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旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
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後へは戻れぬエトランゼ 後編

 座り心地の良いソファに、室内をくまなく灯す照明具。ふわりと毛並みの良い絨毯が敷かれ、室温は快適でほどよい湿度が保たれている。これだけならば、良い気候に恵まれた、豪奢な応接間なのだろう、という理由で納得は出来る。だが、周囲の物品のどれにも魔力の気配を感じないことに、ユーリは驚愕のあまり口をぽかんと開けてしまっていた。

「コーヒーしかないけれど、いいわよね?」

 かけられた女性の声に、ユーリは顔を向ける。茶色で波打つ艶やかな髪を持つ女性が、奇妙な器具を持ち上げる。ぐつぐつと煮立った湯が、カップに注がれてゆく。魔力はおろか、火を使った形跡すら無い。そんな事実に唖然となるユーリの前に、湯気の立つカップが置かれた。香ばしい、コーヒーの香りが漂った。

「ほえ……ありがとう、ございます」

 小さく頭を下げ、ユーリはカップに口をつけた。薄味だが、飲めないほどではない。一口すすり、カップを置いたユーリに女性が首を傾げる。

「あ、ブラックで良かった? 牛乳と砂糖なら、あるけれど」

 言いながら女性が、縦長のクロゼットのような箱の上部をぱかりと開く。取り出された文字の書かれた小さな箱を見て、ユーリは首を横へ振った。

「いえ、お、お構いなく……」

 不思議なものを見せつけられて硬直するユーリの態度を、女性は気にするふうもなく自分のカップに湯を注いで謎の箱から液体をどばどばと注ぐ。くん、と鼻を動かしてみると、どうやらそれは牛乳のようだった。

「それじゃ、適当に寛いでて頂戴ね。」

 綺麗な四角い砂糖の塊を二、三個ほどカップにぶち込みステアしながら、女性がソファへと腰を下ろす。ユーリの対面に置かれたソファで、足を組みながらカップ片手に見つめるのはユーリの隣、絨毯の上に正座をさせられているイチタローである。

「……それで、イチ? 詳しい話、聞かせてもらえるかしら? 彼女いない歴イコール年齢を更新し続けるあんたが、夜遅くに可愛い女の子拾って帰って来るという犯行に至った理由、動機、その他諸々全部」

「犯行って姉ちゃん、酷いよ。これには事情があって……話すと、長くなるんだけど、いい?」

「簡潔に三行でまとめなさい。そんでもって自首しなさい」

「犯罪者確定!? いや、本当に違うんだ! 姉ちゃん、俺、異世界転生ってやつをしたんだよ! この子とは、その時に出会ってなんやかんやで色々あって、一緒にこっちの世界に戻ってきちゃったんだ! 知らない世界に放り出されて行く当てもない辛さは俺も噛みしめてるから、何とかしてあげられないかなって思ってとりあえず家に連れて来たんだよ!」

 一息で、早口にイチタローが冒険談を語る。聞き終えた女性は眼を閉じて、肩を落としつつ息を吐いた。

「……イチ、あんた頭大丈夫? 姉ちゃんの知り合いに、アタマ専門のお医者さんいるから、ちょっと診断受けてみる? 大丈夫、最近結構多いから、そういう症状って」

「信じて貰えないかも知れないけど、本当なんだよ! ね、ユーリちゃん!?」

 冷たい反応に、イチタローがユーリを仰ぎ見るようにぐりんと首を動かした。物凄く、必死な表情である。こくん、とユーリはうなずき、女性へ顔を向けた。

「ほえ。お姉さん、この人の言ってることは、本当です。信じて貰えないかも知れないけど、確かにこの人は、魔王城で私の大事な人の胸に魔剣を突き立てて、俺は闇の魔将だー、とか狂気じみたこと言いながら私に斬りかかってきました。危険に思ったので、召喚元の世界へ送り返すアイテム使ったんですけど……あ、これに斬られた跡があるんですけど、見ます?」

 ユーリは立ち上がり、女性の前にマントを拡げて見せた。長旅にくたびれてはいたものの、それはユーリのお気に入りのものだった。あちこちが破れて、今では無残な布になってしまっている。

「ちょっと待って、ストップ! プレイバック! どうしてそんな痛いとこピックアップするの!? 俺とユーリちゃんは、異世界に放り出された仲間同士でしょ!? そこで助け合ってイロイロ何かが生まれていってって、そういう話でしょう!? あ、姉ちゃんその視線痛い! クズ見る目を向けないで! せめてあと十年若返って……んが!」

