闘神に愛された舞い手 後編
村からほどよく離れた距離にある湖から、魔物たちはやって来る。その魔物を退治するために、村に雇われたのがダマスクスだった。松明を掲げ、相変わらずの肌面積の多さでダマスクスは夜道を湖へと歩いてゆく。
後ろをついて歩くユーリからは、松明の灯りに照らし出される肉体がくっきりと見えていた。岩盤のような広背筋に、がっしりと上体を支える腰回り、そしてビキニパンツがはちきれんばかりの形良い臀部。眺めているだけで、ユーリの頬がにへらと緩む。
「ほえー……」
「む? どうした、ユーリ」
振り向いたダマスクスに、ユーリは慌てて顔を引き締める。
「ほえ、何でもないよ、ダマスクス」
答えるユーリの顔を、ダマスクスがじっと見つめる。
「そうか。だが、眠いのではないのか? よだれが出ているようだが」
指摘に、ユーリは手の甲でごしごしと口の端を拭う。
「ほ、ほえ、大丈夫! 私がついてくって言ったんだし! それより、水の中にいる魔物を、どうやって倒すの?」
「……潜って行って、叩くしかあるまい。そう思って、潜水の調練をしていたのだ」
難しい顔になって、ダマスクスが言う。出会った時のダマスクスの恰好を思い出してしまい、ユーリの頬が朱に染まる。
「ほえ……それって、かなり厳しくないかな? ダマスクスは、水の中で戦ったことはあるの?」
ユーリの問いかけに、ダマスクスは力強くうなずいた。
「うむ。水中での拳闘試合もあったからな。大抵の生物は、首を締め上げればどうにかなるものだ」
「……首、ある生き物だといいんだけど」
ユーリの言葉に、むむむとダマスクスは考え込む。
「私が、誘き出してあげよっか?」
「何、ユーリが? 一体、何をするつもりだ。あまり危険なことは、させるわけにはいかんぞ。これは、俺の受けた依頼なのだからな」
難色を示すダマスクスに、ユーリはにこりと笑う。
「大丈夫。私に任せてよ。そのかわり、上手くいったら、お願いがあるんだけど……」
もじもじ、と両手の指をいじくりながら、ユーリが言う。
「ふむ。よくわからんが、俺に出来ることならば、何でもしよう。魔物を上手く誘き出せたら、な」
ダマスクスの答えに、ユーリは心の中でガッツポーズを取った。
「本当? 約束だよ?」
「ああ。闘神に、誓おう。闘神は約定を違えることを許さぬからな。安心しろ」
ダマスクスの言葉にユーリは跳び上がって喜び、ダマスクスの手を引いて駆け出した。
「それじゃ、早く行こう! 魔物をやっつけに!」
ユーリに引っ張られ、バランスを崩しそうになったダマスクスも走り始める。怒涛の勢いで、二人は夜の湖畔へとたどり着いた。
夜空には無数の星々が瞬き、青白く光る月が中天へと差し掛かっている。
「ほえ……月が、綺麗だね」
空を見上げ、そしてダマスクスを見つめてユーリは言った。松明の赤い光ではなく、月の淡い光の中のダマスクスも、神秘的な逞しさを醸し出している。そんなダマスクスは、真面目な顔で水面を眺めていた。
「それで、どうやって誘き出すつもりだ?」
素っ気ない対応に、ユーリの肩ががくりと落ちた。
「もう、風情が無いね、ダマスクスは。でも、そういうところも……」
言いながら、ユーリが懐から取り出すのは細長い竹筒である。先端には細い紐のようなものがついていて、抜き取るとしゅるしゅると竹筒の中から音が聞こえた。
「それは何だ?」
竹筒を見やり、ダマスクスが尋ねる。
「ほえーっと。爆薬だよ。あ、ダマスクス、耳塞いで、しゃがんでね」
竹筒を投擲しユーリが言って、結い上げた髪の中から長い耳を出してぱたんと両手で閉じる。
「ば、爆薬? って、ユーリ、その耳!」
ユーリを指差して、ダマスクスが声を上げる。だが、しっかりと耳を閉じたユーリには聞こえなかった。
「ほえ、危ないよ?」
立ったままのダマスクスをユーリが見上げた直後、どん、とお腹の底に響くような衝撃があった。同時に盛大な水しぶきが上がり、ダマスクスの大きな身体へ驟雨のごとく水が降り注ぐ。ユーリは着ていたマントを手に持ち、くるくると頭上で回して器用に水を避けていた。
「大丈夫、ダマスクス?」
