遥かなる旅路 前編
今回も、やっぱり長めです。お茶菓子などをご用意して、お読みください。
険しい顔をした冒険者たちが、街の外へ通じる門の方角へと駆けてゆく。安宿の一室の、開け放たれた窓から眼鏡をかけた女性がそれを見下ろしていた。女性の後ろ、部屋の机には地図が置かれていて、黒いフルプレートの甲冑と美しいエルフの少女がそれを覗き込んでいる。
キャラバンとは、行商の旅をする一団である。通ってきた道程、地形、かかる時間をもとに地図は作られてゆく。それは、大魔術師などの作る地図よりは劣るものの、大陸有数の精巧な地図となっているのである。
「ここから……北西に山越え谷越え湖越えて、さらにずーっと行ったら……魔王城、だね」
少女の指が街の地点から、すっと地図上を移動する。とんとん、と叩くのは、はるか北西の城塞都市を越えた未知の地点だった。
「ふむ。それで、たぶん恐らく間違いない。魔王様は、そこへ連れ去られたのだろう」
フルプレートから、低い声が漏れてくる。
「うん。間違いないね」
真剣な顔をして、少女がうなずいた。
「……もともと、魔王様のお城でしょう。あなた、転移とかできないの?」
女性が、フルプレートに問いかける。
「うむ。俺は、そっち方面はとんと苦手でな。城から、妨害されておるために、転移はできん」
がしゃり、と胸を張ってフルプレートが答えた。
「威張ることじゃ、ないのじゃないかしら」
呆れた視線を、女性はフルプレートに向けるのであった。
地図から顔を上げ、ユーリはシャイナと向かい合う。心配そうな顔を見せるシャイナに、ユーリは決然とした顔つきであった。
「シャイナ。事は、一刻を争う……かもしれない。だから、私、行くよ!」
羽根付き帽子に青いマント、そしてフリルとリボンをひらひらさせてユーリは言う。
「危険よ、ユーリ。冒険者ギルドに、何か連絡があったみたい。そちらからの情報を、待ってから動いたほうがいいわ」
言いながらシャイナが、窓外を指差した。仰々しい伝説のあるっぽい装備や、軽装備、剣に槍に杖などを持った冒険者たちが、次々と通り過ぎてゆく。行先は、恐らく西門だろう。だが、彼らの目指す方角は知れても、その目的までは判らない。
「ふん。方角さえつかめれば、人間どもの都合など関係ない。俺は俺で、勝手に行かせてもらう!」
ガシャンガシャンと音立てて、奇妙に捻じ曲がった剣を背負ったフルプレート、魔将軍ギーザは部屋を出てゆく。まもなく窓外に、冒険者たちに混じった全身鎧の姿が通り過ぎていった。
「ほえ、行っちゃった……それで、シャイナ。いつまで待てばいいの? 私も、出来れば早く出発したいけど」
ユーリの問いに、シャイナは腕組みをしたまま暫時俯いた。
「そうね……さっき、使いを出したばかりだから……一時間、くらいかしら?」
「うん、わかった。それなら、ちょっと準備しとくね」
シャイナの答えにユーリはうなずいて、ひらひらの服の懐に手を入れる。取り出したものを、次々とベッドに並べてゆく。小さな刃物や竹の筒、黒い球体などが無数に並んでゆく様を、シャイナがぽかんと口を開けて見つめていた。
「本当に……どこに入っているのよ、それ」
「ほえ、懐だよ。これでも、最低限の数の道具なんだけど」
言いながら、ユーリはひとつひとつの怪しげな道具をチェックして、懐に仕舞い直してゆく。膨大な数の道具を仕舞い終えたユーリの手が、小さなコウモリのぬいぐるみの前で止まる。お腹を押すと、キューと鳴くそれは、シアに贈られたものだった。
「シア……」
キュー、とコウモリを鳴かせながら、ユーリはぬいぐるみを強く握る。
