続く恋路は何処までも 後編
馬車の輪から、少し外れた場所へやってきたシアとトモが、対峙する。聖剣を構えるトモと、無手で腕を腰に当てて薄く笑うシア。ユーリの視線は、ひたとシアに据えられていた。
「始める前に、言っておく」
ぐるん、と腕を回し肩を鳴らしつつシアが言う。
「余の、配下とならぬか? 世界の半分は、くれてやれぬが」
シアの言葉に、トモが剣を顔の横へ構え直す。
「断る。僕は……君を倒す。君とは、相容れないから」
「ふむ……それは、お前の意思か? それとも、聖剣の……いや、どちらにせよ、変わらぬな。まずは、力を示すことをしよう」
傲然と胸を張り、シアが大きく息を吸う。シアの中で凄まじい魔力が渦巻き、駆け巡るのをユーリは感じた。
「喜べ。余が、本気を出して相手をしてやろう。折れることなく、向かってくるがいい」
シアが両手を大きく拡げ、トモに向けて迎え入れるような姿勢を取った。対するトモは、腰を落とし足に力を込めている。聖剣による、袈裟懸け一閃。それが、トモの狙いのようだった。
「シア……」
胸の前で両拳を握りしめ、ユーリはただひたすらにシアを見守る。一陣の風が、ひゅるりと吹き抜けた。
「第二、形態……」
シアの口から、小さな声が漏れる。少年の姿であったシアの全身から魔力が噴き出し、その姿が黒い靄に包まれる。身体が、一回り大きくなった。それは、錯覚ではない。みしみしと音を立てて、シアの全身は細身の青年へと成長を遂げていた。
「ほえ……」
ユーリの口から、感嘆の息が漏れる。どうだ、と視線を向けてくるシアに、ユーリはにへらと笑った。
「それが、君の本気?」
トモが、顔の横へ立てた剣の刃をゆっくりと背に担ぐように動かして言った。防御を捨てて、攻撃一辺倒の構えである。
「……何を勘違いしている。こんなものが、余の本気であるわけがないだろう」
視線をトモへ戻し、シアが揶揄するような声音で言う。
「第三形態……」
再び、シアの全身から魔力が噴出する。合わせて肉体も大きく膨れ上がり、細身の身体が筋肉に覆われてゆく。みしみしと、燕尾服が悲鳴を上げるように軋んだ。
「背の君だ……」
ユーリは目を輝かせ、シアの変身に熱い視線を送る。見下ろすシアの視線に、ユーリは胸の前で手を組み合わせてうっとりと息を吐く。
「何て、力だ……でも……!」
額に汗を浮かべ、トモが聖剣を握る手に力を入れる。聖剣の切っ先が、トモの背で蜻蛉のように揺れた。
「まだまだだ……全て、見せろと頼まれたのでな。第四形態」
両腕を締めて、うずくまるような姿勢を取るシアの背中から魔力が溢れる。燕尾服が裂け、現れたのは大きな悪魔の翼である。そして、シアの額の両脇から曲がりくねった一対の角が生えた。それは、人間を根源的な恐怖へ導く悪魔の姿であった。
「ほえぇ……」
ぞくり、とユーリの背を何かが駆け上ってゆく。大きく真ん丸に見開かれたユーリの瞳は、シアの全身を余すところなく見つめ続ける。シアが、少し照れたように翼をはためかせた。
「可愛い……」
「……お前に言われるのでなければ、余り嬉しい評価ではないが……さて、勇者よ。本来は、このくらいの形態が適当なのだが」
「ば、化け物め……けどっ!」
剣を背負い、突っ込もうとするトモへシアが右手を突き出し制した。その動きだけで、風圧が巻き起こる。風に顔を打たれ足を止めたトモに、シアが邪悪な笑みを見せた。
「第五形態。向かって来ようとする勇気だけは、認めてやろう」
