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旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
57/58

続く恋路は何処までも 前編

 雲一つない、青空が広がっていた。朝日の訪れは、大地に新たな日の到来を報せる。爽やかな風が、吹き抜けてゆく。ふわりと、タンポポの綿毛が舞い上がり、新天地を求めて旅立ってゆく。ちちち、と小鳥が長閑に鳴いていた。

 そんな穏やかな地表の遥か上空に、横切る影があった。大きな鳥にも見えるそれは、一人の少女であった。拡げたマントを手足の指で挟み、風に乗って飛んでゆく。

「ほえ……このへん、かな」

 少女は言って、マントから指を離す。浮力を失ったその身体は、真っ逆さまに落ちてゆく。急速に近づいてくる地面に、しかし少女に焦りの色は無い。その顔には、深い憂いのみがあった。

 天に打ち上げられた一本の槍が落ちるがごとく、少女は落下を続ける。その先には、五台の馬車が輪を作って停まっている。

「ほえ、見つけた!」

 くるりと空中で身を翻せば、落下の軌道がわずかに変わる。足を下へ向けた少女は、そのまま馬車の輪のわずかに外側へと降り立った。衝撃と、地響きに大地が揺れた。


 ぱんぱん、と身体についた土埃を払い、ユーリはキャラバンの馬車へと駆け寄った。シャイナの気配は、すぐそこにある。一刻も早く、顔を見たかった。

 馬車の影から、誰かの手が見えた。細くしなやかであるが、骨ばった大きな手は男性のものである。

「イチタロー?」

 ユーリに心当たりのあるのは、一人だけだった。ユーリの呼びかけに、手の持ち主が姿を見せる。

「その声、ユーリちゃん?」

「ほえ、ト、トモ!?」

 それは、少し疲れた顔をした勇者トモであった。

「おかえり、ユーリちゃん。嬉しいよ、僕の所に、戻って来てくれて」

「別に、あなたの所に戻って来たわけじゃないよ。それより、シャイナはどうしたの? ゴドーさんや、キャラバンの皆と……あと、イチタローは?」

 警戒に表情を引き締めて、ユーリはトモの腰にある聖剣を一瞥する。血は、付いていないようだった。

「シャイナさんは、イチタローくんの看病をしてるよ。いきなり、僕に斬りかかってきて今朝までずっと、剣を振っていたんだけど……足がもつれて転んだ拍子に頭を打ってね。同じ日本人だと思うけれど、何か僕に恨みでもあったのかな、彼は? 大変そうだったから僕も手伝って、ついでにゴドーさんのお茶を戴いてきたところなんだ。彼のお茶は、本当に美味しいね。日本からこっちに来て、まさかあんなお茶が飲めるなんて……」

 目を閉じてうっとりとするトモの横を、ユーリはそっと抜けようとした。

「それで、どうだったの? 魔王との逢引きは」

 すれ違いざまの言葉に、ユーリはぎくりと身体を強張らせる。

「……あなたには、関係ない」

「あるよ、関係」

 通り過ぎようとしたユーリの手を、トモがぱしりと掴んだ。

「離して」

「そんな顔して帰ってきたくらいだから、何かあったんでしょ?」

 キッと睨み付けるユーリに、トモが気遣うような笑みを見せる。

「放っておいてよ、あなたには、関係ないんだから!」

 トモの手首を掴み返し、ユーリは軽く力を込めて捻る。

「う、わっと!」

 トモの身体が綺麗に回転して、地面へと転倒した。受け身を取ったらしく、トモがすぐに立ち上がる。

「好きな女の子が、傷ついた顔しているんだ。関係ないなんて、言わせない」

 真摯なトモの瞳が、ひたとユーリを見据える。その視線に、ユーリの脳裏にはシアの瞳が重なって浮かび上がる。

「……違う、の」

「ユーリ、ちゃん?」

「傷つけたのは、私で……傷ついているのは、シアのほう……」

 俯いて、ユーリは目を逸らす。

「……たき火の側へ、行こう。シャイナさんも、そのうちやって来るだろうから」

 優しく語り掛けるトモの声に、ユーリはちいさくうなずいた。輪を作った馬車の中心のたき火は、赤々と燃えている。魔王城から上空を飛んで冷えたユーリの身体に、その熱はじんわりと沁みてゆくようだった。

「ほえ、あったかい……」

「さっき触ったとき、随分冷たかった。魔王城は、寒い所だったの?」

「ううん。空、飛んでたから」

「ユーリちゃん、空を飛べるんだね。魔法?」

「私のは、純粋に体術だよ。布で、風を掴んで飛ぶの」

 ユーリがマントを拡げて見せれば、トモが微笑み、遠い目で彼方の魔王城を見る。

「そうなんだ……僕のいた世界、日本にも、似たようなもので滑空する技術はあるね。マントじゃ、さすがにしないけれど」

「ほえ、そっか……」

 ぱちり、と爆ぜる薪の火をユーリは見つめる。トモの視線を、感じる。たき火の熱と、トモの慈しみの感情がユーリを優しく包み込んでいた。しばらく、無言の時が流れた。

「……シアと、お別れしてきたの」

 抱えた膝に顎を乗せて、ユーリはぽつりと言った。トモが、何も返さずただうなずいた。

「シアは、私のために、たくさん魔力を使って、命を削ってしまっていたの。知ってる? 魔族の人って、魔力が無くなると死んじゃうんだ。いくら、強い人でも……シアは、その一歩手前までいっちゃってたの……私の、せいで」

