サンドイッチとオレンジジュース 前編
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銅貨数枚を売店の売り子に手渡し、ウィリアムは昼食を受け取る。苦学生にとって、学院の売店は安価に空腹を満たしてくれる有り難い場所だった。
手にしたサンドイッチを齧りつつ、ウィリアムは早足で学院を出る。向かう先は、町の片隅にある古びた貸本屋だ。生活費のため、そこでバイトをしているのだ。
バイトの刻限に遅れそうだったこともあり、ウィリアムはサンドイッチを口に押し込んでオレンジジュースを流し込む。そうして、駆け足でたどり着いた職場にはすでに客の姿があった。
小柄な、少女だった。普通の恰好をしていれば、町の子供だと思ったことだろう。だが、少女は旅装なのかマントを着用しており、それは目を引く鮮やかな青色であった。顔立ちも幼いながら整っており、所作にもどこか世間慣れした大人のものを感じさせる。
そんな少女と、貸本屋の店主が言い争っているところへウィリアムはやってきたのである。
「だから、ちょっとくらい見せてくれたっていいじゃない。別に、破ったりしないから」
「その本は、大事なうちの商品なんだ。古いもので、丁寧に扱わないとすぐに破損しちまう。だから、お嬢ちゃんはそっちの絵本にしとけって……あ、ウィル、遅いぞ! 何やってたんだ!」
入口を入ってきたウィリアムに、怒声が飛ぶ。ここでのウィリアムは、魔法学院精霊学科の生徒ではなく、一人の冴えない青年バイトだ。店主も、だから遠慮なく怒鳴りとばす。
「すみません! 今日は授業が長引いて……あ、いらっしゃい」
店主に頭を下げて、それから少女へ微笑みかける。
「ほえ、あ、どうも」
軽く会釈する少女の口から、気の抜けるような鳴き声のようなものが漏れた。
「ウィル、お前からも言ってやってくれ。このお嬢ちゃんが、魔道古書なんぞを読みたいって言うんだ」
店主の言葉に、ウィリアムは少女の手元に目を向ける。タイトルを確認して、それから少女の恰好を改めて見つめた。
「君、もしかして、吟遊詩人?」
ウィリアムの問いかけに、少女はうなずいてマントをめくり背負ったリュートを見せる。
「そうだよ。吟遊詩人の、ユーリって言うの。こう見えても、ちゃんと大人なんだから。あなたも、この頑固親父に言ってやってよ」
初対面だというのに遠慮のない物言いに、ウィリアムは苦笑する。それから、店主へと顔を向けた。
「この子の持ってる本は、魔道古書の楽譜ですよ。僕がついてますから、読ませてあげてもいいですか?」
「……もし本を破損したら、お前の給料から差っ引くからな」
口をへの字に曲げた店主が、店の奥へと消える。ウィリアムは、店内に置かれたテーブルへと少女を誘った。
「ここで、読んでてもらえるかな? 一応、持ち出しもできるけれど……お金がかかっちゃうからね」
ちょこん、と椅子に座った少女が、ウィリアムに向かって微笑んだ。
「ありがと。あなた、良い人ね。名前、何ていうの?」
少女の問いに、ウィリアムは姿勢を正して眼鏡の位置を直す。走ってきたので、ズレてしまっていたのだ。
「僕は、ウィリアム。この町の魔法学院に通っているんだ。精霊学科の生徒だよ」
「ふうん。学生さんなんだね、ウィリアムは」
「学費を稼ぐために、ここで働いているんだ。あと、僕のことはウィルでいいよ。みんな、そう呼ぶから」
「わかった。ありがと、ウィル」
笑顔で再び礼を言う少女に少しの間見惚れ、立ち尽くす。首を傾げる少女に、お茶を淹れて来る、と言ってウィリアムは少女に背を向ける。頬が、熱くなっているのを感じた。
貸本屋のバイト青年ウィルが、店の奥へと消える。何となくその姿を見送ってから、ユーリは手にした本を開いた。五本の線の上に、音符が踊る。その下に書かれた歌詞のようなものは、小難しそうな文字でユーリには読むことはできない。だが、メロディを追いかけることは、できた。
「ふん、ふーん、ほえ、ほえー」
鼻歌と奇妙な口癖を織り交ぜるユーリの元へ、ウィルが戻ってくる。手には、湯気を立てるカップが二つ持たれていた。
