伸るか反るかの賭博者 後編
今回も、めっちゃ長いです。お手元に、お茶菓子などご用意くださいませ。
じゃらり、とテーブルに広げられた金貨を、一枚、二枚と取り合ってゆく。幾度も繰り返した勝負に、動作は手慣れ、洗練されていた。
「ほえ、ここで一枚取れば……」
ユーリの前に、五枚の金貨が残る。苦笑を浮かべ、ダイスが二枚を取った。
「今回は、お前さんの勝ちだ」
ぽつりと零したダイスの言葉に、ユーリはにへらと笑い二枚の金貨を指へ挟む。
「だんだん、解ってきた気がする……ねえ、今度は、大きく賭けてもいい?」
問いかけたユーリに、ダイスはふっと吐息で笑う。
「いいぜ。ちまちましてちゃ、運が逃げちまうからな」
「ありがと。それじゃあ……とりあえず一か月、賭けるね」
ユーリが言って、ダイスがうなずく。じゃらじゃらと財布に戻された金貨が、再びテーブルに置かれた。そのうちの一枚をユーリは手に取って、親指を使って軽く弾く。
「ほえ、表だ。じゃあ、私が先だね」
手元に戻った金貨をテーブルに置き、ユーリは金貨を二枚取った。
「……なあ、ユーリ」
対面で二枚を取りつつ、ダイスが呼びかけてくる。
「なあに、ダイス?」
テーブルに油断なく目を向けたまま、ユーリは三枚取った。
「賭け事で、一番大切なものって、何かわかるか?」
問いかけながら、ダイスは一枚を取った。
「ほえ、大切なもの……? 運、かな」
首を傾げながら、ユーリは一枚を取る。
「運、か。確かに、ツいてる時は、流れが来てる、行ける、って、思うわな」
顎に手を当て、少し考えた後にダイスが三枚を取った。
「でしょ。運がこっち向いてるっていうのは、大事だと思うよ」
「だが、そりゃ違うんだ、ユーリ。それより、ユーリの番だぜ、ほら」
手を動かさないユーリを、ダイスが促す。上目遣いに見返しながら、ユーリは一枚の金貨を手元に引き寄せる。
「じゃあ……何なの?」
問いかけるユーリの前で、ダイスが三枚の金貨を取った。場には、一枚の金貨が残された。
「洞察力、だ。物事の本質を捉え、些細な情報から推察される事実を積み上げ、組み立てる。運だの流れだのは、そうして導き出された解を誤魔化すための方便だと、俺は思うぜ。一か月、追加だな」
一枚の金貨を目の前に、硬直するユーリへダイスがにやりと笑って言った。
「ほえ、ま、待って、ダイス! さっきの、さっきのとこから、やり直し!」
「勝負の世界にゃ、待ったもやり直しも、ナシだ」
「じゃあ、じゃあ、もう一回! 今度は半年賭ける!」
前のめりになって言うユーリの額へ、ダイスが人差し指を軽く当てた。
「賭け事で二番目に大切なことは、引き時をわきまえることだぜ、ユーリ。今日はもう仕舞いだ。明日は、昼前から動くんだからな」
言って、ダイスが窓の外へちらりと目をやった。ユーリも見れば、すでに夜は明けて空は明るい。
「ほえ、私、まだまだ大丈夫だよ?」
「……俺が寝なきゃダメなんだ。昼まで寝かせないってんなら、それなりのコト、してもらうぜ?」
ダイスの言葉に、ユーリは顔を赤くして身を引いた。
「……おやすみなさい」
蚊の鳴くような声で言うユーリに片手を振り、ダイスがベッドに倒れ込む。
「それ、片してから寝てくれよ。明日、使うんだからな」
そう言って数秒後には、ダイスの口から軽い寝息が聞こえてくる。ユーリは息を吐いて、金貨を財布に入れ直して仕舞った。そのまま財布を懐へ入れて、ユーリもベッドへと潜り込む。細身のダイスの身体を少し押しのければ、ユーリの居場所は充分に確保できた。
ダイスの体温で温められたベッドの中で、ユーリは視線だけをダイスに向ける。深く寝入っているようで、閉じられた長い睫毛のある瞼が時折ぴくぴくと動いていた。
俺の女になれ、と言われて数日、こうしてダイスとベッドを共にしてきたが、ダイスは決して手を出すことはしなかった。安宿の小さなベッドで、身を寄せ合ってただ眠るだけだ。冗談めかして色事っぽいことを言われることはあったものの、賭けの負債を盾にそれを強要してくるようなことは無かった。
