第36話:決壊
一通り山田の町を散策した俺たちは、宿に戻って夕食を取った。
メニューは伊勢湾の海の幸がメイン。
安濃津でもそうだったけど、刺身はないらしい。
その代わり、漬けと炙りはあるようだ。
この世界の文化はいまいちよく分からないところがある。
あと、伊勢海老とか出てくるのかなあ、とか期待してたけど、出てこなかった。
ちょっと残念。
とはいえ、他の料理が美味しいので不満は一切ないのだけれども。
悠さんも楽しそうに、そしてめちゃくちゃ美味しそうに食べていらっしゃる。
「そんながっつかなくても……別に料理は逃げないでしょ」
「料理は逃げぬが、何があるか分からぬ。食べられるときに食べておくべきじゃ」
それはそうかもしれないけど、ちょっと大げさだ。
戦時下でもあるまいし……いや、戦時下か。忘れそうになってたわ。
なお、仁王丸はそんな彼女と対照的に、相変わらずきれいな所作で黙々と食事をとっている。
「なあ仁王丸、ここの料理美味いな!」
「ええ、そうですね」
「この魚とかなかなか……」
「そうですか」
必要最小限の返答に張り付いたような微笑。うーん、微妙な温度差。
別にコミュニケーションを拒絶しているわけではないが、意味のない雑談にはあんまり乗って来てくれない。そういえば、この世界に来てから俺は仁王丸から雑談を振られたことがなかった。
犬麻呂とかは結構どうでもいいことで話しかけてくるのに。
そもそも、彼女が雑談してるところなんてほとんど見たことがないな……
まあ、そういう性格なのだろうか。
もしくは、実は隠れコミュ障だったり?
どっちにせよ、彼女との間にはまだ壁を感じる。
それも、露骨な壁というより、見えない薄い壁だ。
なんの壁かはよく分からない。拒絶、ってほどのものでもない気がする。
「うーん……」
そうして考え込んでいると、悠さんがのぞき込んできた。
「何を唸っておる。腹でも痛むのか?」
「いや、別にそうじゃなくて」
「そうか。なら良い」
もしかしてこれ、仁王丸が冷たいんじゃなくて悠さんとか犬麻呂がフレンドリー過ぎるだけか?
意外と仁王丸のほうがこの時代のデフォなんじゃなかろうか。
そんな気もしてきた。
▼△▼
夕食後、自室に戻る。
今回の宿は、というか、今回の宿もあまり広くない。
限られた予算で宿を確保するとなると、やはりほどほどのランクで留まるのだろう。
いや、朝廷としては俺たちを一般の旅行客に偽装した方が都合がいいのか。
まあ、廷臣に野宿させる訳にはいかないだろうし、かといって高い宿だとそれはそれで目立つ。
その辺りの兼ね合いでここに落ち着いてる感じかな。
ただ、こんな宿では機密も何もあったもんじゃない。
なので、これまでの宿と同じように悠さんが隔離空間を作り出す。
仁王丸や師忠さんがよく使う結界術式の応用だ。
内から外へは出入り自由だが、外からは自由に入ることが出来ない。
でも、内から外の様子は普通に分かるから不思議だ。
ようは、外からこちらに一切の干渉が出来なくなるだけの術式らしい。
これで、いつも通りの完全密室が完成する。
密室が完成すれば作戦会議の時間だ。
そして、今夜の議題は、明日の晩に決行する「神鏡奪取作戦」。
ざっくりした計画は出発前に悠さんが立ててきたらしいが、ざっくり過ぎて使い物にならない代物らしい。仁王丸が言ってた。
「とりあえず、まずは現状の整理から始めましょうか」
なので、今度は仁王丸主導で仕切り直しということになる。
とはいえ、正直かなり疲れてるし、手短に終わってくれるとありがたい。
「まず無視できないのは、山田の町の人混みが想定の遥かに上を行ってるってことだよな」
「ああ、しかも原因不明ときた。違和感がないのが違和感といったところじゃな」
「陽成院派の関与の可能性は?」
「直接的なものはまず有り得ん。そもそも、これだけの人を集める術式など知らんし思いつかん」
「それは、そうですが……」
結局のところ、異常、だけど原因不明っていうところか。
みんな俺とそんなに理解度変わらないな……
ん?待てよ?
