第61話:海人の部屋
ひさびさの海人視点です。
はい、どうも。収監中の海人です。よく分からない罪状で牢屋に入れられて三日が経ちました。意外に快適です。毎日尋問もありますが、担当の源高明さんは歳も近く、穏やかな人なのでそこまでストレスはありません。
むしろ、高明さんの方が心配です。弱冠19歳で朝廷の中核メンバー入りを果たしている彼ですが、仕事のストレスが半端なさそうです。さっきから愚痴が止まりません。
「実頼卿も師輔卿も、いっつもいがみ合ってばかり!!」
「そうなんですか」
「ええ! そのうえ仲平公はずっと黙っていらっしゃるし、良相卿も余計なちゃちゃを入れる。師忠卿なんてあの人会議を滅茶苦茶にすることしか考えてない!!」
「それは、大変ですね……でも、いつも丸く収めてるのは高明さんじゃないですか」
「でもこれ私すごい損な役回りじゃないですかぁ!」
「でも、大事な役回りですよ。そして、心優しい高明さんには適任ですって」
「そうでしょうか?」
「そうですよ。あなたは朝廷のキーパーソン、今後ともに無くてはならない人です」
「しかし……私のような気弱な人間が」
自信なさげにそう答える高明さんを見て、俺はふと、元いた世界における彼の経歴を思い出す。
「安心してください。将来高明さんは左大臣まで昇りますから」
「えっ!? 本当ですか!!」
「ええ。未来人の言うことだからだから間違いないです!」
そう自信満々に答えると、高明さんはちょっとほっとしたような表情を浮かべる。ただ、歴史を知る者としては少し心苦しい反応だ。
別に俺は嘘をついたわけではない。実際彼は史実において左大臣まで昇る。しかし、俺が彼の名前を知っているのは、彼がある事件の被害者だからだ。
安和の変――右大臣藤原師伊と関白太政大臣藤原実頼の仕組んだ、左大臣源高明の追放事件。
そんな経緯をたどる彼に対して、手放しで安心してとは言いにくかった。言っちゃったけど。まあ、少しでも彼のストレスが和らいだなら良しとしよう。
ていうか、いつの間にか俺の尋問じゃなくて高明さんのお悩み相談になっている。俺としては別に構わないが、高明さんのほうは大丈夫なのだろうか。出会って数日の人間を信頼しきって上司への不満をぶつけてしまっているが、その辺の脇の甘さが将来の災い事に繋がっているような気がしてならない。ちょっと忠告しておくか。
「でも、高明さんはちょっと人が良すぎる。それは、美点でもあり弱点でもあります。あなたがこの平安社会を生き抜き、末代までの発展を願うなら、もう少し人を疑うことも大事ですよ」
「おぉ……」
高明さんは目を輝かせ、何かありがたいものでも見るかのような視線を向けた。正直ここまで心に響くとは思っていなかったが、届いたなら良しとしよう……良いのかこれで?
