第29話:目的
――近江国、琵琶湖南岸、勢多
夜の帳が落ちる。だが、近江国府のお膝元、勢多の町は賑やかだ。
とても平安時代とは思えない。どちらかといえば、幕末の京都とかのイメージに近い雰囲気だ。情緒はあるが、やっぱり時代が大分先を行っている気がする。いや、単に俺が平安をナメていただけか?
それはさておき、今回の旅は隠密だ。陽成院派はもちろん、平安京陣営も最上層の者以外には気づかれてはいけないらしい。故に、朝廷の使者の証明にもなる駅鈴は渡されていないようだ。つまり、貴族用の機関を使うことはできない。宿も飯屋も自分たちで探さなくてはいけない。
と、そこまで考えて本当に朝廷の命令かどうか不安になってきた。体のいい追放とかじゃないよね?俺だけ三重の山中に置き去りとかマジで勘弁だからね?
そんな俺の不安とは対照的に悠さんのテンションは完全に旅行だ。学生旅行のノリだ。
「夕餉が先じゃろ。我は腹が減った」
暢気すぎる。さっきまでの俺の心配が馬鹿みたいに思えてくる。まあそうであってほしいのだけど……って待て。どう考えても宿の確保が先だろ。初日から野宿とか嫌だぞ。めちゃくちゃ寒いし……
「宿って予約とかしてるんですか?」
「予約?」
「あ、そういうのないスタイル?」
なにそれおいしいの?みたいな顔を仁王丸は浮かべる。でもそうか、通信手段がないんだから予約もなにもない……いや、この世界なら通信手段ありそうだな。じゃあ単に知らないだけか?よくよく考えたら悠さんも仁王丸も都育ちの上流階級。庶民の暮らしに疎いだけの可能性も……
「まあ、こんなご時世で長旅を行う奴は余程のうつけしかおらんじゃろ。どこも空いておらんということはないはずじゃ……多分」
「そうですね……多分」
「やっぱ宿の確保先にしましょう」
▼△▼
「あっぶねぇ!」
手元の時計で一時間半後。かろうじて宿の確保に成功。俺の懸念通り全然空きがなかった。さきに晩御飯にしていたら冗談抜きで野宿ルートだった。セーフ。
「まさかほぼ空きがないとは……庶民はうつけしかおらんのか?」
「いや……」
衝撃の表情を浮かべる悠さん。それほどではなくても困惑を隠せない仁王丸。これ世間知らず説が濃厚だな……ていうか、今思えば舟に乗ってた爺さんが言ってたじゃん。商人たちが安濃津とかから山田とか近江に引き上げてるって……そりゃ人多いよ。
「ともかく、なんとかなりましたね」
「泊る所はなんとかなったけど、晩ご飯……いや夕餉?はどうする?」
「それは……」
仁王丸は言葉に詰まる。もしかして、仁王丸も長旅は初めてなのかもしれない。これまでの間、あらゆる雑事をそつなくこなしていた彼女がここ2時間くらいはかなりグダグダだ。先行き不安だな……
まあ、今それを尋ねてもなんか責めてるみたいだしやめておこう。
「その辺りので良かろう。我はこうした庶民の食に前々から興味があったのじゃ!」
そんな仁王丸とは対照的に、悠さんイケイケどんどんで楽しそうにあーだこーだ言っている。多分彼女も長旅未経験だろう。この辺りは単に性格の差か?
「ですが、少々危うきところがあるやも知れません」
「この顔ぶれでか?面白いこと言うのう。我らを相手取れるものなど他の神子か、それとも八百万の神ぐらいじゃ。何も案ずることはない」
「ですが、神子さ……再臨様を守らなくては」
……ん?また俺お荷物になりそうな感じ?
「ああ、そうじゃった、其奴、戦えぬのじゃった」
「え、なんでバレてる!?」
悠さんには俺の無力さを伝えた記憶はない。もしかして俺が弱いのってもう平安京中に知れ渡ってんのか?それとも見ただけで弱いのバレた?どっちもヤだなあ……
「そんなの、見れば分かる。弱そうじゃし。というか、契神回路が回っておらぬ」
「契神回路?」
初めて聞いた。師忠さんそんなん言ってなかったよな?なんぞそれ?
「契神術を行使するための神気の通り道のようなものじゃ。いうなれば、体内の気脈よ」
「そして、術式を発動するためには体の中の神気が整えられ、契神回路が上手く回らなければいけません」
「なるほど?」
ご丁寧にお二方が説明してくれる。でも、分かったような分からないような……
「つまりは其方、まともに術式を扱えぬのであろう?」
「い、いや、もしかしたら出来るかもよ?」
「戯言を。それほどの神気、出来るならもう何かしら出来ておるはずじゃ。出来ておったら契神回路がそんな滑稽なことにはなっておらぬ」
全部お見通しじゃん。何だか知らんが、この人契神回路とやらを目視してるっぽいな。……待てよ、滑稽?
