デビュタントの夜2
キャサリンと二人で笑いながら控室に入ると、そこには先客がいた。
「アンネローゼ!」
「ローゼねえさま!」
わたくしを見て、すっと立ち上がったお兄様とヨハン。あら、お兄様はともかく、何故ヨハンがここに居るの? 成人前は夜の催しは出席しないはずなのに……んん、平服ね。わたくしに会う為に来たのかしら。
「あぁ。綺麗だ、アンネローゼ。今夜の主役はお前に決まりだな。昔から愛らしかったが、今晩は一際光り輝くようだ」
「本当にお綺麗です! ねぇさま! 見違えます! 普段よりずっといいです」
「ヨーハーン。普段のわたくしはダメだと言ってるのね? 貴方、わたくしに嫌みを言う為にいるのかしら?」
お兄様に手を引かれ、長椅子に腰を下ろす。
常に介助が必要だし座り方にも気をつけなければならないから正装は大変。特に今日は白いローブデコルテだし、汚れたらと思うと恐くて動きが制限されるわ。
あぁ、つくづく学園の制服はいい! あれは最高よ!
「違うよ。ずっと保留にしていたお願い事、決まったから言おうと思って来たんだよ」
「お願い事? あぁ、あの賭けの?」
入学してすぐに王女の存在はバレるかどうかって奴ね。
ずっと言ってこないから忘れたと思ってたのに。ちっ。
「あのね、ねぇさま」
ヨハンはわたくしの隣に腰を下ろしながら(広がったスカートを避けてくれてありがとう)、わたくしの手を握った。
「まだお嫁に行かないで」
「へ?」
「まだシャティエルに居て? せめて、学園を卒業するまでは、お嫁に行っちゃぁ嫌だ。まだ僕のねぇさまで居て欲しいんだ。お願いっ!」
いきなり、何を言い出すのよ、この子は。
「それ、本当に貴方のお願い?」
「? そうだよ?」
「本当に? お父様やお兄様に言えって強制されてない?」
笑顔で。ただ、良い笑顔でわたくしたちを見守るお兄様がちょっと怖いわ。
「されてないよ。本当に僕のお願い。……ダメなの? ねぇさま……」
末っ子の特権を使われると厄介だわ。
ヨハン必殺の上目遣いおねだり攻撃! わたくし、これに弱いのよ。
色彩がお兄様やお父様にそっくり(わたくしと同じアイスブルーの瞳と、薄めの金髪よ)で、彼らが小さい頃はきっとこんな感じだったのね、と思うと感慨もひとしおよ。
「わたくしの結婚は個人の問題ではないから、100%の保証はないわよ? でもわたくしの意思としては、学園を卒業するまでは、貴方の姉としてシャティエルにいると誓うわ」
「やったぁ! 約束だよっねぇさま! ねぇさま大好きっ! ねえさま綺麗!」
ちゃっかりしてるんだから。
それに本当に嬉しそうに言うのね。
スカートを踏まないように潰さないように、気を使ってくれてるのも分かるし。わたくしの弟はとても良い子なのよ。
「アンネローゼ。ヨハン。お前たちにも伝えておく。
アンネローゼの入学早々起きた変質者事件、あれを協議した結果、基本中の基本『王家を敬う、貴族は身分社会だ』という教育が余りにも疎かになっている、となってな。学園に初等部を発足する事になった。13歳から3年間、基本教育を施す。確かにここ数年、爵位買いをして貴族になった新参者もいるから、その子弟の教育をしっかりしなければ、とな」
「初等部? 13歳から? 僕も通えるのですか?」
「うーん。間に合えばね」
「今ある学園は何と呼ばれるのですか?」
「王立貴族学園高等部、となる」
「楽しみですわね。ヨハン、一緒に通えるといいですね」
「はいっ」
「あー、初等部棟の建設から、教師の確保から、いろいろ時間がかかるから~、間に合うかどうか、まだ判らんぞ? 余り期待し過ぎても……」
「ヨハン、学園は楽しいですよ」
「ねぇさまは毎日楽しそうですっ」
「えぇ、お友だちが出来ると、特に楽しくなります。友とは、良いものですよ」
「おともだちっ」
「100人出来るといいですね」
「100人! 多いですね!」
「あー、お前たち? 最初に期待値を上げ過ぎるとだな……」
妹と弟の盛り上がりぶりに、少々狼狽えるお兄様。解ってますよ、時間がかかる事くらい。綿密な計画を立てなければなりませんから。
でもヨハンが通える年齢の間に、設立が間に合うといいわ。
