第十話 樹の実力
「はあぁぁぁぁ!!」
「くっ!」
裂帛の勢いで突き出された拳が樹の顔面を捉えようと迫ってくる。
もちろん直撃させるわけにはいかないので半身になって避けると更に追撃のハイキックが飛んでくる。
現在樹と七重は、高速接近戦闘の真っ只中であった。
樹が【白砲】を避けたことで遠距離戦は意味がないと見たのか本来のスタイルであるゼロ距離戦闘を主体として仕掛けてきていた。
コンビネーションを意識した拳撃と蹴撃の嵐の中を樹は的確に見切り避けて行くが、幾度となく擦りヒヤヒヤさせられる。
「・・・どうした? 仕掛けてこないのか?」
ハイキックを腕を曲げてガードしたために開いた距離に七重の声が響く。
顔は衝突するたびに不服そうに歪められ、声には樹を責めるような色が宿っている。
曰く、なぜ攻撃してこないのか? ここまで行っても手を抜くのか? と。
それでも樹は躊躇していた。
これは試合ではない。時には命の取り合いにまでなるあれとは違う。頭でわかってても樹の体は攻撃することを拒否しているのだ。
拳打受かるたびに自分が高揚していっていることを自覚し、冷静に蹴撃をかわそうと冷静になればなるほど昔の自分を思い出す。
「それとも私をバカにしているのか? 私程度に本気になることができないか?」
「・・・そんなことはありません」
「それじゃあ、なぜだ?」
責めるような訴えるような七重の言葉が胸に突き刺さる。
なぜか?そんなことは自分自身が一番問いたい。
七重は真剣に武術に取り組んでいる。それをバカにしたいわけではない。
それに元々の目的である桜子に星辰士の戦いを見せるという目的は達している。あとはもう一つの七重の提示した賭けというよりも条件。
負ければ桜子のLS部への入部は認められない。つまり桜子との約束を果たすためにはここで負けることはできない。
ならばやらなければならないのは明白だ。勝たなければならない。
心の中で樹が葛藤していると急に桜子いる方向から今までにないアストラルの揺らぎを感知する。
七重を警戒しながら目を向けると桜子の隣には学生とは思えない男性が立っており、桜子にアストラルを流し込んでいた。
不思議に思って更に注意深く観察していると突如として桜子の瞳がアストラルの輝きを帯び、金色に輝き出したではないか。
(あれは金華眼じゃないか・・・)
見間違えではない。あれは本来の第七感でしか感知することができないアストラルを視覚で見ることができる特殊な瞳だ。
どれだけ訓練しても習得出来ない純粋な才能でしか手に入らない力。
「まさか桜さんが・・・」
「よそ見とは余裕だな」
樹があまりの出来事に驚愕し、意識が完全に七重から外れた瞬間に吐息さえ聴こえる距離に七重はいた。
それでも樹は状況判断を優先し、一秒に満たない刹那の間に七重の動きを捉える。
迫るは右の掌底。体を沈み込ませ、その反動を利用して下から顎を捉えるコースが見えてくる。
(回避は・・・間に合わない。防御は・・・間に合うが両手が上に弾かれて追撃を受ける。無理に逆らえばダメージは必死。ならば)
樹は両手を顔面の前でクロスさせ、顔を逆に迫り来る掌底に接近させるために膝を曲げ体を沈み込ませる。
そしてインパクトの瞬間思い切り地面を蹴っていた。
「ほう・・・」
目を見開いた七重から驚嘆の吐息が漏れる。
上空に打ち上がる樹。
それを七重はゆっくりと見つめる。もちろん体感時間がゆっくりと流れるほど高速で動いているものにのみ許される一瞬の停滞。
しかし、その者たちにとって一瞬はとても長い。だからこそ理解する一回の攻防の全貌を、相手の狙いを、自分の最善の一手を。
「私の本気を見せてやろう!!」
七重の星武技によって生まれた余波が空間を駆け抜ける。
【星武技・填星《白夜》】
七重の体を包み込むアストラルが激しく発光し、空間を染め上げる。
通常の数倍のアストラルによる身体強化を施すこの星武技は、人間が無意識にかけているリミッターを解除し、自らの肉体に過負荷をかける諸刃の剣だ。
