7話:ご都合主義の帰還
白い光、見慣れない風景、知らない記憶。その中に少年は、一人の少女の幻影を見た。
制服姿の彼女はこちらを振り返る。
見たこともない彼女を、少年は何故か懐かしく思った。
胸が締め付けられ、抑えきれない激情が溢れ出す。
今すぐ手を握り、抱きしめてあげなければ――何故?そんなことは分からない。
ただ、とめどない感情に押され、少年は彼女のもとに走り出しす。
――今すぐ彼女を引き留めなければ、取り返しのつかないことになる!
少年は手を伸ばす。しかし、
「――ありがとう、××……」
彼女は今にも泣きそうな顔でそう少年に微笑みかけた。
直後、世界は崩壊を始め、少年と彼女の間を不可逆的に切り離す。
「――ッ!!」
絶望、悲しみ、憎しみ、そして怒り――複雑な心情の渦巻く中、少年は密かに決意する。
「たとえ悠久の時が掛かろうとも――」
彼女を奪い、引き離した世界全てを敵に回そうとも――
「――いつか必ず迎えに行く。待ってろよ、××」
▼△▼
眩い光が月夜を照らし、衝撃波が少年を現実に連れ戻す。
その光の中に、凛として立つ長身の直衣が一つあった。
「仁王丸、犬麻呂。よく耐えましたね。彼相手にこれだけやれれば十分です」
男は前髪をかき上げながら振り返り、笑みを浮かべる。
「師忠さん!!」
「神子様、ご無事で何より。貴方の時間稼ぎのお蔭で何とか間に合いましたよ」
待ちわびた帰還。彼は、確かにそこに立っている。
――マジでもう駄目かと思った! でもなんで帰ってこれたんだ!?
少年は歓喜しつつも疑問に思う。
それは満仲も同じであった。
驚愕の表情で師忠を見る。
「馬鹿な……!? いや、まずあの術式を受けて無傷、ですか……」
「貴方がたの考えそうなことは大体分かりますよ? 思惑通り動いてくださって助かりました。それと、先ほどの術式にはほつれがあった。貴方にしては珍しい失敗ですね。それがなければ私と言えどもそうは防げませんよ」
「ほつれ? そんなはずは……!」
自分の力量に自信を持つ満仲は、この状況を信じられない。しかし信じる信じない以前にこれは事実、否定の余地はない。
満仲は再び太刀を抜いた。
「くっ、ならば!!」
太刀を構え、跳躍。
一瞬で師忠との距離をほんの数メートルまで縮める。
「師忠さんっ!!」
少年が叫ぶ。
間違いなく、次の一撃は満仲が持ちうる中でも最高クラスの技だ。彼の纏う覇気が、少年にもそう告げる。
いかに師忠と言えどもそんなものを至近距離で食らえばどうなるのか想像に難くない。
だが、師忠は瞑目し、溜息をついた。
「契神:『武甕槌』:御業「葦原中国平定」!!」
先ほど放った軍神の一撃、それの強化版とでもいうべき一閃。
想像を絶するその一振りに少年は吹き飛ばされそうになるが、
「『護法結界』」
師忠の短く、それでいて確かな詠唱は世界に染み渡り、満仲との間に絶対的な断絶を生み出す。
「ッ!?」
彼の極技は軌道を逸らして天高く弾かれ、雲を割った。
仁王丸が使ったのと同じ術であるが、彼女のそれとは精度、練度が別次元にある。
師忠はいつも通りの柔らかな表情で、満仲を見た。
「時間切れですね。大人しく退きなさい」
彼は指で虚空をなぞり、その指を口に当てた後、満仲に向けた。
「『出雲八重垣』」
