闘神に愛された舞い手 前編
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一人の少女が、湖の畔に腰掛けていた。星々が瞬く夜の空の下で、少女の手が身体の前にあるリュートを爪弾いてゆく。ほろり、ほろりと音色が夜気に溶けて、虫の音をささやかなコーラスに少女は歌う。
「月がー、出たからー、散歩にきたのー」
りりり、と草むらから、歌声に応じるように虫が声を上げる。少女は立ち上がり、ステップを踏みながら楽を奏で続ける。
「星も綺麗、お月様も綺麗、ほえ、楽しい夜だねー」
気の抜けたような鳴き声が、歌声の合間を縫って少女の口から漏れる。これは、少女の口癖のようなものである。湖面に目をやる少女の視線が、一点で留まった。
「泡ー? ぽこぽこー」
即興で歌いながら、少女は湖面に生じた泡を注視する。静かなバラード調だったリュートの音色が、おどろおどろしい音へと変わってゆく。低音で心臓が鼓動するようなリズムを支え、高音のピチカートが息を呑む悲鳴を上げる。演奏に合わせるように、泡の数は次第に増え、大きくなってゆく。少女は右手を素早く振り上げ、弦を強くかき鳴らした。演奏の、クライマックスである。
ごぼり、と音立てて湖面が大きく盛り上がる。ひゅう、と笛の鳴るような呼気と共に現れたのは、一人の男の姿だった。少女は息を呑み、まん丸に目を見開いてそれを見る。
上を向いた男の首は太く、肩も盛り上がってがっしりとしていた。濡れた茶髪が背中に張りついて、滴を伝わせている。背中も広く、腰回りには無駄な贅肉など一切無いように見える。頭の後ろで髪を絞り整える腕もまた太く、隆起した瘤は個別の生物を思わせる。さらに下へと視線を向ければ、少しくぼみを持った臀部と丸太のような太股が見えた。
「ほ、ほえ……」
少女は、眼前に現れた男の姿に鳴き声を上げる。それに反応して、男がくるりと少女へ振り向いた。びくん、と男の大胸筋は動き、六つに割れた腹筋が見事な線を形作っている。そして、へその下からは、影が差して見ることはできなかった。だが、男からは妖気のような、なんともいえない野生の色気のようなものが漂っていた。
「おお、これは失礼。このような時間に、女性がいるとは思わなかったのだ」
男は慌てた様子もなく、のしのしと少女の前を横切り近くの茂みを探る。そして取り出した革製のパンツとベルトを装着し、少女へと向き直った。
「怪しいものではない。旅の途中、潜水の調練に適した湖を見つけたので、つい、な」
鍛え上げられて大きく張った顎に笑みを乗せて、男は少女に言った。少女は呆然と立ち尽くしたまま、何も言わない。ぶらりと男が湖から上がってきた瞬間から、固まったまま動かないのだ。
「……大丈夫か?」
怪訝そうな顔を見せる男の前で、少女はのろのろとリュートを構える。む、と声を上げる男の前で、少女は勢いよく弦をかき鳴らした。
「ひっ、やああああ!」
素っ頓狂な悲鳴とリュートの大音声に、男は両手で耳を押さえる。男にできた隙を突くように、少女はくるりと身を翻して駆けだした。
「ま、待て、待ってくれ!」
慌てて少女を追いかけ、男も走る。だが、少女の足は速く男は徐々に引き離されてゆく。
「ほええ! 変態が追いかけて来るー!」
「誤解だ! 俺は変態ではなーい!」
叫び声を交わし合いながら、必死の形相で逃げる少女を前傾姿勢で男が追う。疾走する二人の行く手には、小さな村があった。
「シャイナシャイナシャイナー!」
宿に借り受けた民家に、小さな少女が飛び込んでくる。キャラバンの長シャイナは入口に身体を向け、弾丸の勢いで迫る少女を受け止めた。