「はい、どうぞ。楽しそうだね」
コトン、とユーリの前にカップが置かれる。
「ありがと、ウィル」
お礼を言いながら、目線を合わせて微笑みかけた。
「う、ううん、これくらい、別に……」
お礼を言われたことに照れたのか、ウィルは少し頬を赤くして向かいの椅子へと腰掛ける。それから、ユーリの手元にある開いたままの本を覗き込んできた。
「……魔道文字で、歌詞が書かれているんだね。ユーリさん、これ、読めるの?」
ウィルの問いかけに、ユーリは首を横へ振る。
「ほえ……歌詞はわからないけど、譜面を見ることはできるから」
そう言うユーリの手元へ、ウィルの細い指が伸びてくる。譜面の下の、歌詞のようなものをなぞり、ウィルがその言葉を口にする。
「『花の色』『私の心』『祈り捧げる』『大切なあなたに』……これ、恋の歌かな?」
すらすらと難解な文字を読み上げるウィルに、ユーリは目をまん丸にして驚いた。
「ほえ、ウィル、この歌詞が読めるの?」
ユーリの感嘆の声に、ウィルは眼鏡に手を添えて得意げな表情になった。
「うん。一応、魔法学院の生徒だからね。歌詞の意味は、読めるよ」
「ほえ、すごい! 見かけによらず賢いんだね、ウィルは」
「……それ、褒めてるの?」
「もちろん、褒めてるよ」
ユーリが言うと、ウィルの顔が首筋まで真っ赤になった。その様子に、ユーリはふっと笑う。そして背中のリュートを出して構え、小さく弦を弾いた。ほろん、ほろんと静かな店内に小さく旋律が流れる。
「花のー、色ー、私の、心ー、祈りー、捧げるー、大切な、あなたにー」
歌い上げて、ユーリは少し首を傾げる。
「ほえ……何か足りないような気がする」
呟くユーリの前で、陶然とした表情のウィルがうなずいた。
「綺麗な声だね、ユーリさん……さっき言ったのは、文字の意味で、読み方は別にあるんだ」
そう言って、ウィルは一文字一文字に指を当て、舌の上で転がすような発音をする。舌っ足らずにユーリが復唱すると、満足そうなうなずきが返ってきた。さっそくリュートを爪弾こうとするユーリだったが、ウィルが片手を挙げて制止する。
「待って、ユーリさん。これ、魔法の歌だから……歌ったら、大変なことが起きるかもしれない」
「ほえ、そうなの?」
「うん。文字列と発音、それと演奏が必要な魔法みたいだから……ちゃんと解析しないと」
「そうなんだ……ねえ、ウィル、解析って、あなたにできる?」
ユーリの問いかけに、ウィルが少し考える素振りを見せる。
「……たぶん、できるよ。ちょっと時間はかかるかもだけれど」
「本当? それなら、ウィルにお願いしてもいいかな? 私、ちゃんと歌ってみたい。ダメ?」
上目づかいになって、ユーリは懇願する。赤くなって俯いたウィルが、わずかに顎を縦に動かした。
「……いいよ。ユーリさんになら。ただし、危険な歌があったら、それは歌わないって約束できる?」
真剣な瞳で見つめてくるウィルに、ユーリはうんうんとうなずく。
「わかった。それじゃあ、明日、同じくらいの時間にここへ来てくれる? それまでに、解析しておくから」
「ほえ、大丈夫。出立までには……たぶん時間あるだろうし。それじゃ、また明日。あ、それからウィル」
椅子から降りたユーリは、ウィルに笑顔を向ける。
「私のことは、ユーリ、って呼び捨てしていいよ。解析、よろしくね」
ユーリの言葉に、ウィルが一瞬、間を置いた。
「……うん、任せてよ、ユーリ!」
言って手を振るウィルに、ユーリも手を振って別れた。本にあったメロディを口ずさみ、足取りも軽やかにユーリは宿へと向かう。大所帯のキャラバンが貸し切りにしている、小さな宿に着いてもユーリは笑顔のままだった。
「ただいま、シャイナ」
宿の部屋の扉を開けて、ユーリは中に声をかける。部屋の中には、数枚の書類とにらめっこしているキャラバンの長、シャイナの姿があった。
「おかえり、ユーリ。ずいぶんご機嫌ね。何か良いことでもあった?」
書類から目を離し、シャイナが微笑みを見せる。
「うん。貸本屋さんで、面白いことがあったの」