「待っててね。絶対、助けに行くから……!」
決然と言って、ユーリは大事そうにコウモリを懐へ仕舞いこんだ。
「その様子だと……魔王様とのデート、上手くいったのね」
不意に、シャイナが聞いてくる。
「うん。シアのこと、私、好きだよ。もう、迷わない。決心、着いちゃった」
シャイナを見返して、ユーリはきっぱりと言い切った。
「そう……それなら、ちゃんと取り戻して来なきゃ、いけないわね」
言ってシャイナが、力強いうなずきを返す。
「ありがと、シャイナ。シャイナが、背中押してくれたから、気づけたんだよ」
「ユーリ……今のあなた、とっても良い顔よ。魔王様が、きっと惚れ直しちゃうくらいに」
「ほえ、そうかな?」
少し照れた顔で、ユーリは小首を傾ける。
「もちろんよ。恋をしているあなたは、本当に素敵なのだから」
笑顔のシャイナに、ユーリも笑顔を見せる。そうしているうちに、部屋のドアがノックされた。
「姐さん、行ってきました!」
入ってきたのは、伝令に出したキャラバンの青年だった。
「それで、冒険者ギルドは何て? どうして、冒険者が動いているの?」
矢継ぎ早に、シャイナが問いを発する。大きく息を吸いこんだ伝令の青年が、答えを口にする。
「城塞都市から、救援の通信が入ったそうです。魔物の暴走、スタンピードに晒されたようで、各地の冒険者が、溢れかえる魔物に対抗するために集められています」
青年の言葉に、シャイナが息を呑んだ。
「何てこと……もしかして、その、スタンピードの発生源は」
「魔王城の、あると言われている方角からのようです」
打てば響く、といった調子で返ってきた言葉に、シャイナの顔色がさっと青ざめた。
「魔物が向かってきてるの? 魔王軍の侵攻じゃなくて?」
押し黙ったシャイナの代わりに、ユーリが落ち着いた声音で問いかける。青年は、首を横へ振った。
「……詳細はわからないようですが、まとまって秩序のある侵攻ではないようで……魔物の強さもまちまちのようで、集められる冒険者のランクも、手あたり次第、といったところですね」
「ほえ、わかった。ありがとね」
青年に礼を言って、ユーリは窓へと身体を向ける。
「ユーリ。魔王様の所は、危険すぎるかも知れないわ」
シャイナの声に、ユーリは振り返らずに首を振る。
「でも、行かなくちゃ! きっと、シアをさらったあの子が、引き起こしてることだから」
窓枠に、ユーリは片足をかける。
「ユーリ!」
引き留めるシャイナの声を振り切るように、ユーリは窓から外へと身を躍らせる。空中で、リボンがはたはたと揺れる。
「シャイナ、もし私が魔物を止められなかったら、逃げてね!」
背後に向けて叫びを置いて、ユーリは足を動かす。宿の壁を蹴り、疾風となって街の門を目掛けて屋根を駆けてゆく。
「ユーリ! 気をつけるのよ! 私も、出来る限り援護するから……」
背後で小さくなって消える声援に、ユーリは親指を立てて掲げた。
暗雲が、雷鳴を伴い垂れ込めている。高くそびえ立つ魔王城の頂上、魔王の私室に稲光が射した。照らし出されるのは、逆さ十字に磔にされた、美しい少年の姿である。
「ユー、リ……」
青い顔で、愛しい者の名を呟くのはシアであった。燕尾服の胸部から腹部にかけて、裂かれた布地の隙間から青白い肌が見えている。チロルの大鎌によって貫かれた傷口は、すでに塞がっているようだった。
「大した生命力ですわね、シア様。さすが、名実ともに魔王として君臨してきた方だけのことは、ありますわ」
逆さになったシアの側に、黒いゴシックロリータのドレスの裾が翻る。