突如、満仲を囲うように光の霧が現れる。
否、満仲以外の全てを囲うように霧は現れた。
「これは…!?」
「素戔嗚の結界――出雲神族が継承してきた秘術の応用ですよ。貴方の刃がこちらに届くことはもう無い。これ以上は時間の無駄では?」
師忠は満仲に微笑みかける。
師忠の結界に為すすべをなくした満仲は、諦めたように一つ溜息をついた。
だが、どこか満足げな表情をして師忠を見る。
「ふふ、空間術式がお得意だと伺っておりましたが、まさかこれ程までとは。次会うときはしっかりとおもてなし出来るように精進いたします」
「出来ればもう敵としてはお会いしたくありませんね」
「それは上皇陛下の御心次第。ではまたいずれ」
満仲はくるりと身を翻し、闇に消え行った。
▼△▼
再び高階邸に静寂が訪れる。
「ぐ、ぬう…!? あの野郎は!? 「影」はどこ行った!?」
犬麻呂が目を覚まして飛び起き、周囲を見渡す。
少年は駆け寄り、声をかけるが、
「あいつは師忠さんが撃退したよ。お前、ケガは大丈」
「また負けたのか……!? これだけ積み重ねて、まだ力不足っていうのかよ!!」
犬麻呂は力なく膝をつき、声を荒げて地面を思いきり殴りつける。
その拳からは血が滲んでいた。
「お、おい、落ち着けって! 師忠さんもお前はよくやったって」
少年は犬麻呂を落ち着かせようとするが、犬麻呂は少年の胸倉を掴み、
「お前に、何がわかるってんだ!! 俺がこの10年どんな思いで生きてきたと思ってやがる! そんな綺麗な手した異界の民なんかにゃ硝煙に喉を焼かれる痛みも、炎と敵に囲まれ逃げ場のない恐怖も、人が焼けていくあの嫌な臭いも、目の前で親が惨殺される憎しみも分かんねェだろうな!!」
「そ、それは……」
犬麻呂の痛烈な叫びに少年は言葉を失う。
その通りだ。平和で争いなど無縁の世界でのうのうと暮らしてきた少年には到底想像もつかない。
いや、想像すること自体無礼であるのかも知れない。
彼は、一族を滅ぼした仇敵に歯が立たなかったのだ。その失意は言うに及ばない。
――そうだよな。辛いよな。悔しいよな。憎いよな。自分も責めたくなるよな……でも、
だからといって彼は自分を責めるべきなのか?
――いや、違う。
真に責められるべきは奴らだ。彼らの家族を、平穏を、幸せを、全てを奪った奴らこそ、真に責められ、罰を受けなければならない。
そう少年は確信する。
彼は、一歩前に歩み出た。そして、犬麻呂の目をまっすぐに見る。
「……お前の言う通りだ。俺には分からない」
「――ならァ!」
「でも、それはお前たちが自分を責めて追い込むことを見逃す理由にはならねぇよ」
少年は、巍然として言い放った。その態度に犬麻呂は少し気押されつつも、
「…偉そうに言いやがって…お前に何が、できるってんだよ…」
その通りだ。一体、少年に何が出来るのか。
悲しき時代の孤児を救うことが、ついこの間までただの高校生だった彼に出来るのか。
だが、少年の心はもう決まっている。
――もう、出来るか出来ないかは問題じゃない。やるんだ! 何より、これは俺が望んだ事態なんだ。元の代わり映えしない世界に嫌気がさしてこんなところにまで来ておいて、また安全圏でのうのうと暮らす気か? 馬鹿言え! じゃあ、考えろ。俺には何が出来る。なんで俺はこの世界にいるんだ!?