「一体どうしたの、ユーリ?」
シャイナの腕の中で、吟遊詩人の少女ユーリが顔をがばりと上げる。
「で、出たの! 出たんだよ、シャイナ!」
青い顔で、汗をびっしょりとかいたユーリが告げる。
「出たって、何が? ともかく、こんな時間にあまり騒ぐものじゃないわ。あなたの声は、ただでさえよく通るんだから」
ユーリの額に浮いた汗の粒を、シャイナは拭ってやりながら言った。
「ほ、ほえ……シャイナ、変態が、出たんだよ」
大人しくなったユーリが、こわごわとした声音で言う。
「……変態?」
首を傾げ、シャイナはユーリの顔を見る。冗談を言っているふうには、見えなかった。と、そのとき、入り口のドアがこんこんこんと叩かれた。
「ひっ!」
ユーリが全身の毛を逆立てて、シャイナの背後へと隠れる。
「ちょ、ちょっとユーリ?」
「あ、あいつが、追ってきたんだ……どうしよう、シャイナ」
カタカタと震えながら、ユーリがシャイナの服の裾をぎゅっと掴んでくる。シャイナは小さく息を吐き、ユーリの頭に手を乗せた。
「わかった。私が対応するから、あなたは隠れてなさい」
「シャイナ! 危険だよ! 相手は、変態なんだよ!?」
悲痛な声を上げるユーリの身体を引き離し、シャイナはドアへと向かう。
「だから、騒ぐんじゃないの。近所迷惑よ」
入口の閂を外し、シャイナはドアを開ける。視界にまず映ったのは、鍛え抜かれた裸の胸板だった。
「夜分遅くに、失礼する。こちらへ、少女が入って行ったと思うのだが」
問いかける低い声に、シャイナは固まったまま動かず、視線を上下させる。黒い革のビキニパンツに、銀の金属を中心へはめ込んだベルトを着けただけの男が、佇んでいる。
「俺は、怪しいものではない。ちょっとした行き違いがあり、それを訂正するために来ただけだ。その、身勝手とは思うのだが、あの子に会わせてはもらえないだろうか?」
ごつい顔に生真面目な表情を浮かべ、男は問う。
「……あなた、拳闘士?」
男の問いに、シャイナは問いを返した。重々しく、男はうなずく。
「うむ。実は先ほど、潜水の調練中にあの子に出くわし、とても驚かせてしまったのだ。そのお詫びと、変態の汚名を返上しにやってきた次第なのだ」
男の言葉に、シャイナの頭の中でぴん、と閃くものがあった。
「ほえ、シャイナ、それ私の役」
丸まった布団の中から聞こえてくる声を、シャイナは無視して男をじっと見やる。
「もしかして……あなた、拳闘士ダマスクス?」
シャイナの問いかけに、男はぱっと明るい表情になってうなずいた。
「おお、いかにも、俺はダマスクスだ。俺のこと、知っているのか?」
男の問いに、シャイナがうなずき返す。
「闘神を信仰する、花形拳闘士でしょう? 知ってるわ。あなたには、何度か儲けさせてもらったもの」
言いながら、シャイナは家の中へと男を招き入れる。
「こんな所で出会えるなんて。ユーリ、いつまでそんなみっともない恰好してるの? お茶を淹れるから、手伝って頂戴」
丸まった布団に声をかけながら、シャイナは布団をひっくり返す。
「ほえ、あ、変態!」
転がり出て来たユーリが、目の前に立つ男を見て声を上げる。
「だから、違う。俺は、変態ではない」
男は両腕を腰に当て、仁王立ちの姿勢でユーリを見下ろす。その背中をぺちぺちと叩きながら、シャイナもユーリに向けて口を開く。
「そうよ、ユーリ。彼は闘神を信仰する、ごくごく真面目な拳闘士よ。あなたが変態とか罵ったから、彼は信仰に従ってここまで来たの。さあ、訂正なさい」
「ほえ……シャイナ、このひとのこと、詳しいんだね。知り合い?」
首を傾げて見せるユーリに、シャイナはうなずいた。