「ユーリちゃんが、そんなふうに思うことはないよ。好きな子のために、一生懸命になってしまうのは、男ならみんなそうだから」

「……シアは、元は女の子だったけど」

「……色々、複雑なんだね」

「私が、女の子じゃやだって、言ったから……そこから、始まったの。ずっと、わがまま言ってた気がする。シアは、あんなになってまで私のために尽くしてくれるのに、私は何一つ、シアのためにしてあげられない……そんなふうだから、あんな夢、見ちゃったんだね」

「夢?」

 首を傾げるトモに、ユーリはうなずく。

「うん……シアに甘え切って、何もかもを捨てた私の夢。あんな私になっても、シアは、たぶん変わらず私を愛して、命、懸けちゃうんだって、そう思ったら……」

 側に、いるのが怖くなった。声にならない呟きが、ユーリの口から零れ落ちる。

「ユーリちゃんは、難しく考えてるんだね」

 小さなトモの声に、ユーリの長い耳がぴくりと動く。

「ほえ?」

「僕は……好きな人なら、一緒にいたいと思うよ。何があっても、ずっと。誰かに甘えるのは、悪い事じゃないし、その人のために出来る限りのことをするのも、良い事だよ。根っこの部分がしっかりしてれば、人間、そうそう堕落はしないって、僕は思う」

「うん……」

 穏やかな調子のトモの言葉が、ユーリの中にすうっと染みこんでくる。

「ユーリちゃんは、魔王と、シアさんと、対等の立場でいたいって、思ってるんだよね。その気持ちを忘れない限り、ユーリちゃんはその夢で見たように、ダメになったりなんかはしない。出会って少ししか経ってないけれど、僕はそう保証できるよ」

「……どうして?」

 問い返すユーリに、トモの笑みが一瞬、真顔になる。

「……僕は、日本にいた頃、色んな人を見てきたんだ。小さなころからずっと、僕の周りには、色んな大人がいた。ライバルもいたし、仲間も、先輩も後輩も……ドライな見方をすれば、僕と周囲は利用して利用される関係だった。そんな環境でずっとやってきたから、僕にも少しは人を見る目があるんだ。本当にダメな子は、ユーリちゃんみたいに悩んだり、苦しい決断をしたりはしない。だから、ユーリちゃんはもっと、自分に自信を持っていいと思う。シアさんの所に戻りたいなら、今からでも」

「それは……もういいの」

 トモの言葉を遮り、ユーリは言った。

「私、シアに言ったの。あなたといるより、旅をしてるほうがいいって。そう、言っちゃったの。シアにはたくさんの部下の人たちがいるし……人じゃないのも、たくさんいるけど……それを捨てて、私と一緒に旅してなんて言えないし……」

「ユーリちゃんは、旅をしたいの?」

「うん。知らない所へ、もっと行ってみたい。一つ所にじっとしてたら、きっと息が詰まっちゃうから。もっと旅して、恋して、音を奏でていたいんだ」

 背中からリュートを取り出し、トモに見せつつユーリは微笑む。

「いいね。あてもなくふらっと旅をして、音楽で食べていく。それは、とても素敵なことだね。僕も、一緒に行ってもいいかな」

「トモが? でもトモには、シアを倒すっていう使命があるんでしょ?」

「ユーリちゃんが大事に思ってる人に、剣を向けたりはできないよ。聖剣を返して、頭を下げれば何とかなると思うから……僕も、ユーリちゃんの旅に、連れてってくれないかな?」

 笑顔のトモの提案に、ユーリとは違う声が応える。

「雑用係くらいならば、連れて行っても構わぬが」

 澄み切った声で、尊大な言葉が放たれた。びくりとなったユーリが、声のした方へ顔を向ける。馬車の中から顔を見せているのは、魔王城で別れたはずのシアであった。

「ほえ、シア!? どうしてここに?」

 目を真ん丸にしたユーリに、シアは馬車の荷台からさっと飛び降りてゆっくりと歩み寄ってくる。

「もちろん、シャイナの所へ転移したからだが? お前の帰って来る場所は、ここ以外にはあるまい」

「転移って……魔力は? まだ寝てないと、いけないんじゃないの?」

「魔力ならば、お前を通じて与えられた義母様のものが存分にある。神にも等しい質の魔力は、素晴らしいな。おかげで、以前よりも調子が良いくらいだ。それより、ユーリ。出立だが、シャイナが仮眠を取りたいらしい。昼過ぎ頃に、なるだろう。しばらくは、時間が出来るな。義父様の所へ行って、寸劇でも見物しに行こうではないか」

