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契神の神子  作者: ふひと
第2章:悠天の神子
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第35話:怜し国、伊勢

 ――神無月九日、伊勢国、豊宮川(とよみやがわ)


 安濃津から松坂を経由し、歩くこと8時間弱。

 ついに海人たち一行は、伊勢神宮のお膝元、その目前まで到達した。

 豊宮川を渡れば、そこは神域都市山田(やまだ)である。


 大和と伊勢の国境から伊勢湾に流れ込み、伊勢外宮(げくう)の神事が行われたとされる豊宮川。

 海人は、そんな神聖な川に架かる橋の上から、左手を眺めてみた。


「ぁ……」


 思わず、息が漏れる。


 風光明媚という在り来たりな言葉ではとても足りない。

 だが、適切な表現が海人には思い浮かばなかった。


 筆舌に尽くしがたい、とはこのことを言うのだろう。


 川岸には薄が海風に靡き、左手には遠くに伊勢湾が見える。

 澄んだ空気に潮の匂いを乗せた風が、一行の頬を撫でた。


 白鷺が、海岸線に向かって飛んでいく。

 そんな時、海人はふと思い出した。


 ――是れ神風の伊勢国は則ち常世(とこよ)の浪の重浪(しきなみ)()する国なり。傍国(かたくに)(うまし)し国なり。是の国に居らんと欲す――


 日本書紀の一節、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の言葉だ。


 ――なるほど、神風が吹き、常世の波の打ち寄せる美しい国……か。


 神代から変わらぬ、至高の神が見惚れた景色。それが、目の前に広がっていた。


「こっから先が伊勢神宮領、正真正銘の神域だ」


 どこか自慢げに、そして楽し気な様子を忍ばせながら、鈴鹿が手を広げる。

 鈴鹿の子分たちもどこかそわそわした様子で橋の向こうを眺めていた。


「お前ら盗みなんか働くなよ?」


 海人は彼らを軽く睨んでそう告げる。


 もう目論見が露見している可能性もあるが、一応まだ隠密作戦は実行中。

 余計な騒ぎを起こされたら面倒だ。


 それに、仮にもこの国の信仰の中心。

 彼らの狼藉を許すとなれば連れてきた自分たちにもバチが当たりそうでいい気がしない。


 それゆえ、海人は彼女たちを牽制したのだが、


「馬鹿にすんじゃねえ」

「盗みなんかするわけねぇだろ」

「そうだそうだ!」


 鈴鹿たちから想定外の反発の声が上がった。

 どういうことか分からず海人は困惑する。


「は?え、お前ら盗賊だよな……」


「自分で言っといて何抜かしてんだお前……盗賊ってんのは神さんの加護があって初めて上手くいくもんさ。神さんのお膝元で悪行やらかす馬鹿がどこにいんだよ」


「へえ……」


 盗賊には盗賊独特の宗教観があるらしい。


 ――思いのほか信心深いのな。


 海人は腑に落ちたような落ちないような、しかし妙な感慨を浮かべつつ橋を渡る。

 かくして一行は、ついに山田入りを果たした。


 ▼△▼


 ――伊勢国山田、伊勢外宮(豊受(とようけ)大神宮)周辺


 雨の宮風の宮、ということわざがある。

 出費が嵩むことや、出費が嵩む原因になる取り巻き連中のことを指す表現だ。


 この雨の宮、風の宮というのは伊勢の末社のことらしい。

 つまりは、お賽銭だけで懐が痛くなるほど神社がたくさんあるということでもある。


 そして、これだけ神社が集まっていると、当然その維持のために多くの人手がいる。

 さらには、その人々を支えるために多くの商人が集まってくる。

 商人が集まってくると、各地とのネットワークが形成され、さらに人が集まってくる。


 こうして形成されるのが門前町だ。


 ――まあ、このループで伊勢の山田に門前町が出来るのは中世以降だった気もするが……


 自身の知識とすり合わせても、やはり幾分か進んでいるように思われるこの世界の光景を眺めて首を傾げる海人。


 それはともかく、


「栄えてるし賑わってるなぁ」

「まあやっぱり神宮の威光はすげぇってことよ。だが……」


 鈴鹿は周りを見渡し、目を細める。

 悠天も、そんな彼女を見て頷いた。


「流石にちと多いな」

「ああ」


 商人、旅人、地元の人、様々な人が行き交う山田の町。

 伊勢、いや畿内有数の町ではあるが、それにしても異常なほどの賑わいを見せていた。


 予想を遥かに上回る人混みに、海人は驚愕する。


 ――人口密度だけなら、平安京なみじゃないか!