 叫び出すイチタローに、女性が中身を干したコーヒーカップを投げつける。額にクリーンヒットを受けて倒れるイチタローには眼もくれず、女性がユーリの両肩へぽんと手を置いた。

「事情はよく解らないけれど、うちの愚弟が迷惑をかけたんだね。本当に、ごめんなさい!」

 それは真摯な、謝罪の言葉だった。ユーリは静かに、首を横へ振る。

「いいえ……お姉さんは、悪くありません。弟さんは、もういい大人なんですし、自分の罪は自分で背負ってくべきだと思いますから」

 ユーリの言葉に、女性の顔がぱっと明るくなる。

「そう言ってくれるの。ありがとう、あんた、いい子ね」

 感極まった女性に、ユーリは抱き寄せられる。柔らかな肌触りとほんのり温かな体温が、ユーリの頬を優しく撫でた。

「ほえ、お、お姉さん?」

 戸惑った声を上げるユーリの後ろ頭を、女性の手がぽんと撫でる。

「お姉さん、だなんて呼ばないで。あたしは、本村美智香。美智香って、呼んで頂戴」

「はい、ミチカさん。私は、ユーリです。吟遊詩人として、旅をしてます」

「吟遊詩人?」

 頭にハテナマークをつけて小首を傾げるミチカに、身を離してユーリは背中のリュートを取り出して見せる。爪弾けば、ほろろんと軽やかな音色が響いた。

「音を奏でて歌い上げ、人を楽しく幸せにするんですー」

 節をつけて歌えば、ミチカの顔が綻んだ。

「なるほど、ミュージシャンっていうやつね。素敵なことね、ユーリちゃん。でも、今は夜も遅いから、静かにしておいてね?」

「ほえ、わかりました」

 注意を受けて、肩を落としてリュートを仕舞う。そんなユーリの頭を、ミチカが優しく撫でた。

「ねえ、ユーリちゃん。さっきの話なんだけれど……行くとこ無いなら、しばらくウチに泊まって行かない? 愚弟が居るのが嫌なら、追い出しちゃうから、ね、どうかしら?」

 唐突に齎された提案に、ユーリはきょとんと首を傾げた。

「ほえ、いいんですか?」

「もちろんよ。音楽に、国境は無いって言うじゃない。あ、これ、友達の受け売りなんだけれどね。困った人がいたら、助けるのは当たり前だし。ユーリちゃん、悪い子には見えないし。で、愚弟、どうする? 追い出しておこうか?」

 笑顔で言い切るミチカに、ユーリは首を横へ振る。

「ほえ、一応気の毒なので、そのままで大丈夫です」

 コーヒーカップの一撃に未だ床へ伸びたままのイチタローにちらと眼をやり、ユーリは言ったのであった。


 元の世界への帰還方法を探りつつ、ユーリは本村家の世話になることとなった。シアや、魔王城の奥へと乗り込んでいった両親のことは気にはなったが、それを知る術は今のユーリには無い。なので、ひとまず頭の隅へと追いやることにしたのである。

 じっくりと観察をしてみれば、異世界というのは驚愕の連続だった。魔法や体術の発達した世界と比べてみれば、どちらが優れている、と軍配を上げることは出来ない。だが、便利さ、快適さを追求すれば、その差は歴然となってしまうのだ。

 まず、蛇口を捻れば水が出る。だけではなく、レバーの切り替えでそれはぬるめのお湯にもなるのだ。無論、魔力を欠片も使わずに。仕組みを尋ねてみたが、ミチカによれば深く考えれば負け、とのことらしい。あったかいシャワーで身を清められながら、そんなものか、とユーリはうなずく。艶やかで滑らかな髪質のための何とかエキスの入った良いシャンプーで髪を洗われ、ユーリは目を細める。

「へえ、ユーリちゃん、珍しい耳の形、しているのね」

 髪を洗われれば当然、隠していた耳がひょこりと飛び出す。

「ほえ、くすぐったいから、あんまり触らないでください、ミチカさん」

「ん。ごめんね。ちょっと珍しかったから……外人さんって、やっぱり色々違うものね」

 そんなことを言いながらも、ミチカはユーリに風呂の使い方を次々と教えてくれた。

 風呂上りには艶やかなピンク色のユーリの髪に、熱風の出る短い筒を使ってもらう。身体に巻いたタオルの肌触りのよさに感動していたユーリは、いきなりやってきた熱風にひゃっと声を上げてしまった。