シアの全身を、さらに魔力が包み込む。意思を持ち、全世界を嘲笑うかのようなオーラとなった魔力は、シアの身体をさらに大きく膨らませてゆく。燕尾服が、悲鳴のような音を上げて裂けた。
身の丈は、トモの倍以上。破れた燕尾服の垂れた脇から、新たに二本の腕がにょきりと生えた。頭の角は大きくなり、額から頭の後ろまでを覆う角も生えてくる。そして腰のあたりから、黒く太い尻尾が飛び出した。
「……ユーリ?」
横へ大きく裂けた口からぞろりと生えた牙を見せ、シアが呼びかける。
「腕、四本もあるんだね……どうしよう?」
ぼうっとなった頭で、ユーリはわけのわからぬ言葉を呟く。
「……まだ、増えるぞ?」
「編み物とか、捗りそう」
「あまり、力の加減は出来ぬのだが……さて、勇者は」
シアがトモへ視線を向ける。その目も、四つになっていた。異形の悪魔を前に、トモは全身を激しく震わせ、顔を真っ青にしている。それでも、聖剣だけは握りしめ、構えを青眼へと戻す。
「まだ、戦う気力はあるようだな。結構だ。安心しろ、次で最後だ……最終、形態!」
天へと向けて、シアが咆哮を上げる。烈しい光が、シアの全身から放たれる。草木は怯えに揺れ、鳥たちは不穏な気配にはるか遠くで翼を翻して逃げてゆく。眩しさに目を細めながら、ユーリはばきばきと音立てて変化を遂げるシアを見つめ続けた。
「ククク……」
シアの小さな笑いとともに、光は収まった。青黒い肌が露わとなったその背に、一対の巨大な翼がばさりとはためく。六本の腕と、腰から伸びる尻尾には邪悪な力が満ちていた。
「これが、最終形態だ、ユーリ」
四つの瞳をぐりんと動かし、シアがユーリを見つめる。逞しくなった胸板には、ぼんやりと青白く光る紋様が刻まれている。その紋様はまるで、女性の顔のようにも見えた。
「綺麗……あとで、触っても、いい?」
頬を染めて上気した顔で、ユーリは問いかける。横へ大きく裂けたような口も、そこからのぞく牙も、何も怖くは無い。ユーリにとってそれは、愛する人の真の姿なのだから。むしろ、六本の腕で抱かれて寛ぐ妄想すらする余裕があった。戦闘用の最終形態で、寛げる訳ではないのだが。
「怖くは、ないか?」
心配そうな顔を見せるシアに、だからユーリはにへらと笑う。
「うん。恰好いいよ、シア」
ユーリの言葉を受けて、シアが大きく張り出た悪魔の角を震わせる。
「ク、ククク……フフフ、アーッハハハハハ!」
高らかな笑い声は、大気を伝い遥か彼方までこだましてゆく。それは振動波となり、シアを中心として放射線状に衝撃を巻き起こした。
「ひゃっ!」
吹き飛ばされるユーリの身体を、長いものが優しく抱き留める。見れば、それはシアの尻尾であった。
「もう、シアってば、テンション上げすぎだよ!」
「ククク……この形態では、細かな加減は全く効かぬのだ。許せ」
さらりと言ったシアが、尻尾で抱いたユーリをそっと地面へ下ろす。カラン、と乾いた音が、近くで鳴った。
「ふむ、もう心が折れたのか。存外、あっけないものだな」
シアの声は、トモへと向けられたものだ。聖剣を取り落とし、両手を地面へつけてトモがうなだれている。
「……そんなにも恐ろしい悪魔を、ユーリちゃんは受け入れているんだね……僕の、負けだよ」
悄然とした声で、トモが言う。
「そうだな。ユーリがどうであれ、お前には万に一つの勝ち目も無かったわけだが……決着は、着けねばならぬな」
右腕の一本の拳を握り、シアがトモへ向けてそれを振り上げる。
「シア!?」
