103話ー絵を描くー
激闘の末に勝利した正人。
命を奪う為の葛藤は、人の証である。
鬼は待つ。
ー雪崎 蓮斗と山木 登一チームー
雪崎と山木のチームは、陸地から装甲車で北上する。
東京本部に鬼が来て、黒潮くんと中林くんが命を落としたと聞いた。その直後に、正人さんが鬼と交戦。恐らく、僕ら全員のルートはバレてる。鬼は全員のもとへやって来るだろう。
「僕らのとこにも来るよね」
「来る。確実に」
僕と山木は、千歳くん達と重三さんから少しだけ想の訓練を受けた。前から扱えなかった訳じゃない。けど、意識して想を操作するってことはやってなかった。
遅れを感じていた。
けど僕と山木は、世界デュロル保護機構のゾディアックであるマイケルソンを倒し、"旧"最重要警戒デュロルのリチャルダンも倒した。こっちはほぼ里道くんのお陰だけど。
その功績があって、この精鋭5小隊20人と、他数百人を任された。
いやいや、僕らには荷が重いよ。なんて言えずにここまで来てしまった。
山木も口にはしないけれど、絶対同じこと思ってる。
見通しの悪い吹雪の中、装甲車の列は淡々と進んで行く。
装甲車の中は、外気に侵食されるように冷んやりしていた。
張り詰める緊迫感の中で、皆眠気に襲われる。
装甲車は停まり、運転手まで仮眠を取り始める。
この異様な光景を何ら不思議に感じず、僕も気持ちよく目を閉じた。
___。
絶えず鳴き続ける蝉の声。
仏壇から線香の煙が漂う。
畳の香り。
そんな懐かしい匂いに目は覚めた。
「蚊取り線香焚いとっても、蚊は寄るでえ〜」
台所から婆ちゃんの声がした。
起き上がった時、澄み切った空に入道雲が佇んでいた。
風鈴が空気を撫でる。
右手の甲に畳の痕が付いてる。手を枕にしてた所為で、少し痺れる。
久しぶりに見た。人肌だった頃の僕の手。
母さんが離婚してから、僕はしばらく婆ちゃんの家に居た。幼い頃そのものだ。
「西瓜切ったで、蓮斗好きやろ」
「うん、ありがとう」
懐かしいなあ。この感じ。
「母さんは?」
「パートに出とるよ。一緒に見送ったやない」
「そうだっけ」
「バアより先にボケんとくれ」
扇風機の風に、髪は靡いた。
台所から、誰かが歩いて来る。
暖簾を分けたその女性は、俺の知らない人だった。
格好良い女性だ。髪は黒いショートで、毛先が金髪にグラデーションされてる。
「よお」
その立ち振る舞いには似つかない程の、大きな胸に俺の目は釘付けだった。
弛ませながら胡座をかく。
「話そうぜ」
「婆ちゃん、この人だれ……」
婆ちゃんの姿は無かった。
さっきまで真昼間だったのに、今じゃ蝉は鳴き止み、ヒグラシが囁く。その声に似合った、綺麗な夕暮れが部屋を染めていた。
「懐かしいかよ」
「うん」
「ふーん」
女性は口を大きく開けて西瓜を頬張った。
その咀嚼音とヒグラシの声が合わさる。
「懐かしいって、何だ?」
女性の目は僕を掴んだ。一瞬、呼吸の方法を忘れた。
「お前にとって、懐かしいってのはこんな感じなんだろ。幼い頃を連想させれば、それは懐かしいのか」
俺は口淀んだ。
「幼い頃……とはちょっと違う気がする。幼い頃、辛い思いした時もあるし。それは懐かしいとは違う……」
女性の表情はどんどん強張っていく。
僕に何を求めてるんだろう。
「懐かしいって感じる時よ、決まって想が多量に発生すんだよ」
想。
「情景を思い浮かべるだろ。脳裏にそれを描く為に、想は湧き出る。いや、溢れる」
夢かと思っていたこれは、夢じゃないのか?
この女性は"いつ"の僕と会話してる?
僕の記憶に、この女性は居ない。
「今お前は、五感をフル活用して過去を再現してる。それに使う想はどれ程だろうな」
こいつ、何を。
「いい加減気付けよ愚図。夢なんかじゃねえ」
デュロル……鬼の技か!?
