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旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
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青い海と貝殻の首飾り 後編

 切り立った崖を利用した、天然の船泊から船がゆっくりと動き出す。船べりに並んだ乗組員たちが、崖の上に立つ島民へと手を振って別れを告げる。

「それじゃあ元気でお達者でー、良い航海をー」

 リュートを奏でるユーリも、島民たちに混じって歌声を上げる。やがて船の帆が風をはらみ、次第に遠く、小さくなってゆく。島民たちが一人、また一人と去ってゆく中で、ユーリはセルバと共に船が見えなくなるまで見送った。

「……本当に、残るなんて。いいのか?」

 船が見えなくなり、中天にかかった太陽に目を細めながら、セルバがユーリを見て言った。ユーリは、セルバに貰った貝殻の首飾りを弄りながら、うん、とひとつうなずいた。

「ほえ。私が、決めたんだもん。ずっと側にいるって。だから、いいんだよ」

 眉根を寄せた幼い顔に、ユーリは殊更にっこりと微笑んで見せる。

「……ありがとう、ユーリ」

 神妙な顔のセルバの手を取って、ユーリは歩き出す。

「それじゃ、ご両親のお墓参りに行ってから帰ろっか。セルバの家は……どこだっけ?」

 手を繋ぎ、崖沿いの道を歩きながらユーリは聞いた。セルバはすぐには答えず、憂い顔を俯かせる。

「ほえ……セルバ?」

 問いかけに、顔を上げたセルバは苦い表情を浮かべる。

「俺の家は、村の中には無いんだ。海岸の、洞窟に住んでるんだ」

 セルバの答えに、ユーリは小首を傾げる。

「洞窟? どうしてそんな所に?」

 問うと、セルバはまた顔を俯かせる。

「俺は……まだ、村のために働けないから。一人前の男になって、漁に出られるようになるまでは、村に住まわせては貰えないんだ」

「そんな……ひどいよ」

 憤慨するユーリに、セルバは静かに首を横へ振る。

「いいんだ。俺自身、村の役に立たないのは本当だから。だから……ユーリにも、苦労をかけることになると思う。でも、決してひもじい思いだけは、させないから」

 そう言って、セルバはユーリの肩に手を回す。その手に自分の手を重ね、ユーリは目を閉じる。

「大丈夫。どんな苦労も、ふたりでなら乗り越えられるわ」

「ユーリ……でも、ふたりってわけじゃないんだけどな」

「そっか。ランちゃんも、いるもんね。まだ小さいけど」

 ユーリの言葉に、セルバは小さくうなずいた。

「ああ。あいつの為にも、もっと頑張らなくちゃな」

 うなずき合ったふたりの前に、断崖の墓石が現れる。足を止めて、ユーリはリュートを構えた。

「今日は、レクイエムと……それから、ちょっと明るいのでいこうか」

 ほろり、ほろりとユーリのリュートが鳴り、歌声が澄んだ青空に溶けてゆく。眼下に広がる海は、空の色を映して輝いていた。セルバとふたりきりで、ユーリは音を奏でてゆく。肩に回されたままのセルバの手の熱が、潮風に吹かれて心地よく流れてゆく。

「このーままー、時が、止まればいいのにー」

 バラードに乗せて、ユーリが口ずさむ。セルバの頬に、あるかなきかの微笑が浮かぶ。

「セルバー、笑ったー、笑えたねー」

「……お前の、おかげだよ、ユーリ」

 ユーリの耳元でセルバは囁き、頬に軽く口づけをする。ぴょいん、とリュートが変な音を鳴らし、一拍置いてセルバが大きく笑った。

「もう、セルバ!」

「あはははは、だって、変な音鳴らすんだから。笑っちまうよ」

 ぽかぽかと、ユーリがセルバを叩く。セルバは笑顔で、それを受け止めた。

「ふん、だ。もう、今日はおしまい!」

 顔を赤くしたユーリが、そっぽを向いてリュートを背中に仕舞う。

「あ……」

 残念そうな顔をするセルバに、ユーリはぱっと笑顔を作って見せた。

「また、明日も歌ってあげるから。それでいいでしょ?」

「……ああ。ありがとう、ユーリ。おかげで、久しぶりに笑えた」

 焼けた褐色の頬に、白い歯を見せてセルバが言った。ユーリはそんなセルバの腰に抱きついて、にへらと笑う。

「ほえ、そうやって笑ってるほうが、良い顔だよ、セルバ」

「あ、あんまりくっつくなよ、ユーリ。歩きにくいだろ」

 そう言いながらも、セルバはユーリと身体をくっつけたまま器用に歩いてゆく。墓を後にしたふたりは、そのままの体勢で村へと入った。セルバの住居である洞窟へ行くには、村を抜けてゆく必要があったのだ。