かわりに、賭博の場へ行く際にちょっとした演出を求められることはあった。あまりお淑やかな風ではない衣服に着替えさせられ、まるで仲睦まじい恋人のように振る舞う。それだけが、賭けの負債として求められることだった。
「……あなたは、一体何がしたいの? ダイス」
ひそめた声で、ユーリは目の前の寝顔に問いかける。規則正しい寝息だけが、応えとなって返ってくる。何を考えているのかさっぱり解らない、この破天荒な博徒にユーリは無自覚に心を許し始めていた。
くるり、とダイスが寝返りを打つ。ユーリに向けられるのは、肉付きの薄く肩幅の広い背中である。遠い記憶の中にある、逞しい背中とそれを比べ、小さく息を吐いた。
「おやすみ、ダイス……」
もやもやと湧き上がってくる気持ちを抑えつつ、ユーリは眠りの中へと身を投じてゆく。白々と明け始めたあけぼのの空の下で、小さな二つの寝息が重なった。
赤いドレスに身を包み、姿見の前で身体を回す。ふわり、と動きに合わせて翻った裾のスリットから、ちらりと白く健康的な足がのぞいた。
「ほえ……少し、派手すぎないかなあ」
鏡の向こうで、困惑した顔の少女が首を傾げる。寄せてあげて詰め物まで入れた胸元には、くっきりと谷間までできていた。
「よお、ユーリ。そろそろいいか?」
カーテンの向こうから、ダイスの声が聞こえてくる。
「い、一応、いいけど……」
振り向いて戸惑いながらも返事をするユーリの前で、カーテンがさっと開いた。腕組みをしてユーリを見つめてくるのは、ダイスである。
「あんまり手間取ってると、予定に差し支えちまう……何だ、もう着替え終わってんのか」
ユーリの全身を、遠慮のない視線が上下する。
「……終わってなかったら、どうするつもりだったの」
じとっとした目を向けて、ユーリが問う。
「そりゃ、手伝ってやるさ。うん、ちゃんと詰め物もできたみたいだな。似合ってるぜ」
ユーリに出来た胸の谷間を一瞥して、ダイスが笑って言った。
「ほえ……嬉しくないよ、似合っても」
胸に手をやりつつ、ユーリは唇を尖らせる。
「自前で用意できねえんじゃ、仕方ねえだろう。だが、そうしてりゃまるで良家のお嬢様みてえだぜ」
言いながらダイスが、右手を恭しく差し伸べてくる。
「……良家のお嬢様は、詰め物手直ししたりはしないと思うけどね」
嘆息しつつ、ユーリはダイスの手を取った。支払いは済ませたらしく、ユーリの手を引いたままダイスはブティックを出た。
「こんな服まで用意して、どこ行くの?」
大きな通りを早足で歩くダイスが、ぐっと握った手に一度、力を込めた。
「ちょいと毛色の変わった博打場だが……その前に」
足を止めたダイスが、左手でさっとユーリを抱き寄せる。そのままユーリの首筋へ、ダイスが顔を寄せてきた。
「ほえ!? ちょ、ちょっと、ダイス?」
「しっ、声を立てるんじゃねえ。そのまま、動くなよ……」
言葉と共に、ダイスの吐息が首筋に当たる。くすぐったいような感覚に、かすかな痺れが走る。
「……よし、行くぜ」
永遠とも思えるわずかな時間が過ぎて、ダイスがユーリの腰に手を回した。とたんに、ユーリの背中にぞわりと何かの気配がぶつかってくる。
「ダイス……」
「振り向くなよ、平然と歩いてりゃいい。手出しをしてくるつもりは無えみてえだ」
不安な声を上げるユーリに、囁きが返された。
「ダイス、後ろの気配の人、たぶん私より強いよ」
ぎゅっと身を寄せてしがみつき、ダイスにしか聞こえない声でユーリは言った。
「そりゃ、あんまり聞きたくなかった情報だな。敵じゃねえことを、祈るばかりだぜ」
ダイスに寄り添うユーリの額に、冷や汗が浮かぶ。巧妙に力を隠した気配だったが、その力の底が計り知れないことにユーリは慄かずにはおれない。そんな気配を出せる存在は、両親を除けばこの世で一人しか知らない。未知の強敵に震えるユーリの肩に、ダイスの温かな手のひらが置かれた。