「滑稽、ってどんな感じになってるんですか……」
「どんな感じといわれても困る。ただ、見たこともない感じになっていて面白いぞ?ちょっと弄れば弾けそうじゃ!」
「弾けるってなにが」
「無論其方がじゃ」
「怖えよ!!」
そんなとんでもないこと嬉々として語らないでくれる!?なんかめちゃくちゃ楽しそうなんだけど!
「そんなことは今どうでもよいではありませんか」
「良っくねえよ!何?俺そんな爆弾抱えてたの?師忠さんそんなこと一切教えてくれなかったけど!?」
「まああの人ですから」
「まあ彼奴だからな」
二人の声がハモる。
「凄い説得力!」
「ですが、宰相殿があえて伏せたということは、案外大丈夫……なのかな」
「え、不安」
せめて言い切ってくれよ。仁王丸にまで真剣に不安そうな顔されたら怖いんだけど……
「まあ、彼奴のことじゃ。もし危険なら何か手を打っておるはず。彼奴は変人じゃが紛うことなき異才じゃ。その辺りは心配なかろう……多分」
「めちゃくちゃ不安!!」
「うっさいのう!男子のくせに喚くな!」
「煽っといて理不尽!」
「まったく、我は腹が減った。もうそこで良い。行くぞ」
さんざん人を不安にさせといてそれはちょっとひどい気がする。仁王丸もちょっと冷たいし……
ともあれ、飯屋はその辺にあった居酒屋チックなところに決定した。
▼△▼
「いらっしゃい!」
店員さん……ていうのか?よく分からないけどそれっぽい人から挨拶が飛んでくる。照明が提灯だか行燈だかっていうのを除けば、大正の大衆酒場に近そうな雰囲気を纏っていた。大正の大衆酒場知らないけど。
普通にメニューとかあるじゃん……何時代だよホントに。だけど、
「読めぬ……」
雰囲気近代なくせにめっちゃ普通に崩し字だ。全然何書いてんのか分からない。
「なんぞこれ?分からぬ……」
悠さんに関しては普通に字が読めても何が出てくるか分かってない。シンプルに大衆料理を知らないのだろう。
「……はぁ、私が適当に選びますね」
「よろ」
どうも仁王丸はわかるらしい。こういうのはわかる人に任せておこう。
「すみません。えっと、これとこれと……」
仁王丸が注文を済ませてくれてる間、悠さんは全く落ち着きがない。都育ちのお嬢様にはすべてが目新しいのだろう。座布団だとか装飾品だとかを突っついたりしている。
「ほー。なんじゃこれ、なんじゃこれ!」
「壊さないでくださいよ?あ、そこ弄らない」
「なんじゃ、やかましいのう!其方は爺か!」
「爺?」
誰?
「ああ、我の養父じゃ。まあ名目上の、じゃがな」
ああ、育ての親か。いや、イメージ的には執事的なのが近いのかもしれない。
「そのお方はわがままで事実上賀茂の神官家を乗っ取ったんですよ」
な!?急に穏やかじゃないぞ!
「乗っ取ったとは人聞きの悪い。我は斎院として仕えておるだけで」
「宮司の養女にまでなり無理やり家督を強奪しておいてよく言いますね。それに斎院の解釈を実力で捻じ曲げて居座り続けるのもいかがかと思いますけど」
「むー」
「いや……」
むー、じゃないよ。かなりえげつないことやってんじゃん。きれいなな顔してとんでもない人だな……というか、巫女服なのはそういう理由か。
まあでも、別にその爺と悠さんの仲が悪いわけではなさそう。さっきの俺みたいに口うるさく注意できるみたいだし。悠さんが賀茂社に居座ってるのももしかしたら半分くらいはその爺とやらの意思なのかもしれない。
「あいよー」
そうこうしていると料理が届いた。何の料理かはいまいちわからないが、とりあえず魚介メインか。揚げ物もある。何の魚だろう?ブラックバス……ではないよな。鮒か?もしやビワコオオナマズ?いや、ビワマスの可能性も……
「わ、なんじゃこれ!なんの魚じゃ?なんの葉っぱじゃ?」
「静かに食べてくださいよ……」
相変わらずうるさい悠さんに仁王丸は呆れ気味だ。まあでも、そんな厳粛な雰囲気の店でもない。わいわいガヤガヤやってる感じの店だ。別に悠さんが特別浮いているわけでもない。
「居酒屋みたいな店でそんなの気にしないでも……」
「居酒屋?」