「……なんだか、やな気配だね」

 セルバにくっついたまま、ユーリが呟く。

「気配?」

 セルバの問いに、ユーリがうなずく。

「私に向けられてるのは、同情とか、そういうの。それからセルバには、なんだろ? 敵意、じゃなくて、軽蔑、とかかな? ひどい気配」

 ユーリの言葉を聞いて、セルバは重い息を吐いた。

「やっぱり、ユーリはすごいな。たぶん、それで合ってる。俺は、村の大人たちからは軽蔑されてるんだ。それから、残ったユーリには同情してるんだと思う」

 セルバの言葉に、ユーリの頭の中にぴん、と閃くものがあった。

「でも……セルバは、悪くないんだよね? 子供だから、漁に出られないだけで……」

「この村じゃ、それが悪いってことなんだ。行こう、ユーリ」

 きゅっとしがみつくユーリを促して、セルバは足早に村を通り過ぎてゆく。ユーリの背中に、鋭い視線が突き刺さってくる。

「……私、お魚獲るの、上手くなるから。そして、セルバのこと、誰にも文句を言わせないほどの漁師って、皆に言わせてみせるからね」

 ふん、と鼻息荒くユーリが言う。セルバは、黙ってユーリの背中を優しく叩いた。

「ありがとう、ユーリ……俺も、頑張るから」

 きらきらと輝く海を横手に、浜辺を歩く。身を寄せながら、ふたりの間に言葉は無い。だが、心は充分に通い合っていた。それだけで、良かった。

 ごろごろとした岩の転がる足場を抜けて、ふたりがたどり着いたのは天然の洞窟だった。洞窟の中からは湿った風が流れてきて、波の音が幾重にも反響して聞こえてくる。内部の床は岩だったが、切り出したように滑らかになっていた。

「さあ、こっちだ」

 ひたひたと、ふたりの足音が響いてゆく。洞窟内はほんのり明るく、セルバの足取りは確かなものだった。

「ここが、セルバのお家なんだね……」

「まだ、玄関口ってとこだけどね。ほら、あそこの扉が、俺の家だよ」

 洞窟の奥の壁に、木製の扉が見えた。扉の表面には、綺麗な花の彫刻が施されている。ユーリはまじまじと、彫刻を見つめた。

「ほえ、すごい、綺麗……これ、セルバが彫ったの? 薔薇の彫刻なんて、どこで覚えたの」

「あ、いや、それは」

 言いよどむセルバに、ユーリの頭にぴん、と閃くものがあった。

「ほえ、ごめん。聞かないほうが、良かったかな」

 セルバの横顔に目を向けて、ユーリが不安げに聞いた。

「大丈夫。両親の作ったものでもないから。実際に、会ったほうが早いな。行こう、ユーリ」

「ほえ?」

 ユーリの肩を引き寄せて、セルバが扉を押し開ける。家の内部に広がっているのは、別世界だった。

「みんな、ただいま!」

 セルバの上げた大きな声を聞きながら、ユーリは目をまん丸に見開いていた。家の中にはピンク色の絨毯が敷かれており、壁も岩肌ではなくピンク色をしていた。天井には、ハート形のランプが吊るされており、そこから仄明るい桃色の光が降り注ぐ。入口から見える広間の中央には、大きな丸いテーブルが置かれていた。広間の壁には、いくつものドアが設えられていて、そのうちのひとつがバタンと開く。