ユーリは機嫌良く言って、貸本屋での出来事をシャイナに話した。聞き終わると、シャイナは少し難しい顔になっていた。
「……ユーリ、その、ウィルっていう男の子のこと……」
じっとユーリを見据えながら、シャイナが言う。ぴん、とユーリの頭の中に、閃くものがあった。長い付き合いだから、少ない言葉でもシャイナの言うことはよく理解できる。ユーリは、首を横へ振った。
「違うよ、シャイナ。まあ、悪くない感じだけど、パッと見冴えない学生さんだもの。惚れたりなんかは、しないよ」
笑顔で言うユーリだったが、シャイナの顔からは疑惑の色が消えない。
「本当に、大丈夫かしら? まあ、言っても栓の無い事よね。その気持ちが、変わらないことを祈るわ。その子が本当に冴えない学生さんなら、一緒になったって大変なだけだもの」
「大丈夫だって、シャイナ。心配しなくてもいいから。それより、出立の日は決まった?」
ユーリの問いかけに、シャイナはうなずく。
「五日後よ。報酬高めで、ちょっと手堅い依頼があったから、それを受けるつもり。だから、ユーリ……」
シャイナの言葉の途中で、ユーリは身を翻す。
「わかった。五日後ね。それじゃあ、酒場でちょっと演奏してくるね!」
「ユーリ! ……もう」
ユーリは背中で、シャイナの声と扉の閉まる音を聞いた。
「大丈夫だって、言ってるのに。シャイナってば、本当に心配性なんだから」
くすり、とユーリは笑い、酒場へと向かうのであった。
翌日、ユーリは約束の時間に貸本屋へと訪れた。店の奥のカウンターには、ウィルの姿があった。
「こんにちは、ウィル」
手を挙げて、ユーリはウィルに挨拶をする。ウィルもユーリへ顔を向けて挨拶を返してくるが、どこか生気の抜けたような顔になっていた。
「おはよう……ユーリ」
「どうしたの、元気ないね、ウィル?」
問いかけるユーリに、ウィルは誤魔化すように小さく笑う。
「何でもないよ。ちょっと、寝不足なだけだよ」
言いながらウィルが取り出すのは、昨日の本だ。
「解析するって意気込んだのはいいけれど、ちょっと根を詰めすぎたみたいでさ。でも、大丈夫。最初のほうの曲は、なんとかできたから」
青い顔に笑みを貼りつけながら、ウィルが言った。
「ほえ、ウィル、無理してない? 大丈夫?」
「平気平気。僕の夢は精霊学を極めることだからね。これくらいのことで、音を上げてはいられない……」
ふらふらと手を振るウィルの背後に、大柄な店主が音もなく歩み寄り、拳骨を落とす。ごすん、と鈍い音が鳴り、痛そうな光景にユーリは思わず目を閉じた。
「何が平気だ、馬鹿野郎。そんな状態で店に立たれちゃ、迷惑なんだよ。ウィル、今日はもういいから、帰って休め。お嬢ちゃん、すまねえけど、こいつを送って行ってやってくれねえか?」
まくしたてるように店主が言い、ウィルの首根っこを荷物のように持ち上げてユーリの前へと落とす。
「店主……僕は大丈夫ですから」
頭に手を当てて、顔を顰めたウィルが何か言いかけるのを、店主が手を出して止める。
「今日のぶんの給金は、ちゃんとつけておいてやるから。今日はもう、休め。わかったな? お嬢ちゃん、こいつの家は、町の広場の東側を突っ切ったとこにあるボロアパートだ。連れてってやってくれ」
「ほえ、わかりました。行こ、ウィル」
店主に背を押されるウィルの手を取って、ユーリは貸本屋を出る。抵抗を諦めたのか、ウィルからはほとんど反応は無かった。
ふらふらと歩くウィルを引っ張って、ユーリは町の広場へとやってくる。
「あ、ちょっと待っててね、ウィル」
ぐったりとしたウィルの身体をベンチへ座らせ、ユーリは目についた屋台でジュースとクレープを買って、ウィルに手渡した。香ばしく焼けたクレープの生地の香りに、ぐう、という音が上がる。
「ほえ、食べて、ウィル」
ユーリはウィルの隣に腰掛け、クレープの端に齧りついた。ふわりと口の中で、甘味が蕩ける。
「……いただきます」
小さな声でウィルが言って、猛然とクレープにかぶりつく。三口ほどで、ウィルの手からクレープが消えた。
「ほえ、これも食べる?」
ユーリが差し出したクレープを、ウィルは躊躇なく平らげた。そして飲み込んだ瞬間、ウィルは咽喉を詰まらせる。