「知り合いというか……大穴の恩人というか……ともかく、細かいことはどうでもいいのよ」
誤魔化すように言って、シャイナはユーリの後ろ頭に手を添え、頭を下げさせる。
「ごめんなさい、ダマスクスさん。この子が、失礼なことを言ってしまって」
「ほえ、ごめんなさい……」
二人の謝罪に、男は鷹揚に首を縦に振る。
「理解してもらえたようで、何よりだ。俺の信仰する闘神は、何より侮辱を許さないからな。だが、こちらもタイミングが悪かった。それは謝ろう。すまなかった」
一礼し、男はくるりと逞しい背中を見せる。
「あら、もう行かれるの? よかったら、お茶でも如何かしら」
シャイナの言葉に、男が首だけ振り向いて微笑んで見せる。
「このような夜中に、女性の部屋にあまり長居するものでは無いからな。あらぬ噂が立てば、君たちの迷惑になってしまう」
「そう? 私は別に、構わないのだけれど……まあ、貴方がそう言うなら、いいわ。また明日にでも、改めておもてなしさせて頂戴」
シャイナの提案に、男は軽く右手を挙げて去っていった。男がいなくなるだけで、部屋の温度が少し下がったように感じる。それほどの、熱量を持った肉体だった。
「……シャイナ、ああいうのが、好みだったりするの?」
隣で、ユーリが問いかけてくる。シャイナは首を横へ振った。
「いいえ。彼は、縁起物みたいなものよ、私にとって」
「なあに、それ?」
「ギャンブルの話よ。ユーリには、まだ早いわ」
「ほえ、私だって、賭け事くらいできる年齢なんだよ?」
「実年齢はともかく、あなた闘技場にも入れないでしょう? 外見的な事情で」
シャイナの指摘に、ユーリが頬を膨らませる。その顔を見て、ころころとシャイナは笑った。
あくる日のこと、ユーリは憤慨するシャイナを宥めつつ食事の準備をしていた。
「まったく、今になって荷の用意が出来ていないって、どういうことよ」
「まあまあ、落ち着いてよシャイナ。魔物のせいで収穫ができなかったって事なんだから、仕方ないよ」
かまどの上で煮立った鍋に、ユーリは手際よく野菜と干し肉を投入する。少量の香草も、刻んで入れる。
「それにしたって、在庫くらいはあってもいいものじゃない? 空荷で出発するわけにもいかないし……とんだ足止めだわ、本当」
肩を落として息を吐くシャイナに、おたまで鍋をかき回しながらユーリは苦笑する。
「たまには、のんびりしたほうがいいよ。ここ、湖も綺麗だったし……ほえ、煮えてきた」
「……その湖から、魔物が出て来るっていう話だったわよね? ユーリ、あなた、ぱぱっと行ってやっつけて来れないの?」
「無茶言わないでよ、シャイナ。私、吟遊詩人なんだよ?」
表面に浮いてきたアクをすくって捨てながら、ユーリは眉を寄せる。
「忍術とかいう魔術で、どかーんって、できない?」
「ほえ、あれは護身用だから……あんまり加減が効かないの。それに、あんまり人前で使いたくは無いし」
小皿にすくったスープに息を吹きかけ、啜る。
「お塩が足りないかな……ともかく、村のほうで討伐の手筈は整えたって言ってたし、もう少し待ってみたらいいんじゃない?」
「時は金なり、よ。ああもう、どうしたらいいのかしら……」
「ご飯もうすぐできるから、食べながら考えたらいいんじゃない?」
暢気に言ったユーリの手が、ぴくりと動く。
「シャイナ、お客さんが来るよ」
ひとつまみの塩を入れながら、ユーリが言った。同時に、入り口のドアがこんこんこんと叩かれる。
「はーい、今出ます」
シャイナの足音が遠ざかり、ドアの開く音が聞こえた。
「あらまあ、ダマスクスさん」
続いて聞こえたシャイナの声に、ユーリの肩がびくんと揺れた。
