第3話:宰相と名無しの少年(下)
いかにもな貴族の邸宅。
少年にはよく分からないが、そこら辺に置かれている調度品もきっと凄い価値のものであるに違いない。
とはいえ、それ程派手すぎるわけでもなく、侘びさびを弁えている。
という感想を抱いたところで、何か小さな違和感を幾つか少年は覚えた。だがその正体には気づけない。
そうしているうちに師忠は話を進める。
「何はともあれよくおいでなさいました。色々と大変だったでしょう? ひとまず気をお休めになって下さい」
「お気遣いどうも……それはともかく、あなたは一体何者? もしかして俺を召喚したのもあなた?」
まどろっこしいことが苦手な少年はストレートに切り込む。
今のところ、彼が少年を召喚した人物である可能性はかなり高い。
少年がこの世界に来る日時を把握していたかのような命令、何事にも動じず全てが想定通りとも言わんばかりの余裕の態度、そしてなによりしれっとそんなことをやってしまいかねない雰囲気が彼には漂っている。
動機は全くもって分からないが。
しかし、そんな少年の問いにも師忠は安定の微笑を崩さない。これがデフォルトなのだろう。
「ふふ、召喚ですか。成る程、貴方はそのように考えるのですね。……まああながち間違いでもない。ですが、再臨の神子に関わることは、差し詰め浄御原帝の術式か、神の悪戯かでしょう」
「神の悪戯……浄御原帝?」
師忠の言を信じるなら少年の転移は彼の仕業ではないようであるが、また知らないワードが出てくる。
――神の悪戯、はともかく浄御原帝の術式とは? いや、そもそも再臨の神子って一体何なんだ?
そのような至極まっとうな疑問が浮かんだ。
そして、恐らく師忠はその答えを知っている。
これを聞かない手はない。
「質問ばかりですみませんが、一つ、いや2、3個聞かせて下さい !浄御原帝ってどなたですか? それと何度も出てくる「再臨の神子」って何なんですか? 本当に俺はその神子とやらなんですか? 名前が思い出せないのもそれと関係が?」
食い入るように尋ねる。
それらはいずれもこの世界に来ることになった理由と密に関わっていると少年は考えたのだ。
そんな彼の反応にさも嬉しそうに師忠は頷く。
彼は知識をひけらかすのが相当好きなようだ。
「いいのですよ。疑問だらけ、聞きたいことだらけで当然です。さて、一つずつ答えていきましょうか。まず浄御原帝についてですね。彼は皇国第38代の帝で我々高階の祖に当たります。契神術を発明したのも彼ですね」
いくつか、聞き覚えのある言葉がちらほら。
――第38代、浄御原、高階……もしかして浄御原帝って天武じゃね? 天武天皇が契神術を発明したの !? どういうこっちゃ。全然結びつかないぞ……
自身の受験知識を動員、状況を整理するが、このあたりから少年は流石に感づき始める。
というより、自分を誤魔化すのがもう限界になってきたというべきであろうか。
一つの懸念が現実味を帯びてくる。
だがそんな彼をよそに師忠は続けた。
「そしてもう一つ。再臨の神子についてですね」
少年はゴクリと唾を飲み込む。
すべての核となりかねないその答え、そこに一縷の望みを賭け、その一言一句を逃すまいとする。
自然と場に緊張が走った。
「再臨の神子―それは皇国に存在する七神子が一であり、陰の属性を持ち月読命と皇国を結ぶ存在です。そして」
「そして?」
「こことは異なる世界線から迷い込んだ少年であり、彼が来て初めて七神子は揃い、災厄は収束する。彼がいつどこにどのようにして現れるのかは予言されていましたが、それ以上のことは我が一族には記録されていません。これが今話せることの全てです」
――えっ? これが全て……?
少年は、新規情報の少なさに落胆する。
だが、これで懸念は恐らく現実のものであったと受け入れざるを得なくなった。
すなわち、この世界は過去ではない。
異世界、いや平行世界の過去である可能性が高いのだ。
よく考えれば、おかしな所はいくらでもあった。
先ほど感じた違和感、それはどことなく漂う時代とのミスマッチである。
調度品にはガラス製品が混じっていた。それに掛けられていた絵画も水墨画。
少年は美術史に詳しいわけではないが、平安時代にガラス製品が普及していたとは考えられないし、水墨画が日本で流行りだすのが室町時代ということも知っている。
つまり、これらが当たり前のようにある空間は本来おかしいのだ。
いや、そもそも契神術なんて出てきた時点でそう断定すべきだった。
――つまり、今の俺は先読みチートも使えず、特に能力もなし、そして状況証拠的に戦乱の重要人物。こうしてみると超ハードモードだな!?