「ま、何とかなる。見た所、今は俺たちをどうこうするつもりは無えようだしな」
「もしもの時は、私が足止めくらいはしてみせるから、構わず逃げてね」
「縁起でも無えことを。それより、着いたぜ。ここだ」
ダイスの言葉に、ユーリは顔を上げた。魔法の灯りに彩られたそこは、高級そうな佇まいの酒場である。黒い服に身を包んだ、いかにも一般市民とは隔絶したごつい男が二人、入り口の前に立っている。
「あいつらは、どうだ?」
問いかけに、ユーリは首を横へ振る。
「全然。あれくらいなら、片手で充分だよ」
ユーリの答えに、ダイスが満足そうにうなずいた。
「そいつは結構。たぶん、今夜のお相手はああいうのだ」
ぽん、とユーリの背中を叩き、ダイスは軽い足取りで入口へと近づいてゆく。
「停まれ。今日は、ここは貸し切りだ」
男の一人が、ずいと立ち塞がって言った。
「そうかい。だが、俺は通っていいはずだぜ。俺の顔を、よく見てみろよ」
立てた親指で自分の顔を指しながら、ダイスが言う。黒服の男が、じっとダイスを見つめて身をのけぞらせた。
「お前は……いかさま師のダイス!?」
「違う。俺は賭博者のダイスだ。なあ、通っていいだろう?」
男の言葉を訂正して、ダイスが言った。
「……少し、待っていろ」
もう一人の黒服が、建物の中へと消える。しばらくして戻って来た男が、ダイスに向けてうなずいた。
「通して良い、とのお達しだ。さっさと入れ」
扉を開けて、男が中へと顎をしゃくって見せる。
「それじゃ、遠慮なく。ユーリ、行くぜ」
「う、うん……」
緊張した面持ちのユーリの腰を抱いて、ダイスが扉をくぐる。暗い内部へ二人が入り切ったところで、扉が閉められた。
「よぉうこそ、招かれざるお客様」
真っ暗闇の部屋の中で、ぼうっと薄明りが灯る。照らし出されたのは、慇懃に頭を下げる一人の執事服の男だった。
「はん、出迎えご苦労なこったな」
ダイスは鼻で笑い、ユーリはダイスにくっついたまま平然と男を見返す。闇の中でも見通せる瞳の持ち主であるユーリには、執事服が立っている姿は初めから見えていた。もちろん、腰を深く屈めた執事服が手元で指を鳴らすのも見えている。ダイスとユーリに、魔法のライトが浴びせられた。
「大層な歓迎、痛み入るぜ。賭博者のダイス、参上ってな。今日は、楽しませてくれるんだろうな?」
顔の前で手のひらを広げ、ダイスが芝居がかった声を上げる。ユーリも、ダイスの胸に軽く指を当てて、あらぬ方を向いて出来るだけ妖艶に見えるよう微笑んだ。周囲で、ざわりと気配が揺れる。
「もちろん、趣向を凝らしたギャンブルを、ご用意しております。まずは、カードなどはいかがでしょうか?」
執事服が、奥に手を伸べ身体を横へとずらす。薄明りに浮かび上がるのは、羅紗の張られたテーブルである。テーブルの向かい側には、ゆったりとしたローブを身に着けた男が立っていた。
「いいねえ。チップは、何だ?」
にやり、と不敵な笑みを浮かべてテーブルの前へ進み出たダイスが問う。
「貴方様の、御命ではいかがでしょう?」
笑みを浮かべる執事の目が、きらりと光る。
「そりゃあ、高価くつくぜ?」
「私共の用意いたしました刺客を皆、退けることができましたら、オーナーに引き合わせることをお約束いたします。いかがですか?」
「乗った」
自信たっぷりに言い放つダイスへ、執事がうなずき赤いチップを一枚手渡す。
「一枚だけか?」
「御命は、御一つのみでございましょう?」
「違いねえ。じゃ、始めるか」
言って、ダイスがテーブルの上のカードへ手を伸ばす。
「ルールは」
「……ポーカー」
短く聞いたダイスへ、対面の男がぼそりと答える。ユーリがそっと身を離せば、ダイスは鮮やかな手つきでカードを繰り始めた。
「ユーリ」
さっと、差し出されるのはハートのクイーンのカードである。ユーリは周囲に視線を巡らせる。高級そうな衣服に身を包んだ多数の男女の視線が、一斉に突き刺さってくる。本当にやるの? という意思を込めた視線をダイスに送れば、小さなうなずきが返ってきた。