「……!」
「ほえ、ジュース」
苦笑しながら、ユーリはジュースのコップを手渡した。一息にジュースを口に含んだウィルの咽喉が、大きく動く。
「……ありがとう、ユーリ。実は昨日から何も食べてなくて……クレープ代、いくらだった?」
問いかけてくるウィルに、ユーリは首を横へ振る。
「いいよ、別に。頼んだ本の解析の、お礼っていうことで」
にっこりと笑いながら、ユーリは懐から取り出したハンカチで、ウィルの口元を拭う。
「むぐ、ユ、ユーリ!?」
目を白黒させて、ウィルが戸惑いの声を上げた。
「ほえ、慌てて食べるからだよ。はい、終わり」
拭い終わったハンカチを、ユーリは懐へ仕舞う。少し血色の良くなった顔を、ウィルが俯かせる。
「……ありがとう」
「どういたしまして。でも、ダメだよ? ちゃんと食事は取らないと」
「うん、ごめん。僕、魔法のことになると、途端に周りが見えなくなっちゃってさ。でも、聞いてユーリ。この本の最初に載ってた、昨日のあの歌。あれの効果がわかったんだ!」
興奮気味に言って、ウィルが本のページを開く。
「……持ってきて、良かったのかな、それ?」
昨日の店主とのやり取りを思い返し、ユーリが呟く。
「あ、た、たぶん大丈夫。汚したり破ったりしなければ……それより、昨日教えた発音、覚えてる? よかったら、ここで歌ってみてよ、ユーリ」
一瞬不安そうな顔をしたウィルだったが、すぐに興奮を取り戻してユーリに懇願する。
「ほえ、ここで歌っても、大丈夫?」
ユーリは周囲を見回して、尋ねる。石畳の長閑な公園のあちこちに、散歩などを楽しむ人々の姿があった。
「大丈夫。危険なものじゃ、ないから」
しっかりとうなずくウィルの前で、ユーリはリュートを取り出して構える。ほろん、と弦が鳴り、ユーリの口から力ある言葉が美しい旋律とともに紡ぎ出されてゆく。ふわり、と柔らかな風が、広場を吹き抜けてゆく。鮮やかな花の香りが漂い、赤や白、黄色の花びらが風に乗って現れ、溶けて消えた。
「ほえ……きれい」
歌い終えたユーリの周囲を、花びらがくるくると舞っていた。
「うん、綺麗だ……凄い、凄いよユーリ!」
花びらの舞の中にいるユーリを見つめて、ウィルが興奮しきった様子で叫ぶ。広場の人々の視線が、ユーリたちへと集まってくる。
「ほえ、ウィル? どうしたの……あ」
首を傾げるユーリの側で、花びらが空気に溶けて消えた。名残惜しいような気持ちのユーリの両手を、ウィルのそれが包み込むように握りしめる。
「今のは、花の精霊に干渉する魔法の歌なんだ! ユーリの歌声に応えて、精霊たちが花の幻を見せてくれたんだ! 凄いよ! ユーリは、精霊に愛されているんだね!」
ぶんぶんと、両手を振られてユーリは呆気にとられる。
「ほえ、そーいう歌なんだよね? だったら、凄いのは歌なんじゃないの?」
問いかけるユーリに、ウィルは真面目な顔で首を横へ振る。
「昨日、解析のときに僕が歌っても、ほとんど精霊は応えてくれなかった。花びら一枚が、関の山だったんだ。ユーリが歌ったから、こんなに凄い事が起きたんだよ!」
ぎゅ、とウィルがユーリの両手を握りしめ、瞳を向けてくる。きらきらとした、それは純粋な好意の瞳だった。二人の様子に、周囲からおおっとどよめきが上がる。我に返った様子のウィルが、ユーリの手を引いた。
「……ユーリ、僕の部屋に来てくれる? 話したいことが、あるんだ」
顔を真っ赤にして、ウィルが言った。ユーリは立ち上がり、片手で器用にリュートを背負い直す。
「ほえ。いいよ、ウィル」
集まり始めていた人の輪をかきわけて、ユーリはウィルに手を引かれて歩いた。しばらくそうして歩くうちに、目の前に現れたのはボロボロの傾いた長屋であった。
「ここが、僕の部屋だよ」
ウィルに案内されて、ユーリはその部屋へと足を踏み入れる。あまり広くない間取りの部屋の中には、机と椅子、そしてベッドがひとつ置かれていた。それだけの家具で、床面積のほとんどは埋まってしまっている。だが、さらに部屋にはいくつもの本が積み重ねられており、もはやほとんど人間の居場所は無いと思えるくらいである。