マントを絞りながら、ユーリは隣を見上げた。ずぶ濡れになったダマスクスは、あんぐりと大口を開けて動かない。手を引いて揺さぶってみると、ぎぎぎと太い首が動いてユーリに顔が向けられた。
「な、何をするんだっ!?」
目を剥いて、ダマスクスがユーリに詰め寄り両肩を掴んだ。
「ほえ? 魔物を、誘き出すためにちょっと爆破しただけだよ。それより、ほら!」
肩を揺すられながら、ユーリが湖面を指差した。ぷかり、と大きな緑色の魔物が、腹を見せて浮かんでくる。ダマスクスが目と口を大きく開き、ユーリの肩から手を離した。
「ちゃんと、水面まで誘き出したよ!」
はしゃいだ声を上げるユーリに、ダマスクスの顔が引き締まる。ユーリを置いて湖にダイブしたダマスクスは、力強い泳ぎで魔物の元までたどり着き、腹の上に這い上がる。片膝をついたダマスクスが、拳を大きく振り上げ、魔物の腹に叩きつけた。強烈な一撃に、魔物の身体は塵へと還る。ぼちゃん、と水中に落ちたダマスクスがユーリの元まで戻ってくるのに、かかった時間はわずかなものだった。
「すっごい! さすがダマスクスだねー! おっきな魔物も一撃だー!」
リュートをかき鳴らし、ユーリは勝者を讃える歌声を上げる。ぼりぼりと頭を掻きながら、ダマスクスは浮かない顔だった。
「……どうにも、釈然とせん。魔物も、弱っていたようだった」
「勝てばよかろう、なのよー」
ほろん、と締めくくったユーリが、リュートを背負い直してダマスクスを見上げる。ちらちら、と顔をうかがうユーリの視線に、ダマスクスは少し首を傾げ、それからうなずいた。
「おお、そういえば約束があったな。お願いとやら、言ってみろ、ユーリ」
腰に手を当てて、ユーリの前で仁王立ちになったダマスクスが言う。
「……何でも、聞いてくれるんだよね?」
身体の前で両手を組み合わせ、もじもじとしながらユーリは問いかける。ダマスクスは、にこりと笑顔でまたうなずいた。
「俺に出来ることならば、な。闘神に誓ったのだ。心配せずとも良い」
「ほ、ほえ、それじゃあ……」
ぐっと両拳を胸の前で握りしめ、ぎゅっと目を閉じてユーリは口を開く。
「私の、恋人になってほしいの!」
あらん限りの声で、ユーリは告げた。ひゅるり、と夜風が流れ、沈黙が訪れる。少しして、ユーリはうっすらと目を開いた。ダマスクスは姿勢を変えず、仁王立ちのまま真面目な顔でユーリを見つめていた。
「……ダメ、かな?」
うるり、とユーリの目に涙が浮かぶ。ダマスクスは、ゆっくりと首を横へ振った。
「……いいや、少し、唐突だったのでな。驚いてしまっただけだ。ユーリの気持ち、有り難く受け取らせてもらおう」
ダマスクスの逞しい腕が伸び、ユーリの腰に回る。そのまま抱き上げられたユーリは、間近でダマスクスの顔を見つめる。
「ほえ……本当に?」
「ああ、闘神に誓って。嘘は言わないさ」
笑顔と言葉に、ユーリはそっと目を閉じる。
「証拠、見せて」
吐息に乗せて、ユーリが囁く。その頬に、ダマスクスの荒れた唇が触れた。
「唇じゃ、ないんだね」
頬を膨らませるユーリに、ダマスクスはにやりと笑う。
「そっちは、ユーリがもう少し大きくなってからだ。時間は、たっぷりあることだしな」
いかつい顔に浮かんだ子供っぽい笑みに、ユーリはきゅんと胸を締め付けられるように感じて顔を俯かせる。
「……うん、わかった」
そう言って、ユーリはダマスクスの厚い胸板へ頬を寄せる。泳いだあとのひんやりとした感触が、ユーリの体温に温められてゆく。心地よい熱伝導に、ユーリの頬がにへらと緩んだ。
「それじゃあ、帰ろうか、ユーリ」
「うん、ダマスクス……このまま、抱っこしててもらって、いい?」
「ああ。構わない。俺たちは、恋人同士なのだからな」
月夜の道を、ふたりはぴたりと身を寄せ合いながら帰ってゆく。湖には静寂が戻り、湖面に映った月がその背中を見送っていた。
村のすぐそばで、ユーリはダマスクスの抱っこから降りた。シャイナに見つかると、少し恥ずかしいと思ったからである。かわりに腕を絡ませようとしたが、身長差がありすぎて上手くいかない。
「くっつくのは、また後で、だ。村長殿へ、報告にも行かねばならんしな」