「チロル……貴様……」
「あらあら。まだ、お元気そうですわね、シア様。じっくりと、取りこぼしのないように丁寧に、魔力を抜いて差し上げているというのに」
黒い縦巻ロールを揺らしながら、ドレス姿の幼女、チロルが嗤う。ぎり、と歯噛みするシアであったが、体中から魔力を搾り取られ、凄まじい脱力感に襲われ表情が抜け落ちる。
「何故、余に、このような真似を……」
全力で口を動かし、やっとそれだけを言う。そんなシアの様子を、チロルはさも可笑しげに口元へ右手を当てて眺める。
「もちろん、シア様の魔力を、根こそぎ戴いて、私が新たな魔王となるためですわ、シア様。魔界では、魔力の強さこそが正義。私のしていることは、正当な踏襲行為ですのよ」
可愛らしい幼女の顔が、愉悦に歪む。シアの位置からそれは見えないが、気配でシアは邪悪な笑みを察していた。
「……お前は、最早、チロルでは、無い、な。小悪魔、の、発する、魔力では、無い……」
言い切って、長い息を吐くシアの上でチロルはふんと鼻を鳴らす。
「そのような形になられましても、頭のお働きは宜しいようですわね。ますます、欲しくなりますわ。あなたの、全てを。ですが……枯れて朽ちゆくものに、自分を語る趣味はございませんの。御免遊ばせ」
おほほ、とチロルは声高く笑い、シアを見下す。くるり、とシアの目の前で、長いスカートが優雅に弧を描いた。
「そうそう。あなたの、愛しのユーリさん、ですけれど……」
こつん、とドレスの裾からのぞくぺたんこ靴が止まる。
「……ユーリが、どうした」
平静を装いつつも、シアの頬を汗が流れ落ちる。逆さでいるために、実際には汗は流れ上がっているのだが、そんなことはどうでも良かった。
「ここへ、向かっているようですわ。だから、丁寧にお迎えして差し上げますの。まずは小手調べに、暴走した魔物の皆さんで、手厚くおもてなしを、いたしますわ」
鈴を転がすような声で、チロルは声高く笑いながら優雅に立ち去ってゆく。魔力を抜き取られ続けているシアには、黙って見送るしか手段は無い。
「……ユーリ……来ては、ならぬ……」
掠れた声を、聞いているものはもはや、窓際に置かれた鉢植えの魔物のみであった。
馬車や馬を走らせる冒険者の群れをごぼう抜きにして、ユーリは走り続ける。普段より、二割くらいは増したスピードである。それは、恋の為せる技であった。山が、谷が、瞬く間に立ち現れ、後ろへと過ぎ去ってゆく。時を司る神でさえ、その速度には瞠目するかもしれない。それほどの速度で、ユーリは北西へとただ一直線に向かってゆく。やがてユーリの行く先へ、城塞都市の高い壁が現れた。
城塞都市を見つけたユーリは、足を緩める。白いはずの石壁が、黒く蠢くもので埋め尽くされていた。
「ほえ……魔物だ!」
遠く点にしか見えないほどの距離にある石壁に向かい、ユーリは叫んだ。同時に懐へ右手を入れて、先ほどよりもさらに速い駆け足で街道を駆け抜ける。
「ほえええいっ!」
ぐんぐんと大きく迫る石壁へ、懐の中の刃物を投擲する。張り付くように登攀する魔物の合間を縫って、刃物は石壁の継ぎ目へと突き刺さる。刃物の柄を足掛かりに、ユーリは城壁を一気に駆け上がる。壁をそのまま垂直に駆け上がることもできたが、このほうが速いのだ。
石壁の上、狭間を越えて降り立ったユーリに、周囲の兵士たちはどよめいた。すわ、魔物がついに壁を乗り越えてきてしまったのか。そんな騒ぎの中、着地の姿勢からユーリは背中のリュートを抜いて、身体の前に構える。ほろほろ、と素早く指で爪弾くのは、陽気で過激なメロディである。たちまちに、石壁の外側で魔物の悲鳴が上がった。