「ほえ……すごいね」
「ちょっと散らかっているけれど、そのへんに座って」
言われて、ユーリは座る場所を探してみた。椅子の上か、ベッドの上くらいしか無い。仕方なしに、ベッドへちょこんと腰をおろす。ウィルが椅子に座れば、ほとんど顔を突き合わせるような距離になった。
「……ユーリ、僕は」
言いかけたウィルの手元で、本の山が崩れる。ユーリは手を伸ばし、それを押さえて直した。
「ほえ、ウィル……お話の前に、お片付け、してもいい?」
ほとんど吐息のかかりそうな距離で、ユーリが聞いた。ウィルが、慌てて身をのけぞらせる。その瞬間、ウィルの背後にあった本の山が崩落する。ユーリはウィルの頭を抱え込み、片手を素早く閃かせて本を捌き、もとの場所へと積み上げた。
「ほえ……危なかった。大丈夫、ウィル?」
ほっと息を吐いて、ユーリが腕の中のウィルへと声をかける。直後、ユーリの身体が押され、ベッドへと倒れ込んでしまう。
「どうしたの、ウィル?」
不覚を取って仰向けになったユーリの上で、ウィルが腕を立てて身体を起こす。その目は、熱く潤んでいた。
「ユーリ……君が、好きだ」
唐突な言葉に、ユーリの頭の中が白くなった。
「ほ、ほえ? ウィル、急にどうしたの?」
「ごめん、ユーリ。いきなりこんなこと言って。でも、一目惚れだったんだ」
見上げるユーリの上から、真剣な眼差しが降ってくる。冗談では、無さそうだった。
「ウィル……でも、私……」
ユーリが、結い上げた髪の中へ指を入れる。ぴょこん、と長い耳が飛び出してきた。
「そっか。エルフだったんだね、ユーリ。だから、精霊もあれだけ応えてくれたのかな」
「……エルフ、嫌いじゃない?」
「全然。精霊学を志す者にとって、エルフは嫌悪するべき種族じゃないよ。それに、たとえユーリがどんな種族だって、僕の気持ちは変わらない。好きだ」
不器用で、それは真っすぐな好意の言葉だった。ユーリの胸に、ウィルの告白は乾いた砂に水を撒くかのように染み渡ってゆく。とくん、とくんとユーリは自分の胸の鼓動が、早くなるのを感じていた。
「ウィル……」
身じろぎをしたユーリの横で、どさりと本が床に落ちた。
宿に戻って来たユーリの前で、シャイナは腕組みをして立っていた。ちなみに、ユーリは正座である。
「それで、どうしたの?」
ユーリのつむじを見つめながら、シャイナは問いかける。
「それで……やっぱり掃除しなくちゃねっていうことになって、夜まで片づけをしてきたんだけど」
「そうじゃなくて……ユーリ? あなた、昨日言ったこと覚えてる?」
「ほえ……うん」
肩を落として俯くユーリの前で、シャイナは大きく息を吐いた。
「……惚れたのね?」
シャイナの追及に、ユーリは身体を縮こまらせる。
「だ、だって……あんなに真剣に、好きだって、言ってくれて……」
にへら、と頬を緩ませて、ユーリが指をもじもじとさせる。シャイナは、また深く息を吐いた。
「どうするのよ、これから?」
「うん。しばらくは私が酒場で稼いで、ウィルを養っていこうかと思うの。彼、まだ学生だし……あとは、ウィルが学院を卒業したら、精霊学の研究を手伝おうかって、思ってる」
「……本気なのね、ユーリ」
問いかけると、ユーリが顔を上げた。その目には、強い決意が感じられた。シャイナは三度、息を吐いて肩をすくめる。こうなると、もうユーリは言う事を聞かないのだ。
「耳は長いくせに、聞く耳を持たないんですものね。わかったわ、ユーリ」
ひし、とシャイナはユーリの小さな身体を抱きしめる。ユーリの小さな手が、シャイナの背に回ってくる。
「大きな町だし、交通の要衝でもあるから、ここへは何度か寄るわ。これからも」
「ほえ……ありがと、シャイナ」
翌日からウィルという学生の家に住まうというユーリに、シャイナは別れを惜しむように一緒のベッドで眠った。寝相の悪いユーリに何度か蹴飛ばされて目覚めながらも、シャイナは怒りはしなかった。
「今度こそ、幸せになりなさい、ユーリ……」
すいよすいよと穏やかに眠るユーリの頭を撫でて、シャイナは呟くのであった。