 自信満面、といった笑みで言うシアとは対照的に、ユーリの表情は苦いものになる。

「シア……その、さっき、私」

「あれはお前の本心ではあるまい。偽りの心で並べた言葉などで、余の心は揺るがされはせぬ」

 真っすぐに、ルビーレッドの瞳がユーリを射すくめる。あっ、とユーリの胸の中で、声にならない声が漏れた。ユーリは、真正面からシアを見据えて口を開く。

「わかった、シア。はっきりと言わなきゃ、いけなかったんだね。私は、シアとはもう一緒にはいられない。シアが、また命を懸けて、今度は死んじゃうかも知れない。それが、私は怖いの……その状況を、いつか当然と受け止めてしまうかも知れない、私も」

 シアに顔を向けたまま、ユーリの視界がぼやけて滲む。胸の中を、切ない痛みが締め付ける。顔なんて、見たくなかった。あのまま、素直に別れていれば、再びこんな思いをせずに済んだのに。ユーリの中で、溢れた感情が暴れ出しそうになる。

「ククク……フフフ、アーッハハハハハ!」

 対するシアが上げたのは、高らかな笑い声だった。

「な、何がおかしいの! 私は」

「また、簡単なことで悩んでいるようだな、ユーリ。だが、それでこそお前だ。余の、愛するユーリだ! この魔を統べる王たる余に、ここまで心を尽くしてくれる人族がいること、余は何よりも喜ばしい。お前が案ずるのであれば、余は誓おう。お前が生きる時をずっと、余は傍らで共に生きると。どんなことがあっても、生きてお前の側にいるということを。お前が旅を続けるというのならば、余もまたお前と共に旅立とう。城に篭らぬ魔王がいて、悪いということはあるまい。余が、善悪を決めるのだからな」

 長口上にあっけに取られたユーリの左手を、シアがそっと取って跪いた。

「お前に求める対価は、たった一つだ。お前が、お前らしくあること。ユーリ、この誓約、受けてくれるな?」

 上目遣いに言うシアに、ユーリの頭がふっと真っ白になる。自信に満ち溢れた瞳と、傲岸不遜な笑み。その奥にある、弱々しく縋るような色。その色を見つけてしまえば、ユーリは小さくうなずく。そうすることしか、出来なかった。

「ちょっと、待って」

 シアの形良い唇が、ユーリの薬指に触れる、その直前。横合いから、声がかかった。

「何用だ、今は大事なところだ。後にせよ、雑用係」

「僕は、雑用じゃあない。僕は……勇者、トモだ!」

 聖剣を抜き放ち、青眼に構えてトモが言う。

「ト、トモ!? どうして……」

 驚いて呼びかけるユーリに、トモは苦笑を見せる。

「……ごめん、ユーリちゃん。ユーリちゃんの大切な人に、剣は向けたくなかったけれど……その人と僕は、多分相容れない。聖剣も、そう言ってる」

「そんな……やだよ、そんなの!」

「……場所を、変えるか。馬車に傷をつけては、シャイナが困ってしまうからな」

 首を振るユーリの横で、シアが余裕たっぷりにトモへむけて顎をしゃくる。

「確かに、誰かを巻き込むのは僕にとっても望まないことだ。ありがとう」

 口元だけで笑うトモに、シアが怪訝な顔を見せる。

「これから叩き潰される相手に礼を言うのか? 変わった勇者だな」

「礼儀だけは、君に勝てるつもりだよ、魔王」

 構えた剣を下ろし、トモが歩き出す。悠然とそれに続こうとするシアの袖を、ユーリは掴んだ。

「シア……」

 声を震わせ名を呼ぶユーリに、シアが微笑を浮かべる。

「案ずることはないぞ、ユーリ。あいつは、中々便利そうだ。少々叩きのめしてやるくらいで、殺しはしない。お前との、約束だからな」

 不敵に言うシアへ、ユーリは首を横へ振る。

「あの人、強いよ。イチタローなんかより、ずっと……」

「それでも、余の敵ではない。それよりも、ユーリ」

 すっと、シアの目が真剣な光を帯びてユーリを見つめる。

「なに?」

「怖ければ、見ていなくていい」

 それまで強気であったシアの声音に、微かな感情の揺れが現れた。ぴん、とユーリの頭の中に閃くものがあった。

 戦うことに、恐れるシアではない。だが、ユーリに戦う姿を見られることを、シアは恐れているようだった。

「ううん……私、見てるよ」

 ユーリは、首を横へ振る。

「お前の、望む姿で止められぬかも知れない」

「それでも、最後まで……ちゃんと見せて。シアの、全部を」

「ユーリ……」

「大丈夫。私は、もう、逃げたりしないから」

 じっとシアを見つめ、ユーリは微笑んで見せる。

「……わかった」

 うなずいて、シアは歩き出す。ユーリもまた、その背に続いた。

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