自問自答の末、少年は再び前を向く。
そして、しっかりと犬麻呂の顔を見据え、一つ、大きく息を吐いた。
「俺は、『再臨』だ」
「…は?」
突然の宣言に、犬麻呂はきょとんとした顔を浮かべた。
しかし、少年は気に留めない。
「なら、世界を安寧に導く義務がある。少なくとも、俺をここに飛ばした奴はそれを望んでいるはずだ」
「……それが、どうしたっていうんだよ」
「まだ分からないか? お前たちを救ってやるって言ってるんだよ!」
少年は言い放つ。
大げさも大げさ。だが、それでも彼は『再臨』だ。
彼らが待ちわびた希望の光なのだ。
望んでなったものでもない。ただ、成り行きでそうなっただけだ。
それでも、彼らがそう望むのなら、
――俺は、救世主にでもなんにでもなってやる。
犬麻呂は、目を見開いた。
「救う……だと?」
「そうだ」
きっぱりと言う。
「……はッ! 口ではどうとでも言える! じゃあ、お前には一体何が出来るってんだ?」
嘲るように犬麻呂は言い放つ。
だがもはや、そんなものは少年にとって問題外だった。
彼は、犬麻呂の目を見つめたまま、少し押し黙る。
犬麻呂は、苦し気な表情を浮かべたまま冷や汗を浮かべていた。
そして再び、少年は大きく息を吸って――
「そんなもの、俺にも分からない!!」
「え?は!?」
堂々と言い放った。
想像の斜め上、いや斜め下の返答に呆気に取られ、困惑する犬麻呂。
さらに、少年は畳みかける。
「だがな? これだけは言える。俺は『再臨の神子』なんだろ? そんで奴らは俺を狙ってくんだろ? それなら丁度いい釣り餌にはなれる。それに、俺を味方に付けといた方が後々活きるって直感が言ってる。こう見えて勘は当たる方なんだぜ?」
大見得を切っておいて、締まらないことこの上ない。
犬麻呂は唖然とし、暫し言葉を失う。だが、
「ふ」
犬麻呂は軽く息を吹き出した。
「ふはははは! あんだけ威勢よく決め台詞吐いといて、何言いだすかと思えば餌と勘かよ!? こりゃ相当の阿呆だな! くハハ、フフフ、ああ、腹いてぇ!」
腹を抱えて肩を震わせる犬麻呂。
その反応をみて、少年は今まで口走った台詞の数々を思い返して赤面した。
そしてワタワタしながら、
「な、そんな笑うなよ!流石にハズい!!」
だが、なおも爆笑する犬麻呂。
腹を抱えながら、少年を指さす彼の毒気は完全に抜けていた。
「はは、ふう、お前のおかげで少し落ち着いたよ。悪かったな、さっきのはただの八つ当たりだ」
「わかってるよ。気にすんな」
少年はニカっと笑い、犬麻呂に手を差し出す。
「?」
不思議そうな表情を浮かべる犬麻呂。
「あ、そうか。握手ってないのか。これは友好の印だよ。これから仲良くやっていこうぜ? 兄弟!」
「兄弟……悪くねぇな。ああ、こちらこそよろしくだ」
少年と犬麻呂は握手を交わした。
ふと、彼は師忠に介抱される仁王丸を見る。
力を使い果たしたからか、彼女はぐったりしたまま動かない。
だが、師忠の反応からして、命に別状はなさそうだ。
その様子を見て、少年は胸を撫でおろす。
彼女も犬麻呂と同じく、仇敵を前にして力及ばずして倒れた。
その無念は、計り知れないものだろう。
だが、彼は彼女に悲願を託されたのだ。
なら、もはや彼女たちの願いは他人ごとではない。
少年は、彼女たちの力になる義務がある。
いや、他人ごとであっても彼の行動は変わらない。
彼は悲しみに暮れ、絶望に沈む彼女たちを放っておけるような人間ではなかった。
「……よし」
少年は、拳を握りしめ、気持ちを新たに決意する。
自分に、細かいことは分からない。
それでも、彼女たちの役に立てるのなら、自分は全力を尽くそう。
あの快活な少年が、二度と憎しみの炎に焦がれることのないように。
そして、あの表情の少ない少女が、本当の意味で心の底から笑えるように。
自分は、出来る限りのことをやろう。
それこそが、自分がここに来た意味だ。
少年は、そう強く心に刻み込んだ。
それが、すべて彼のシナリオ通りであることには気付かずに――