叫ぶユーリの眼前で、シアの拳が振り下ろされた。巨大な質量を持つ拳が、瀑布の如き勢いで大地を叩く。土が飛沫のように舞い上がり、爆発した。砕けた大地の飛沫がユーリにも飛んできたが、シアの尻尾が素早くそれを防いだ。
「シア……」
「案ずるな。勇者を殴ってはいない。少々、拳圧で吹き飛ばしてしまったが」
土煙が晴れて、シアが拳を上げる。その下には、刀身の半ばほどで折れ曲がった無残な聖剣の姿があった。
「ほえ、聖剣……?」
「今の余の力でも、折り潰すことは適わぬが……これでしばらくは、余計な手出しは出来ぬであろう」
満足そうに言って、シアが大きく息を吐いた。少し離れた場所で、トモが仰向けになって伸びている。どうやら、無事なようだった。
「さて、ユーリよ」
巨大で禍々しいシアの身体から、黒い靄のような魔力が抜け落ちてゆく。終焉を迎え崩れ去るようなその姿に、ユーリは思わず尻尾へ触れる。
「シア! どうしたの、身体が、崩れてる!」
さらり、とユーリの指の中でシアの尻尾が溶けて消えてゆく。
「最終形態では、加減が効かぬ。もはや戦いは終わった。必要あるまい」
轟く凶声が、少しずつ小さくなってゆく。
「ほえ、そっか……あ、でも、あとで触らせてくれるって……」
溶け落ちて空気に混じってゆく濃密な魔力の中で、シアがはっとした顔になる。
「……また、今度だ。それより、ユーリ。義父様の、寸劇を見に行くぞ」
ばつの悪そうな顔で言うシアに、ユーリはにへらと笑いかけ、顔を真っ赤にしてぷいと逸らす。
「うん、でも……その前に、服を着てね、シア」
少年の身体へ戻ったシアは、一糸纏わぬ素裸であった。
「……別に、裸であれば最終形態も変わらぬのだが」
「ほえ、それはそれ、これはこれ、だよ」
しゅるり、と魔力の残滓がシアの身体へ巻き付いて、燕尾服となる。
「これで、いいか?」
襟を正し、問いかけるシアにユーリはうなずいた。
「うん。そっちのシアも恰好いい。それじゃ、行こっか」
差し伸べたユーリの手を、シアが恭しく取った。小柄な少年の姿となったシアの手を引き、ユーリは歩き出す。
「どこへ行くのだ。義父様の小屋は、あちらだが」
首を傾げつつも、シアは大人しくユーリについてくる。
「さっきの音で、シャイナが目を覚ましたみたいなの。一応、一言知らせてからね」
繋いだ手に指を絡ませて、ユーリとシアは並んで歩いてゆく。
「空、綺麗だな……」
残されたトモが、ぽつりと呟いた。
そこは、不思議な小屋だった。外見からは、粗末で小さな丸太小屋にしか見えない。だが、内部はどういうわけか、王国軍の兵士たちが千人詰めかけてもまだ余裕があるようだった。
「ほえ、まあ、パパだからね」
首を捻るシアに、ユーリはにへらと笑って言う。舞台の下に用意された座席の最前列に、ユーリ、シア、シャイナ、ゴドー、イチタロー、そしてトモが並んで座っている。他のキャラバンの面々も、それぞればらばらになって王国軍兵士に混じって座っていた。
「見たところ、神聖王国の兵士どもも静粛に座っているようだな」
シアの言葉に、ユーリは周囲にちらりと目を向ける。
「たぶん、パパの仕業だね。魔王城攻略よりも、寸劇のほうが大事なのかな?」
「だとしたら、余の威厳も舐められたものだな。いや、義父様の手腕を褒めるべきか」
少し不満そうな横顔を見せるシアを見つめ、ユーリはふっと笑う。
「どうした」
「ううん、何でも。それよりも、ほら、始まるよ」
座席の辺りが暗くなり、舞台に光が差し込んでくる。三本の光の筋が照らすのは、一人のダークエルフの青年だ。
