4話:佐伯の若君
少年は、どこか納得のいかない気分で座っていた。
「なーんか微妙にはぐらかされてた気がするんだよな……」
師忠は少年の質問に粗方答えはしたが、所々大事なところでイマイチ要領を得ない返答をよこすし、時々しれっと質問をスルーする。
もっと言えば、嘘はついていないが事実を上手く隠しているようにも少年には思えたのである。
それに彼には、師忠の感情、思考は全く読めなかった。
師忠の人柄とは一体――そうしたことは従者に聞くのが早い。
「犬麻呂くん、師忠さんって……犬麻呂くん?」
見ると犬麻呂はいびきを立てて眠っていた。
「いや! 話は長いしややこしかったかもしれないけど主人が話してるとき普通寝るか!?」
「仕方ありません。犬麻呂はそういう奴です。それと私たちは別に呼び捨てで構いませんよ?」
仁王丸は諦めたような目つきで犬麻呂を見た後、彼に一発ゲンコツをお見舞いした。
「あだっ!?」
頭を押さえる犬麻呂をよそに、少年は仁王丸に会話の相手を切り替える。
「そう? じゃあそうさせてもらうよ。さっき聞こうとしたことなんだけど、師忠さんって普段どんな感じなの? 」
あれは恐らく外面なのだろう。
普段も彼に仕えている仁王丸なら彼の人となりを知っているはずだ。
そう少年は思ったのだが、
「そうですね……宰相殿は普段もあんな感じですよ。いつもニコニコしていらっしゃって、何をお考えか今一つ分からない。人を煙に巻くのがお好きな、変わった人です」
仁王丸はどこか疲れたような顔をして言う。
――なるほど、いつもあんな感じなのかよ……
だとしたらかなりの変人だろう。もしくは本性を隠した超大物か、それを気取る中二病末期か。
とはいえ、そんな彼も上級貴族。たとえ振り回されようとも家人は従わなければならない。
そう考えると少年も少々気の毒になってきた。
そうしていると、どこからともなくいい匂いが漂ってくる。
「ん、この匂いは」
使用人たちが夕食の用意を運んできた。歴史の教科書で見たような料理もあるが、澄まし汁、焼き魚など少々平安時代感のないものも混ざっている。
現代人が思い浮かべる所の和食だ。調味料などもいくらか時代が進んでいるらしい。
――どことなく現代風だな。
少年はそんな感想を浮かべる。とはいえ、食べなれたものであるならそれは大歓迎だ。
少年がこの世界に飛んできた時刻は腕時計で午後10時半ごろ。
こちらについてみると真昼間ではあったが時計が止まった形跡はないし、現在時計の針は午前5時前を差している。
少年の直近の食事は12時過ぎ学校で食べた弁当だから、実に約17時間ぶりの食事ということになる。彼の空腹は限界に達していた。
「どうぞ召し上がって下さい」
「じゃあ喜んで、って仁王丸たちは食べないの? 」
自分の分しか食事が運ばれてきていないことを不思議に思い、聞いてみるが
「従者が客人と食事に同席するわけには」
――なるほど、従者は外で控えているだけで食べられないっていうやつか。でも正直二人が控えてる側でって食べにくいな……
「あー、あんましそういうカタいの慣れてないから一緒に食べようぜ? 別にいいだろ? 」
少年はニコっと笑い、そう提案した。
仁王丸は意外そうな顔をした後、暫し悩む。犬麻呂の方はというと「え! いいの!? 」みたいな反応で姉のようにあれこれ考えている感じはない。
だが仁王丸も少年の度重なる勧めをうけ、ついに少し表情を崩した。
「分かりました。ではそうさせていただきましょう」
その様子を見ていた使用人たちは仁王丸、犬麻呂の分の食事も運んでくる。
「じゃあ、いただきます! 」
こちらの世界にきてはじめての食事を、少年は3人でとった。
▼△▼
なにはともあれ皆で夕食となったわけだが、食事中に会話するという文化がないのか静かだ。
意外なことに犬麻呂でさえ割と行儀良くしている。まああの性格でも一応上級貴族の従者なわけであるから、当然と言えば当然かもしれない。
こんな雰囲気では話を振るのも躊躇われる。
――これじゃあ折角三人で食べたのに、意味が半減してしまうぞ……
そう少年は思ったが為すすべはない。
「ぐぬぬ、なるほど、こういうスタイルか……」
そう話しあぐねているうちに二人とも完食してしまった。
――く、もう少し図々しい性格してればなぁ……
後悔先に立たず。まあどうせ明日以降も機会はあるのだから、気長に現代の夕食時の団欒という文化を導入していくこととしよう、そう少年は考えた。
