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其の弐

夕方のスーパーのレジには夕飯の材料を買い求め街中の主婦が集まっている。入り口を入るとすぐにレジがあり、その奥から左回りに一周するように野菜、精肉、惣菜、冷凍食品の順でブースがある。中央には生魚のブースが威勢のいい声を張り上げている。主婦たちはその精肉ブースの端にあるベンチで各々がその日に拾った噂やゴシップを言い合うのだ。

「ゾーイ。そろそろ上がる時間だ」

隣のレジと精肉の陳列を担当しているホフマンがレジのマシーンに自分のIDを入力しながら背中越しに言った。レジはPOSシステムを使用しており、各社員のIDが刻まれたカードをスキャンしなければ起動しない。しかしそのカードリーダーは長年の激務からか読み込む力が弱くなっている。ホフマンは三回かけてようやく起動させたようだ。

「いつもこれから忙しくなるのに悪いわね」

主婦の集団は情報交換の儀を終えたようで少しずつレジに近づいてきている。

「仕方ないさ。君はこのポンコツみたいな男に惚れ込んでるんだ」

ホフマンはスキャナーを指差しながら言った。ゾーイはホフマン自体を嫌いでは無かった。普段はユニークで清潔感もあるし背も高い。基本的に誰にでも優しい。しかし婚約者について口を出されるという点においては誰よりも嫌っていた。

ホフマンはゾーイと同級生でゾーイに想いを寄せていたがゾーイは違う男を選んだのだ。

「確かに今はポンコツかもしれないけど、とても魅力的なのよ。そのスキャナーみたいに」

去り際にゾーイはスキャナーにカードを通して見せると今度は一発で読み込んだ。ホフマンは主婦の波に飲み込まれながら叫んだ。

「あんな裁判なんかに勝てるわけがないだろ!いい加減捨てちまえよ!」



さて困った。モチアーゼは使ってしまったし明日にならねば届かない。何か暇を潰さねば。いつものバーにでも行こうか。それとも…と考えてみるがほかにいい場所は思いつかなかった。狭いコミュニティだ。どこかに行くあてなんてバーくらいしかない。ドアの外の世界は廊下とバーだけなんじゃないかと思うほどだった。


バーにはカウンターがない。自分でグラスをとって自分でサーバーまで行き自分で注ぐ。本来バーテンダーであるはずの人間はというと各テーブルに陣取り客と会話に花を咲かせていた。ここはメモリーズ・デンというバーで人種・年齢・職業を問わず迎え入れてくれる。バーテンダー達は話を聞くプロで客達は時に笑い、時に涙を見せながら己の身の上話をする。

バーにしては明るい店内は、清潔でクリニックの居抜きなのか床は白いタイルに滑り止めのツブツブがついている。ところどころ磨耗して滑らかになってはいるが、依然としてその役目を果たしていた。壁には吸音材が敷き詰められており、ここでどんなに大きな声で笑おうと、どんなに大きな声で泣き叫ぼうと外には聞こえない。副産物として、もし仮に誰かが酔いすぎて喧嘩を始めて相手を壁に叩きつけるようなことがあっても怪我をしない。

「やあコブ。久しぶりだな」

バーテンダーのクロイスが声をかけてきた。以前は軍でカウンセラーをしていたそうで特に話を聞くのが上手い。先の大戦では両脚に大怪我を負い退役したらしい。その代わりに生えている義足は見栄えがいいからという理由だけで人工皮膚なんかの細工はされていない。少し足を動かすたびに内部構造が動いて見えた。

軍にいた頃はPTSDになった兵士なんかを相手にしていたそうだが今みたいに飲んだくれの相手をしてるのもやりがいを感じているらしい。バーに来る人間なんていうのは何かしら悩み事を抱えていて少し話を聞いてやれば満足して帰って行くらしい。それはつまり以前の職場と全く同じなのだと彼は言う。

両脚を無くした時の怪我のせいか少し震える右手でグラス片手にコブの方に笑顔を向けていた。

「ようクロイス。調子はどうだ?」

「ご覧の通りさ」

木目調がプリントされた椅子の背もたれを引いて浅く座り込むと椅子がガタついているのに気がついた。

「ちゃんと薬は飲んでるのか?」

クロイスは必ずこの質問をしてくる。そのうちモチアーゼのセールスでもしてきそうな勢いだ。

「だからここにきたのさ。もうやることがない」

「ジャンキーだな」

そういうとケイスにチェスのボードを勧めてきた。昔からチェスは苦手で、どちらかというとショウギ派だった。どこで知ったのかは覚えてはいないが、どうせどこかのバーか飲み屋で誰かと始めたのが最初だろう。

手を振って進めを断るとクロイスは続けた。

「それで?今日は何の話をする。新聞は読んでるか?ジャンキーのお前が読んでるわけないよな」

「新聞なんてどうでもいい。そんなの事実を伝えてくるだけだ。事実を知ったところで何になる?そんなことより聞いてくれ。今日とんでもない美人を見たんだ」

コブはやや興奮気味に前のめりになり今日のビジョンを思い出していた。

「赤髪で美しくて…料理のできる。俺の部屋にいたんだ」

クロイスは少し顔をしかめた。きっとビジョンだろ?そう思っているに違いない。クソ。そうだった。あれはビジョンなんだ。次に言う言葉はわかってる。ビジョンなんだろ?そんな女いるわけがない。だ。

「顔は見たのか?どこで見たんだ」

これは意外な答えだ。クロイスが俺の話を信じている。もしかしたらデモクロフィンでも決めてるのかもしれない。

「いや…ビジョンだよ。悲しいよな。俺の部屋にいるわけがないんだ。それに顔は見てない」

クロイスは少しだけ考え込んでいた。コブには何をそんなに悩むことがあるのか見当がつかなかったが何かしらの合点がいったようだった。

「赤毛の女がお前の部屋にいたのか」

「それがどうした。ただのビジョンだよ。赤毛の女なんてどこにでもいるし、そもそもそんなのよくあることだろ?」

クロイスの腕の震えが不意に止まった。なにかとんでもないことを言ったようだ。しかし何を?

「赤毛の女だったんだな?細身か?」

「そうだな。ただガリガリってわけじゃねえ。それなりに女性らしいいい体つきだった。ところでどうした?さっきから変だぞ?」

クロイスはハッとして肩の力を抜いた。なにかどう猛な猛獣に睨まれていたような妙な緊張が解けたのを感じる。

「いや。そんなんじゃないんだよ。気にしないでくれコブ。大したことじゃない」

クロイスは居心地悪そうに椅子に座りなおしコブと目を合わせようとしなかった。

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