旅路の果ての眠れる王 後編
どうすればいいか、そう、問うことはしなかった。ユーリは背中のリュートを取り出し、抱きしめるように構える。ほろん、と一音爪弾けば、傍らでエルファンがうなずいた。
「これから、私の魔力をお前に流し込む。お前の中で、それをシアの魔力に最適化して、与えるのだ。ただし、私の魔力は神成る力、神の雷だ。魔王の魔力とは正反対の性質だ。それをそのまま使えば、シアは消滅するだろう。だから、お前が調整するんだ」
「うん……やってみる。絶対に、シアを救けてみせるよ」
石と化し、ベッドに力なく横たわるシアを見据え、ユーリはうなずきを返した。性質の異なる魔力同士を、音を媒介として調和させる。常識的に考えれば、不可能と断定できるほどのそれは偉業である。成し遂げるには、奇跡でも起こさなければならないのだ。それを踏まえたうえで、ユーリの心は澄んでいた。
「シア……」
指先で、竜の髭の弦に触れる。仄かな温かみが、弦から伝わってくる。
「いくぞ」
エルファンの、声。そして、魔力がユーリへと流れ込んできた。烈しく眩い、光の魔力だ。隣で、エルファンが全身から強く白光を放つ。それは部屋全体を照らし、窓外の暗雲も霞ませるほどの光だ。流れ込む魔力の圧力に、ユーリの全身が軋んだ。
ユーリの魔力は、母親のハイエルフと父親のダークエルフ、双方の属性を持っている。光と闇は反発をし、そのためにユーリの中のダークエルフの血が軋みを上げるのだ。
身体が、己のものでは無いように震えようとする。抑え込み、ユーリは弦をかき鳴らす。ほろん、ほろんと流れるメロディは、複雑な音色を絡み合わせた不思議な重厚さを醸し出し始める。
「魔を統べる王、唯一にして絶対の魔王、そして、私の愛する人に、捧げます……」
ゆったりとした曲調に合わせ、声高くユーリは歌う。声と、そしてリュートの音色が、シアの中へと吸い込まれてゆく。
「神成る力、永久の闇の力を、いま、ひとつに……」
烈しい光の魔力が、柔らかな桃色を帯びてシアに流れてゆく。一音、一音にユーリは魂を込める。少しでも調子が狂えば、シアの中に光の魔力が流れ込んでしまう。内側から身を灼く感覚に、ユーリの額から汗がひとすじ流れた。
「全てを擲ち、私を救ってくれた、あなたに、未来、を……」
ぴりりと、指先に刺激が走る。
「ユーリ……!」
焦りを帯びたエルファンの声に、ユーリは首を横へ振った。流れ込んでくる魔力が膨大すぎて、ユーリの中に溢れかえって暴れていた。調律が、間に合わない。
「う、あああああああああああっ!」
暴れる魔力を抑えつけるように、ユーリは絶叫する。リュートが激しくかき鳴らされ、心臓のリズムよりも早く、音色が刻まれてゆく。
「シアっ、シアっ! 私の、大切な人っ! 強くて優しい、背中の君っ! く、ぅあああ!」
声帯を痛めるほどの高音で、痛みに叫びながらもユーリは必死に歌い、魔力を調和させてゆく。原始的なメロディに彩られたそれは、幻想的な響きを部屋に、魔王城に轟かせてゆく。
「燃えるっ! 情熱も、痛みも恐怖も、全部全部っ! 大好きっ! 愛してるの、気持ちにっ! 変わるのっ! あああうぅ!」
それはもはや、歌詞と呼べるものではない。感情の、吐露に過ぎないものになっていた。そしてそれは、不安定に刻まれるリュートのメロディに、不思議な噛み合いをみせていた。
「あああああああ! シアあああ!」
迸るユーリの声音に、桃色の魔力が勢いよくシアに流れ込んでゆく。ユーリの頭の中は、既に真っ白になっていた。意味を成さない叫びの中に、シアへの想いを込めて魔力を色づける。エルファンの輝きに負けないくらいに、全身を輝かせるユーリには凄絶な美しさがあった。
リュートを爪弾くユーリの指先が破れ、血がにじむ。それでも、ユーリの演奏は止まらない。絶叫は、止まらない。どころか、ますます激しくなってゆく。その中で、リュートの中心の弦、竜の髭が仄かに光り始めた。