「ここは、三次元の絵画だよ」
女性は大机に肘を付く。
「もっと描け。細部まで。感覚を研ぎ澄ませろ」
まずい、抜け出す方法がまるで分からない。
僕の身体は幼少の頃から変わらずに居る。
この場所に居るって感覚の所為で、ここが現実であると脳が思い込んでる。
庭の奥に広がる田園風景が、より一層鮮明になっていく。草の一本一本から、砂利の一粒まで。
「ユイの身体を描写させるのって、基本出来ねえんだよ。想を多く扱える奴じゃねえと、こうやって目の前に来れねえ」
ユイは僕を指差し、人差し指の先端に装甲を纏わせた。
突如、僕は目眩を起こす。
「ユイのデュロルの姿を描写出来るか?その前に、先にお前の想が底を尽くか」
こいつ、想を使い切らす為に……。
俺は必死にしがみつく。
「懐かしいって、手放したくない過去なんだろ。ふとした瞬間に、その情景が思い浮かぶんだよな」
ユイの身体のデュロル化は止まらない。左腕は装甲へと変わってる。
畳に鼻血が垂れる。
夢か現実かも分からず、僕はこのままユイの術中に尽きるのか?
ユイの術中……技の芯は何だ?
ユイは、"懐かしさ"に固執してる。
「……あんたの懐かしさって何?」
「ユイに懐かしいなんて感情は無えよ」
僕はユイの左手首を掴んだ。
頭が割れたんじゃないかと思うくらいの痛み。
鼻と口じゃ収まらず、耳からも血は流れ出た。
ユイは鬼の姿となる。湾曲して整ったツノ。腰には注連縄。
「ハア!?」
大想以上の想を使ったのかと、ユイは徐々に声を小さくした。
人に想を使わせる能力。何らかの方法で、脳を操作してるんだと思う。
なら、ユイの想は僕の脳にも入ってきたんだね。
僕の想は、呪われてるんだ。
想を蝕む。
あのまま、ユイの能力だと気付かずに夢を描き続けてたら、きっと遥姉ちゃんも元気に出て来た筈。
そうしたら、僕は夢の中に居続けたいと願った。ユイの思惑通り、想を使い続けた。
その前に、ユイはかなり早い段階で僕の前に姿を現してくれた。それはユイの想定外だったかもしれない。僕の脳は、危機を察してくれた。
そして僕は、ユイが何を原動力にしてるのか、その能力の裏に何があるのかだけが気になった。
ユイに触れたのが夢の中か現実かなんてもう興味は無かった。どっちでも良かった。"触れた"と脳が認識した時点で、僕の想は蝕み始める。
婆ちゃん家だった情景は、光の粒となって弾け始める。次第に、真っ白くて何も無い空間が出来上がった。
「お前!!正気じゃねえ!!」
ユイは焦りを見せた。
僕の鼻血が、顎先から地面に落ちる。
真っ白い空間に、血の色は綺麗に描かれた。
ユイは弾けた血を見据え、小さく呟く。
「……血。あっ」
一滴の血は数を増していく。
狭く苦しい暗い空間。地面は血で覆い尽くされ、湿った空気が漂う。
耐え難い死臭は身体を纏った。
思わず嗚咽する。抑えようにも涙は溜まり、頬を伝った。
1分でも居たら、気が狂ってしまいそうな空間。
ユイは微動だにしない。
暗すぎて、目を凝らさないとユイの姿もろくに見えない。
やっと捉えたシルエットは、さっきまでのユイとは異なっていた。背は、今の僕と同じくらい。
鬼の筋肉質な手首を掴んでいた筈が、今は華奢で、冷たくて、折れてしまいそうな手首を握っている。
「お前、名前何」
ユイの言葉が、小さな空間に反響する。
「雪崎 蓮斗」
いや、言おうとしてない。僕の脳は判断してない……言わされた?
「覚えておくよ。ユイに"懐かしさ"を思い出させてくれた奴だ」
ユイのシルエットの髪がふわりと揺れる。
黒いシルエットだけれど、顔のパーツを脳は判断してる。
ユイは満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとうと、言っておくよ」
この空間で、幼い頃を過ごしたと言うのか?