『王国兵士の皆さん、お集りいただき、ありがとうございます。これより寸劇、皿洗いの少女を開演いたします。上演中は、お手元の武器などは抜かないようにお願いします』
ぺこと一礼し、客席全体へよく通る声で青年が注意を呼び掛ける。あちこちで、うなずく気配があった。ユーリは、シアと繋いだ手とは逆の手を青年に向けて軽く振る。ちらりと視線を動かした青年が、悪戯っぽい笑みを浮かべる。ほう、とシャイナが漏らす熱い吐息の音が、微かに聞こえてきた。
『ここにおります少女、サラは神聖王国貴族の館に仕える、ごく普通のメイドでありました』
青年が指し示すのは、すぐ隣の空間だ。だが、そこには何もないように見える。訝しがる観客たちの前で、青年がひとつ、うなずいた。
『どうやら、お見えにならないお客様もいらっしゃるご様子。彼女は、とても恥ずかしがり屋さんなので……皆様にも、よく見えるように、いたしましょう』
ぱちり、と青年が指を鳴らす。途端に、舞台の照明がひとつ、ふたつ、みっつと消えていった。真っ暗闇に包まれる舞台の上に、ぼんやりとした青白い影が現れる。儚げに揺れる透き通ったその身体は、メイド姿の少女であった。
『今日も、また始まるのね……お皿を、洗うお仕事が』
陰鬱な声音が、客席にしんみりと伝わってゆく。舞台上の少女の横に、洗い台と山のように積み上げられた食器が現れる。
「なんて量だ……」
「まさか、一人で洗うのか……?」
客席のあちこちから、どよめきが上がる。
「……ざっと見たところ、百人分はありそうね」
冷静な計算をしているのは、シャイナである。
客席の声をよそに、少女は水に皿を浸け、ごしごしと手際よく洗ってゆく。洗い終え、脇に重なった皿は宙へと消えてゆく。無心に、少女はひたすら皿を洗い続けてゆく。
『サラ、今日はパーティがあったんだ。いつもより、少しお皿が増えるよ』
どこからともなく聞こえてきた男性の声とともに、洗っていない皿の山に新たな皿が追加される。
『畏まりました、若旦那様』
少女はめげずに、さらに大きくなった皿の山へと挑む。べったりとこびりついたソースの油は、中々綺麗にはならない。
『もう少し、洗剤をつけないと……うぅ、手が、染みる』
じゃぶじゃぶと泡を立てながら、少女はひたすらに皿を洗う。
『今日は、騎士団長の友人が部下を連れてきてね。若いものたちは、よく食べるから。頼んだよ』
再び声が聞こえ、また山が増えた。
『畏まりました、若旦那様……』
ほとんど皿に埋もれそうになりながら、少女は健気に声を上げる。
『一枚……二枚……三枚……ああっ、お皿が増えていく……指先が……痺れて……痛い』
続く洗い物に、少女の手指はぼろぼろになってしまっていた。それでも、洗い物の減る気配はなく、逆に若旦那様の声とともに増えてゆく始末だ。
『サラ、いつもお仕事、大変だね。良かったら、今度、二人で出かけないか? 近くの村で、大きな祭りがあるらしいんだ』
どこからともなく、優しい若旦那様の声が聞こえてくる。
『はい、喜んで……』
嬉しそうに、少女がうなずく。少女の見せる初めての笑顔は、ほろりと咲く一輪の花のように可憐であった。しかし、
『手を、繋いでいこうね、サラ。二人で出かける、初めてのデートだから』
若旦那様の声に、少女の笑顔が凍り付く。洗う手を止めて、少女は自分の手を見つめる。冷たい水と、きつい洗剤で洗い物を続けてきたその手は、荒れ果ててガサガサになり、あちこちにあかぎれが出来ていた。
『こんな手で、若旦那様と手を繋ぐなんて……できない』
