第15話:邂逅
「ッ!」
彩天の野郎、好き放題言っていきやがった。
でも、よりによってあの藤原の御曹司が「彩天」の神子か。そりゃあんなに態度もデカくなるわけだ。政治でも宗教でもその頂点に立っているわけだし、自分以外の人間すべてを見下していてもおかしくないだろう。
……アイツにとっては俺も、犬麻呂や仁王丸の家族も道端の石ころ同然ってことか。
「クソっ!」
悔しさに拳を握りしめるが、やるせない気持ちが募るだけだ。何より、アイツに比べて今の俺は無力すぎる。無力すぎて、言い返してもまともに取り合ってすら貰えない。不甲斐ないものだ。
こんななりじゃ、仁王丸たちの力になんて到底なれそうにない……
――いや、何をあの程度のことで弱気になってるんだ。しっかりしろ。俺は「再臨の神子」、海人だ。異世界より遥々やってきた、この世界のキー人物だぞ?「彩天」ごときに怯んでどうする!
己を鼓舞し、青い空を見上げる。雲一つない蒼天。あの空を見上げていれば、自分の悩みなど全て矮小なものに思えてくるから不思議だ。
……あれ、そういえば――
「仁王丸は?」
さっき人混みに押されて離れ離れになって以降、姿が見えない。彼女の身のこなしならすぐに戻ってきてもおかしくないはずだが、どうしたのだろうか。
ふと周りを見渡しても、それらしき人影は見当たらない。
「ったく、宰相殿の言いつけ破って姉貴はどこほっつき歩いてやがるンんだ?」
犬麻呂が苛立ちながら言い放つ。とはいえ、彼女の性格を考えると理由もなくいなくなったりすることは流石に無い筈だ。一体どうしたのだろうか。
――まさか、陽成院の刺客が……!?
悪い予感が胸を突き抜ける。が、すぐに思い直した。
流石に京中にそんな普通に刺客が紛れているものだろうか?それに、襲うなら仁王丸じゃなくて俺だろう。なら、その線は無いか……待てよ、でもアイツらの昨日の行動を考えると本当に何をするか見当もつかない。でも流石に今回は違うはず。うん、きっとそう……
「だよな?いぬま……」
そこまで言いかけて気付く。
「……は?」
さっきまで確かにそこにいた筈の彼は、忽然と姿を消した。
「仁王丸に続いて犬麻呂まで……?!」
一体どういうことだ?神隠しか何かか?全く訳が分からん……
真っ白になりそうな頭を何とか回転させ、状況把握に努めるがどうにもならない。二人とも完全に視界から消えてしまった。それも、犬麻呂に関しては何の前触れもなく突然に。
「どういうことだよ……?」
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結局、何も分からないまま手元の時計で十分ほど過ぎてしまった。犬麻呂たちが戻ってくる気配はない。尋常ではない事態に不安になりつつも、特に打開策は思い浮かばない。ただ、立ち止まっているのも性に合わず、取りあえず歩き回ることにした。が、人混みに酔ってしまってやむなく路地裏に逃れる。
「うぇぇ……」
満員電車とはまた違った感覚。独特の熱気と光景、匂いにやられて眩暈がする。気持ち悪い……
「……はぁ、まったく」
勝手の分からぬ異界の地に一人でほったらかし。心細いことこの上ない。それに、治安の悪さは昨日体験済みだ。まだ多少はこの辺りの方が昨日の場所よりましだろうが、現代の都市に比べたら相当悪い部類に入るだろう……知らんけど。
なんにせよ、どうすればよいのか全く分からぬ。仁王丸たちを探した方が良いのか?それとも下手に動き回らない方が良かったのか?師忠さんの屋敷に帰るって手も……いや、場所知らんわ。
万策尽きたぜ――そう途方に暮れていた時だった。
「お困りのようだが、どうなされた?」
突然の問いかけにビクッと肩を震わせる。そして、恐る恐るその声の方を振り返った。
薄橙の髪、紺碧の双眸、凛とした佇まい。水干姿の青年。装いこそ庶民のそれだが、流麗な立ち振る舞いやオーラが彼を一目で貴人と知らしめる。恐らくは訳アリの変装なのだろうが、そういう意味ではあまり意味をなしていない。ただただ、俺はその存在に意識を奪われた。
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「……なるほど。ご友人二人はぐれてしまったと。そして、都の地理に疎い君は帰り方もよく分からないときた。ふむ、それは災難だったな」
親切な青年は、顎に手を当て思案した。何気ない所作だが、それだけで絵になる。
それはさておき、一応この場で俺は田舎の方から仁王丸と犬麻呂という友人とともにやってきた旅人という設定で話している。いきなり「再臨の神子」だとか、宰相の屋敷の居候と宰相の家人だとか名乗るのはリスクが流石に高すぎるという判断だ。
