第四話・『ファースト・ファンタジア・オンライン』
そこからは無言だった。
自分のことをリュカと呼んだ少女は、自己紹介もしたがらなかったし俺の正体も詮索しようとしなかった。ならば、俺もあれこれ詮索するのは良くないと思い、向こうから会話が切り出されるのをひたすらに待った。しかし、なかなか彼女は口を開こうとしなかった。
リュカの色とりどりの刺繍があしらわれたブラウスの背中を追いかけながら、周囲も観察する。
文字は日本語と異なりすぎていて全く読めなかったが、規則性は感じられた。ゲームだったら言語を選べるようにしてくれてもいいのに、と思うがこれなら勉強すれば覚えられそうだ。
言語は俺には日本語に聞こえた。《メモリア》の補正能力でそう聞こえているだけかもしれないが、意思疎通ができなければ何も始まらないのでありがたい。
路地裏で、子どもたちが遊んでいる。みんな身なりがきちんとしていたので、驚くほど治安がいい街なのだろう。スラム街のような場所も見当たらない。
さらに驚いたのが、そこで遊んでいた年端のいかない子どもたちが、手から水を出していたことだ。
魔法だということはわかるが、あんなに小さい子どもまで使えるとは。
びっくりだ。
どうやら、呪文の詠唱もいらないようだ。
魔法を呼び出す方法である呪文がない。魔力をどうやって使うのかもわからない。そもそもこちらの人にとって異世界人である俺に魔力が存在するのかさえわからない。
文字は読めるようになっても、魔法が使えるかどうかは疑問だ。
普通のゲームみたいにアイテムを集めてスキルを得られるようなシステムだったら助かるのだが。
一部の人たちは腰に帯刀していた。道中、警察のような武装した集団とすれ違ったが、持っているのは剣だった。しかしそれも人によってまちまちで、大きな剣だったり長細いレイピアだったりしていた。銃を持っている人はいなかったので、この世界に普及していない、もしくはないのだろう。
ハンマーのような大きい武器を担いでいる鍛冶屋のような人や、斧を背中に持って山へ向かう木こりのような人ともすれ違った。
遊んでいた子どもたちより少し年上になると、制服を着た少年少女も見かけた。大体は、黒いブレザーに金色の刺繍があしらわれ、赤いリボンやネクタイという格好。日本の制服より高そうだ。
年齢層は、五歳くらいから十五歳くらい。小学校から中学校が一貫しているようなイメージだと思う。
魔女の帽子を被った、ひと目見て魔法使いだとわかるような人も歩いていた。杖が身長よりも高く、あやうくぶつかるところだった。
人にぶつからないように気をつけないと、ホワイトクリスマスというウルトラロマンティックな日にトラックに轢かれる羽目になる。
銀行(仮)に入っていく人たちが持っていた紙幣は、近くで見るとこれまたゴージャスな感じだった。制服にあったような金色の刺繍が、紙にもあしらわれているのだ。中心に朱色の判子が押してあり、大きな牡丹が咲いているようにも見える。
硬貨の方は、金貨、銀貨、銅貨の三種類を見分けることはできたが、詳しい紋様は見えなかった。紙幣より、こちらの三つのほうがよく使われているようだ。
とくに八百屋などでは、銀貨さえめったに出てこない。
街を歩く人たちの会話からも、わかったことがある。
この国は東の果てブロードビーン。この街は花の都エフィリア。街の中心部はセントレア、郊外にもそれぞれ地区ごとの名前があり、一番奥に位置しているのがリコリス。
そしてリコリスに、大きな城がある。
どうやらこの少女は、その城に向かっているらしい。
お困りですか、と声をかけてきてくれたくせに、強制的に城に連れて行かれようとしている。俺はどうなるのだろうか。どちらにしろ、先ほどの門番デュカルスに取り調べを受けることになるのだろうか。
そうなると少し困る。
取調室で親子丼が出てくるわけでもないだろうし、拘束時間も長いだろうし。
何より、この世界に長く滞在するつもりはないのだ。日が暮れたらすぐにログアウトするつもりで来たのだから、ゲームの中に人間関係を作りたくない。
たとえ相手がゲーム内のプログラム・NPCであったとしても、心残りは作りたくないのだ。
……NPC。信じられないけれど、FFOのプログラムの容量はほとんど精密なNPCのクオリティーに費やされているため、人間の言語を理解し、現実世界のように話す。もし今が朱里の事件がなかったことになっていてFFOのベータテストが開催されている、という状況だったとしても、これだけの人数が参加することはない。つまり、リュカはじめすれ違った人たちはほぼNPC、AIだ。
親父は、人間と会話するみたいにAIと会話することが夢だったみたいだ。ゲームの中でリアルなAIを創造できれば、現実にも干渉できる。父の著書には、そんな事も書いてあった。
だとすれば、リュカと俺の会話は親父の夢、そのものだな。
「あの、俺はどうなるんですかね」
仕方なく、俺から沈黙を破る。これで、「あ、まだ着いてきてたんですか。気づきませんでした。もう帰っていいですよ」とか言われたら、傷つきはするけれど助かる。
しかし、リュカには俺を開放する気はさらさらないようだった。
「会わせたい人がいるので、会ってもらいます」
「はあ……」
門番か。それともさっきすれ違った警察のように武装した集団か。どちらにしてもいい気はしない。
「あとどれくらいで帰れますか」
帰ってきた答えは、予想だにしないものだった。
「何を言っているのです、帰る家などないでしょう。今晩は城に泊まってもらいます」
「はあ!?」
城に泊まる、だと。
リュカはなおも歩みを止めない。俺が何を思おうと、どうでもいいみたいだ。気が向いただけ、と言っていたはずなのに、いきなり見知らぬ男に宿泊を要求するなんて、理解できない。
城に泊まるのは確かに憧れがあったが、そういうことじゃない。
そういうことじゃないのだ。
「着きました。ここです」
そういうことじゃないのに。
少女は柵の鍵を開け、歩き続ける。俺も後に続く。なんとなく、ここで引き返してはいけない気がした。同時に、ここでならまだ引き返せる気もした。
リュカが柵の鍵を閉める。
もう逃げられない。俺は覚悟を決めた。
成り行き任せを貫き通す覚悟だ。
「ここが、リコリス城か……」
庭園を抜けると、巨大な鉄扉。それを開けると、目の前に広がるのはステンドグラスからカラフルな光が差し込むホール。階段は金色の手すりがきらびやかな、螺旋階段。
「リュカ、只今戻りました」
帰ってくる声はない。
お城と言うからにはメイドさんなどが働いているのかと思ったら、そうではないらしい。厨房からも音が聞こえない。まさか、住んでいるのはこの少女ひとりだけなのでは……。会わせたい人、なんていないのでは……。いやまさか。
少女は俺の疑念を知って知らずか、とくに気にする素振りを見せずに言った。
「ようこそ、リコリス城へ」
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