「ごちそうさまでした。いやぁ、時代が違うとどんなだろうとは思っていたけど杞憂だったな。普通に美味かった」
「お気に召されたようで何より。部屋の方は只今用意させておりますのでしばらくお待ちください」
「何から何までありがたい。まるで旅館に来た気分だな」
至れり尽くせりの対応に少年は感心する。
「そうだ、少し気になってたんだけど、仁王丸たちはなんで師忠さんに仕えてるの? 一族が代々仕えてるとかそういうの? 」
どう考えても、変人&めんどくさそうな雰囲気のあふれ出す師忠に好き好んで仕えるものなどいないはずだ。
となれば一族単位で絡みがあると考えるのは当然だろうが、もしかしたら何か別の理由があるのかも知れない。
それを知っておいても損はないだろう。少年はそんな軽い気持ちで聞いてみたのだが、
「……彼は私たち姉弟の恩人です」
仁王丸はどこかもの寂し気な表情でそう言った。
想定とは異なる答え、そして雰囲気に、少年は声のトーンを落とす。
「恩人、って何か事情がありそうな表現だな……聞いても、いいのか? 」
「ええ、少し長くはなりますが、よろしいでしょうか? 」
仁王丸は神妙な面持ちでそう言う。
彼女の整った美しい角立ちに蝋燭の光が当たり、艶やかな黒髪が夜風に揺れた。
少年は無言で首肯する。
少女は、すっかり日の落ちた空に浮かぶ望月を眺め、静かに息を吐いた。
「あれは忘れもしない10年前。宰相殿がまだ高階の家を継ぐ前のこと。陽成院派の二度目の蜂起です」
「彼らは都まで攻め上り、廷臣の屋敷に火を放ちました。わが佐伯一族は宮城警護を代々を司っておりましたので、父も勿論陽成院の軍勢と刃を交えました。しかし……」
彼女は、少し苦し気な表情を浮かべる。
少年は、息を呑んだ。
「……奴らの軍には、神子がいたのです」
「神子……」
少年の言葉に、仁王丸は頷く。その目には、憎悪の火が灯っていた。
「なのに朝廷は、都が攻められているにも拘らず残りの神子を動かさなかった。結局朝廷軍は総崩れ、父は敗死。一族の屋敷も全て灰になり、母も親戚一同もみな殺された。私たち姉弟は迫る炎の中で死を覚悟しました」
ふと、仁王丸は視線を少し下に落とす。
彼女は遠い目をして池に映る月を眺めた。
「その時です。宰相殿が現れたのは」
「…!」
「宰相殿はまだ高階の家を継いでおられませんでした。完全に独断です。彼は転移術式を駆使し、私たちをお助けになりました。どうやら父と親交がお有りで、その縁で動かれたようです。その後彼は我々を連れて自邸に匿われました。それ以来私たちは宰相殿にお仕えしているというわけです」
まっすぐにこちらを見て、仁王丸はそう語った。
「……そんなことが」
壮絶な過去に呆然とする。
普通のサラリーマンの両親を持ち、普通の人生を何不自由なく送ってきた少年にとって、その話は想像の及ばない文字通り別世界の話であった。
この国は永らく戦乱の中にあり、今も戦時下なのだ。
そして、仁王丸の仇も、まだ陽成院派の尖兵として同じような悲劇を繰り返しているに違いない。
「……」
きっと、辛いのだろう。悲しいのだろう。憎いのだろう。
初めて会った時から、この表情の少ない少女には、憂いが浮かんでいた。
自分と同じくらいの年齢の少女が抱えるにはあまりにも重い過去。
少年は、視線を落とした。
「……悪かったな、こんなこと話させて……」
「いえ、私こそこのような興を覚ますような話をしてしまい申し訳ありません」
月夜の高階邸に暫しの静寂が訪れた。
長月の夜更け。秋風が、少年と少女の頬を撫でる。
「……ふぅ」
その静寂を破ったのは仁王丸であった。
「……宰相殿と高階の一族は、その特殊な立場上、形の上では中立を保たなくてはいけません。ですから、自由には動けない」
「えっ?」
仁王丸は、少年のすぐそばまで寄り、跪く。
突然の出来事に、少年は固まった。
そんな彼に少女は追い打ちをかけるように、
「ですが、佐伯を継ぐ私には一族の仇を討ち、一族を再興する義務がある」
その濃紺の双眸を少年に向け、真剣な面持ちで彼を見つめる。
息遣いが伝わってくるような、ほんの少しで触れ合いそうな距離に、少女の顔がある。
その時、ふと強い風が吹き込んだ。
「再臨の神子様、どうか私たちに力を貸してくれませんか? 」
意を決して少女はそう言い放った。
――え? えぇ!!