僕は婆ちゃんの家で、父さんと母さんが喧嘩してた時を思い出して泣いていた。転んだだけでも泣いた。それだけ平穏だったってことだ。
それを、齢を同じにして、希望すら見えない場所で育ったのか?
デュロルの……しかも鬼になる人の過去は、僕らの想像を超えるものなのか……。
「同情はしなくて良いぜ。誰に見せるもんじゃねえけどな」
どんな理由かは分からない。けど、この空間の裏には、また壮絶な……。
「小さな女の子をさ、こんな空間に置くのも"人間"なんだぜ。恐ろしいよな。けどよ、デュロル様はそんな無力な人間に、抜け出す手助けをしてくれる」
話に重みがある……。
「だからユイは、"人間"ってゆう悍ましい生き物をぶっ壊す。それを守るお前らもな。血を見ずに殺せる方法を模索して、やっと辿り着いた。想を永久に使わせて、廃人にしてやる」
視界は晴れ、その眩しさに目を窄める。
吹雪に当てられ、装甲には霜が付く。
「そうすれば、そいつは懐かしい幸せな夢の中、果てていくんだぜ」
装甲車は横転し、放り出された先で昼寝するように横たわる兵士達。
寝返りする兵士も居る。この吹雪の中、起きようとしない。
俺も視界が晴れるまで、装甲車が横転して外に弾き出されたことなど知りもしなかった。
山木すらも、棍棒を手放してむにゃむにゃしてる。
俺1人が、こいつと戦える……。
「ユイの技を解いたのは、今までで雪崎だけだ。自分を誇れよ」
このユイから、懐かしさを感じさせる匂いがする。想を粒子にしてばら撒いてるのか?それなら、脳に簡単に入り込める。
ユイはデュロルで鬼にまで上り詰めた。接近戦も油断しちゃダメだ。
左手を動かした時、パキッと音がした。霜が割れた。刀を離さまいと、ずっと握り締めていたんだ。
抜刀する。
刃こぼれの無い刀身に、雪が反射する。
顎から垂れた一滴の血が、足元の雪に落ちて滲んでる。
鼻血は現実でも出てたんだ。
深呼吸してしまえば、またあの空間に飛んでしまいそう。匂いを吸わないように口で呼吸してるのに、懐かしい匂いは鮮明に脳に届いてる。
それ程に濃く充満してる。
ユイは、ただ立って俺を見ていた。
「ユイは、他の人間が言う"懐かしさ"を知りたかった」
その言葉に、重圧が乗る。
「でも、ユイが感じる懐かしさは、平和でほのぼのとしたものなんかじゃねえ」
あの暗い空間を思い出す。
「這い出た外の景色は、想像を絶する程眩しかった。血だらけで、人間の姿からはかけ離れたユイの身体が、痛いくらいに照らされた」
ユイのツノを見つめる。
「人間になりたくて、色んな人間に触れた。みんな暖かくて、優しかった。大人に成れば成る程に、あぁ、住む世界が違うんだって思ったよ」
匂いは濃さを増す。
「そんな優しくて暖かい人間を、虐め弄ぶ人間も居る。その人間に出会うかは運で、出会ってしまったら、もう救われない世界に行ってしまう」
同時に、重圧が辺りを覆い尽くす。
「デュロル様が居なかったら、ユイはこっちの世界に居ない。ユイの居たあっちの世界に、誰も来ることが無いように。ユイの描いた世界が、いつか現実になるように」
構える手に、力が入る。
「ユイは描き続ける。邪魔は許さねえ」
【極想 苦辛絵世】
視界が揺らいだ。途端、背部から胸部にかけて、激しい痛みが生じる。体内に冷たいものが入ってくる。
「痛いだろ!?お前に刺された痛みだ!私はこの苦しみの中死んだんだ!!」
鬼神の咲村 詩織がそこに居た。
咲村は人間の姿をしてる。記憶の中の彼女は、常に鬼の形相をしていた。
遥姉ちゃんを殺した咲村の顔が、俺の脳裏に染み付いて離れない。
それが反映されてるのか?