「ドライヤーって、いう道具よ。髪を乾かす時とか、あとはお料理に使ったりもするわね。熱風と温風、切り替えができるわ」

「ほえ……」

 呆けたように声を漏らし、ユーリが見つめるのは洗面台の鏡である。

「……ミチカさんのお家って、すっごい貴族の人の家だったりするんですか?」

 茶色い頭にタオルを巻いたミチカに、訊いてみる。

「貴族? ううん、ウチは、超ド健全な庶民よ。一般ぴーぽー、っていうやつよ」

「一般……ぴーぽー」

 ふわふわに乾いた髪を、ミチカが手早く結い上げてくれる。

「ほえ、ありがとうございます」

 笑顔で頭を下げるユーリに、ミチカが照れ臭そうに右手を振って見せた。

「いいっていいって。ドライヤーの使い方、覚えたでしょ? 次からは、自分でやって頂戴ね」

 言いながらミチカが寄越してくるのは、ゆったりとした衣服である。

「ほえ、これは?」

「スウェットの上下よ。ユーリちゃん細いから、ちょっとぶかぶかかも知れないけれど……って、そういえばユーリちゃん、下着、持っていないわよね……」

 手早く下着を身に着けながら、ミチカが眉を寄せる。

「着て来たのがありますから、大丈夫ですけど」

 ユーリは視線を動かし、脱いだ衣服を探す。ピンク色の脱衣カゴに置いておいたはずの衣服が、いつの間にか無くなっていた。

「あ、ごめん。ユーリちゃんの服、洗濯機に入れちゃった」

 あっけらかんと告げるミチカの横で、丸い窓のついた箱のようなものがゴウンゴウンと音を立てている。バシャリと水音も聞こえてくるところから推測するに、どうやら内部では洗濯が行われているようだった。

「ほええ……」

 手を使わずに自動で洗濯をする箱を見つめ、ユーリは顔を青くする。ユーリの服の懐の中には、ぬいぐるみや替えの下着などが収納されているのだ。今それは、摩訶不思議な仕掛けの中で水浸しになっている。

「一応それ、スーツとかも洗えるやつだし、乾燥もついてるけれど。今、着るのが無いわよね……あたしのを、とりあえず使う?」

 ユーリの返事も聞かず、ミチカがどすどすと下着姿で歩いてゆく。居間を通って自室へと行ったのだろう。居間にはイチタローの気配もあったが、ミチカは気にしていない様子であった。

「はい、これ。たぶん、サイズ合わないと思うけれど、着けてないよりマシよね?」

 こくんとうなずいたユーリであったが、予測通り上も下も余裕のあり過ぎる代物だった。それでも、無いよりはマシなので身に着ける。スウェット、とかいうものも、身体はぶかぶかで手足は逆に少し足りない。

「ほえ……」

 情けない顔で、ユーリは鳴き声を上げる。

「……明日、服と下着、買いに行こっか」

 済まなさそうな顔で頭を撫でてくるミチカに、ユーリは小さくうなずくのであった。


 その日の夜、衝撃を感じてユーリは目を覚ました。寝ぼけまなこを擦って見れば、ベッドの上ではミチカが足を拡げて大口を開け眠っている。一緒のベッドに入っていたのだが、どうやら蹴り落されてしまったらしい。柔らかな絨毯の上に落とされたのは、不幸中の幸いであった。

「ほえ、ミチカさん。風邪ひくよ……」

 ふんわりと柔らかく分厚い布団を、ミチカの上に掛けなおす。夜の闇の中で、ユーリの目はすっかりと覚めてしまっていた。

「蹴り落されるまで気づかないなんて……感覚、鈍ってるのかな?」

 ぶかぶかの寝間着姿を見下ろして、ユーリが呟く。慣れない体験や、珍奇な道具の数々を目にしたおかげで、疲れが溜まってしまっていたのかも知れない。大きく伸びをしたユーリは、部屋の窓際へと寄った。

「月……出てる」

 身を起こし、気配と足音を消してユーリはミチカの部屋を出る。向かいのイチタローの部屋からは、かすかに寝息が聞こえてくる。耳は、正常のようだ。足音を忍ばせ、洗濯機の魔の手から逃れたマントを羽織り玄関を出る。ドアに付いている鎖は外さずに、そして針金を使い施錠もする。そうしてユーリは、建物の外側へ出て壁を()()、屋上に出た。魔法は使いづらくとも、体術はきちんと使えるようだった。

