戻って来た日常
とりあえず、わたくしに平穏な日常が戻ってきました。……平穏? って言っても良いのかしら。
今、放課後です。図書館で調べものをしているのですが。
右手側にメルセデス様。
左手側にレオニー。正面と後ろの席には一年専科クラスの面々が座っています。
どうやら、専科クラスの面々はメルセデス様の軍門に下った模様。彼女の指示の元、この図書館やカフェテリアなど自由着席する場所で、わたくしの付近に空席がないように策を弄しているの。
恐ろしい迄の包囲網。わたくしの傍にあの方を近寄らせない為の。なんていうか、もう、露骨なまでにアスラーン・ミハイ・セルジューク様を徹底的に排除しているの。本っ当に、ビックリする程ひとりになる時間がないわっ
入学した直後にキャシーを捲いて、別館のお手洗いに行った日が懐かしいくらい。
そうなると、遠目にしかあの方を見る機会がなくて。
なんだか逆に気になってしまって。
遠目に見るあの方は、いつもわたくしと視線が合うと微笑んでくださるの。
とても穏やかなお顔でわたくしを見詰めている。
遠くから。
ほら。
図書館でも、書棚をいくつか挟んだ向こう側で。
あの深い森の色の瞳が柔らかく微笑んでいる。
何を思っているの?
何故わたくしを見るの?
疑問ばかり膨らんで、本当の事がわからない。
わたくしはいつも遠くを、亜麻色の長い髪を探すようになった。
◇
そうこうしている内に、第一回学力テストがあり。
わたくしは、総合で学年一位の成績を修める事が出来てホッとしたわ。科目別では一位になれなかった教科もあったけれどね。
3年生の総合一位はアスラーン・ミハイ・セルジューク様。二位にメルセデス様でした。流石だわ。あんなにちょくちょく一年生の棟に赴いて、わたくしと一緒にいるのに、二位だなんて。いつお勉強しているのかしらね。
夏の王都は空になる。
皆、避暑に行くか領地へ引っ込む。学園も夏休みになりました。学園が休みになると、クラスメイトたちに会えなくて寂しくなったわ。いつもわたくしの周りにはクラスメイトの誰かが一緒に居て、いつも賑やかで。
それが、王女宮にぽつんと一人でいると、学園に入るまでは、それが当たり前だったはずなのに、寂しく感じるわたくしが居る。
不思議。人は、人と一緒に居る事で楽しさの他に寂しさを感じる事も出来るものなのね。
また一つ、新たな発見をしたわ。
◇
秋になり、学園も再開され、学園内は騎士科恒例の、剣術大会が催される事となり。
昨年度の2位、3位を飾った学生は居ないけれど、今年は今年で皆の士気は上がりまくっているのだとか。理由は、わたくしが列席するせいらしいわ。
なんでも、騎士科の学生からの強い希望で、優勝者への記念品授与にわたくしが駆り出される事になったらしくて。騎士科の指導を担当している第二騎士隊隊長のアインハルト・ワグナー様から直々にお願いされ、良いですよとお答えしたわ。王女ですもの、みなの期待に応える事も必要よね。
……決して、わたくしが個人的に楽しみな訳じゃあ、なくてよ?
◇
「王女殿下がご臨席されたお蔭で、学生たちの張り切りようは去年以上です!」
今日、この日だけは列席が許された第一騎士隊の元隊長クルト・シュバルツバルト様が、わたくしの後ろで弾んだ声を上げる。わたくしは今、貴賓席と呼ばれる一段高いバルコニーから試合観戦をしている。
「悪かったわ」
「え?」
「わたくしの浅慮のせいで、あなた、降格になってしまったでしょ」
決して彼の顔は見ない。
視線は試合の行方を見詰めるのみ。
試合はレイピアを用いたそれで、まるであの日の再現のよう。
見下ろす闘技場には、あの赤毛もピンクブロンドも居ないけど。
いやぁね。わたくしとした事が、ちょっと感傷的になっているみたいだわ。
「いいえ……自分が注意力散漫なせいで、事を大きくしてしまいました。……もっと早く、殿下やキャサリン様に気が付いていれば、と悔やむばかりです。殿下のせいではありません」
声のトーンで、彼の気持ちが推し量られるわ。
「その通りね。わたくしもそう思うわ」
「え」
「わたくしも、あなたも失敗をした。人は間違う生き物だわ。要は、その失敗を生かせるかどうか、よ。教訓として二度と同じ轍は踏まない。そうでなくて?」
闘技場に歓声が上がる。
試合が一つ終了したのだ。ひとりは右手を挙げて勝利を喜び、もうひとりは拳で地面を叩く。
「……御意」
随分時間を空けてからの返答に、背後を見やれば。
穏やかに微笑むクルト・シュバルツバルト第一騎士隊、副隊長がそこに居た。
試合の優勝者は誰かって?
去年と同じ人だったわ。
優勝記念と書かれた小さな盾、机の上に飾れるような大きさだし軽かったわ、それが記念品だったわね。こんな物貰って嬉しいのかしら。謎だわ。
そしてわたくしは、記念の盾を手渡す時、こっそり優勝者に囁いたの。
「満月が中天に昇った頃、学園大聖堂で」
驚きで見開かれた深い森の色の瞳が、わたくしの目を覗き込んだ。
わたくしはにっこりと微笑み、はっきりとした声で告げた。
「優勝 おめでとう。これからも精進なさい」
始動