「先ほど、村長殿の家から出てくるところをお見掛けしたので、寄らせていただいた。これは、昨夜騒がせた詫びの品だ」
「あら、ありがとうございます。立ち話もなんですし、よろしかったらお昼ご飯、ご一緒しません?」
「ふむ、有り難い。実は、朝食を食べ損ねてしまっていたのでな。お誘い、遠慮なく受けさせていただこう」
会話に続き、シャイナの軽い足音とそして重くゆったりとした足音が聞こえてくる。
「ユーリ、一人分増えそうなんだけれど、いいかしら?」
声をかけてくるシャイナに、ユーリは首をぎぎぎと回した。先ほどの不機嫌はどこへ行ったのか、にこにことしているシャイナの後ろに、大柄な筋肉男が立っていた。
「やあ、昨晩ぶりだな」
朗らかに右手を挙げて、男が笑顔を見せる。ひっ、と息を呑むユーリの頭を、シャイナがポンと叩いた。
「別に、取って食われたりはしないわよ。ごめんなさいね、ダマスクスさん。この子のことは大丈夫だから、そのへんにでも座ってていただけます?」
「うむ。では、そうさせてもらおう」
男はそう言って、藁を敷いた床へどかりと腰を下ろした。
「シャイナ、どういうつもり?」
声を潜め、ユーリはシャイナに問う。
「別に、どういうつもりもないわよ。ちょっと一緒にご飯を食べるだけ」
そう言うシャイナの手には、高級酒の瓶があった。
「……ほえ、グラスは三つで、いいの?」
諦めたような顔で、ユーリは問いかける。シャイナは、にこにことうなずいた。
簡素な煮込み料理だったが、男は旨そうにすべて平らげた。男の勢いに圧され、ユーリもシャイナもよく食べた。おかげで、鍋の中身は空っぽになっていた。
「ほえ……夕食分もあったのに」
こっそりと、ユーリが呟く。
「ご馳走様。ユーリ殿は、料理上手なのだな」
満足そうに腹をさすりながら、男が言う。
「ええ、そうよ。ユーリはお料理も出来て、可愛い子よ。ちょっとばかり、変わっているところもあるけれど」
「シャイナ、それ、どういう意味?」
じっとりとした目で、ユーリはシャイナを睨む。
「あら、本当のことじゃない?」
くすくすと口もとに手を当てて、シャイナが笑う。男も、眩しいものを見るように目を細めて笑っていた。憮然として、ユーリはグラスを口へ運ぶ。とろりとした酒の苦味が、咽喉奥へと落ちてゆく。
「ほえ、美味しい……」
感嘆の息を漏らすユーリへ、男が笑みを濃くした。
「喜んでもらえて、何よりだ。この村で、一番の酒を持ってきたのだからな」
男も、ぐいっとグラスの中身を一気に干した。
「まあ、そのお酒を運んできたのは、私たちのキャラバンなんだけれどね」
けらけらと笑いながら、シャイナもグラスを傾ける。
「シャイナ、ペース早いよ。あんまり強くないんだから……」
たしなめるユーリだったが、シャイナは上機嫌にユーリの頭をぺしぺしとはたく。
「大丈夫よ、大丈夫。それよりユーリ、一曲お願いできるかしら?」
赤くなった目元を潤ませて、シャイナが言う。ユーリは小さく息を吐き、リュートを取り出し構えた。男が、ユーリに興味の視線を向けてくる。軽い酩酊感に任せて、ユーリの指は静かに弦を爪弾いた。
ほろり、ほろりと弦が鳴り、軽快なリズムとメロディが奏でられてゆく。
「こんなー、昼間からー、お酒飲んで酔っ払ってー、どうすんのー?」
シャイナへ向けて、ユーリは軽妙な歌声を上げた。
「だって、のんびりしろって言ったのはあなたよ、ユーリぃ」
崩れた笑みを浮かべ、シャイナが言う。そのとき、リズムに合わせて男が立ち上がった。ユーリの目が、男の視線を捉える。一瞬、演奏を止めたユーリはうなずき、そして再び奏で始める。爪の先で時折リュートの胴を叩き、五本の指が目まぐるしく動く。それは、激しいダンスのメロディだった。
