第38話乙:誘い
再び仁王丸視点です。
「そうよ。お嬢さんをある人に会わせるよう頼まれてん。そのお遣いがぼくや」
灯篭の灯りが照らす、人気のない夜の神社。
神の名を名乗る怪老と少女は対峙する。
「貴方のような変人に構っている暇はありません」
「ハハ、辛辣やなぁ」
人懐っこい笑みを浮かべながら、猿田彦は不気味に笑う。
その異様な雰囲気にただならぬものを感じながら、仁王丸は冷やかな視線を彼に向けた。
だが、猿田彦はその視線すら心地の良いものであるかのように笑みを絶やさず、飄々とした態度を崩さない。
「そういやお嬢さん、あのお姉さんとお兄さんはどないしたんや?」
「あの人たちは…………死にました」
「へー、それは悪いこと聞いたな……って嘘つけぃ!! なんやその適当な嘘! ビックリしたわ!!」
「……チッ」
「今舌打ちしたぁ!? え、せっかく乗ってあげたのに? 酷ない?」
悲痛な表情で騒ぎ立てる猿田彦。
仁王丸は、そんな彼を凍えるほど冷ややかな視線で一瞥した。
「貴方にそれを教える義理はないということです」
「まったく信用されてへんやん……悲しいわ」
「鏡を一度見てみてはいかがでしょうか。貴方のように胡散臭い人間が、何故信用されているとお思いになれるのか理解に苦しみます」
「もう少し手心はないんか? 泣くで?」
「ご勝手にどうぞ」
わざとらしく泣き真似をする猿田彦。
仁王丸に彼を相手にする素振りはなく、ただ蔑みを含んだ目で見下している。
そもそも、彼女は猿田彦の話に付き合う気は全くない。
最初は飄々としていた彼も、仁王丸の一切ブレない態度と毒舌にその余裕を崩されつつある。
そんな中、猿田彦は少し申し訳なさそうな表情で口を開いた。
「まあ、ご傷心のお嬢さんにむやみに絡んだおっちゃんも悪いけどな……」
予想の範疇の外から飛んできた言葉に、一瞬仁王丸の顔に動揺が浮かんだ。
だが、その表情はすぐさま嫌悪の表情へと変わり、
「傷心? 下らない。何をもってそんな」
「え、隠す気なん? いや、めっちゃ目腫れてるけど……」
「な……!?」
猿田彦の指摘に、彼女は思わず両手で目を覆う。
だが、今更遅い。
全て彼にはお見通しであった。
「どうしたんよ? あの子らになんかされたんか?」
そう尋ねる猿田彦。
仁王丸は整った眉を分かりやすく吊り上げ、彼を睨みつける。
猿田彦は、そんな彼女を見て苦笑した。
「そんな嫌そうな顔せんでも。ていうか、お嬢さん嘘下手やなぁ……」
「嘘など……いえ、そもそも何のつもりです? こんな与太話に何の意味があるのでしょう?」
「夜は長いんやし、別に付き合うてくれても」
「先ほども言いましたが私は暇じゃないんです」
「いやぁ、それは」
「邪魔するというなら、斬るまで」
再び刀に手をかける仁王丸
猿田彦は彼女を慌てて制止する。
そして、再び不気味な笑みで口を開いた。
「まあまあ、そう言わんと。ぼくとしてはある人に会って貰ったらそれでいいねん。そう、ちょっと会うだけやから、な?」
相変わらず胡散臭い猿田彦。
仁王丸は怪訝な表情で彼を睨む。
「…………ある人とは?」
「それは……まだ言われへんな」
「そうですか。なら、話になりませんね」
彼女は踵を返し、神社を去ろうと鳥居を抜けた。
だが――
「ああ、御免な。悪いとは思ってるんよ?」
「……は?」
その声は、何故か前から飛んできた。
突如訪れた理解不能の事態に、仁王丸は目を見開いて気の抜けた声を上げる。
その様子を見てけたけたと笑う怪老は、彼女の後ろにはいない。
「でも、お嬢さんには来てもらわんと困るんよ」
「これは……!」
仁王丸の視線の先に、猿田彦がいる。
そして、目の前には神社の本殿がある。
つまり――
「――空間、術式……!」
「詳しい名前は知らへんけど、そやね」
不気味に笑う怪老。
そんな彼と冷や汗を流しながら相対する少女。
風もなく、月も見えない闇夜の神社に緊張が走る。
そして、その緊張を破り、口を開いたのは猿田彦だった。
「まぁ、さっきも言うたけど、別に取って食おうって訳やない。ただ、お嬢さんを迎えに来ただけや。そこんとこ、忘れんといて欲しいなぁ」
「……意図が、見えないのですが……」
「意図? それは、お嬢さん自身の立場を考えたら分かるんと違うかな」
不気味な笑みを浮かべる老人に、仁王丸は怪訝な表情を浮かべて首を傾げる。
「――立場……ですか?」
「そ。天忍日の血を引く一族、佐伯の若君であるお嬢さんなら見当がつくはずやね?」
「――!!」
彼女の表情が驚愕、そして動揺に染まっていく。
遥か昔より族長のみが継承してきた佐伯の秘儀。
族長しか知りえぬはずのそれを、まるで知っているかのような彼の言葉。
「――ぁ……」
佐伯の秘儀、それは、族長の証明。
そして、彼女が彼女である所以。
海人たちに否定されかけた、佐伯の族長としての自分。
それを今、求めている人がいる。
猿田彦の言葉は、そのことを暗に示していた。
「まぁ、会うだけ会ってみてぇや」
そういうと、彼は柏手を打った。
乾いた音が境内に鳴り響く。
その音は、空間に、そして、世界に染みわたり――
形容しがたい夜の闇が、彼女たちを包み込んだ。
▼△▼
伊勢内宮、またの名を皇大神宮。
太古の昔より伊勢の地に鎮座する、祖神にして主宰神のおわします神域。
その神域の最奥部に、本殿は建っている。
高位の神官、そして、神武の係累とその許可を得たものしか立ち入りの許されない、正真正銘のブラックボックス。
そんな皇国祭祀の心臓部に、男は佇んでいた。
冠に真っ白な装束。その様子はさながら神官そのものである。
だが、彼は神官ではない。
なぜなら今、この本殿に立ちいる権限を持つ神職は空席となっているからだ。
伊勢の神域に関われる高位の神官を陽成院派から出さない――
それが、十年前に結ばれた停戦協定の内容だ。
故に、この地に立ち入ることが出来るのは――
「殿下、佐伯の若君をお連れしました」
「ふむ、そうか。ご苦労」
恭しく頭を下げる猿田彦に、その男は一瞥もせずに答えた。
彼はただ、本殿の奥に安置される大きな箱を眺めている。
仁王丸は、頭を下げることをしない。
しないが、一目で理解する。
――この男は、間違いなく自分よりも高貴な人間だ。
彼の立ち姿、振舞い、そしてオーラ。
どれをとっても平安京の上級貴族に勝るとも劣らない。
仁王丸は、自然と身体を強張らせた。
そんな様子を察したのか、男はふと、扇で口元を隠しつつ彼女の方を振り返る。
「おや、成る程。そうか、其方が」
翡翠のような、深緑の瞳。
そして、どこか気だるそうな目をした男は穏和な笑みを浮かべた。
「私は清棟。陽成院第五皇子、二品刑部卿宮清棟親王だ。待っていたぞ、佐伯の若君よ」