「シィィィィアアアアアアアア!」
「これは……」
ユーリの傍らで、エルファンの眉がぴくりと動く。竜の髭から漏れ出る光は、ユーリを護るようにその全身を包んでいた。
「もしかすると、もしかするかもしれんな……」
エルファンの呟きは、ユーリの声にかき消されてゆく。
気怠さと、爽快感が全身を包んでいた。目を閉じていても、なお眩しく感じてしまうほどの、何かがあった。昏い眠りの底で、眩しさは温かさを運んで来る。冷たく乾いた軀の中に、熱く弾けるような瑞々しさが訪れる。ぽろぽろと、全身を包む気怠さが剥がれ落ちていく。身体が、浮き上がっていく。満ち溢れる魔力を感じる。目覚めを、欲していた。どうして眠っているのか。目を覚ませば、そこに何が待っているのか。一切の疑問を吹き飛ばすような、音の塊が傍らにある。手を伸ばせば、そこへ届く。この暗闇を、照らす一条の光となる、誰かがそこにいる。目を開けろ。腕を伸ばせ。その人を抱き締めろ。内なる声が、身を動かそうとする。遮るものは、薄い、闇の帳である。
「余の、邪魔をするな」
傲岸に言い放ち、帳を押しのける。愛しい人の、鼓動がすぐ側にある。何者にも、遮ることの能わぬ力が、己の中にある。深い笑みをもって、目覚めへと向かった。
朦朧とする意識の中で、掠れた声をユーリは上げる。いつから、歌い始めただろうか。時間の感覚は、とうに無くなっていた。エルファンの烈しい魔力は、すでに無くなっていた。これ以上は、必要ないとばかりに魔力の供給は途絶えていた。問い質すことはせず、ユーリはベッドのシアに寄り添うように腰を下ろし、リュートをほろりと爪弾いていた。
「シア……」
枯れた声で、その名を呟く。その途端、石のように固まったシアの皮膚に、ぴしりと亀裂が入った。
「ほえ? う、嘘!」
まさか、調律が失敗したのでは、と顔を寄せるユーリのお尻の下で、しゅるりとシーツが滑った。
「余の、邪魔をするな」
小さな声で、シアが言う。シーツを抜き取り傍らへ投げ捨てたのは、シアの手だ。ぴしぴしと、シアの顔の亀裂がどんどん大きくなってゆく。
「シア、動いちゃ、ダメ……」
慌てて押さえようとするユーリの前で、ぱりんと石の肌が割れる。中から出てきたものを確認する暇もなく、ユーリの身体は抱きしめられていた。
「ユーリ……戻って、来たのだな。お前を待ってくたびれるということは無いが、待たせすぎだ」
力強く抱く腕の力に、ユーリは呆然とされるがままになっている。
「……どうした、ユーリ?」
目の前に、シアの顔があった。亀裂も無く、艶やかな青白い、シアの顔だ。
「シア……?」
問い返すユーリに、シアは小さくうなずく。
「そうだ。余だ」
大きなルビーレッドの瞳が、ユーリを見つめている。つんつん、とユーリはシアの耳を軽く引っ張ってみる。
「……何をしている?」
「ほえ、本物……だよね?」
「余の偽物がユーリに触れているならば、余はそいつを八つ裂きにせねばならんな。余の、ユーリなのだから」
「ほえ、本物だ」
その傲岸不遜な物言いに、ユーリは目の前のシアが本物であると確信した。同時に、シアの胸へユーリは顔を埋めるように抱き着いた。
「ほえ……ほえええええん! シア、シアぁ!」
鳴き声を上げるユーリの背を、シアの少し小さな手が優しく撫でた。
「ユーリ、よく、戻ってきてくれた……」
「うん。シアが、呼んでくれたから……戻って来れたんだよ。ありがと……シア」
「余も、お前の歌声で、こうして目覚めを迎えることが出来た。深い眠りの闇の中で、お前を感じることが出来て、目を開けばお前がいた。お前をこの手で、抱き締めることが出来る。これほど、素晴らしいことはない」