「直接的……ってことは、間接的ならあり得るってこと?」
悠さんの言葉を吟味し、そんな疑問が思い浮かぶ。
彼女は、ふむ、と頷いた。
「有り得る、というより有り得んことはない、という程度じゃ」
「例えば?」
「そうじゃな……伊勢、いや、東海道の気脈を一時的にでも伊勢へと集中させる何かがあれば、何かの拍子で人流の変化が起こるかも知れん。じゃが、気脈の変化だけでは人の動きは変わらん」
要するに伊勢へとつながる道沿い全部で神気の流れを強制変更したら、風桶方式でいけるかも……ってことか?
「そのようなことが出来るのでしょうか?」
「かなり面倒じゃが、出来んことはない。が、摂政がそれを見逃すはずもない。その線はないじゃろう」
悠さんは腕を組みつつ天井を仰ぐ。
結局、仮説その1は彼女自身が否定してしまった。
「じゃあ、結局何?」
「さあ?」
「さあ? って……」
あっさり匙を投げる悠さんにあきれ顔の仁王丸。
そんな彼女を見て、悠さんは頬杖をつきながらぶっきらぼうに口を開いた。
「別に分からんでも、どうとでもなろう。臨機応変に行こうぞ」
「それは強いやつのセリフだよ……」
臨機応変とはいっても、実力があって初めて成り立つものだ。
実力皆無の人間は、そもそも何かあったら出来ることがなくなってしまう。
傾向と対策をしっかり練って、その上でイメトレを繰り返し、ようやく使い物になるかならないかのボーダーに乗る。
そんなザコザコ人間が俺である。
ていうか、それだと俺、今回出来ることないんじゃね?
もうこのまま流れに身を任せとく方が良い気がしてきた。
そんなことを考えていると、険し気な表情で仁王丸が口を開く。
「とはいえ、さすがに無策でいくわけには行きませんよ。山田に関しては現状何もわからない。そして、皇大神宮のある宇治の町に関してはまだ何も調べられていない」
「それは、明日調べれば良いじゃろう」
悠さんが即答。
まあ、そろそろ旅の疲れが山場を迎えるころだ。
俺もしんどいし、悠さんもどこか疲労が見える。
今日も30キロくらい歩いた訳だし、それは明日ゆっくりと……
「いえ、今晩から調べ始めるべきです」
ん? 今から!?
えぇ、普通に嫌だな……
ほら、悠さんも露骨に嫌そうな顔をしている。
「何故そんなに急ぐ?」
ホントそれだ。
何をそんなに急ぐ必要があるのだろう。
しかし、俺たちのそんな様子に仁王丸はため息をつく。
「今回の勅命ですが、どう工夫しようと実行から撤退までの余裕が殆どない。神鏡を持ったまま伊勢にとどまるのはかなり危険です。つまり、ことの成否は実行までにどれだけ状況を整えられるかにかかっています」
彼女は真剣な面持ちで声のトーンを落としてそう語る。
確かに、その通りではあるんだけど……
「でも、今から調べて何か得られるか?」
「それもそうじゃのう」
そこまでする気になれない。
そして、悠さんもあまり乗り気ではなさそうだ。
だが、仁王丸は全く折れる気配がない。
「この町は夜と昼とで様子が異なります。実行は夜なのですから、今の状況を知っておくべきです」
まあ、仁王丸の言うことも分かる。
確かにやっといた方が良いのは間違いない。
……が、こっちには『悠天の神子』がいるのだ。
ちょっとやそっとのイレギュラーなら、なんてことはないだろう。
陽成院派の兵も多分いないらしいし。
「別にそこまでしなくても何とかなるっしょ」
「うむ。それに、今から行くのは面倒。我は疲れた。動きたくない」
多数決で夜間偵察は却下。
仁王丸はため息をつき、黙り込んだ。
密室に、暫しの静寂が訪れる。
まあ、正直他に今議題に出来るものもないだろう。
今日の作戦会議はこれでお開きかな。
細かいことは明日、宇治の門前町、そして伊勢内宮を見てから考えることに……
「……なんですか、それ」
「?」
うつむいたまま、仁王丸がぽつりと呟く。
本当に静かに、感情を必死に押し殺そうとしながら、誰に聞かせるでもないような小さな声で。
だが、明らかに空気が変わる。
どんよりと立ち込めていた空気が、肌に刺さるような、鋭く痛々しいものへと変わっていく。
その時、俺は遅ればせながら気付いた。