呆然と呟く少女の横で、無情にも皿の山は積み上げられてゆく。カチャカチャと、皿を洗う音がしばらく続いた。
『行けないって、どういうことだ、サラ!? 約束したじゃないか!』
詰問をするような、若旦那様の声が響く。少女は無表情に、皿を洗い続ける。
『申し訳ございません、若旦那様』
『もしかして……僕以外の男と……? うぅ、そんなこと、許せるものか!』
ざしゅ、と何かを突き刺す音とともに、舞台に赤い光が満ちる。山と積まれた皿も、泡を立てる洗い台も、赤に染まってすっと消えてゆく。後に残るのは、透き通った少女のみである。じっと俯いた少女が、客席に視線だけを向けてくる。
『私は、どうすれば良かったのでしょうか……若旦那様とお出かけして、荒れた手に失望されるのが、怖かった。ただ、それだけなのです。他の人と、出かけるつもりなんて、これっぽっちもありませんでした……ああ、若旦那様……』
か細い声で、少女が切々と訴えかける。客席に、僅かな変化が起こったのはそのときだ。
「サラ……おお、サラや……まさか、そんなことのために、あのとき誘いを断ったのか……だとすれば、ワシは、取り返しのつかないことを……」
一人の老将軍が、嗚咽を始めた。その声は少女に届くことはなく、少女はぶくりと醜く膨らみぼろぼろになった手を天にかざし、血涙を流す。
『ああ、この手が、この手が憎い! こんな手にした、お屋敷が! そして、若旦那様が!』
恨みと哀しみに、少女が叫ぶ。ぐう、と老将軍の表情が歪み、苦しげになってゆく。
「すまぬ……すまぬ、サラ!」
嗚咽は、慟哭へと変わる。少女の全身は憎悪に赤く染まり、恐ろしげな亡霊の表情を浮かべる。
「この手が、この手が!」
手を震わせ、叫ぶ少女。見つめるうちに、ユーリの頭の中にぴん、と閃くものがあった。
「ほえ、サラさん、これを!」
懐からユーリが何かを取り出し、少女に投げ渡す。勢いで受け取った少女の顔が、きょとんとなった。
『え? あの、これは……』
「手に優しい、食器用洗剤! 水によく溶けるし、ちょっとの汚れならこする必要も無いんだよ! それを使えば、もう手荒れの心配もしなくていいの!」
ユーリの声に、少女が洗剤のボトルをしげしげと眺める。
「あ、あれこの間CMでやってたやつだ」
「新作出てたんだね。僕も、CM出たことあるメーカーのやつだよ」
ボトルを見たイチタローとトモが、小さく声を上げる。
『これが、あれば……もう……』
ふわりと、優しい光が少女を包む。ボトルを抱き締め、少女はユーリへ視線を向ける。
『ありがとう……これならもう手荒れを気にせず、洗い物ができるわ』
きらきらと、綺麗な白い光に包まれて少女の姿は少しずつ消えてゆく。
「どういたしまして。あなたも、生まれ変わったらまた、頑張って」
『ええ。あなたにも、恋の神様の加護があるよう、天国で祈っているわ。さよなら……』
光が収まると、そこにはもう何も残ってはいなかった。からっぽになった舞台の天井を見つめるユーリの袖が、くいと引かれる。
「ほえ、シア?」
「ユーリ、よかったのか? 義父様の寸劇に、手を出して」
「ほえ?」
我に返ったユーリは、ざっと周囲を見渡してみる。一連のやり取りに、慟哭していた老将軍をはじめとする王国兵士たちは皆ついて行けておらず、ぼうっとユーリを見つめていた。
「ほえ……もしかして私、やっちゃった?」
「ええ、盛大にやらかしたわね」
「うむ。お前らしいと言えば、らしいな」
シャイナとシアが、ユーリに肯定の言葉を返す。ユーリの額から、汗が一筋流れる。そのときだった。舞台の照明が、いつの間にか姿を見せたダークエルフの青年を照らし出す。