そんな時、新たな足音が近づいてきた。
「高明卿、尋問は順調でしょうか」
「これは兵衛佐殿」
「兵衛佐?」
見慣れない顔だ。年齢は犬麻呂と同い年くらいかちょっと下だろうか。いかにも御曹司って感じの美少年。そんな彼は、俺の存在に気付くと薄い笑みを浮かべてぺこりと一礼した。
「再臨の神子さま、お初にお目にかかります。私は従五位上兵衛佐、藤原師伊と申すものです」
「げっ、右大臣」
「右大臣?」
「いや、何でもないっす」
不思議そうに首を傾げる師伊。
まだあどけなさが残る少年だが、将来高明さんを大宰府送りにするのは彼なのだ。油断も隙もあったものじゃない。
「して、兵衛佐殿はどうしてこちらまで?」
「ああ、それは師氏に……頭中将殿に頼まれましてね。高明卿お一人では骨も折れましょう、と」
「なるほど。ですが、今のところは」
「順調ですか。へえ」
師伊は高明さんの言葉を遮り、意味深な笑みを浮かべて作成途中の報告書を一瞥した。そして、意味深な笑みを彼に向ける。
「……?」
「さすがは先帝の皇子さま。お行儀がよろしいですね」
その直後、師伊は報告書を手に取り、勢いよく引き裂いた。
「な!?」
突然の暴挙に、俺も高明さんも開いた口が塞がらない。そんな俺たちに冷たい笑みを向けたまま、師伊は再び口を開く。
「何も聞いたことを馬鹿正直に書かなくてもよろしいのですよ。実頼卿が欲しているのは有罪の証拠。それ以外は無価値です。秀才と評判の高明卿ならこの程度のことはお分かりでしょう?」
貴族スマイルを浮かべたまま平然ととんでもないことを言ってのける師伊。年端もいかない少年とは思えないほど冷徹な態度だ。恐るべし平安貴族……ていうか、
「ま、待って。普通に冤罪事件作ろうとしてない?」
「冤罪とは人聞きが悪い。冤罪とは、罪なき者を誤って裁くことです。ですが、律法を用いるは我らであり、律法を作るのも我ら。なら、我らが罪人と定めた者は、過程がどうであれ遍く罪人なのですよ」
「メチャクチャな……!! お前はそれで」
「お前?」
まったく光のない瞳で笑みを浮かべたまま、師伊は俺の言葉を遮る。その視線は凍えるほど冷たく、思わず俺は後ずさりした。しかし、彼は俺から視線を一切離さず、一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。
「いくら神子だといっても所詮は下賤の出。そんな血筋の者が藤原嫡流たるこの私にお前呼ばわりとは、ずいぶん偉くなったものですねえ」
「兵衛佐殿、いくらなんでもそれは!」
「妾腹の源氏の分際で、この私に指図しないでいただけませんか?」
「な……」
高明さんは師伊の一言で閉口した。彼の纏う雰囲気は、初めて現れたときのそれではない。高慢にして高潔。貴族社会の頂点に君臨する名門、藤原北家の氏人としてのカリスマ、威厳を遺憾なく発揮している。師伊の兄である『彩天』が、かつて俺の前で見せたあのオーラと同じものを纏っていた。
「く……」
「ふむ? 再臨さま、何か言いたいことがおありのようですね」
とはいえ、ここまで面と向かって家柄だの血筋だの罵倒されるのはすごく気分が悪い。現代人としては「何が名門だ」という感情が勝った。
「取り消せよ……!! 今の言葉……!!」
「ふふ、やはり元庶民の方の言葉には勢いがあっていいです。わたしには到底真似できませんよ」
くっ! こいつ息を吸うように皮肉MAXのの言葉を吐いてきやがる!! イギリス人か京都人かよ! 京都人か!!
口の上手さでは相手が数枚上だ。順当に返していては全部カウンターで帰ってくる。しかし、このまま負けるのも癪だ。何より、巻き込まれた高明さんが不憫でならない。
なんとか師伊に一矢報いてやりたい。いくら年下といっても、こんな暴挙は許してはいけない――そんな感情が渦巻く中、師伊がこぼした言葉を俺は聞き逃さなかった。
「なぜこんな凡愚が選ばれて、私は選ばれないのです」
「選ばれない?」
「……!?」
独り言を聞かれ、僅かながら動揺を浮かべる師伊。きっと、今のは彼のコンプレックスの一端だったのだろう。しかし、イマイチ意味は分からない。俺が選ばれて彼が選ばれてないものなんて……