音の届く範囲で、張り付いていた魔物たちが両耳を押さえて身をのけ反らせる。垂直の壁にしがみついた状態でそんなことをすれば、当然待っているのは墜落である。本能のままに動く魔物たちは、ユーリの奏でる音に対して有効な手段を取り得ず、ぼろぼろと剥がれ落ちてゆく。初めは呆然としていた兵士たちが加勢するように城壁の縁で槍や矢を放てば、ほどなく石壁から魔物たちは一掃されていった。
ほっと息を吐くユーリの長い耳に、陽気なギターの音色が聞こえてくる。見れば、石壁の通路を走ってくる影がふたつ、あった。
「今の、魔物避けの旋律か? すげえな、あんた!」
真っすぐに駆けてくる青年が、ギターをかき鳴らす。流れてくるメロディには、疲労回復の効果があるようだった。周りにいる肩で息をしている兵士たちの表情が、少し和らいでいる。
「ほえ、あなたの旋律も、いいね。元気出てくるよ!」
ブルーのマントを身に纏い、軽薄な表情を見せる青年吟遊詩人を見て、ユーリはかすかに既視感を覚えた。
「いい音色だ。あのちびっ子のより、ずっといいかもな……っと、気にしないでくれ。俺はリチャード。見ての通り、吟遊詩人だ。そんでもって、あっちにいるのが……」
リチャードの指さすほうへ、ユーリは目をやった。腕の折れた兵士に、灰色のコートを着た男が歩み寄る。そこへ、空からドラゴンが突っ込んできた。魔物避けの旋律をかいくぐった、最後の一体なのだろう。危ない、と身を乗り出すユーリの目の前で、コートの男が腰から木剣を抜く。
男が何をしたのか、ユーリの目をもってしても見抜くことは出来なかった。それほどの早業が繰り出され、気づけばドラゴンは見えない壁にぶち当たったかのように墜落してゆく。あんぐりと、ユーリは口を開けて男を見つめた。彼にも、妙な既視感があった。
男が木剣を納めると同時に、怪我をした兵士のもとに女性の治療術師が駆け寄り、治癒を施す。なぜか男は、そんな女性に嫉妬のような眼差しを向けていた。
「ジェイ。俺の相棒で、無双の剣客だ」
とってもいい笑顔でリチャードが言い、直後にジェイから飛び膝蹴りを受けて吹き飛んだ。石壁の端を掴み、何とか堪えたようだった。
「誰が、剣客だ! 俺は、治療術師! ヒーラーだ!」
「あはは」
楽しげな二人のコンビに、ユーリは声を上げて笑う。ジェイが、ユーリに目を向けて訝しげな顔を見せる。
「……どこかで、会ったか?」
首を傾げるジェイに、ユーリは首を横へ振る。
「たぶん、初めましてだと思うけど……私は、ユーリ。私も、吟遊詩人だよ」
助けてくれ、と悲鳴を上げるリチャードを引っ張り上げながら、ユーリは名乗った。
「ユーリ……? それに、その、リュート……いや、いくらなんでも、違い過ぎる、か……」
ユーリを見つめ、挙動不審な言動をするジェイの頭をリチャードが後ろから勢いよく叩く。
「こら、ジェイ! レディに向かって、失礼だろう! ったく、古いナンパか、お前は」
ジェイの頭をぐりぐりやりながら、リチャードが爽やかな笑みを向けてくる。
「改めて、ユーリちゃん。同じ吟遊詩人同士、仲良くやろうぜ! スタンピードで、大変だけどな」
銀色に輝くギターを掲げ、リチャードが言った。
「ほえ、そういえば、スタンピードの最中だったね。城塞都市は、大丈夫?」
問いかけるユーリに、リチャードがジェイの首を抱え込んでうなずく。
「俺とジェイがいるんだから、問題無いぜ……って、言いたいけどな。魔物がひっきりなしに押し寄せてくるもんだから、さっきまで実は結構やばかったんだ。ユーリちゃんのお陰で、余裕が出来たのが現状。だけど、元を絶たないと、どうやらダメっぽいな」