『ほえ、素晴らしい結末でした。きっと少女は、恨みや後悔を捨てて、天国へと旅立つことができたのでしょう。彼女の新たな旅路を祝い、ここからは楽しくやっていきましょう! 今日は趣向を変えて、吟遊詩人を呼んでいます! 実は、僕の娘なのですが……ユーリ!』
「ほえ!」
完全にアドリブであったが、そこは父娘の呼吸である。名を呼ばれたユーリは客席から跳躍し、くるくる回りながら舞台へと降り立ち客席へ一礼する。
「王国兵士の皆さん、今日はこんなにもたくさん、集まってくれてありがとう!」
ほろん、とリュートを鳴らせば、呆然としていた客席に活気が生まれてくる。
「ちょっと悲しい行き違いがあったけど、サラさんを皆で笑って見送ってあげようね! 天国まで、届くような歌声で!」
ユーリの指がリュートの弦を滑り、陽気なメロディが紡がれてゆく。ひとつ、ふたつと上がり始めた手拍子が、たちまちに大きな波となって客席に拡がってゆく。
「さあ、始めよう! まだ見ぬ恋を!」
高らかに歌い始めるユーリの声は高く遠く、凛と澄み切って小屋全体を震わせる。アップテンポなリズムにわずかな戸惑いを見せる観客であったが、舞台上の青年が手拍子を先導し、ほどなく音の波は整ってゆく。
「出会いと別れ、繰り返してきたのはー、きっと、あなたに会うため」
ユーリは目の端で、シアを見やる。座席でふんぞり返り、シアが不敵な笑みを浮かべる。
「たとえ千年経っても、冷めない恋が兆すの、私の胸の中に」
目を閉じて、胸に手を当てれば温かな気持ちが溢れてくる。ほろりほろりとリュートの音も軽やかに、ユーリは目を開く。
「あなたを見るたび、生まれる気持ちはやがて、愛に変わるの!」
天へと向けて、歌声を放り投げる。桃色の優しい輝きが、ユーリの全身から放たれた。
「だから、あなたに送るの、愛の光をー!」
歌い上げ、リュートを爪弾く。そんなユーリの側に、黒い影が降り立った。黒の燕尾服に輝く金の髪、ルビーレッドの瞳はシアである。座席からひと飛びにユーリの横に来たシアの手には、小さく四角い銀色のものがあった。
「ほえ、それは?」
小声で聞いたユーリに、シアはにっと笑って銀色を口に当てる。高く澄んだ、滑らかな音が巡り始める。
「ハーモニカ?」
「ブルースハープだね」
イチタローとトモが、シアの吹くものを見つめて呟く。硬質で、けれどもユーリの音に混じり合うそれはシアにとても似合いの音色だと、ユーリは感じた。
ほけら、とシアを見つめているユーリを、シアが視線で促してくる。うん、とうなずき、ユーリはリュートの音色に彩りを加え、音階を上げる。シアの音色が、負けじとそれに続く。
「あなたに届け、恋する気持ち! 愛の光よー!」
観客の手拍子足拍子をバックグラウンドに、ユーリの歌声と光は小屋の屋根を突き破り、天へと昇ってゆく。声が、音が、視線が、何もかもが一体となり、混じり合い広がり合ってゆく。傍らにシアを感じながら、ユーリは陶然と酔いしれた。心のままに、リュートをかき鳴らす。歌声を、上げる。それはこれまでで最高の、舞台であった。
ほろん、と最後の一音が、天井の開いた空へと吸い込まれてゆく。シアの音色が寄り添い、尾を引いて消えていく。演奏が終われば、待っているのは拍手と大喝采である。口笛と歓声の飛び交う中で、ダークエルフの青年ダクが手招きをし、シャイナ、ゴドー、イチタロー、トモ、そしてキャラバンの面々も舞台の上へと上がる。