 平安時代の日本の人口は推定600万人前後、そして、平安京の人口は12万人程度とされている。

 だが海人の見立てでは、この世界の平安京の人口はもっと多い。


 近代都市と比べても見劣りしない人混み、そこから考えて少なく見積もっても人口3、40万人はいくと彼は考えている。

 つまりは、史実の3倍ほどの人口を抱えているだろう、ということだ。


 これらを踏まえて海人が導き出した、この世界の日本の推定人口は2000万人前後。

 そして、平安京と変わらぬ人口密度を持つように思われるこのエリアの人口は、面積を考慮して6万人強と推定される。


 これはつまり、日本の人口の0.3%がこの神域都市に集中しているということを示す。

 この、2キロ四方ほどしかない小さなエリアに、だ。


「そう考えるとちょっと異常だな」


「ええ。これ程までとなると陽成院派の工作だけでは説明できませんね……」


 仁王丸は、目を細めてしばらく思索にふけった。

 そんな彼女を見て、悠天はふう、と一つ息をつく。


「まあ、理由なぞ見ていけば分かることじゃろう」


 彼女は暢気そうな声でそう答えた。

 海人は苦笑しつつ、ふと自分の左手首に目をやる。


 ――まだ午後4時前か……


 そして彼は空を眺めた。まだ明るい。

 同じように空を眺めていた仁王丸は、悠天の顔を見て口を開く。


「日没までちょっと時間がありそうですね。決行は明日として、今日はどうしましょうか?」


 そんな仁王丸の問いかけに、悠天はふむ、と腕を組み、空を仰ぐ。

 彼女はそのまましばらく考えていたが、ふと顔を下げた。


「まずは宿をとろう」


「その後は?」


 海人が尋ねる。

 悠天はまた、しばらく手を顎に当てて考えるが、首を傾けて彼の方を見た。


「特にやることもないな。散策でもしようか?」


 そして、鈴鹿たち一行を見やり、口を開く。


「今日はここらで解散じゃ。好きにするが良い」


 そんな言葉に、鈴鹿たちは不服そうな表情を浮かべる。


「なんだそれ、まるで俺たちがお前らに付き従ってたみたいな言い方じゃねぇか!」

「そうだそうだ!」


 さすがにその解釈は卑屈ではないか?と海人は思ったが、よくよく考えてみるとあながち間違いでもない。これまでの彼女たちの働きは完全に道先案内人だ。実質従者みたいなものである。


「第一、ここで離れちゃお前らがどこに行くか分かんねぇ」


 意外と冷静な指摘をする鈴鹿。

 せっかく取引を行ったのに、ここで離ればなれになれば逃げられかねない。

 そんな懸念ゆえの発言である。


 ただ、別に海人たちが取引を反故にする理由もない。完全に杞憂だ。


「なら、明日は猿田彦(さるたひこ)神社にでもおれば良い。どうせ我らはそこを通らねばならぬ。そこで落ち合おうぞ」


「……それなら、文句はねえ」


 こうして海人一行と鈴鹿一党は別行動を取ることになった。


 ▼△▼


 宿を無事確保したのち、海人たちは一通り山田の町を散策してみる。


 どこを見ても人、人、人。人だらけだ。

 商人だのなんだのでごった返している。


 そして、人が()()()多いことを除けば平和そのものだった。


「怪しい動きはありませんね」

「ああ、普通じゃな。上皇の家人などどこにもおらん」


 悠天は両手に団子を持ちながら、不思議そうな顔を浮かべている。

 仁王丸は、そんな彼女の言葉に首を傾げた。


「そうなのですか?この一帯は神気が充満しすぎていてよく分かりませんね……」

「はむ……ムグムグ……まあ、探知の感度をかなり上げればある程度は分かる」


 悠天は団子を頬張りながらそう答える。

 しかし彼女は、「じゃが……」と一つ付け足した。


「この神気の発生源、皇大神宮の奥までは我でも分からぬがな」


 悠天はそう告げ、南の方に見える皇大神宮の森を見やった。


 ただ、皇大神宮の奥などそう広くない。

 陽成院派の大軍勢をとどめ置くなど不可能だ。

 また仮に可能だったとしても、この人の数では軍などそうは動かせまい。


 彼らは、どこか拍子抜けしたような様子で町の散策を続ける。


 だが結局、この町に海人たちの脅威となりえる存在は今のところ見当たらなかった。


 ただ、いつもより人が多いだけの町、神域都市山田。

 それ以外の異変は何もない。そのことが、海人の心に妙な違和感を刻み続けていた。

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