「あのー、俺が神子っていうのが何かの手違いってことはないですか?」
せめてそんな危険なポジションには居たくない。
悲痛な願いを込めて縋るが
「いえ、間違いありません。それに、仮に手違いでしたら私が貴方を留めおき、保護する必要性はなくなってしまうのですがそれでも?」
師忠の絶対的な自信の根拠は分からないが、あっさり希望は打ち砕かれる。
そんな少年の様子を察したのか、一つ溜息をつき、慰めにも似た言葉を掛ける。
「ですが、何の能力もないということは恐らくないでしょう。見たところ貴方には契神術の適性はあまりなさそうな感じがしますが、他の六神子はみな神性を有していますし、何かしらの「権限」を持っています。そうしたものがあれば自覚があっても良さそうなものなのですが、貴方にはなにかその手の感覚はありませんか?」
「け、権限……? うーん、そんなもの無さそうなんだけどな……あ、そういえば!」
少年は一つ思い出し、声のトーンを上げる。
「昔から口に出したことが実際に起こったり起こらなかったり、ということが……あと運はいい方です !」
彼は取りあえず何かやるときは口に出してみるタイプである。
それに努力型でもあるので大抵のことはやってのける。
それゆえそんな結果になるのだが、これはどう考えても疑似相関だ。
運がいいのも彼が勝手にそう思っているだけである。
第一、この状況で運がいいとは片腹痛い。
「……やっぱり何もないのかも知れませんね。強く生きて下さい」
「そんな殺生なっ ! ! !」
相変わらず微笑んだままの師忠。
だが少年にとっては笑い事ではない。
寝食と庇護者は獲得したが間違いなく厄介ごとに巻き込まれることが確定した。
ただでさえ異世界に飛ばされて混乱しているのに、この仕打ちというのは酷である。
「ふふ、そこまで大きな声をなさなくても」
「いや、出しますよ !なんか希望と先行きが全然見えてこない!」
「心配なさらず。いくら陽成院といえども神子に手を下すとは思えない。それは破滅を招きかねませんから」
――陽成院? なぜここで?
また意外な人名が出てくる。
陽成院、すなわち陽成上皇は殿上で殺人を犯し、退位に追い込まれたと伝わる人物だ。
少年の頭の片隅にある知識ではそうであるが、なぜ彼がここで出てくるのか。
ただ、問題はもはやそこではない。
「いや、何で神子に手を下すと破滅を招くんだ?」
その問いを聞くと師忠は少し考えこみ、幾度か頷く。
「成る程、そうでした。そこからでしたね。私としたことが大前提をお話ししていませんでした」
「大前提?」
そうだ。そもそもここは過去の世界では恐らくない。
ならば現在の社会情勢、歴史、思想、信仰、何なら物理法則まで全く異なる可能性がある。
少年は目先のものにとらわれ、そこの確認を忘れていた。
きょとんとした表情を見せる少年に、師忠は嬉々として応じる。
「ええ、そうです。まず皇国は高天原より委任をうけた帝が代理統治する地であり、神子はその柱となる存在。いつもは神裔・蒼天・彩天・悠天・灼天・回天の六神子がそれぞれ陽・水・金・木・火・土を担当し、調和をもたらしています。ですが戦乱により国が二分される事態が生じれば、その均衡は崩れてしまう。現に今、平城京の陽成院と皇都の今上陛下・摂政殿下の二大勢力が永らく敵対状態にあり、この均衡は崩れつつあります。あなたも見たでしょう? ほんの4、5年前まで右京もそこまで荒れ果ててはいなかった。あれはここ数年立て続けに起こった天災が原因。その天災は二大勢力の対立に起因します」
ものすごい勢いで新規情報があふれてくる。
さすがに少年は処理しきれない。
「えっと、どゆこと?」
「ようするにこの戦いは、普段は六人いる神子を使った陣取り合戦ということです。神子をすべて引き入れるか、神子が所属する敵陣営を取り込むか滅ぼせば勝ちですね」
少年はしばらく師忠の言葉を反芻していたが、ようやく理解が及んで手をポン、と叩いた。
「つまり、この膠着は神子を一人追加することで崩れる。長く続いた戦乱の終結への糸口となる、それが俺の役割ということですか」
「ええ、その通りです。加えて言うなら神子は存在自体に意味があり、特に職掌はありません。ですが一人でも欠けると一大事。その属性を担当する神の恩恵がほとんど受けられなくなりますから」
――ふーん……ん? 待てよ?
さらりと師忠が補足するが、少年に何かが引っかかった。
「でも、再臨は普段はいないんですよね? じゃあ再臨ってそれ当てはまるんですか?」
少年にとって一番気になるのはそこだ。
存在に意味があるからこそ命は保証されている。
だが、それはあくまで「再臨」以外の6人の神子の話だ。
つまり、普段はいない「再臨」が死んでも大した問題が生じない可能性がある。
となれば、厄介なだけの「再臨」は真っ先に抹殺対象となりかねない。
少年は一段と力を込めて尋ねる。しかし、
「それは、分かりませんね。なんせ記録がない。ですが神子の存在は高天原の望むところのもの。つまり再臨に刃を向けるのは八百万の神々に刃を向けるのと同義です。それが皇国において何を意味するのかは想像がつきますよね」
師忠は意味深な笑みを浮かべた。
少年はその意味を必死に探ろうとする。だが、
「すみません、少々この後用事があるのを失念しておりました。これ以上の話はまた追々。仁王丸、犬麻呂、あとはよろしく」
師忠は突然話を打ち切って一礼して立ち上がり、御簾を掲げて母屋を後にする。
「え!? ちょっとそんないきなり!? まだ聞きたいことは山ほどあるのに!」
少年は後を追うが、
「あれ?」
御簾の向こう側に人の気配はもうなかった。
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相変わらずの微笑を浮かべたまま、師忠は人気の感じられない京の町を行く。
「いやはや、これほどまでに胸が高ぶるのはいつぶりでしょうか」
彼はそう独り言つ。
「……まったく。相変わらず性格が悪い」
その表情は、誰にも見えない。師忠は夕闇に消えた。