しかし、引き出される能力は人間を無双の鬼へと変える。
自らの意志さえも光に呑まれそうになるのを必死に耐えながら七重は飛ぶ。
両手を腰ダメに構え、手形は熊手。繰り出すは宗源無双流の奥義の一つ。
【宗源無双流奥義・百白掌】
白き衣を纏い、初めて完成する百の掌打を同時に繰り出す奥義。
上空で逃げ場のない樹に回避は不可能だ。迎え撃つにしても足場のない空中では踏ん張りがきかない。
それに、神速の百の掌打を防ぐ方法などあり得ない。
「はあぁぁぁぁ!!」
脳内からアドレナリンがとめどなく溢れてくる。痛みを無視し七重は叫ぶ。
勝利を確信し繰り出した自らの必殺の一撃に七重は不思議な感覚に陥っていた。
「・・・俺も負けられない!!」
樹から紡がれる言葉が何故かよく耳に届く。
掌から伝わる感覚がおかしい。百の掌打が全て自分と同等かそれ以上の力で押し返された。
目から見える映像がおかしい。吹き飛ばされて地面に叩きつけられるはずの樹が目の前にいる。
そして、導かれる結論はーーー
「バカな! なぜおまえが【百白掌】を使えるんだ!?」
そう樹は七重と全く同じ、宗源無双流でも一握りの人間しか使えない星武技を放ったのだ。
それも七重とは違い加速する足場を持たず、【白夜】を使わずにだ。
結論にたどり着いた時、七重の思考は白く染まり停滞が生まれる。
体の感覚が思考についていけない。
手元がブレた。
直後、襲ってくる腹部への鈍い痛み。
七重の掌打がそれたことにより樹の掌打がめり込む。
「かはっ!」
口から苦悶の声が漏れる。
急激に重力が強くなったかのように地面に落下する。
(これが夜威見樹の本当の力・・・)
樹が我に返った時、【白夜】を維持できず七重は一直線に落下していた。
(僕はなにをしてるんだ!)
記憶がないわけではない。自らの意思とは別に体が動いていたのだ。
七重の体を覆っていた白い衣は消え去り、重力の何倍かの速度で地面に吸い込まれて行く。
このままでは生身の体で地面に激突してしまう。
そう思った瞬間に樹は虚空を蹴っていた。
【星武技・天脚】
発動した星武技によって樹は加速する。
「間に合った!!」
そして、地面に衝突する直前に樹は何とか追いつくと頭を胸に抱え、体を入れ替えて、自分の背中を地面に向ける。
「うっ!」
訪れる衝撃に苦悶が漏れる。
かなりの速度を持って地面に衝突したため、裏庭に砂煙が立ち込める。
「大丈夫ですか!?」
樹は体をアストラルで強化していたためダメージはそれほどないが七重は違う。
急いで安否を確認しようと抱えている七重に声をかける。
「・・・・・・・・・・」
「え? 先輩?」
樹が声を発さずにじっとしている七重が怪我でもしてしまったのかと思い体を起こそうとするとなぜだか七重はビクともしなかった。
心配になって顔をのぞき込むとその顔はゆでダコのように真っ赤になっている。
もしや頭でも打ったのだろうか?と思い横から覗き込もうとすると顔を背けられた。
「・・・・・・・見るな」
「え?」
「・・・・・・・だから見るなと言っている」
理由はわからなかったけど顔を見られたくないことはわかった。
樹は頭に疑問符を浮かべながらもジッとしていることにする。もし本当に怪我をしていれば下手に動かさない方がいいだろう。
しばらくそのままジッとしていると樹の中で戦いの高揚感が抜けていき、頭が冷えて、少し冷静に状況が見えてくようになってきた。
そしてやっといまの状況を認識する。
そうーーーー
(あああああれ? ももももしかしてこれってやばいんじゃないかなぁ!?)
と心の中で絶叫するとほどに。
女性特有の甘い香りが脳内を刺激する。
体全体が密着し、七重の意外と大きな胸やサラサラの白い髪、直接感じる体温に顔が瞬時に沸点を越え、真っ赤に染まったのが自分でも分かる。
(おおおお落ち着くんだ!? これは事故でありなんでもない!)