仁王丸はきょとん、とした顔を浮かべる。どうも居酒屋という言葉はないようだ。この店の形態もこの世界独自に発展した文化なのだろう。
「これもう一つ!」
「へーい!」
勝手に悠さんが追加注文。
「ちょ、勝手に頼まないで下さいよ!金子の管理は私が行っているんです!あー……」
▼△▼
「まいどー」
一通り食事を終えて店を出る。
「大雑把な味じゃが悪くなかった。満足じゃ」
言葉の通り上機嫌な悠さん。それと対照的に不機嫌な仁王丸。想定外の出費だったのだろう。
「……まったくそれだけ食べてよく太り――」
仁王丸は悠さんの顔をにらみつけそのまま視線を少し下に落としてハッ、とした顔を浮かべた。
「チッ」
「なんじゃ今の舌打ちは!」
すらりとして起伏らしい起伏もない自分の上半身を撫でおろし、仁王丸はため息をついた。悠さんのほうはいきなり舌打ちされてただただ困惑している。
まあ、和装は寸胴で控えめな胸の方が映えるっていうし……まあ、元気出せよ……
でも、仁王丸が悠さんに嫉妬するのは分からないでもないかもしれない。スタイルいいし、顔立ちも整っている。モデルか何かみたいだ。顔の包帯は……触れない方が良さそう。
あれ、こうして考えてみると悠さんかなり目立つ見た目だな。なんなら仁王丸も軽装とはいえ貴族っぽい服装だし、そんで俺はいまだ学ラン。三人とも隠密行動とは無縁の装いだ。
「めちゃくちゃ今更だけど、俺たちこんな服装で良かったの?大分目立ちそうな恰好だけど……」
「ああ、それは大丈夫じゃ。人の目を惑わす術式を使っておる。我を我と知らぬ者は、きっと旅の遊女か何かと見紛うことであろう」
「そんな術式あるんだ……」
変装用の術式……認識作用みたいなもんか?いや、案外精神系?どっちにしろ便利だな。
「姿を変える術式など神代よりいくらでもあろう。葛城山で雄略帝の前に現れた一言主命の話などは著名じゃな」
「あ、あー……」
普通に初耳だ。いや、そんな話が古事記にあったような、なかったような……?
「まあ、我は有名人じゃからな!不本意じゃが身をやつすに越したことはない」
「へー」
ともかく、今日はもう宿に戻って休むだけだ。
▼△▼
「ほー」
旅の宿。というより、普通に旅館だ。眺めもいいし、畳の匂いが心地いい。ちょっと汚いけど。
ていうか、寝具は布団がデフォルトなんだ……さすがに現代のと比べると見劣りするけど、そこそこまあまあな出来だ。材質は木綿か?もしかしたらこの世界の日本では綿花栽培が盛んなのかもしれない。
それはさておき、庶民向けで、しかも平安時代仕様の宿なんてどんなものかと思っていたらなかなかではないか。
「悪くない」
「狭い」
悠さんは不満らしい。そんな彼女を仁王丸は笑顔で睨みつけた。
「なら、悠天様はそれでお休みになられたらよろしいのでは?広いですよ?」
「……其方に何か嫌われるようなことしたか?」
「いや……まあまあ……」
相変わらず仁王丸は悠さんを一方的に嫌っている。まあ、今回に関しては悠さんが100悪いんだけど。でも、ホントに悠さん、仁王丸に何やらかしたんだ……
悠さんはしばらくしょんぼりしていたが、すぐさま機嫌を直して真ん中の布団を占領して自慢げな表情を浮かべる。布団の位置争いなんて修学旅行か何かか?
「我はこの布団を貰う。其方らは端の布団を使うが良い」
「やっぱ修学旅行生じゃん」
「なんじゃそれ。それはともかくこういうのなんかワクワクするのう!」
「修学旅行生だよね?」
「さっきから我の知らぬ言葉を使うな!なんじゃシュウガクリョコウセイって!気になって眠れんじゃろうが!」
「どんな理由ですか」
訳の分からない理由でキレる悠さんに仁王丸はため息をつく。もう一周まわって微笑ましさすら覚えてきた。まあ、正直俺は寝る場所なんてどこでもいい。あ、外は嫌だよ?寒いし。
「あれ、仁王丸は結局どこで寝る感じ?」
「私はその辺りの柱ででも」
「は?」
当たり前のように答える。柱ってなに?どゆこと?
「は?ではありませんよ……護衛たるもの、いついかなる時も一応夜襲への警戒を怠るわけにはいきませんので」
ああ、そういうこと?いや、それは流石にストイック過ぎない?