俺と悠さんは、彼女の逆鱗に触れてしまったということに。
彼女は凄まじい剣幕で俺たちを睨みつけた。
「これは朝廷から預かった大命。八咫鏡を上皇の管轄下から奪取し、神裔の力を最大限引き出せるようにするための強硬手段。帝が直々にお動きになり、上皇一派を滅ぼすための核となる作戦なのですよ」
声を荒げたわけではない。
だが、明らかに怒りの込められた、肝が冷えるような重々しい声色。
しかし、悠さんはそんなものどこ吹く風、と言わんばかりだ。
呆けた顔をしながら頬杖をついて彼女の目を見つめている。
そして一つ、息をふう、と吐き、口を開いた。
「存じておる。じゃが、だから何だというのだ?」
気の抜けたような声で、悠天はそう言い放った。
明らかに空気など読んではいない、挑発ともとれる返答。
仁王丸は目を見開く。
「意味が……分かりません」
「我は、そんな大層な目的なぞどうでも良いということじゃ。今回大人しく勅命に従ってやったのも、単に伊勢に行ってみたかったから、そして、再臨の顔を拝んでおきたかったからというだけのことよ。」
信じられない、という面持ちで声を震わせる仁王丸に対して、悠天は当然とでも言いたげな表情でそう告げる。
そんな彼女の態度に、仁王丸は心底失望したようなため息をついた。
「……それで、これまでも行き当たりばったりで、真剣みが感じられなかったわけだ……勅命など、はなから遂行する気がなかったということですか?」
「いや、受けた以上やるにはやってやるつもりよ。じゃが、それ以上でもそれ以下でもない」
余裕の笑みを浮かべながら悠天は言い放つ。
平時であれば頼もしい彼女の態度が、今は憎らしい。
どう考えても仁王丸を煽っている。
「ちょ、ちょっと!」
二人を制止しようとするが一顧だにしてくれない。
どうしてこんなことになってるんだ!?
これ以上雰囲気を悪くしないでほしい。
もう結構な修羅場だ。
「なぜ、そこまで気楽になれるのです……貴女は、陽成院が憎くはないのですか!?」
「別に、我にとっては帝が勝とうが上皇が勝とうが興味はない。どうせ同じ穴の貉よ」
「……貴女のように、強く自由な人間にとってはそうかも知れませぬが」
仁王丸は悔し気な表情を浮かべて下を向く。
その複雑な心境は傍からでは伺い知れない。だが、並々ならぬものであるのは確かだ。
そして、彼女はその表情のまま悠天の目を睨み、
「これは、朝廷の為に」
「思ってもないことを。朝廷の為ではない。佐伯の為、じゃろう?」
彼女の言葉を途中で遮り、悠天は不気味な笑みを浮かべつつそう告げる。
仁王丸はひきつった顔のまま目を見開き、彼女の顔を見て固まった。
そんな彼女の様子に悠天は嘲るような表情で応える。
嫌な汗が頬を伝った。
頼むから、これ以上余計なことを言わないでくれ!
そう心の中で祈った。
だが、俺の願いは空しく砕け散る。
「いや、それも違うか……単に、其方の下らぬしがらみの為の行動。其方は、あの日、我に頭を下げた時から何も進歩しておらんかったんじゃのう」
彼女はついに、一線を越えてしまった。
これまで辛うじて堪えていた何かが、仁王丸の中で途切れる。
ほんの僅かばかり残っていた、なけなしの抑えが、今ここで砕け散った。
見る見るうちに彼女の表情から力が失われていく。
そこには、もはやいつもの気高き若君の姿はない。
ただ、追い詰められ憔悴した、純粋で繊細な少女の姿だけがあった。
「……私は……貴女に言われた通り、強さを目指し、佐伯の氏上としての自覚を持って」
「そんなものに囚われておるから、其方は弱いのじゃ」
嘲笑を交え、悠天は仁王丸を見下すようにそう言い放つ。
仁王丸は、目を見開いたまま何も言い返さない。
いや、言い返せないのかもしれない。
彼女の頬を静かに一筋の涙が伝った。
悔し涙か、なんの涙かは分からない。
だが、少なくとも今回に限ってはそんな涙を流す必要はなかったはずだ。
流石にこれは理不尽過ぎる。
「悠さん、流石に言い過ぎだ! 」
俺たちの怠惰を通すためだけに、彼女をここまで追い詰める必要は全くなかったはずだ。
どうしてこうなった!?