新たな動きに、観客たちは何が始まるのか、と手拍子を止めて見守る。
『えー、本日は王国軍兵士の皆さんに、お集りいただきありがとうございます。まずは、お礼を申し上げます。宴もたけなわではありますが、天井もこの通り吹き飛んでしまったので、今日はお開きとさせていただきたく思います。誠に名残惜しくはありますが、共演してくれたこの方の挨拶で、締めくくりといたしましょう。どうぞ!』
ダクが手を伸べ、舞台の前に立つのはシアである。王国兵士たちを睥睨し、胸を張ってシアは口を開く。
「本日は、実にご苦労であった。余が、魔を統べる王、魔王シアである!」
いきなりの挨拶に、観客の兵士たちはどよめいた。ユーリの傍らでブルースハープを吹く艶姿に黄色い声を上げた兵士もいたのだが、目玉をひっくり返して驚いている。
「魔王城を攻略に来た諸君らの勇気は、素晴らしいものだ。このシア、魔王として敬意を表する。だが、本日より余、魔王シアは魔王城を出て、新たな旅路につく。余を倒し、魔王討伐の名誉を欲するものがあれば、まずは余を見つけてみせよ。王国にてぬくぬくと過ごす王と、勇者召還を企て続ける愚かな神官どもに、そう告げよ。そして余を追うものがあれば、追ってくるがいい。ここにいる勇士のいずれかと、また会えることを楽しみにしている。以上!」
言うなり、シアがユーリをひょいと抱き上げ、舞台裏へと姿を消した。呆気に取られる兵士たちを尻目に、シャイナたちも慌ててそれに続く。舞台に残ったダクが、ぺこりと優雅な所作で一礼を見せた。
『それでは、以上をもちまして、本日の演目は全て終了とさせていただきます。王国兵士の皆様におかれましては、どうぞ、お忘れ物の無いように、お帰りください』
一瞬の、間があった。ダクの姿が、舞台上から煙のようにふっと消える。ややあって、座席から兵士たちが立ち上がり、大慌てで外へと出て行った。誰もいなくなった小屋が、ひゅるりと吹いた風に押されて倒れ、崩れ落ちた。
五台の馬車が、平原を進んでゆく。街道を西から東へ、小春日和のぽかぽかとした日差しを浴びて。
「ほえ、今日も元気に旅の空ー、明日はどこに、行くんだろ?」
陽気な歌声は、先頭の馬車の幌の上から聞こえてくる。そこにはリュートを爪弾くユーリと、隣に腰掛けてブルースハープを吹くシアの姿がある。
「次の町まで遠いから、まだまだこんな感じよ、ユーリ」
御者台で、上がるシャイナの合いの手も明るく馬車は軽やかに進んでゆく。
「どこであろうと、ずっと一緒だ、ユーリ」
「うん、シア!」
にへら、と笑うユーリの頭に、一匹の蝶が止まった。こうして、彼らの旅は続いてゆくのであった。
なお、この後勇者トモは神聖王国へと戻り、この世界での舞台演劇を隆興させ、大いに盛り上げることに成功する。また、元勇者のイチタローは小悪魔チロルと協力し、ダクも交えて魔王城をこの世界で唯一のテーマパークへと魔改造した。これにより、この大陸での人と魔の戦いは終止符を打つこととなったのだが、それは旅の空の下にいるユーリたちには関係の無いことなのであった。
ユーリたちの旅は、どこまで続くのか。あとは、皆様のご想像にお任せいたします。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。これにて、物語は完結となります。
御感想、質問や御意見などありましたら、どうぞお気軽にお寄せください。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