「確かに痛い……!苦しい!でも!遥姉ちゃんはもっと痛くて苦しかった筈だ!!」
「遥は苦しませずに一気に殺した!」
「体の痛みを言ってるんじゃない!心の痛みだ!!」
「心の……」
「母親に会えたと思ったら、両手で頭を掴まれて、首を捻られた!!」
「その隙に、心の痛みなんて感じるわけねえだろ!」
「感じてたわボケ!!遥姉ちゃんは___」
「首を反対に捻ったんだ!首の骨は砕けた!その一瞬で死……」
「僕はあの瞬間、遥姉ちゃんと目が合った。首を捻られた後の遥姉ちゃんの表情をお前は知らない!」
「表情……って」
"え?お母さん……だよね?"
「囁きながら、涙を流したんだぞ!!その一瞬でも、走馬灯は見える。一瞬の内に、記憶からシーンは選出される。遥姉ちゃんが何を見たのかは知らない。でも、小さい頃に過ごしたお前との記憶が蘇ったのは間違いないだろ!!」
「……」
「じゃなきゃ、最期にあの言葉は出てこない!自分の記憶と、全く別の性格した女がお母さんだなんて想いたくないもんな!!」
「……やめ」
「遥姉ちゃんは僕に疑問残したまんま、何も分からないまま死んじゃったんだぞ!!そんな痛みに比べたら、こんなん屁でもない!!」
咲村の姿が一瞬揺らいで、ユイの姿を重ねた。
技をかけた人の、一番辛い記憶を引き出して見せる。そんな能力だろう。耐性の付いた僕に、またこの世界を見せられたってことは、ユイの中でも強力な技なんだね。
でも僕には効かないみたいだ。
「ユイ。遥姉ちゃんに責められた方が、僕は傷付いたよ。それをしなかったのは、ユイがそうしたくなかったからだね」
「違う……!そんなんじゃ」
「……ユイは優しいよ」
「ちが」
「僕に同情してくれたのかい?」
「違うっ!!」
ユイは完全に姿を現した。
夢か現実か分からぬまま、手に握る刀をユイに突き立てる。
ユイは左手で刀身を握る。
左手に食い込んだ刀身から刃は毀れる。
ユイの中に俺の想は、物理的に入った。
「起きて!聞こえてるでしょ!!」
空間に向かって叫んだ。
「そんなことしたって起きる筈ねえだろ!」
奴なら起きると信じて。
「起きろよ!!」
何処からか、山木の声が反響した。
「聞こえまくってるよ!!」
その瞬間、吹雪の中に戻される。
全身が鏡になった山木が、雪を反射する棍棒でユイを吹き飛ばしていた。
【極想 鏡棍棒 棘久 鏡写】
想を想の主に跳ね返す。
ユイの想の中に入り、僕の想で山木の想に呼びかけた。大技、無理矢理発動させたこと許して欲しい。
【極想 粒刀 刺結晶 鏡写絵世】
僕以外の2人の能力を蝕ませてもらうよ。
山木の鏡写で、ユイの能力を僕に反射させる。元々ユイの中に入った僕の想は、馴染むのが早かった。
ユイの力を、僕が使う。
ユイの世界を見て初めて知った。
ユイ、君は人を殺して無いんだね。
人に悪夢を見せて廃人にしては居るけれど、誰一人殺して無い。
人を喰わずに、ユイの想いだけで鬼に上り詰めたんだね。
人を傷付けず、人の想にのみ語りかける。
でも、ごめん。
このままユイを放っておく訳にもいかないんだ。
みんなを夢から覚まし、ユイには幸せな世界を描いてもらった。
ずっとここに居たいと想えるような。
ユイの想う、最幸な世界を。
吹雪は止み、山から顔を出した太陽が辺りを眩しいくらい照らした。
ユイは今、子供の姿。ユイの記憶の中に居た子供達と、暖かな草原で、涼しい風が吹く場所に居てもらってる。それが、ユイの描いた最幸な世界。
現実世界で、デュロルの装甲は崩れる。
ユイの眩しい笑顔は、夜明けの太陽に反射した。
その眼から、輝く雫は溢れる。
僕が出会った中で、1番心優しいデュロル。
美しい、笑顔だった。
中国児童養護施設 勤務
鬼名【絵鬼】
唯・大林 戦意喪失・身柄拘束。