それともう一つ、いきなり二人が消えたというのもなんとなく伏せている。ただ事じゃないことが起きているわけだ。何かの罠かもしれないし、そうじゃなくてもどこで身バレするかなんて知れたもんじゃない。そこから陽成院派に嗅ぎ付けられて、また満仲なんかと鉢合わせたら死亡ルート不可避だ。
こんな感じで事情はあるが、助けてもらう身の上のくせに嘘までついてしまって申し訳ない。でも、下らんことで厄介ごとを起こしたくないので許せ、兄ちゃん。
「……取りあえず、ご友人二人を探そう。何か行先に心当たりは?」
「全くないです」
「そうか……」
だって仕方ないじゃないか。いきなり誰もいなくなったんだから。
しかしそうなると、いよいよどうしようもない。せっかく助けてもらっているが、いま明かせる情報だけでは力になってもらい様がないぞ。
そう思った時だった。
「なら、やむを得まい。「霊術『待人捜神法』」
青年が詠唱する。すると、青白い光がぼうっ、と淡く光った。
「道祖神よ、彼の人の神気を頼みに我らを導き給え」
青い光は纏まり、そして北の方を指したのち、散開した。
「え……なにこれ?」
「道祖神、そこらに溢れる境界の神よ。その導きに頼った方がことが早く進むだろう?さて、行こうか」
イマイチよく分からんが、これも契神術か?人探しまで出来るのか……
待てよ、契神術ってそんなみんなが使えるものなのか?町を見る限りそんなに普及しているようには思えないが、実際の所はどうなのだろう。いや、そもそも契神術が何なのかよく分かってないのだけれども。
って、そんなこと考えている場合じゃない。気付けば、青年は先に進んでしまっている。
「ちょっと待って!」
光のほうへ進んでいく少年を追って、俺は小走りで駆けていった。
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「はぁ、はぁ……歩くのはっや……」
やっとのことで青年に追いつき、息を切らして膝に手をつく。
にしても、かなり北上したな。さっきよりかなり御所が近くに見える。ていうか、すぐそこだ。
にしても一体犬麻呂たちはどこに行ったのだろう。この辺にいるのだろうか。そんなことを考えていると、青年の足取りが止まった。
「……おかしいな」
青年は、何やら首を傾げている。どうしたのだろう?
「この辺りで一度戻って路地裏に入る……不可解だが妙に引っかかるな……まあ良い、ついてきたまえ」
そうとだけ言い、再び青年は歩き出す。
正直、青年が何を見ているのかはよくわからない。でも、何かを辿っているようなので信頼してついていく。
本当に辿り着くんだろうか、そんな疑念もないではないが、彼は別に悪い人には見えないので今は信じてみようという気持ちだ。
「この路地裏か……」
青年は険し気な表情で路地裏に入っていく。そのまま、俺も続いて――
「――は?」
気づくと俺は、知らない部屋の前にいた。
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「消えた……?」
青年は不思議そうに小首を傾げる。彼は、誰もいなくなった二条烏丸の路地裏で一人立ち尽くしていた。
しかし、あることに気づく。
――なるほど。そういうことか。
その時、後ろの方でどすん、と何か重たいものが落ちる音がした。
「うぅ……」
そこには、二つの人影があった。一つは、もう一人に完全に制圧され、うめき声を上げている若い男。そしてもう一つの方は、涼しい顔で男の頭を地面に押さえつけているまた別の青年。その状況を背中で察し、青年は心底あきれたようにため息をついた。
「まったく。見ないと思えば、お前は一体何をやっているのだ、満仲」
彼の問いかけにニッコリと笑みを浮かべて、いつぞやの青年、「影」源満仲がそこに立っている。
「この者が貴方様を先ほどよりつけておりました故、捕えましたがいかがいたしましょうか?」
烏帽子に狩衣、そして相変わらずの微笑。満仲は、若い男の背中を踏みつけながら、そう青年に恭しく尋ねる。満仲の性分をよく知る青年は、その質問が質問の体を成していないということを直ぐに理解したが、その上で一度頷き、目を細めた。
「……許可を求めるようになっただけ成長と評価すべきか。まあ良い、その男は誰だ?」
「さあ?高宰相殿の手先……ではないでしょうね。彼は案外そんな回りくどい手を取るお方ではない。なれば、小野宮大納言殿か、橘大納言殿の手の者でしょうか?取りあえず……」
満仲は、なお苦し気にうめき声を上げる男の顔を掴み、彼を壁に投げつけた。ものすごい音を立てて男は建物の壁を突き破り、瓦礫が彼に降りかかる。満仲は、額から血を流してぐったりする男を見下げながらゆっくりと歩み寄り、傍らにしゃがみこんだ。
「貴方の主人は何方でしょうか?素直に教えてくだされば、助けてさしあげないこともないのですが」
「……っ!言うわけがなかろう、南都廃帝の手先め……」