こんなことなら、最初から仁王丸の意見に賛同しておけば良かった!
しかし、悠さんは謝る素振りなど一切見せない。
それどころか、俺のことまで道端の石でも見るかのような目で一瞥するだけだ。
なんで!
この子は、悠さんにとやかく言われるような人間ではないはずだ。
色々なものを一人で背負って、様々な葛藤に苛まれつつも強く生きている。
それなのに、どうして!?
「仁王丸だってこれまで必死に頑張ってきたんだ! 何もそんな言い方しなくたっていいだろ! 可哀そうじゃないか!!」
必死に訴えかける。だが、その言葉は悠さんに届かない。
その上、俺は口走ってから気付いた。
「……可哀そう?」
仁王丸が肩を震わせながらそう呟く。
俺は、言葉選びを間違えた。
「貴方が……貴方にまで、同情されるような筋合いはない!!」
「え、いやそういうつもりじゃなくて俺は純粋に」
「うるさいっ! 貴方に、貴方に私の何が分かるというんです!! 分かったような口を利かないでください!!」
「それは……」
言い淀む俺に、彼女はなおも畳みかける。
堰を切ったように、悲痛な言葉が溢れてくる。
「私たちを助けるなどと豪語したくせに、これまで助けられてばかり、この旅でもはっきり言って何も出来ていない!! どれだけ人を虚仮にすれば気が済むんですか!!」
何も返す言葉が見つからない。
うつむいて彼女の言葉を受け入れることしか出来ない。
ただ、やるせない気持ちに支配される。
「……ごめん」
何とかしてひねり出した謝罪の言葉。
だが、もはや彼女は耳を貸してくれなかった。
「ごめん? 謝ればそれで済むとでも? どこまで自分本位で自分勝手なんですか……」
「違う! そうじゃない……」
許しが欲しいんじゃない。
そんなものは、なんにもならない。
俺が言いたいのは、そうじゃなくて――
「俺が、もっとちゃんとしていれば、もっと強ければ、仁王丸がそんなに思いつめることはなかったのに、そんなに、苦しそうな顔をさせずに済んだのに……」
そんな後悔、そして無力さの発露。
ただ溢れ出るままに、俺は言葉を紡ぐ。
「苦しそう? それは、貴方たちが」
「いや、今に限ったことじゃない。俺が来てからずっとだ。いや、俺が来る前からなんだろ?」
仁王丸は悲痛な表情のまま押し黙る。
俺は、この世界に来てからの日々を思い返した。
彼女は、時折すごく物悲しそうな、苦しそうな顔をするのだ。
「きっとそれは、自分を押さえつけてまで使命を果たそうとしているからじゃないのか? 仁王丸がお父さんの遺言……一族の再興と敵討ちに必死なのは知ってる。だけど、それでいいのか?」
「……っ!!」
今にも飛び掛かりそうな、抑えがたい激情に震える彼女。
きっと、俺の言っていることのいくらかは的外れなのだろう。
でも、彼女がもし本当に、自分を偽ってまで生きているのなら、俺は見逃せない。
見捨てることはできない。
「本当は、もっと自由に」
「もう喋らないで!!」
今にも声をあげて泣き出しそうな、悲痛な叫び。
彼女はこの時初めて、明確に俺を拒絶した。
「…………夜風に当たってきます」
彼女は部屋を飛び出した。
「仁王丸!!」
慌てて俺も追おうとするが、
「追っても無駄じゃ」
「ッ!! こんなことになったのはアンタのせいじゃないか!」
「責任転嫁をするでない。あれは其方にも不満を抱いておったではないか。それに、さっきのは切っ掛けにすぎぬ。遅かれ早かれこうなっていたであろうよ」
釈然としない。だが、その通りなのだろう。
思えば、彼女の冷たさ、そして見えない壁の正体はこれだったのかもしれない。
俺は、気づかぬうちに仁王丸に負担を強いていたということか。
悔しさ、悲しさ、申し訳なさ。様々な感情が湧き出てくる。
本当に、俺は何をやっているんだ……
「それでも……放っとくわけにはいかない」
「そうか。なら好きにするが良い。我は止めぬ」
そして、俺は仁王丸の後を追った。