「アンネローゼ。お前は、学園生活を楽しんでいるか? なかなか良い成績を残していると聞いているが」
お兄様が優しい瞳で訊いてくる。
基本、この兄はわたくしたち弟妹に甘いお人なのよね。
「はい。いろんな分野の先生方から聞く授業も興味深いですし、何よりも楽しいです」
「そうか。楽しいか」
「はい。同じ歳のお友達が出来ましたし、彼らと切磋琢磨するのも、議論を戦わせるのも、とても楽しいです。先輩も出来ました。城では出来ない体験です」
「お前が充実した毎日を送っているのなら、僕も苦労した甲斐があったというものだよ」
「本当はお兄様が通いたかったのでしょう?」
「うん。制服を着たサラは可愛かったと思うんだ! 見れなくてつくづく残念だよ」
「お義姉様に制服を試着して貰えば良いのでは?」
「試着……? 今でも、良いのか?」
「お義姉様がご納得されるのなら、問題無いかと」
何やらお兄様がブツブツと独り言を言いながら悩んでしまいました。どうしたのでしょうね? こういう姿はお義姉様にそっくりです。夫婦って似るものなのかしら。
ヨハンは侍従が迎えに来て自分の宮に帰っていきました。子どもは晩餐を取ったら早く寝なければなりませんものね。
「おや? ヨハンはどうした?」
やっと思考の迷路から帰ってきたらしいお兄様が、キョロキョロしながら訊きますが。
「先程挨拶をして退出致しました。お兄様もちゃんとお返事をしてましてよ?」
この分だと、ご自分の前に出されたお茶の存在にも気が付いてなさそう。困ったものだわ。
「そうだったか?」
そうだったのよ。
「まったく。そんな調子で、わたくしのエスコートをちゃんとして下さるの? うっかりお義姉様の所に帰ったりしない?」
「大丈夫。今日はお前との約束が優先だから」
え? 約束?
「わたくし、お兄様とどんなお約束をしてまして?」
「お前の最初の願いを叶えてやれないのは心苦しいが、僕たちは兄妹だからな。今日のエスコートで勘弁しておくれ」
んん? なんの事?
「わたくしの最初のお願い?」
「アンネローゼが僕に結婚の申し込みをした事だよ」
にっこりと良い笑顔で、なんて事ぬかしやがるんですか! お兄様っ!!
「はい? なんですって?!?!?!」
「可愛かったなぁ……幼い頃のアンネは。いや、今でも可愛いがな、あの頃の可愛さはまた別格だ。アンネの初恋は僕という事になるのだな、うん、それも致し方ないな」
「先程から何 いっちゃってる発言をなさっているのですか。お兄様?! わたくしの初恋はルークお兄様でしてよ!!」
「え? お前の初恋は僕だろう? 昔、言ったんだぞ、『お兄ちゃまのお嫁ちゃんになりゅ』って! 可愛かったんだぞ!」
「わたくし、そんな記憶ございません!」
「確か、4歳の頃だ。お兄ちゃま、お兄ちゃまと僕の後ろを追いかけて、僕の背によじ登って」
4歳? 流石に記憶に残っていませんよ? それに背中によじ登るなんて! 淑女のする事ではないわ! わたくし、そんな事してないわよ!
「だから! 4歳の頃の記憶なんて無いし、そんな昔の発言なんて忘れてくださいませ!」
幼児の記憶なんて、本人にもどうにもならないものを!
「断る。あんなに可愛かったアンネローゼのあれやこれやをこの僕が忘れる訳無いだろう?」
そりゃあ、お兄様の頭脳で忘れるというのは難しいかもですが!
「それに! もしお兄様がわたくしの初恋だったと言うのなら、ルークお兄様はセカンドラブの相手という事になるのですか? わたくし恋多き女だという事になるのですか? そしてどれも叶わない運命だとでも?!」
「恋多きって、アンネ……」
苦笑するお兄様も珍しいわね。
「嫌だわ、そんな事ってないわ、わたくしの恋は全て儚く消えるのですか?」
「落ち着きなさい、アンネローゼ」
「先に落ち着きのないトンデモ発言をしたのはお兄様よ! 責任とって下さいませ!」
「うん。だからエスコートはちゃんとするからね」
扉の前で待機するキャサリンとか、壁際で控える侍女たちの肩が微かに震えているのを見て我に返ったわ。我慢しないで笑ってくれてもいいのよ! ふんっだ。
結局、からかわれてたのね、わたくし。
まったくもう! これだから年が離れた兄なんて厄介なのよ!




