レオニーナ・フォン・シャルトッテ1(クラスメイト視点)
私は入学式で、学年一の美少女を見た。
キチンと結い上げられた輝く金髪がティアラに見えた。アイスブルーの瞳。すっとした鼻筋と白磁の肌。うっすらと笑みの形を作る唇は小振りで愛らしい。『あ、淑女の見本』直感でそう思った。
これは最上級階層にいるご令嬢に違いない、と。同性だというのに見惚れる程美しい彼女は颯爽とした足取りで私の前を通り過ぎた。
彼女は制服を着ていた。
どうやらこの学園では、制服を着ているのは経済的に苦しいお家の子だと見做されるらしい。
女子寮に入寮した時、案内してくれた上級生からそう聞いた。
私、レオニーナ・フォン・シャルトッテも制服を着ている。
我がシャルトッテ家は経済的に困窮していない。
大貴族さまと比べれば細やかな子爵領だが、経営は順調だ。
特筆すべきは、我が家は超が付くケチだという事だ。
先祖代々非常にケチだ。ドケチだ。無駄な出費を許さない。シーズン毎にドレスを買い替えたりしない。
前庭は綺麗に剪定されているが、裏庭は畑だ。綺麗に整備され、きちんと食べられる野菜がたわわに実っている。鶏や豚、牛も飼っている。世話は私たち子どもの役目だ。使用人にやらせるなど、無駄な出費はしない。
金は使うものではなく貯める物だ、というのは先祖代々守られてきた家訓である。
だが、その信念には理由がある。
使うべき所で、出し惜しみしてはいけない。これも家訓。
これでもかっと使う。
私の記憶にある中では、記録的な冷害が起きた年。
領民を飢えから守る為に、我が家は倉を開放した。貯め込んだ貯蓄は今使うのよっとばかりに使った。新しく冷害に強い品種の野菜の種を購入し、領民に育てさせた。
冷害で得られなかった収入は補填し、その年の税は免除した。
結果、領民を飢えさせる事はなかった。
だから、我が家の家訓は正しいのだと思う。
そんなドケチが身についてる両親が、送られてきた私の制服を見て揃って言うには、
『こんな上質な生地で制服を作って下さるなんて、王家の太っ腹は素晴らしい!』
だった。
『三年間、みっちり勉強するのよっ!』
とも。食費等、生活費も寮に居れば国から出る。我が家では諸手を上げて送り出された。
我が領地は王都から遠く、ケチな我が家にタウンハウスは存在しないのだ。
そして、入寮して。
入学式で見た美少女は寮生ではなかった。
つまり、王都にタウンハウスがあるご令嬢、となる。
社交界シーズンしか使わない屋敷を維持するだけの財力を持ちながら、なおかつ制服を着用するとは、どのような信念をお持ちなのだろうか。
俄然、興味が湧いた。
気になって話しかけてみた。
あまりの美少女っぷりに周りが躊躇して誰にも声を掛けられていなかったが、隙を見て話しかけた私は、後に同じクラスメイトから絶賛される。
『あの時、声を掛けて我々にもきっかけを与えてくれてありがとう』と。
誰もが彼女とお近づきになりたかったが、躊躇っていたのだ。
そんな、牛の餌にもならない躊躇いなんて無駄なものは、とっとと捨てるべきだ。
私がそう言ったら、みなポツポツ話しかけるようになった。
初めは朝の挨拶から。
美少女はとてもいい笑顔で挨拶を返してくれる。そうすると一日が気分よく素敵に始まる。
美少女とは世の宝なのだな、と思った。
仲良くなり、一緒にお昼を取るようになった頃、彼女が制服を着ている理由が判明した。彼女は、開発者側の人間だったから。つまり王家の人間だった。
それを知ったのは、私の両親が学園の制服について王家を絶賛している、王家は素晴らしい、そこまで我らにお金をかけてくれる王家の期待に応えて、私は一生懸命勉強するつもりだ、と熱く語った後だった。
なんだか恥ずかしくて居た堪れなかった。
アンネローゼ王女殿下は、『殿下』と呼ばれるのを嫌がる。同じ年の同級生なのだから、同じように生活したいのだと仰った。
同じ制服を着る、同級生。
なんだか自分が着ている制服が特別なモノのような気がして嬉しかった。
この学園では元々、教師は生徒を名前で呼ぶ。
教師に『レオニーナ君』などと呼ばれる。
女性教師には『レオニーナ様』と呼ぶ方もいらっしゃる。その方は、全ての生徒を『様付け』で呼ぶ。恐らく、ご自分の矜持として『君呼び』が出来ないのだろう。マナーの講義を受け持つ方だった。
家名で呼ぶと教える側と教わる側の家格の違いが、弊害や柵や軋轢やらを生み、学園運営が危ぶまれる事態になる。それを避ける為に生徒を『名前+君』付けで呼ぶ事に決めたそうだ。
なるほど、王家の人間が生徒側に立つ事も想定済みの措置だったのか。殿下の、いや、ローゼから聞く学園創立の裏話はなかなか興味深く面白い。
ローゼは私より多くの科目を選択し、毎日忙しそうだ。
そして彼女は優秀な上に更なる向上心がある。
彼女の口癖は『何が出来るのか考えねば』『もっと精進せねば』『わたくしも、まだまだね』だ。
彼女はどこまでの高みを目指しているのだろう。
私はたかが子爵家の人間ではあるが、王女殿下の名前を、それも愛称を呼ぶ許可を得る機会に恵まれた。
彼女の愛称を呼び、彼女と並び授業を受け、講義内容について議論を交わせる。
例えこれが学園に通っている間だけの出来事であっても、こんな幸運は早々ない。
私は恵まれている。
こんな機会を与えてくれた王家にも感謝し、毎日を大切に生きようと、改めて強く思った。
長くなったので分けます