それまでの軽さが鳴りを潜め、リチャードの真剣な眼差しが石壁の北西を見る。疾駆して向かい来る魔物の大群の、赤い瞳と土煙が迫っていた。
「ほえ……いっぱい来るみたいだね。元を絶つって、どうするの?」
「あの魔物たちは、魔王の魔力で暴走している。だから、それを抑えるには」
「発生源の魔王城に踏み込んで、魔王を倒す。これっきゃないでしょ」
ジェイに続いてのリチャードの宣言に、ユーリは素直にうなずくことは出来なかった。なんとなれば、ユーリの目的はその魔王を助けることなのだ。だがそのためには、スタンピードを乗り越えて魔王城にたどり着く必要がある。通り抜けて行くことは出来るが、そうすれば城塞都市、そしてその後ろにある小さな村や町などが、魔物に襲われてしまう。それは、ユーリの望むところではない。
「……わかった。私も、一緒に行くよ!」
わずかな逡巡の後に、ユーリは言った。今は、彼らの力を借りることが、大事だった。
「そうこなくっちゃ! んじゃ、行くぜ、ジェイ! ユーリちゃん!」
じゃん、とギターを鳴らし、リチャードが石壁の外側へと身を躍らせる。
「応っ!」
ジェイも、木剣を抜いて跳躍する。
「ほえっ!」
気の抜ける鳴き声とともに、ユーリも彼らに続いた。行く手に待ち受ける魔物の群れに、三人は怯むことなく駆け出した。
怒涛の勢いで迫る魔物の大群の前に、まず躍り出たのはジェイである。
「ユグドラシルよ、魔物を止め、斬り伏せる力を! はあああっ!」
灰色のコートが翻り、横なぎに一閃する木剣が青白い光を放つ。黒い狼のような魔物たちが、その一撃で大きく空へ打ち上げられる。威力は、抜群である。しかし、
「ちっ、数が多い!」
その一撃に、周囲の狼たちは怯まずジェイへと殺到してくる。剣を振り抜いた体勢で、ジェイが忌々しげに舌打ちをする。
「ジェイ、もう一回、もう一回!」
ギターの鋭い音色が、鳴り響く。それは、身体能力向上の呪歌である。眼前まで迫る魔物を前に、ジェイの身体がコマのように回転する。
「でぇいやあああっ!」
高速で振り抜かれた一撃は、先のものよりもいっそう鋭く放たれる。再び、大量の魔物が宙へと吹き飛んだ。
「もっと、もっと! いけるよね?」
リュートの音色が、ギターの呪歌に寄り添うように鳴り響く。明るく陽気なユーリの歌声が、さらにジェイに力を与える。
「ぬぅううああああ!」
ジェイの身体がブレて、すぱんと空気を打つ音を立てる。音を超えたジェイの無数の斬撃が、殺到する魔物たちを次々と斬り伏せ、打ち上げてゆく。
「そこだっ! それいけっ、ジェイ!」
勇壮な主旋律を奏でるリチャードが、ユーリにウインクを見せる。小さくうなずいて、ユーリも即興で裏の旋律を支える。
「がんばれ、ジェイ! もっともっともーっと、速くなれー!」
ジェイの身体が眩い光に包まれ、その動きはさらに速く、鋭くなってゆく。
「光輝く、無双の剣聖ジェイ!」
「魔物を蹴散らせ、無双の剣聖ジェーイ!」
もはや常人の目には捉えられない程の速度で、ジェイは魔物たちを殲滅してゆく。そして、演奏する二人の吟遊詩人の頭に拳骨が落ちた。
「俺は、ヒーラーだ!」
「あ、ハイ……」
「ほえ、ごめんなさい」
肩で呼吸を整え、涙目になって訴えるジェイにリチャードとユーリはばつの悪い顔で謝罪した。身体強化された拳骨は、とても痛かった。リチャードもユーリも、目の端にちょっぴり涙を浮かべた。
「……狼は、あらかた蹴散らしたか」
黒い塵となって消えてゆく魔物を見やり、ジェイが呟く。