「おっかえり、セルバ!」

 元気よく飛び出してきたのは、ランではない。南国風の薄着をした、女であった。

「おかえりなさい、セルバさん!」

 続いて、別のドアからも女が入ってくる。今度はお淑やかそうな女性だった。

「セルバ、無事だったか? 村の奴らに、いじめられなかったか?」

 また別のドアが乱暴に開き、さらに女がやってくる。それは、豪華な姐さんだった。

 現れた三人の女は、それぞれがセルバに抱きついてくる。ひっついていたユーリも、もみくちゃにされてしまう。

「セルバ兄、おかえりなさい! あ、歌のおねーさんも!」

 ぱたんとドアが開いて、ランがはしゃいだ声を上げた。

「ほ、ほえ? ランちゃん、これ、どういうこと?」

 目をぐるぐるとさせたユーリが、セルバから身を離してランに詰め寄った。

「うん。えっと、踊りのおねーさんと、ご飯のおねーさん、それから大工のおねーさんだよ!」

 女たちを指差して、ランが笑顔で言った。

「ほえ……? お姉さん?」

 聞き返したユーリに、ランがこっくりとうなずく。

「うん! みーんな、セルバ兄のおよめさんなんだよ!」

 ぴしり、と固まったユーリに、三人の女が顔を向ける。

「わあ、あたしより小さい子だ! よろしくね!」

「あなたも、セルバさんに惹かれてきたのですね。これから、末永くよろしくお願いします」

「歌のおねーさん、ってことは、吟遊詩人か? いいね、賑やかになりそうだ!」

 三人を身体にくっつけながら、セルバが姐さん風の女を指した。

「ああ、さっきのドアの彫刻、こいつが彫ったんだ。あと、その貝殻の首飾りも、こいつが作ったんだ。見た目と言動はアレだけど、意外と乙女なんだぜ」

 言われて、姐さん風の女はかあっと頬を赤くする。

「乙女で悪いか、この!」

 むぎゅ、とセルバの頭が女の胸の中に抱きすくめられてしまう。

「ほえ……三人も、お嫁さんがいるの、セルバ?」

 ユーリの問いに、お淑やかな女性が首を横へ振る。

「今は漁に出かけているけれど……あ、帰ってきたみたいですね」

 ぺたぺたと、家の外から足音が聞こえてくる。磯の香りを漂わせ、入ってくるのは五人の女たちだ。手には、それぞれアワビやウニなどの入った網袋を提げている。

「ただいま! ようやく風も吹き始めたし、今日は大漁だし! あ、新入りの子? よろしく!」

 五人はそれぞれユーリに軽い挨拶をすると、順番にセルバと抱擁を交わす。

「あ、こら、ランちゃんもいるんだから、キスはダメだって!」

「いいじゃん。今日は頑張ったんだし……どうせ今夜は、新入りの子のトコ行くんでしょ、セルバは」

 きゃいきゃいと上がる黄色い声。セルバの目は密着する女たちを見てはおらず、慈愛の篭った視線はランを見続けている。あっ、とユーリは心の中だけで小さく声を出した。

「あっちは海女のおねーさんで、あっちが舵取りのおねーさん、それから……」

 一人一人を指差して言うランの前で、ユーリは大きく息を吸った。

「ランちゃんごめんなさい! 私、あなたのお姉さんにはなれないの! ほら、この耳! エルフみたいに見えるけれど実は私は妖精さんだったの! もうそろそろ妖精の国に帰らなきゃいけないの! でも大丈夫、そのうちお姉さんの誰かが素敵な家族をくれるから! 名残惜しいけれど、教えてあげたお母さんの好きな歌をいつまでも覚えていてね! そして私のことは忘れて! それからセルバ……!」

 身を翻し、ユーリは叫ぶ。

「私は、ナンバーワンじゃなくてオンリーワンがいいのおおおお!」

 呆然とする一同を残し、ユーリは弾丸の勢いで洞窟を出た。満ち始めた潮を蹴散らしながら、砂浜で揺れるヤシの木から実をもぎ取り、セルバの両親が眠る墓へと走る。

「天国のセルバのお父さんとお母さん、セルバとランちゃんは元気にしてますのでご心配なくー!」

 引き千切るように首飾りを取って、墓石の前に置いたユーリは、手にしたヤシの実を振りかぶり、投げた。夕焼けの空に、ヤシの実が飛翔しきらりと彼方へ消える。間髪いれず、ユーリは崖の上からダイブする。着地するのは、ヤシの木の幹である。ぐいん、と撓んだヤシの木が、ばねのように跳ね起きてユーリの身体を空の彼方へと弾き飛ばす。風を切り、撃ち出されたユーリは空中でヤシの実に追いつき、蹴りつけることによってさらなる加速を得る。それでも、まだ足りない。放物線の頂点で、ユーリの小さな身体が落下を始める。リュートを取り出し、ユーリはかき鳴らした。どこからともなく現れるのは、カモメの大群である。縦列に並んだカモメたちの背を踏んで、ユーリはさらに飛ぶ。踏まれたカモメたちは高度を少し下げながらも、ユーリを元気づけるように鳴いていた。やがて眼下に見えた一隻の船に向かってユーリは落下してゆく。ずどん、と大きな音とともに、ユーリは甲板へと着地した。

 爪先、踵、くるぶし、膝、腰、背中、首と衝撃が走り抜けてゆく。身を縮めてやり過ごし、ユーリはキッと顔を上げた。

「……ユー、リ?」

 目の前で、怪訝そうな声を上げるシャイナの胸へとユーリが飛び込む。

「ほえええええん!」

 驚きに目を白黒させるシャイナの胸に顔を埋めて、ユーリは泣いたのであった。



 仕立てたばかりの馬車が数台、港町を出てゆく。町から町へ、キャラバンの旅は続いてゆく。

「新しいー馬車がきたー、座り心地も、ほえ、最高ー!」

 風を切って進む馬車の幌の上で、ユーリが陽気にリュートを鳴らして歌う。御者台で、シャイナは苦笑する。

「いい加減、懲りてくれたらいいのだけれど……」

「ほえー、何か、言ったー? シャーイナー」

「何でもないわ、ユーリ」

 曇りの無い歌声に、シャイナはふっと相好を崩す。土煙を上げながら、馬車はどこまでも走ってゆくのであった。


 なお、この出来事以降ランの姉が増えることは無くなり、子供が生まれるまで家庭内が少しギスギスしたのだがそれはユーリたちのあずかり知らぬことであった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

楽しんでいただけましたら、幸いです。

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