「あ、お前は神子じゃないな」
「は、はぁ?」
ビンゴ。明らかに彼の顔色が変わった。
「いや、そういや俺がお前に勝ってそうなのって、そこしかないなって」
「勝っ……お戯れを。たかが神に選ばれたくらいで調子に乗るのは」
「やっぱりそれか」
動揺の色を濃くしてどんどん早口になる師伊の言葉を遮り、俺はふん、と鼻をならした。
そして、口元が緩みそうになるのを抑えつつ、ここが攻め時と畳みかける。
「お前、神子が羨ましいのか?」
「馬鹿な。貴方ごときを羨むようでは」
「へえ、羨んでるんだぁ」
「――ィ!!」
白肌の顔を真っ赤にして、師伊は檻を力いっぱい殴りつける。彼は完全に余裕を失っていた。意外と煽り耐性は低いようである。いや、案外これまで煽られたことがなかったのかもしれない。温室育ちの御曹司の鼻は、ここらで一度へし折っておいた方が良いだろう。俺は、半狂乱になる師伊をわざとらしく嘲笑した。
「そう怒るなよ、せっかくの美形が台無しだぜ?」
「私を愚弄するのも大概にしろ!!」
「愚弄なんかしてないさ。お前が勝手にキレてるだけだろ」
「げッ、下種の分際で!! 身の程をっ! 弁えろ!!」
刹那、彼の周りの空気が一変する。神気の集約、術式の構築の前段階。彼は契神術を使うつもりだろう。この程度なら俺でも伊勢旅行の間に感知できるようになった。
「兵衛佐殿、さすがにそれはっ!!」
高明さんが制止するが、もはや師伊の耳には届かない。彼はもうなりふり構わず腕を大きく掲げた。
「契神:布津主命;神器『十握剣』ッ!!」
薄暗い独房を遍く照らす神々しい光の剣が現れる。凄まじい神気だ。恐らくは、犬麻呂や仁王丸よりも数段格上の出力だろう。さすがは藤原の嫡流といったところだ。
「でも、あのクズ皇子に比べたらしょぼいな」
「えっ」
驚く高明さんを尻目に、俺はニヤリと笑みを浮かべる。なんたって、俺もこのひと月弱遊んでいたわけじゃない。多少は抵抗出来るんだよ!!
「残念だったな、性悪ショタ」
「負け惜しみを!!」
剣を俺に向け、まさに斬りかかろうとする師伊。しかし慌てることは無い。俺ははやる心を落ち着け、一つ軽く息を吸う。そして、神気の流れをイメージし、そっと口を開いた。
「『解けろ』」
「は……!?」
振りかぶった剣が突如砕け散り消失する。両手から質量と破壊力を喪失して、師伊はその華奢な身体をよろめかせた。
「うんうん、大体分かってきたな」
俺の言霊は、脳内イメージを言葉に乗せて顕現させるものらしい。まだひどく不格好で不完全だが、術式の一部をひっかきまわして邪魔するくらいなら今の俺にもできるのだ。代償もかなり抑えられるようになってきたし、もはやかつての俺ではないといっても過言ではない。
自慢げな表情を浮かべる俺を、師伊は驚愕の表情で見つめている。
「何を……」
「これが俺の権能。俺を選んだ神とやらが、お節介にも押し付けてきた力さ」
頭の中に例のちんちくりんの自称女神を思い浮かべながら、呆然とする師伊に言い放つ。彼は悔しそうに奥歯を噛みしめ、俺を睨みつけた。
「お前、その性格直した方が良いぜ? じゃないと高明さんに呪われるぞ」
「えっ私!?」
心底びっくりして頓狂な声を上げる高明さんを俺は軽くスルーして、肩を震わせながら怒りをあらわにする師伊を指さす。しかし彼はこれ以上戦う気は無いらしく、一度壁を思い切り叩くと独房から去ろうとした。
「また檻から出たら相手してやるよ、性悪ショタ」
「貴方が檻から出ることはありませんよ」
「遠慮しなくてもいいんだぜ?」
「死ね」
そう吐き捨てると、師伊は左京獄を後にした。
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なお、この後俺は権能使用の反動を食らい、徹夜明けみたいな疲労感に苛まれることとなる。また、これは後日談だが、俺が師伊の鼻を明かした話と高明さんの相談に乗った話はどういうわけか一部の貴族中に広まったらしい。きっとその影響だろうが、しばらくの間人生相談を持ち掛ける訪問客が増えたというのはまた別の話だ。