なにがなんでもないのかわからないが早く離れるべきだということ当然の結論だろう。だが、樹も健全な男子高校生だ偶然にしろなんにしろこのとてつもない幸運をもう少し味わっていたいと思うのも当然といえた。
そして、樹があんなに鍛錬しているのにどうしてこんなに柔らかいんだ?とか、女の子の匂いってなんでこんないい匂いなんだ?とか若干トリップして、心臓が脈打ち始めたところで、唐突に幸福な時間の終わりを告げる般若さんが現れた。
「樹くん? あなたはいつまでそうしているのかな?」
「ひいっ!?」
とてつもなく可愛い笑顔を浮かべ、背後に般若を背負った桜子がそこにいた。
夢が一瞬で覚めるものーーーとどこかの本で読んだ気がするが、まさか本当にいきなり天国から地獄に落ちることになるとは思わなかった。
「あっこれは!? 違うんだ! 偶然! 偶然なんだ! 僕は先輩を助けようとしただけなんだ! 決してやましいことなんか考えてないんだ! 桜さんも見てたならわかるよね!?」
ピキッ
必死弁解する樹を可憐な笑顔で見つめていた桜子の額に青筋が入るのを目撃してしまった。
(あっ・・・終わった)
「わかったから離れなさーーーーい!!!!!!!!!」
何かが爆発したような桜子の怒声と共に、今まで戦いとは無縁な生活を送っていた彼女から想像がつかない威力の鉄拳が樹の顔面に突き刺さった。
「かっ勘違いするなよ! あれはちょっとしたノウシントウというやつで動けなかっただけだからな!」
「はぁ、わかりましたって」
本日何度目かわからない言い訳?を聞き、樹はため息を吐いた。
正直脳震盪を起こしていたかどうかは不明だが動けなかったのは本当だろう。でなければ説明がつかない。
それにしても今朝は散々だった。
いきなり戦わされるし、桜子には殴られるしで痛い目にあいすぎた。
(・・・まぁ、良いめにもあったんだけどね)
しかし、良いこともあったのだから男としていつまでも引きずるのはかっこ悪い!
樹は無意識のうちに、今までに感じたことのない感覚を思い出してついつい頬が緩んでいた。
「・・・樹くん顔にやけてるよ」
「え!?」
そんなことを考えていると目の前から絶対零度の視線を浴びせられる。
現在樹達は寮の食堂で朝ごはんを食べていた。
目の前には桜子が、その隣には七重が腰掛けて朝ごはんに舌鼓を打っていた。
「やだな! このご飯が美味しすぎてにやけちゃっただけだよ!」
「・・・ふーん」
「ふっ、ふーんてなにかな!?」
「別に私は樹くんがどんな女性と密着して、抱き合っていても関係ないし」
「え? ごっごめん!」
「なんで私に謝るの?」
「でっでも怒ってるでしょ?」
「怒ってないよ?」
そういって朝食の紅ジャケに箸を突き立てる桜子。
(えー・・・どう考えても怒ってるじゃん!)
桜子の顔は笑っているのに声はとてつもなく冷たい。とても怒っていないとは信じられなかった。
「そっそうだぞ! 私は断じてふしだらな理由でああしていたわけでない!」
すごい量の白米を食べていた七重は顔を赤らめ、桜子に訂正を要求するが、桜子としては懐疑的だ。
(絶対この先輩も樹くんに抱きついてた)
それは女の勘であり、樹に制裁を加えた後に直ぐに顔を真っ赤にして起き上がっていたことからも結論づけることができる。
取り敢えず桜子は「そうですか」と答えておくことにした。
そんなやりとりを見届けた樹はやっと朝食に取り掛かる。
朝食は、ご飯に味噌汁、焼き鮭に大根おろし、フレッシュサラダ、生卵といった一般的なものだが漂ってくる香りは全くの別物だった。
味噌汁からは味噌とおそらく昆布と鰹の合わせ出汁の芳醇な香りが漂い、鮭は一目で捌きたてだとわかる。
サラダも生卵と新鮮そのものだった。
こんな美味しい朝食を食べたのは初めてだ。
ちょっと涙を流しそうになりながら食べていると、樹になることに気づいた。
「そういえばこの寮の皆さんはご飯食べないんですか?」
「ああ、他のやつはみんなもっと遅い時間にくるんだ」
「あれ? いまって七時半くらいですよね?」
始業時間は確かに八時半だったはずだ。今の時間はそんなに早いとはいえないと思うが七重がそういうのだからそうなのだろう。
「それはそうと樹もLS部にはいるのか?」
「はい。桜さんの付き添いみたいなものですが」
「そうか・・・では覚悟していろ。 桜子もな」
「どういうことでしょうか?」
「行けばわかるさ。 ではまた放課後に会おう」
そういうと七重はトレーを持って立ち上がり厨房に食器を返すとそのまま食堂をでていってしまった。
「なんだったんだろう?」
「なんだったんだろうね」
あとに残された桜子と樹も疑問に思いながらも、投稿準備のために立ち上がった。