「ああ。次は、ちょいと大物が来るかもな」
それでも収まらぬ地響きに、リチャードが前方へ向けてギターを構える。
「もっと頑張らないとだね、ジェイ」
リュートを構え、ユーリが言った。木剣をぶら下げ前を向いたまま、ジェイが小さく息を吐く。
「……お前ら、手伝ってくれないのか?」
どこか哀愁を漂わせる声音で、ジェイが言う。
「だって俺ら、吟遊詩人だもん。な、ユーリちゃん?」
「だよねー。リチャード」
顔と楽器を見合わせて、ユーリとリチャードが首を傾け合う。
「……俺は、ヒーラーなんだが」
「ジェイ、ぼさっとするな! 次が来るぞ!」
小さなジェイの呟きは、リチャードの緊迫した声にかき消される。第二波としてやってくるのは、二足歩行の猪豚、オークの大群だ。
「ほええ、オークかぁ……んっ!」
ユーリの頭に、ぴん、と来るものがあった。近づいてくるのは、オークの足音だけではない。オークの巨体に隠れて、何かがこちらへ向かっていた。
「二人とも、気をつけて! オークの向こうに、何か別のがいるよ!」
ユーリの上げた声に二人がうなずき、顔を引き締める。
「ああ。だが、まずは! ユグドラシルよ、俺に力を!」
ジェイが、剣を構えて飛び出した。横へ振り抜く一撃が、数匹のオークを跳ね飛ばす。リチャードが新たな旋律を紡ぎ、ジェイに援護の力を飛ばす。
「くっ……重い! リチャード、力が必要だ! おおおりゃあああ!」
二匹のオークをまとめて吹き飛ばしながら、ジェイが叫ぶ。応えるように、リチャードの旋律が荒々しく、激しいリズムを刻み始めた。
「そんなら、この曲だ! 行くぜ、燃える力の剣聖、ジェイ!」
リチャードの叫んだ曲名に、ジェイがほんの一瞬、抗議の視線を向ける。だがすぐに、力強い動きでジェイはオークを屠ってゆく。
「燃えろー、剣聖、ジェーイ……ほえ?」
ユーリの長い耳が、ぴくりと動いた。迫りくるオークと、ジェイとリチャードに背中を向けてユーリは後ろへ身体を向ける。ユーリの大きな目が、まん丸に見開かれた。
「ジェイ、リチャード! うしろ……」
黒い、影のような巨馬に跨ったオーガが、ユーリの眼前に迫り手にした棍棒を掬い上げるように振り抜く。凄まじいパワーで打ち上げられ、ユーリの小柄な身体は空高く舞い上がる。呆然としたリチャードと剣を振るうジェイの姿が、瞬く間に遠ざかってゆく。
「ジェイ! リチャードおお!」
叫んでみるが、どうにもならない。放物線を描き、ユーリの身体は落ちてゆく。遠く遠く、魔王城の近くまでユーリは一人、飛ばされてしまった。打った瞬間にそれとわかる、特大級のホームランだった。
迫りくる地面にユーリは、爪先、くるぶし、膝と順に折り曲げて着地をする。背筋を衝撃が抜けてゆき、靴が地面を削って滑る。少しくらくらとしたが、それでもユーリは立ち上がった。
顔を上げてみれば、魔王城の大扉が見えた。大きく内側へ開かれた扉の中から、ぞろり、と魔物の大群が這い出てくる。
「ほえっ……」
おぞましいその姿に、ユーリは息を呑んだ。黒く、ぬらぬらとした肌に細身の骨格、コウモリのような翼を持つ存在。それは、魔界に棲むという下級の悪魔、いわゆるレッサーデーモンであった。
「おやおや、見よ、同胞よ。そこに、美しい娘が怯えておるぞ」
一体のレッサーデーモンが、立ちすくむユーリの前にやってきて言った。
「これは、これは……少々混じり物ではあるが、ハイエルフの娘のようだ」
ぞろぞろとやってきたデーモンたちが、ユーリの周りを取り囲む。おぞましい悪魔たちに囲まれて、ユーリはただただ身を震わせるばかりである。