苦笑して言うダマスクスの言葉に、ユーリは渋々うなずく。
「私も一緒に行っていい?」
ユーリの問いに、ダマスクスはうなずく。
「もちろんだ。半分以上、ユーリの手柄なのだからな」
そう言って、ダマスクスは手を差し伸べてくる。大きな手のひらを握り、ユーリはダマスクスと連れ添って歩いた。熱い手のひらの感触に、ユーリはにへらと笑う。太い指の一本一本を確かめるように、にぎにぎとしているとダマスクスはまた苦笑した。
夜間の訪問だったが、待ちわびていたらしい村長は丁寧に二人を迎え入れてくれた。
「それで、首尾はどうなりました?」
「ああ、問題ない。この子の協力もあって、魔物の討伐は完了した」
ダマスクスには少し小さな椅子が、ぎしりと軋む。隣の椅子に腰かけたユーリは、ダマスクスに微笑んで見せてから村長へ向き直った。
「ほえ、もう魔物はやっつけたから、大丈夫ですよ」
ユーリの言葉に、村長は深く息を吐いて頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます! あなたたちは、村の恩人です!」
「よしてくれ、村長殿。俺は仕事をこなしただけだ。報酬が貰えれば、それで良い」
ダマスクスの言葉に、村長はうなずいて、それからユーリをちらと一瞥する。ぴん、とユーリの頭の中に閃くものがあった。
「ほえ、私は勝手にお手伝いしただけだから、報酬はいりません。それよりも、もっと大切なものを、手に入れましたから……」
にへら、と頬を緩ませるユーリに、村長は安堵の息を吐く。
「お察しいただき、ありがとうございます。それでは、ユーリさん。シャイナさんへ、積み荷は明日の昼には用意できるとお伝え願えますか? ダマスクス様は、報酬のお話をさせていただければと思うのですが」
村長の言葉に、ユーリはダマスクスを見る。
「今日のところは、そうしよう、ユーリ。また、明日もある」
ダマスクスにそう言われては、ユーリとしてはうなずくしかなかった。
「そう、上手くいったのね。あなたが幸せそうで、何よりだわ」
ベッドの上でユーリから伝言と報告を受けたシャイナは、頭を押さえながら言った。二日酔いの酷い頭痛に苛まれつつも、何とか笑顔を浮かべる。
「うん……今度は、もう大丈夫。闘神に誓うって、言ってくれたもの」
「それなら、大丈夫ね。拳闘士にとって、闘神に誓ったことを破るのはタブーだから」
「ほえ、そうなの?」
首を傾げるユーリに、シャイナはうなずいて見せる。
「勝負の世界に生きる者にとっては、とくに闘神を信仰する者にとっては、誓いは絶対なのよ。破れば、加護を失い破滅するだけなのだから。良かったわね。これで、浮気もされなくてすむわよ?」
「ふふ。でもダマスクスって格好良いから……たくさん言い寄ってくる人いるんだろうな……」
「あちこちで女作っていたりしてね。ま、あなたは大丈夫でしょ。何しろ闘神に誓って、の仲なんだから」
くすくすと笑い合い、その日の夜は更けてゆく。幸せいっぱいに惚気るユーリに、シャイナの胸の中にも温かいものが染み渡っていった。
翌日、馬車へ荷を積み終えたキャラバンは、出発の時を待っていた。
「ほえ、ダマスクス、遅いなあ……」
人待ち顔で、呟くのはユーリである。昨晩別れたダマスクスが、朝からずっと姿を見せないのだ。
「寝坊しちゃったのかな……? でも、もう昼過ぎだし……」
中天に差し掛かる太陽を見上げるユーリの耳に、重たい足音が聞こえてくる。顔を向けると、真面目な顔をしたダマスクスがやってきた。
「ダマスクス! もう、積み込み終わったよ? そろそろ出発だから……」
「ユーリ、少し、話しがしたい」
ユーリの言葉を遮り、ダマスクスが言う。
「え、でも、シャイナが待って……」
「頼む。恋人同士でなければ、できない話なんだ」
そう言われては、ユーリとしても無下にはできない。何しろ、恋人になったばかりだから。
「そ、そんなに言うなら、少しだけ……」
ユーリの答えにうなずきを返し、ダマスクスが向かったのは村の家の物陰だった。もしかすると、旅の途中じゃできないことをするのかもしれない。あらぬ想像に、ユーリの頬がにへらと緩む。そんなユーリに向けて、ダマスクスは大真面目な顔のまま言った。