「そうですか。それは残念。では貴方のお仲間か、家族に尋ねることにしましょうかね!」
「な――!?……っ!」
抵抗の意思と覚悟に満ちていた男の表情が、怒りと絶望の入り混じったものに染まっていく。その様子を満仲は恍惚とした表情で見遣り、男の襟首を掴んで持ち上げた。
「貴方に二つ選択肢をあげましょう。主人の名を私に教えて死ぬか、教えずに死んで身内まで危険にさらすか。お好きなほうをお選びください」
青年は、その様子を光の消えた目で眺めていたが――
「嗜虐趣味はその程度にしておけ。お前の力を以てすれば其奴の身柄を割るのに半刻も掛かるまい。無用の騒ぎを起こしても後が面倒だ」
青年の制止を受けて、満仲は不機嫌そうに手を放し、引き下がって跪く。青年はため息をついて男のもとに歩み寄り、その紺碧の双眸で彼の泥だらけの顔を見下した。
そして一度袖を払い、問いかける。
「――時に男よ。貴様、名を何という」
唐突な質問に、男は虚を突かれて頓狂な表情を見せる。意味が分からない。そういった類の顔だ。そして彼は、小馬鹿にしたような表情で口を開いた。
「はっ!そんなこと知ってどうするんだ?俺に何の得がある。言えば、俺の仲間や家族に手は出さないのか?」
「貴様の仲間については知らぬ。だが、家族については約束しよう」
間髪入れずに青年は言い放つ。しかし、男は険しい表情を崩さない。
――皇位にすがり、四半世紀にわたって皇国を混乱に陥れている奴ら。自らの利益のため、当然のように都を焼き払うような極悪非道、残虐無比な連中。そんな人間ともいえぬ者たちの言葉など、信用に足るはずがない――
「馬鹿め、誰が貴様らの言うことなど――」
だが、気づいてしまった。
青年の浮かべる、その表情に。男が抱く、陽成院派の人間が、決してこの場で浮かべるはずもないような、彼の表情に――
「ハっ……なんだよ」
――なんでお前は、そんなに悲しそうな眼をしてやがるんだ……
青年の、軽蔑の中に混じる諦め、憐憫、そして悲哀の表情に気づいて、男はわずかに動揺した。そして、同時に青年の瞳に浮かぶ諦めの意味に気づき、自らの命運を悟る。
――コイツは、俺を殺すつもりか。
暫しの沈黙が彼らの間に訪れる。男には、青年が問いかけた意図が分からない。だが、恐らくこれは彼なりの表敬、そして情なのだろう。そう思えたからこそ、男は再度問い返す。
「……家族には手を出さない、さっきお前はそう言ったな」
「ああ、この私に二言はない。約束しよう」
「そうか。なら、俺の名前ぐらい教えてやる」
男は、初めて敵意のない表情を浮かべる。それはようやく青年を、信用すべき、まともに話すべき相手と認識したということだろう。青年は、黙って顎を引いて目を閉じ、一言「申してみよ」と発した。
「修理だ。姓はない。孤子だ。親は灼天に焼かれて死んだらしいが細かいことは知らん。この名前は主人にもらったもんだ。あのお方に手を下すことは許さん」
見たところ、この青年はそれなりに立場のある人間だろうと男は踏んだ。たとえ彼に情があろうと、立場を不意にすることはできまい。だが、男には主人に恩がある。たとえどんな事情があろうと、彼に危害が及ぶようなことがあってはならない。そういう彼なりの心意気の発露だった。
「――それは約束できんな」
「そうかい。まあ、そうだろうな」
予期していた通りの返答だ。仕方ない――彼は青年の瞳を見て諦めのため息を吐いた。
そんな男の様子に青年は閉じていた目を薄く開き、彼の義侠心に思いいる。そして、口を開いた。
「これは詫びだ。私の名を特別に教えてやろう。冥途の土産にするといい」
「……ふっ、興味はないが聞いてやろう。お前は……何者なんだ?」
乾いた笑みを浮かべて男は青年を睨む。無音の空間に、砂埃が舞った。
そして青年は、ついに口を開く。
「経基――陽成院第六皇子、三条宮経基王。其方が憎み、呪った陽成院の実の子。そして――」
青年はゆっくりと片膝をつき、男と目線を合わせて目を開いた。
「『蒼天の神子』、そう呼ばれる存在だ」
男は絶句する。
――蒼天の、神子……
神裔に次ぐ格を持ち、七神子のなかでも最高級の出力を誇る、素戔嗚の表象。これまでの間、陽成院派に対して朝廷が軍事的優位に立てなかった原因。それが、蒼天の神子――
目の前に立っている青年が嘘をついている様子はない。なら、そういうことなのだろう。
幾多の修羅場を潜り抜け、「彼」の信頼を得て平安京の平和を支えてきた修理。その彼が最期に辿り着き、敵ながらいささかばかりの信頼を抱いた相手が、最も忌むべき陽成院の皇子で「神子」であるとは、なんとも皮肉なものだ。
「――はは、こりゃなんとももう、笑えねえ冗談だな……だが、いい土産になったよ」
「なら良かった。精々、私を憎んで逝くがいい」
一瞬、青年――経基の眼が紅い光を帯びる。
そして――ぱしゃん、と水風船の弾けるような音がした。




