「わたくし、遠目でしか王太子殿下を拝見した事ないのですが、ローゼ様とのファーストダンスを踊られたのでしょう? メルセデス様はご覧になったのですか?」
他の寮生の問いに、にこにこの笑顔で答えるメルセデス嬢。
「えぇ! しかとこの目で拝見致しましたわ! 二人とも美しく麗しく、終始にこやかに、優雅に踊られて……王太子殿下も、それはそれは慈しみ深い瞳でアンネローゼ様を見守ってらして……癒しでしたわぁ……はぁ。お御馳走様でした……」
この人は何をしに舞踏会に行ったのだろう?
メルセデス嬢を見守る寮生の誰しもがそう考えた。
「ローゼ様と直接のご挨拶は叶いましたか?」
「それが……残念ながら。わたくし如きでは恐れ多くも話しかけるなど、とてもとても……公爵家、侯爵家の重鎮のお歴々や大臣閣下たち、そして招待客の諸国の大使たち……彼らの壁に阻まれました」
残念そうに眉間に皺を寄せ憂い顔を見せるメルセデス嬢。
自分のデビュタントの時は、国のトップに囲まれたりしなかった。国王陛下へご挨拶した後は、家族や友人たちとその場の雰囲気を楽しんだものだ。やはりアンネローゼは王女殿下なのだ。ただの16歳の少女ではいられない。本人は気さくで、普通の学園生で居たがるのだが。
「はぁ……そんな国のトップたちとお話なんて、疲れそうですねぇ」
「王女殿下ともなると、避けて通るのは難しそうです」
「舞踏会なのに、国のトップたちとの難しいお話ばかりだったのですか? 他の方とダンスはなさらなかったのですか? 例えば……この間お見掛けしたベッケンバウワー公爵家の公子様とか……」
その問いを聞いた瞬間、メルセデス嬢は憂い顔を一転、険しい表情に変えた。
「いいえ! 公子さまとだったら、わたくし、ここまで怒り狂ってはおりません! 公子様ではなく、あのセルジュークと踊っていらっしゃいましたわ! まったく! セルジュークの分際で、アンネローゼ様と二曲も踊りやがりましたのよ! 羨ましいっ!」
あ。話が戻って来たら、お怒りモードに再突入だ。レオニーナの遠い目モードは依然継続中だ。
メルセデスさま……羨ましいって、貴女、男性ステップも習得済だという噂は、もしやローゼと踊るためですか?
「その上、派手にリフトまでして!! アンネローゼ様の白いスカートが美しく広がって、まるで天使の飛翔を見る思いでしたけど! 眼福でしたけどもっ! 周りの皆様が褒めちぎるから付け上がったに違いありませんわっ!」
ダンス中にリフト!
それは是非とも見てみたかった、と誰もが考えた。
セルジューク様も背の高い偉丈夫だし、アンネローゼも美少女だ。きっと素晴らしく見栄えがした事だろう!
「そのダンスの後に、求婚ですか!」
「ローゼ様はその求婚、お受けになったのですか?」
女子寮のみんなはメルセデス嬢のお話に釘付けである。
「アンネローゼ様は、婚約者候補の一人に数える……と仰ってましたわ」
メルセデス嬢は苦い顔のまま答える。
「え?」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「候補の一人、という事は、婚約者ではない、って事ですよね?」
「そうよ! 候補に過ぎないのよ! でもそれは、その立場を利用して今まで以上にアンネローゼ様のお側に接近する口実を与えた事になるのですよ!」
なるほど?
今迄もセルジューク様の接近をことごとく払い除けていたメルセデス嬢としては、業腹な結果なのだろう。
「何故、メルセデス様は、そんなにご立腹なのですか? テュルク国の王子殿下と我が国の王女殿下の縁組となれば、慶事なのでは?」
その質問に、メルセデス嬢は項垂れた。
「アンネローゼ様のお気持ちが立ち直っているのなら、これほどお目出度いお話はないと、わたくしも思いますわ……。でも……」
レオニーナは温かい気持ちになった。
あぁ。メルセデス様は、ローゼの抱える片思いを憂いているのだ。
気持ちの整理がつかないままのお輿入れになったらどうしようと、案じているのだ。
「立ち直る? ローゼ様は傷ついているのですか?」
何も知らない寮生の問い。
ローゼの初恋の話は、あの時女子会をした面々しか知らない。それを迂闊に広めてはならない。王女のプライベートなど、余人が知って良い物ではないのだ。
「えぇ! 気持ちの悪い不審者に付け狙われていたではありませんか! あの事件でアンネローゼ様は、今、不審な男性がお側近くに寄る事をご懸念されているのです!」
「あぁ! お労しい……。確かに、あれは気持ち悪かったですものね……」
事件当時は知り得なかったが、この時点で、男子学生からあの事件の『真実』を聞き出したツワモノがいたので、女子寮の者たちもえげつない内容を把握していたのだ。
メルセデス嬢の機転で、なんとか表向き取り繕う事に成功したようだ。
レオニーナはメルセデス嬢と視線を合わせて微笑んだ。
「ローゼは、まだ気持ちの整理が付いていないかもしれません。でも、メルセデス様がこうしてローゼの心配をしている事は判っているはずですから。簡単に嫁入り、なんて事になるとは思いませんよ」
「レオニーナ様……」
「それに、セルジューク様はただの候補の一人なのでしょう? 我々の為すべき事は今迄通りです。ローゼの傍に無頼漢を近寄らせなければいいのですよ!」
「そうですね……」
「私も協力いたしましょう」
「アンネローゼ様のお為ですもの、わたくしも……」「わたくしも……」
こうして、王立貴族学園女子寮は、本日も朝っぱらから謎の結束の固さを見せつけるのだった。