 建物の屋上にある、丸い塔のような者の上に立ってユーリは夜空を見上げる。地上の灯りに遮られ、星は見えにくい。淀んだ空気が強く吹き付ける屋上で、大きく双眸が見開かれた。

「知らないお月様だ……」

 ユーリの目に映る月は、でこぼことした表面に模様のような影を浮かばせている。それは、ユーリの見慣れた月も同じだ。だが、形が決定的に違う。その月の表面には、カニのような影があるのだ。

「ほえ……ミノタウロス座も、竪琴座も、南の三連十字もない……」

 微かに煌く星々の輝きも、ユーリの知るそれでは無い。

「やっぱり本当に、異世界に来ちゃったんだね……」

 膝を抱えて座り、ユーリは呟く。見たことも無い道具や、知らない文字のある世界だった。だがそれでも、遠く異世界にまでやってきたとは、信じたくはなかった。なぜか言葉は、通じるのだ。もしかすると、大陸が違うだけで、ユーリのいた場所と地続きであってくれるかもしれない。そんな望みは、月の見せる模様の違いで完全に断たれてしまった。

「ほえ……シア、パパ、ママ、シャイナ……」

 もしかすると、もう二度と会えないかも知れない大切な人のことを、ユーリは呟いてゆく。最後に見たシアの、鮮やかなルビーレッドの瞳を想えば、涙がこみ上げてくる。

 俯いたユーリの顔が、弾かれたように前方へと向けられた。暗い夜空に、浮かぶ何かを見つけてユーリは目を凝らす。ばさり、と羽根を鳴らして近づいてきたのは、一羽の鴉であった。

「ほえ……?」

 首を傾げるユーリのごく近く、手を伸ばせば届くほどの距離に鴉は着地する。黒々としたつぶらな瞳が、ユーリを覗き込んで首を傾げる。

「こっちの世界の鴉って……夜も飛ぶんだね」

 鴉に合わせて首を傾げ、ユーリは呟く。

「それに、足も三本あるみたい……やっぱり、ここは異世界なんだね」

 元の世界との違和をまざまざと見せつけられるようで、ユーリは再び視線を落とす。そこへ、ひょこひょこと鴉が歩み寄ってきた。

「ほえ、慰めてくれてるの?」

 すりすりと、鴉がユーリの足首へ身を擦り付けてくる。そっと手を伸ばせば、今度は指に嘴や頬を擦りつけてきた。その行為に害意は感じられず、ユーリはそのまま鴉の慰撫を受け入れた。

「ありがと……異世界の鴉さん。そうだよね、諦めたら、ダメだよね」

 微笑んでうなずくユーリに、鴉がひと声鳴いて見せた。それから鴉が、くるりと背中を向けて羽根を広げる。現れた時と同じくらいの唐突さで、鴉は夜空へと舞い上がる。その気配が、ぷつりと消えた。

「鴉さん? ほえ……完全に、見えなくなっちゃった。気配も追えないなんて……凄い」

 目を真ん丸にして、ユーリは夜空を見つめ続ける。だが、鴉の影も、気配の残滓も何も残ってはいなかった。しばらく身じろぎもせずにいると、ぶかぶかの寝間着から寒風が差し込んできた。

「……そろそろ、戻ろっかな。ミチカさんのベッド、あったかかったし。今度は、蹴飛ばされないようにしなくっちゃね」

 勢いをつけて立ち上がり、再び壁面を歩いてユーリはミチカたちの家へと戻る。異世界の月は、そんなユーリを優しく照らしてくれているようだった。



 遠く、山の上にある神社の上空から、一羽の鴉が舞い降りる。境内にいる巫女服の少女が、その羽音に気付き右手を伸ばした。

「こんな夜中に、どうしたの、八咫烏? 何か、変なものでも見つけたの?」

 囁くような少女の声に応じるように、三本足の鴉は少女の腕に止まった。

「不思議な霊気の残り香が、感じられる……聖なるものと、闇のもの……? 一体、あなたは何を見つけたの?」

 少女の問いに、鴉は首を傾げ、羽根を広げる。

「あなたにも、判らないものなの? ふうん……」

 小さく息を吐き、少女は鴉のやってきた方角を見つめる。

「厄介ごとが、起きるかも知れないわね」

 苦く呟く少女の声は、闇の中へと溶けていった。


 なお、その夜のユーリはミチカに密着することにより蹴飛ばされずぐっすりと朝まで眠った。そして向かいの部屋ではイチタローが、日本と異世界を天秤にかける夢を見ていたのであるがそれはユーリの知らないことなのであった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

お楽しみいただけましたら、幸いです。

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