「俺と別れてくれ、ユーリ」
「ほえ?」
間の抜けた、鳴き声が出た。
「俺は、お前と恋人ではいられなくなった。だから、別れてくれ、ユーリ」
噛んで含めるように、ダマスクスはゆっくりと言う。があん、とユーリは頭を金づちで殴られたような感覚を覚え、目を見開いた。
「う、そだよね……ダマスクス?」
「嘘じゃない。もう、お前とは終わりなんだ」
「どう、して?」
「それは……」
言いよどみ、顔を俯けるダマスクス。たったった、と軽快な足音が聞こえてきたのは、そのときである。
「あ、こんな所にいたんですか、ダマスクス様! 探しましたよ」
若い村娘の声と共に、ダマスクスの腕に何かが巻き付いた。しなやかで背の高い、それは村娘の身体である。
「……そのひと、だれ?」
抑揚の無い声で、ユーリは訊いた。ダマスクスは狼狽した様子で、ユーリと村娘を交互に見やる。
「あ、ユーリさん! ちゃんとご挨拶するの、初めてでしたね! 私、村長の娘でアトリって言います! ユーリさんのお陰で、ダマスクス様と結婚することが出来ました! ありがとうございます!」
元気よく挨拶をする村娘の言葉に、ユーリの頭の中にぴんと閃くものがあった。ダマスクスに用意された、報酬。村長の、安堵する顔。浮かんできたものから、答えを導くのは難しいことではなかった。
「ほえ……そー、いうこと」
ダマスクスと村娘を交互に差して、ユーリは言った。
「すまない、ユーリ。俺も、知らなかったんだ……」
言いながら、ダマスクスは腕に絡みつく村娘に微かに相好を崩す。身を寄せ合う二人の間には、ただならぬ空気管があった。あっ、とユーリは心中で、小さな声を上げた。村娘にあって、ユーリに無いもの。それが、決定的なものになっていたのだ。粗末な衣服の上からでもはっきりとわかるほどの凹凸と、翻ってみれば筒のようなそれとが。ユーリは、大きく息を吸いこんだ。
「おめでとう、ダマスクス! それからごめんね、キャラバンの護衛にあなたを雇いたかったけれど、シャイナってばあんまりお金出せないって言うから、その話は無しで! 私、もう行かなくちゃいけないから、これで『お別れ』だね! ばいばい、ダマスクス!」
一気に言い切って、ユーリは家の壁を蹴って跳躍する。屋根を揺らし、くるくると身を回しながらユーリが着地するのは馬車の御者台、シャイナの隣である。
「シャイナ、出発して」
「ユーリ……彼は、いいの?」
「いいから、出して」
声を震わせ、前を見て言うユーリにシャイナはうなずき、手綱を手に取った。
馬車が走り出し、がたごとと揺れる。しばらくして、シャイナがユーリに顔を向けた。
「……もう、村は見えなくなったけれど、ユーリ?」
その言葉に、ユーリの身体がバネ仕掛けのようにシャイナへ飛びついた。
「ほええええん!」
堪えていた涙が、堰を切って溢れ出る。ぐりぐりと、ユーリの頭をシャイナが撫でる。吹き付けてくる風に負けないくらいに、ユーリは大泣きをした。
木々の間の小道を抜けて、馬車は走る。幌の上のユーリが、リュートで奏でるのは陽気なメロディだ。
「葉っぱがお辞儀をしてるー、空気が少し重たいなー、ほえ、雨が降るー」
「あら、それなら、急がなくちゃね。夕方までもつかしら、ユーリ?」
「わかんないー、でも雨は降るよー」
御者台からの問いかけに、歌声で応えながらユーリは行く先へ目をやった。石造りの街並みが、遠くに見えている。だが、中々それは近づいてはこない。ぴちょん、とユーリの鼻先に滴が落ちてきた。ユーリは素早く幌から降りて、馬車の中へと入った。直後、大粒の雨が幌を叩く。
「ほえー、音が賑やかになったねー」
水しぶきと陽気な音色に包まれて、雨の中を馬車は進んでゆくのであった。
なお、拳闘士ダマスクスはこの一件以降試合に全く勝てなくなり、引退して村で農夫として生きてゆくことになったのだがそれはユーリたちの預かり知らない話である。
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