ぎゅっと強く、シアがユーリの背に回した腕に力を込める。暖かな腕の中にいる安心感に包まれて、ユーリの意識はふうっと遠くなってゆく。
「……ユーリ?」
力の抜けたユーリへ、シアが呼びかけた。
「お前を救けるために、無茶をしたのだ。少し、寝かせてやるといい」
「義母様……わかりました」
シアとエルファンの会話が、遠くの話し声のように聞こえてくる。
「シア……」
にへら、と緩んだ笑みを浮かべながら、ユーリは静かな寝息を立て始めるのであった。
ぼんやりとした光に包まれた、白い空間にいた。ユーリがシアに寄り添い、シアのために編み物をしている。そんなユーリを、シアが後ろから緩く抱く。それを、近くでユーリは見つめていた。
「ほえ……これは、何だろ?」
不思議な光景を眺めながら、ユーリは呟く。霞がかかったような頭の中で、眼前のユーリとシアは幸せそうに笑みを交わし、キスをする。
「シアと……私?」
目の前のユーリは、ひらひらとしたドレスを身に着け深窓の姫君のような装いである。シアの隣にいるに相応しい、理想的な姿だ。ドレスはシアの仕立てで、黒の燕尾服のシアと揃いの色合いだった。
「素敵なドレス……でも、何か、足りない?」
ドレスのユーリの手元で、編み物がめちゃくちゃになっていた。しかし、笑み合う二人はそんなことに、目もくれずにいる。それを見つめるユーリは、首を小さく傾げて言った。
「いつもの私に……足りないもの……あっ」
ぴん、とユーリの頭の中に、閃くものがあった。シアとむつみ合う、目の前のドレスのユーリに足りないもの。
「ほえ……マントと、リュートだ。ねえ、私、リュートは、どうしたの?」
近づいて、声をかけてみる。だが、ドレスのユーリには、その言葉は聞こえていないようだった。
「ずっと、旅してきた相棒なんだよ? どこにやったの? 楽しい時も、辛い時も一緒だったのに。どうして持っていないの、ねえ、私?」
『リュートは、捨てたの。もう、いらないから』
不意に、ユーリの頭の中に声が届く。それは、ユーリ自身の声音であった。
「す、捨てた? どうして!?」
『シアが、いてくれるから。だからもう、私は旅をする必要もなくて、酒場で歌を歌って、お金を稼ぐこともしなくていいの。旅の慰めに、歌を歌うことも、無いの。シアが、みんな与えてくれるから。シアは、私の為なら、どんなことでもしてくれるから』
「そんな……シアは、私の歌、好きだって言ってくれたよ? リュートの音色も。それに、竜の髭の弦だって……シアに買って貰ったものなんだよ?」
『でも、歌わない私でも、シアは愛してくれる。私が歌わないことを、シアは受け入れてくれる。だから、要らないんだよ』
「違うよ! そんなんじゃ、ダメなの!」
『違わない。私は、一番大切な、シアを手に入れたの。だから、リュートはもう要らない。命をかけて、愛してくれるシアが側にいるから』
あっ、とユーリの胸の中で、声にならない声が漏れた。
シアは、命がけで異世界から救い出してくれた。代償として力を失いかけたシアを、何とか助けることはできた。だがそれは、奇跡と呼べる偶然に助けられたといってよい。もし、次に同じようなことがあれば、今度は助けられないかもしれないのだ。いつも全身全霊、一生懸命のシアに、こんな私は相応しいのだろうか……
呆然となったユーリの耳に、遠くからの声が呼びかけてくる。
「ユーリ……ユーリ……」
目の前のユーリとシアが、ゆっくりと遠ざかってゆく。これは、夢だ。気づいたユーリの意識は、浮かび上がるような感覚とともに目覚めへと向かっていった。
目を開けると、ほの暗い闇の中にシアの心配そうな顔が浮かんでいた。
「ほえ……シア?」
「大丈夫か? 酷く、うなされていた」
そっとシアが、ハンカチでユーリの額を拭ってくれる。するりと肌を滑る心地よい感触に、ユーリは目を細め、そして眉を寄せた。