ユーリの奏でる音に合わせ、男は大きく身体を動かし、細かくステップを踏んで応じる。パンツ一枚の男の肉体からは、きらきらと汗の滴が飛び散ってゆく。男の腕が、足が、腰が、全ての筋肉が躍動し、舞い踊る。
「ほえー、ほえー」
歌声を上げるユーリは、ダイナミックな男の肉体表現にいつしか呑まれていた。隣で調子はずれの手拍子をするシャイナのことは、すでに意識の外にある。ユーリに見えているのは、自分の爪弾く音に合わせて変幻自在の動きを見せる艶めかしい男の姿のみである。
「ああー、その名はー、ダマスクスー、闘神に身を捧げるー、無敗の拳闘士ー!」
ユーリの指の動きが最高潮へと達し、視線を交わした男が小さくうなずく。爪を立てたユーリの手が、大きく振り上げられて弦に振り下ろされる。同時に、男の両足が軽やかに床を蹴り、くるりとトンボを切ってしなやかに着地し、両手を拡げた。
「ヒュー、ブラボー!」
ぱちぱちと激しく手を鳴らすシャイナだが、ユーリにはその歓声も聞こえない。上気した頬を向け、息を弾ませてユーリを見る男と、じっと見つめ合う。リュートの音の余韻が消えてしまうのが、ユーリには心惜しく感じられた。
「素晴らしい、演奏だった。ありがとう、ユーリ」
男が、ぬっと右手を差し出してくる。汗にまみれた、武骨な手のひらだ。ユーリは同じく汗だらけの手で、男の手を取った。
「ほえ、こ、こちらこそ良いものを……ありがと、ダマスクス」
ぐっと握られた手が、上下に振られる。感じる熱は、高鳴る胸は、演奏によるものだけではない。微笑む男に、ユーリはにへらと笑った。
夕食を終えて、男は立ち去っていった。食器を片付けたユーリは、床でだらしなく伸びているシャイナの隣に腰を下ろす。
「ねえ、シャイナ……あの人、いい人だね」
ぽつりと言うユーリの声に、シャイナが頭を押さえて呻く。
「うぅ……頭痛い……ユーリぃ、水……」
苦笑して、ユーリは冷水の入ったグラスをシャイナへと差し出した。
「あの人と、旅ができたら……楽しいんだろうね、きっと」
水を飲むシャイナを前に、ユーリはうっとりと目を閉じる。楽の音と舞いの、混然一体となった感覚が胸に熱いものを運んでくる。逞しい肉体を思い返すたびに、ユーリの頬は熱くなってゆく。
「……なぁに、惚れたの、ユーリぃ」
途切れ途切れのシャイナの言葉に、ユーリははっと目を見開き、そして弱々しくうなずいた。
「……うん。たぶん、そうみたい」
ユーリの返事に、シャイナは水を飲み干したグラスを手で弄びながら半身を起こす。
「……もし、ユーリが望むなら、うちの護衛に雇ってもいいかも知れないわね、彼。強さは申し分ないし、まあ、人気の拳闘士だから、ちょっとお高価いかもしれないけれど……まあ、何とかなるでしょ」
「シャイナ……いいの?」
顔を向けたユーリに、シャイナは微笑んで見せ、そして口元を押さえた。
「うぷ……まあ、あなたのためだし、それくらいは……あ、ダメ……」
「……どっちなの、シャイナ?」
真剣な顔のユーリの前で、シャイナは顔を俯かせる。
「せんめんき……もって……」
くぐもった声で言うシャイナに、ユーリは黙って桶を差し出す。顔を突っ込むようにして、シャイナはそれを始めた。ユーリは苦笑しながら、シャイナの背中をさすさすと撫でる。全てを終えたシャイナへ、ユーリは水の入ったコップを手渡した。
「……ありがと、シャイナ」
「そ、れは……こっちの、セリフ、よ。ユーリ」
なんとも締まらない言葉を交わし合いながら、二人の夜は更けてゆくのであった。