「祭りを前に、我らに捧げられた贄であろうか?」
ユーリを囲い円を描くレッサーデーモン、その数は十二体。見る者に嫌悪感を与えるその容貌は、歪んだ笑みに彩られている。
「ほえ……ま、祭り?」
震える声で、ユーリは問う。
「そうとも。人間どもの血で行う、血祭りだ!」
一体のデーモンの言葉に、周囲のデーモンが大笑いする。ちょっとした魔界ジョークなのかも知れないが、ユーリにとっては笑えない。
素早く懐へ、ユーリは手を差し込んでありったけの火薬を投擲する。こうなれば、一点突破しか道は無い。そう判断したのだ。大量の爆薬の中に、速度を変えた刃物を二つ、投げつける。空中で刃物が打ち合わさり、火花を散らす。それが、導火線へと引火する。天高く火柱の建つほどの、凄まじい爆発が巻き起こった。
爆風に煽られながら、ユーリは爆炎の中へと進もうと身を屈め、そして、動きを止める。
「……なんだ、これは? こんなもので、我ら悪魔をどうにかできるとでも、思っているのか?」
炎と煙が晴れ、まったく無傷のデーモンが姿を見せる。
「あ、ああ……」
喉の奥から、震えた声が出る。
「何とも、矮小なものよな……ハハハ!」
ユーリを指差し、デーモンの一体が嗤う。
「所詮は、エルフどもの浅い猿知恵よ」
「我ら悪魔に、斯様なものが効くものか」
口々に、デーモンたちが蔑む言葉を投げかけてくる。
「手品は、それで終わりか?」
囃し立てる一体のデーモンが、長く歪な指先で己を指した。
「我らを退けたければ、神成る力、雷の魔法でも持ってくるのだな! もしくは、聖剣でもいいぞ?」
どちらも、今のユーリの手元には無いものだ。唇を噛みしめ、ユーリは目に涙を滲ませて俯く。
「そうか。そんなもので良いのか」
涼やかな、それでいて艶やかな声が、周囲に響いた。
「な、なんだ?」
「どこからだ?」
きょろきょろと、デーモンたちが首を動かす。その頭上から、突如雷光が降り注ぐ。
「ぐあああああ!」
一体のデーモンを残し、降り注いだ雷光はデーモンたちを瞬く間に塵へと変えてゆく。はっと、ユーリは顔を上げた。
暗雲の中、白く輝く細身の女性の姿が、くっきりと浮かんでいた。白くゆったりとした薄布を身に纏い、その肌は抜けるように白い。気の強そうな、凛然とした美しい顔と、長い耳。たゆたう金色の髪を持つその女性は、まごうこと無きハイエルフであった。
「な……」
呆然と声を漏らすデーモンの前に、空から女性がすうっと降り立って、対峙する。
「よくも、娘を泣かせてくれたものだ。お前には、苦痛に塗れた死をくれてやろう」
女性が、静かな口調でデーモンを指して言った。
「ば、馬鹿な……我らを、一瞬で」
「黙れ」
バチィ、と女性の指から雷光が放たれ、デーモンに直撃する。青白い光に包まれたデーモンは、全身を硬直させて倒れ伏した。ぴくん、ぴくんと身を震わせるデーモンの頭を蹴飛ばし、女性がユーリへと振り向く。
「久しいな、ユーリ」
大きく拡げられた両手の中へ、ユーリは飛び込んだ。
「ママ!」
ひしと抱きついたユーリを抱き締めて、女性はくるくると身を回す。
「大きくなったな、ユーリ。壮健なようで、何よりだ」
「ほえええん! ママ、怖かったよー!」
泣き声を上げるユーリを、ユーリの母親、ハイエルフのエルファンがよしよしする。魔王城の門前にあってなお、その光景は神々しくも微笑ましいものであった。足元で、苦痛の呻きを上げることさえできずにもがき苦しむデーモンがいなければ、完璧だったかも知れない。
郷里を離れて幾年月ぶりに、ユーリは母の胸の中で泣きじゃくるのであった。




