三度目のプロポーズ
「ねぇ? どう?」
向かい合ってお辞儀をして。
わたくしの右手は彼の左手に委ねられ、彼の右手はわたくしの左肩の下辺りをそっと支える。
わたくしは左腕を彼の右腕の上に乗せるようにして腕の付け根辺りに左手を置く。
会場の中二階で奏でられるオーケストラの曲に合わせ、アイコンタクトでリズムを揃え、ステップを踏む。
「どう、とは?」
曲は耳に聴きなれたワルツ。 何度も練習した基本の曲。 わたくしの囁く声はちゃんと貴方の耳に届いている?
「今日のわたくし。なにか感想は無いの?」
深い森の色の瞳が眩しそうに眇められる。
「アフロディーテのように美しい。我が国のパールがとても似合っている。身に着けたまま生まれてきたようだ」
アフロディーテって、海から生まれた女神だったかしら。なんだか急に恥ずかしくなったわ。女神にたとえられるなんて。でも悪い気はしないわね。わたくしったら、この程度の美辞麗句で嬉しくなるなんて、お手軽な女だわ。
「あぁ、良い笑顔だ。だがまだ足りない」
「足りない?」
「俺が初めて美しいと思った、お前の笑顔。あれは……とても良い」
そう言えば、言ってたわね。綺麗に笑う女が居たから欲しくなったって。
「そんなもの、いつ見たの?」
「お前と初めて出会った日だ」
「初めて出会ったって……あのピンクブロンドが無礼な物言いの数々をやらかした日の事かしら」
あの時、この人を初めて見たのよ。
あの決闘の審判をしていたわ。
亜麻色の長い髪をひとつに括って背中に流していた。
日焼けした肌にきりっとした男らしい眉、その下には深い森の色の瞳。薄い唇が笑みの形を刻むと、なんだか皮肉を言い出しそうだと思ったの。想像していたより、ずっとハンサムさんねって。
今は黒のタキシードを着こなして、わたくしをリードして踊っている。わたくしを見ながらも、周囲を見回して踊る先を決めている。
思っていたよりずっと踊り易いわ。何も考えずとも自然とステップを踏んでいるみたい。
「ピンクブロンド……ふっ、お前の中で奴の名前は残っていないのか」
「頑張って思い出そうとすれば思い出せるけど」
「いや。頑張る必要などないだろう」
そうね。今はそれよりも。
「ねぇ。貴方のその、左手首に見えるそれは……」
ちらちらと見え隠れする、手首に捲かれたリボン。あの夜、わたくしが梟の脚に結んだ、わたくしの髪を纏めていたリボンと同じ色のそれ。
「俺のグラウクス……飼っている梟の脚に、いつの間にかリボンが結んであった。綺麗なリボンなので気に入っている」
「そのアイスブルーは、わたくしの瞳と同じ色ね」
「そうだな、いい色だ。これを見て、ホッとしたんだ」
その薄い唇から零れる言葉は皮肉に違いないと思ったのは、何故かしらね。今はこんなに優しく微笑んでいるのに。
リボンの意味、気が付いてくれたのね。
無事に帰ったから心配しないでねって。
そう思ってあの梟に託したのよ。
曲が終わる。
身体を離す。
向き合って一礼。
白い手袋を纏った手がもう一度わたくしに差し出される。
「もう一曲、お誘いしても?」
その深い森の色の瞳はわたくしに優しく笑いかけている。
わたくしはその手を取った。
まだ話をし足りない、そう思ったから。
そう思ったけど。
次の曲はちょっとテンポの早い曲で、ぼんやりと踊れるようなものではなかったわ。お陰でのんびり話も出来やしない。
次にどこへ向かうのか、パートナーと息を合わせ、彼の出方を見極めなから曲に合わせ、ひたすらステップを踏む。途中、うっかり彼の足を踏んでしまったけど、その一瞬で身体を高く持ち上げられたわ。まさかのリフトに会場中がわっと賑わったのがわたくしにも解ったわ。
凄い。
持ち上げられた瞬間、浮遊感、というものを初めて感じたわ。空中に浮かび上がるなんて、鳥でもなければ出来ない事だもの! 見下ろしたアスラーンが笑っていたわ。凄く、すっごく、楽しかったわ。もっと踊っていたい、なんて思ったのは初めての体験よ!
けど、わたくしの体力が保たなかったわ。曲が終わった時には息が乱れ、膝がガクガク震えてみっともないったらなかったわ。根性と笑顔で隠したけど。
アスラーンも軽く息を弾ませて、日に焼けた肌に汗が光っている。なんだか無邪気な笑顔。こんなかわいい顔で笑うのね。知らなかったわ。どうしよう、アスラーンから視線を外せない。彼の深い森の色の瞳がわたくしを捕えて離さない。
すると。
アスラーンがわたくしの前に片膝立てて、跪いた。
左手を胸に。右手はわたくしのスカートの裾を少しだけ持ち上げた。
「アンネローゼ姫。貴女をお慕いしています」
そして持ち上げたスカートの裾に唇を寄せた。軽く口づけると、彼はわたくしを見上げる。
「私、テュルク国第一王子、アスラーン・ミハイ・セルジュークは、シャティエル国第一王女アンネローゼ姫に心を奪われました。生涯の伴侶として、どうか私を選んでは頂けないか。どうか、その微笑みを私に向けてはくれないか。姫。せめて、私に貴女の婚約者候補の地位を与えてはくれないか?」
え?
なに? その言い回し。
踊り終わったわたくし達は、ダンスホールの中央に居た。
オーケストラは丁度一曲終わり、次の曲が始まるまでの間、演奏をしていなかった。
その空白に、アスラーンの美声は会場中に響いた。
会場には老いも若きも、国王も役人も、他国の大使も大勢いた。
その全ての人の前での公開求婚!
しかも、なに? あの微妙な言い回し。
途中までは普通の求婚なのに、最後、この人なんて言った? 『婚約者候補の地位』ってなに? なんなの? その断り辛い申し込み方は!
なんとしても、わたくしの口から『お断りよ』と言わせたくないのね。
しかもこの人、わたくしの前に跪いての求婚は三度目じゃない?
一度目は学園の噴水広場で。
二度目は深夜の学園大聖堂の中で。
三度目はお父様を始めとしたこの国の貴族たちの前で!
しかも貴方、さっきお兄様に言ってたわね。この舞踏会に出席を希望していたって。再三再四お願いしていたって。わたくしはちっとも知らなかったけれど、貴方は貴方なりに、色々動いていたのね。
わたくし、三度も乞われて応えない程、冷たい女ではなくてよ?
わたくしは右手をアスラーンに差し出した。
意識的に嫣然と微笑む。
「わたくし、シャティエル国第一王女、アンネローゼ・フォン・ローリンゲンは、許します。アスラーン・ミハイ・セルジューク殿下。貴方をわたくしの婚約者候補の一人として数えましょう!」
わたくし達のやり取りを固唾を呑んで見守っていた(らしい)人達が、わっと歓声を上げる中、アスラーンはわたくしの右手を取り、恭しく唇を寄せた。
三顧の礼に応えないのは男じゃないそうで……ん?