思わず叫びそうになる少年。
しかし、その真剣な表情を向けられては声を上げることすら無粋に思えた。
「無理な申し出であることは承知しております。ですが、ですが……! 」
彼女は少年に縋るように懇願する。
そこには先ほどまでの能面を被ったような冷たい雰囲気はなく、十代の少女が背負うには重すぎる責任を必死に果たそうとする彼女の複雑に入り乱れた感情が滲みだしていた。
だが、それを向けられた少年は戸惑う。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 気持ちは十分に分かったけど!」
――何で、俺なんだ
それが、分からない。
ついこの間まで普通の高校生だった自分に、何が出来るというのだ。
少年は、そう言い返したくなる。
しかし、彼女を見ているとそんなことは出来なかった。
恐らく、彼女にとって自分は最後の希望なのだ。
師忠が言っていた、『再臨の神子』。それが、彼女が待ちわびた救世主なのだろう。
だが、少年は高階の保護下にあり、彼女らとある意味同じような状況だ。
そして、少年にあるのは『再臨』の肩書だけ。
それで一体どれほどのことが出来るというのか。
「……こんな大事な話、即答しろっていうのは無理があるし、師忠さんにも……」
そんな時のことである。突如空気が変わった。
仁王丸の表情に緊張が走る。
「結界の緩み……これは! 」
彼女は外に飛び出し、少年も後を追った。
「一体何が!?」
少年が恐る恐る尋ねた。
「高階邸の結界に綻びが生じました。自然に術式に乱れが生じることはまずありませんし、並みの術者には術式を感知することはおろか、効果範囲を正確に知ることすら出来ない筈なのですが……」
「じゃあ、誰が? 」
尋常ならざる事態。
冷や汗を流しながら少年は尋ねる。
「それは……」
仁王丸は空を見上げる。
その瞬間、天が割れた――否、結界に亀裂が走った。
彼女は振り返り、叫ぶ。
「犬麻呂!」
「あいよ!」
夕食の後ずっと居眠りしていた筈の犬麻呂が、いつの間にか槍を持って飛び出す。
そして、即座に亀裂へと投じた。
少年の背丈二つ分はありそうな長さの槍が、空を切って闇夜へ吸い込まれる。
だが、それは何者かによって上空であえなく弾かれた。
「貴様、一体何者だ。宰相殿の屋敷に夜襲を掛けるとはいい度胸だな!」
三人は夜空を睨んだ。
「ふふふ、これはまた大層な歓迎ですね。恐縮です」
変に丁寧な言葉遣いが少年たちの不安を煽る。
顔までははよく見えないが、狩衣姿の一見優男風の青年が、月明かりに照らされ宙に浮いていた。
――人が、浮いてる!?
衝撃の光景に唖然とする少年。
その様子を見た狩衣の青年は、何やら合点がいったという表情を浮かべ、少年を見てニコリと微笑んだ。
「その様子ですと、まだこの世界のことをそこまで分かっていないようですね。まあ仕方ありませんか。こちらへ来られてそう時も経っていないでしょうし、あの話好きの宰相殿でもそこまではお話になられないでしょ……」
「ベラベラとよく動く口だな! 名乗るぐらいしたらどうだ! 」
青年の話を犬麻呂が遮る。青年は、少々つまらなさそうに犬麻呂を一瞥した。
「他人の話を遮るなんて無粋ですね。まぁ、名乗らなかった私にも非があります」
彼は、ほっ、と息を吐く。
その仕草は優美であったが、この張り詰めた空気の中では異様に見えた。
「そうですね、私の名前は源満仲。上皇陛下の命を受け、『再臨の神子』様へのご挨拶に伺いました」