「真面目じゃのう……普通に感心するわ。じゃが、睡眠不足で倒れられても困るぞ?持ってくの面倒じゃ」
「無用なご心配有難うございます。私は別に寝ずとも三、四日は平気です。仮にも武門の跡取りですから」
そうはいっても休んでほしいなぁ。どうせこのメンツを襲撃できるやつなんていないんだから。
……いないよね?いや、仮にいたら真っ先に標的になるの俺じゃん……
ん?これって仁王丸の睡眠時間奪ってんの実質俺ってこと?もうこれ俺いない方がいいじゃん……なんで俺今回このパーティーに組み込まれたんだよ……一体何の目的があって――
「あ!」
「なんじゃ!びっくりするのう」
思わず声を上げてしまった。そうだ、バタバタしてて頭の片隅に追いやっていたけど、これ忘れちゃダメなヤツじゃん!
「目的ですよ!」
「は?」
「今回の旅の目的!なんで俺たちが伊勢に行くか、ですよ!」
布団の中から顔だけ出して、悠さんはきょとん、としている。これこの人も完全に忘れてんな……
彼女はしばらくそのままぽかーんとしていたが、上半身だけ起こしてポンと手を叩いた。
「ああ、そうじゃった。まだ言ってなかったな。もう言ったつもりになっておった」
「で、結局何なんです?」
「そう急かすでない。なに、簡単なことじゃ」
ふう、と息を吐き、彼女は唇に指を当て、怪しげな目を浮かべた。
仁王丸、そして俺は息を呑む。
蠟燭の炎が風に揺れた。
静謐な空気が、宿屋の一室を包む。
「ふ」
彼女は、「いやいや、そんな大したことはない」、などと手を振りつつ微笑む。そして――
「伊勢の神鏡を皇都に移送する。難しそうなら破壊する。それだけよ」
そう、いとも簡単に言ってのけたのだった。
「神鏡の……移送……」
「または……破壊……!?」
俺はもちろん、仁王丸まで驚愕する。
だって、簡単に言ったけどそれって……つまり、三種の神器、八咫鏡を伊勢神宮から、陽成院派の勢力圏から隔離するってことだよな……!?それに破壊も辞さないって?流石にそれはマズいんじゃ……三種の神器だよ!?
ていうか、なんでそんなことを……
「ああ、まあ理由はいくつか思い至るが……」
悠さんは窓の向こうに見える月を眺めながら少し思案するが、一つ大きなあくびをして、
「……明日でよかろう。我は疲れた。寝る」
「えっ、ちょっと!」
そのまま布団にもぐってしまった。ゆすっても起きない。もう寝息を立てている。
「寝るの早!」
さんざん勿体ぶっておいて中途半端なところで寝てしまった。このどうしようもない気持ちはどうすればいいんだ……
「こうなっては仕方ありませんね。神子様ももうお休み下さい。明日は早いですよ」
「ま、まあそうか……」
そう、まだ旅は初日なのだ。初日で体力使い果たしたらどうしようもない。気にはなるけど、また明日聞くことにしよう。
「そうだな……おやすみ」
「おやすみなさいませ」
仁王丸は、刀をわきに置いたまま部屋の入口辺りの柱にもたれかかっている。
いつものように憂いが少し混じったような、どこか苦し気な表情で。
あれで本当に休めるのだろうか。彼女もそれなりに疲れているだろう。
出来れば休んでほしいが、そのためにはもっと俺がしっかりしなくては……
「……仁王丸」
「なんでございましょうか」
「なんというか、その……あんまり無理すんなよ?やれることはなるだけやるし、他にも何か手伝えることがあったらやるからさ」
「お気遣い感謝します」
すごい社交辞令みたいな対応されたな……
なんというか、この世界に来てから素の仁王丸をほとんど見たことがない気がする。初日の晩の話だって、本心には違いないだろうけどどこか違うというか……
犬麻呂いわく友達らしい友達もいないらしいし、弟にすら佐伯の家長を演じて素を見せてない感があるというか……
とにかく、まだ壁がある気がするんだよな。嫌われてまでは無さそうなんだけれども、お客様対応感が否めないような……いや、嫌われてないかについては自信ないわ。
まあ、今回の旅の間に、ちょっとでも彼女との距離を縮められたら嬉しいかな。あんな辛い境遇にありながら、気を許せる仲間がほとんどいないなんて俺なら耐えられない。
ちょっとでも彼女の力になれたら、俺はこの世界に来た意味があるような気がする。
「じゃ、先に寝る。おやすみ」
そんなことを考えながら、枕元の蝋燭を消した。
いまさらですが、実は琵琶湖を渡ろうが陸路を行こうが勢多までの所要時間は大して変わりません。なのにわざわざ舟を使ったのは、単に悠さんが舟に乗りたかったからっていうだけです。あの人本気で旅行気分です。