「大丈夫。ちょっと、悪い夢を見てただけだから」
「そうか」
ほっと顔を緩ませるシアの前で、ユーリは身を起こす。シアの部屋の、ベッドに寝かされていたようだった。少し鼻を動かせば、シアの残り香を感じることができた。
「……手当は、シアがしてくれたの?」
両手を見つめ、ユーリは言う。指に、包帯が巻かれていた。
「城の者は、まだ本調子ではないのでな。どこか、おかしいところでも、あったのか?」
ユーリは、首を横へ振る。
「ううん。包帯もフリフリだから……シアって、本当にひらひらが好きなんだね」
「……ほかに、お前の喜びそうな布が無かっただけだ」
照れているのか、ばつの悪そうな顔になってシアが言ってユーリの手を包むように握った。
「ほえ……?」
首を傾げるユーリに、シアが顔を近づけてくる。ちゅっと、軽い小鳥の啄みのようなキスを交わした。
「……デートの日の、続きだ」
「シア……」
「お前が余の目の前でいなくなってから、お前のことを考えない日は無かった。お前のいない世界は酷く味気なく、重く暗いものだった。ユーリ、余にとってお前は、他の何にも代えられぬ、かけがえのない存在だ。余は、もうお前と離れたくはない。ずっと、一緒にいてくれ、ユーリ」
すがるような、熱く潤んだ瞳でシアが言う。見つめてくるルビーレッドの双眸に、包帯越しに握りしめる指の熱に、ユーリの心はぐらりと傾ぐ。
「シア……」
シーツの上を滑り、ベッドを降りる。ユーリの動きに、シアは合わせてくれる。立ち上がり、ユーリは無言のままシアを抱き締めた。
「ユーリ、もう、離さない」
首筋に、シアの柔らかな髪が触れる。胸もとから聞こえてくるくぐもった声は、ユーリの心臓に心地よい振動を与える。ずっと、こうしていたい。そんな気持ちが、ユーリに兆した。
「シア……聞いてくれる?」
そっと、シアの肩を押してユーリは言った。
「ユーリ……?」
ふっとシアの腕の力が緩められ、ユーリは僅かに身を離す。怪訝そうな表情になるシアの前で、ユーリは深く、大きく息を吸う。
「ごめんなさい! 私、シアとは一緒になれないの! あのね、私ずっと旅をしていて、異世界にまで旅しちゃって気づいたの! 知らない風景を見るのが、楽しいの! 人の性格とかも地方によって違うのが、面白いの! だから私、旅をやめたくないの! でも、シアと一緒になったらもう旅が出来なくなっちゃうから、一緒にはいられない! だってシアには、大切な部下さんたちがいるもの! 私一人のために、部下さんたちみんなを放り出したらダメだから! あなたは、魔を統べる王なんだから、みんなをきちんと導いてあげてね! 私のことは忘れて、もっとちゃんとした人を好きになって! あ、これ異世界のお土産っ! 贈ってくれた人はイイ人だから、大事にしてね! それじゃ私はもう行くから!」
早口で、一気にまくしたててユーリは窓へ寄り、打ち破る勢いで外へと飛び出した。ぽん、とシアへ向けて投げ渡した小箱が、シアの手の中へと落ちるだけの僅かな時間で、ユーリは外壁を蹴って宙へと身を躍らせる。懐から取り出したマントを身に着け、下から突き上げてくる空気を捉まえる。ふわり、と夜明けの空へ浮かび上がったユーリの身体は、高く、高く舞い上がってゆく。
「……さよなら、シア」
後ろを振り返らずに漏らしたユーリの小さな呟きは、風の唸りの中へと消える。暗雲渦巻く魔王城が遠ざかり、シアの気配もまた遠くなってゆくのを感じた。
「シャイナの、ところへ……」
目も眩む雷光の隣を、ユーリはひたすらに飛び続けるのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次回、最終話前編となります。どうぞお楽しみに。
今回もお楽しみいただけましたら、幸いです。




