第57話:皇都激震
新章……というか、次章へのプロローグです!
皇都、平安京。
廟堂に集う公卿、そして、一部の殿上人たちは混乱の最中にいた。
三種の神器、八咫鏡の喪失――建国以来の大事件の発生。まだ市井には噂程度にしか広まっていないようだが、皇都全域に箝口令が敷かれ、六衛府の武官たちは情報統制に躍起になっていた。
「はて、何故これほどまでに大事になっているのやら」
いつものように師忠抜きで行われる公卿会議。変わらない顔ぶれの中で、大納言橘良相はため息交じりにそうこぼす。
彼の疑問はもっともだ。なんせ、八咫鏡の破損は本来織り込み済み。当然、機密管理も万全を期したはずだったが、不思議なことに皇都全域を不安で包むような大騒動になっている。彼が首を傾げるのも無理はない。
しかし、そんな状況にも大納言藤原実頼はいつも通りの平然とした様子を崩さない。
「なに、さして驚くほどのことではございませんよ。抑々、この度の勅令はごく限られた人間しか知り得ぬものだった。それは、南都への警戒もさることながら、皇都の混乱を避けるため。ようは、漏れてはいけないものが漏れただけのことです」
「実頼卿、それは一大事ではありませぬか!」
「高明卿、何事も冷静さを欠いてはなりませんよ」
「そうは仰っても……」
参議源高明の動揺、困惑は、この場にいるほぼ全員の感情を代弁していた。重苦しい空気が近衛の陣に流れる。師忠がいれば軽口で雰囲気をぶち壊し会議を無理やり前に進めてくれるのだが、幸か不幸か彼はいま出雲へと出向いていた。
議論は膠着状態に陥る。そんな中、実頼はニヤリと笑みを浮かべ、再び口を開いた。
「まあ、漏れてしまったものは仕方ない。我らは、為すべきことを為すまで」
「為すべきこと……ですか」
「ええ。いま我らがすべきは、混乱の収束に努めること。情報を漏らしたもの、そして、神器の破壊に関わったすべての関係者の処罰も、当然為されるべきでしょうね」
「関係者の処罰!?」
実頼の発言に、数名の公卿が異口同音に口走る。
「し、しかし実頼卿……今回の勅令は、神器の移送または破壊。なら、例幣使一行に咎は無いのでは?」
「神器の破壊は、あくまで止むを得ない場合に限ると念を押したはずです。しかし、今回の件、陽成院派の介入があったとはいえ破壊に至る必然性はあったのでしょうか」
「それは……」
「実際どうなのかは精査すべきでしょうが、流石に三種の神器を喪っておいて、何のお咎めも無しとはいきませんからね」
「……」
公卿たちは実頼の言葉に言いくるめられ、押し黙ることしか出来ない。現場の状況を知らない彼らは、結局のところ判断の下しようがなかった。
そんな中、『彩天』藤原師輔だけは、納得がいかないといった面持ちで実頼を睨んでいる。
「どうした師輔。なにか不服か?」
「いや。ただ、兄上にしては酷く杜撰な理屈でものを進めようとしていらっしゃるなと」
「何が言いたい?」
薄い笑みを浮かべながら、実頼は挑発的な視線を師輔に向けた。藤原家嫡流の長男と次男の応酬。緊迫した空気に、公卿たちは息を呑む。
そんな空気がしばらく続いたのち、折れたのは師輔の方だった。
「……兄上のことだ。どうせ、もう既に手は打っておいでだろう? なら、今さらどうこう言ったところで無益だ」
「お前にしては物分かりがいいではないか。殊勝なことよ」
ふっ、と息を吐き、笑みを浮かべる実頼。
「いずれにせよ、佐伯の娘の件の方は見逃せぬ。なら、罪状が多い方がこちらとしては都合が良い」
「『悠天』はどうするのです」
「それは成り行き次第だ。しかし、案ずることは無い。皇女を無下に扱うような真似はせぬ。『再臨』と佐伯の娘さえどうにか出来ればそれでいいのだ」
師輔は不機嫌そうな表情そのままに、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。実頼はそれを見届け、公卿たちを見渡す。誰も何も言わない。彼らの無言を承認と受け止め、実頼は軽薄な笑みを浮かべた。
「では皆さま、そういうことで」
▼△▼
朝廷の事務全般と殿上人たちの統率を司る機関、蔵人所は、もう日が暮れたというのに何やらまだ忙しそうな様子である。今日の公卿会議の決定事項、その処理に追われているのだ。
その中でもひときわ疲労が色濃く見える青年――蔵人頭藤原師氏は、文書の山に向き合いつつため息をついていた。そんな彼の執務室に、新たな人影が一つ。
「師氏兄……いえ、頭中将殿。お仕事の進捗はいかがでしょうか?」
「師伊か」
藤原師伊。実頼や師輔たちの弟にして、兵衛府の次官についている彼は、この度の騒動についてある程度知っている。
「見ての通り全然終わらん」
「そうだと思って兵衛府から様子を見に来ました。何か手伝えることでもあればいいなと」
「ありがたい申し出だが今回は機密事項が多すぎる。雑用の雑用くらいしか任せようがない」
「そうですか。それは残念です」
「はぁ、まったく……兄上たちが何を考えているのか全く分からぬ。なんで例幣使の処罰などという話になっているのだ?」
膨大な量の文書を傍目に、師氏のため息はとどまることを知らない。彼は、嘆くような目をして頭を抱えた。
そんな師氏を見て、師伊はしばらく何かを考え込んだのち、僅かに笑みを浮かべる。
「まあ、流石にこの好機を逃す手はないですからね。実頼兄も師輔兄も……いや、実頼兄が首謀者でしょうが」
「師伊、お前兄上たちから何か聞いているのか?」
「いえ? ただ、少し考えれば思い当たることです」
そう言うと、師伊は師氏のすぐそばまで寄って来て、誰にも聞かれないように耳元で呟いた。
「これは、高階潰しの策謀ですよ」