「……運命の、祝福を」
言いながら、硬いカードに唇をつけ、音を立てる。差し返したカードを受け取り、ダイスはそれを一番上に乗せて男へ差し出した。
「いいカードだ。問題無えな」
カードには何の細工も無い、そのことを確かめたのである。カードの束を受け取った男が、ふっと笑う。
「では、私の番だな」
男はカードを二つに分け、鮮やかな手さばきでそれを繰り混ぜてゆく。パタパタと鳴るカードの音が、しばらく続いた。
「私にも、運命の恩恵を」
言った男が、一枚のカードを抜きだした。ハートのクイーン。ユーリの口づけたカードへ、男が長い舌を伸ばした。
「うぇ……」
わずかに顔をしかめ、胸の中でユーリは呻く。見ていて、余り気持ちの良い仕草では無い。皺の刻まれたローブ男の顔ががユーリを見てにたりと歪む。ぞくりと、おぞけが走った。
「味はどうだい、カードの旦那」
「……カードの味だ」
ダイスと男が言葉を交わし合い、そして繰られたカードがテーブルの中央に置かれた。そして男が、ダイスと自分の前へカードを一枚一枚、配ってゆく。さっと、ダイスがカードを取って眺める。
「……こいつは、ひでえな」
呟いて、ダイスは手元のカードをくるりと返して周囲に見せびらかすように動かした。ばらばらの数字に、スートもばらばらである。
「五枚チェンジだ」
伏せたカードを中央へ押しやれば、新たなカードが五枚配られる。手元に寄せられたカードを、しかしダイスは手に取ることをしない。
「……見ないのか」
「そちらもどうぞ? 俺は、このままでいい」
手元に揃えられた、裏を向いたままのカードを前にダイスは肩をすくめて見せる。手札の交換は、交互に行うのがルールである。男は自分の手札を見て、三枚を捨て札にした。そして男が、新たな札へと手を伸ばす。
「……ユーリ」
小さく、ダイスが呟く。ユーリはドレスの胸元へ指を入れて、男のローブの袖へ向かって指先を動かした。見切れる者は、この場にはいない。詰め物だと知られたくないユーリが、本気の速度を出していた。だから、周囲からは腕を伸ばした男のローブが、いきなり細切れになったように見えていた。そして、その場へカードが散らばる。
「……なっ!?」
狼狽の声が、男から上がった。
「おや、粗相だな。こんな所へ着てくるんだ。もう少し、いい仕立てのもんを着てきたほうが良かったんじゃねえのか?」
からかうように言って、ダイスが散らばったカードを拾い集めて五枚、男に渡す。呆然とした顔のままカードを受け取った男の顔色が、みるみるうちに青ざめてゆく。
「じゃ、勝負といくかい?」
赤いチップを指に挟み、軽い口調でダイスが問いかける。男が、手元のカードに目を落とし、小さく首を横へ振ろうとする。だが、いつの間にか男の横へと並んだ執事が、男に厳しい目を向ける。
「ダイス様は、ご自身の御命をチップに勝負をなされております。まさか、途中で降りるなどという、無様はなさいますまいな?」
それは穏やかで、しかし有無を言わせぬ響きの声だった。がたがたと全身を震わせ、カードを握りしめて男は赤いチップをテーブルに叩きつけるように置いた。
「しょ、勝負!」
そして男は、手札を開く。エースのカードが三枚に、キングが二枚。フルハウスの役が出来上がっていた。
「なるほど、良い手じゃねえか。あんたには、ツキがあったのかも知れねえな」
軽口を叩きながら、ダイスが手札を一枚、表にする。ハートの、ジャックが姿を現す。二枚目は、ハートのキングだった。
「さっきの粗相がなけりゃ、ツキは逃げなかったろうよ」
三枚目に、ハートの十。四枚目は、ハートのエースである。男の目が、大きく見開かれた。
「だがな、俺のほうはもっとツいてるんだ。相手が悪かったな」
最後の一枚。それは、ハートのクイーンだった。同じスートの、特定の数字が並ぶ最高の役、ロイヤルストレートフラッシュである。無造作に入れ替えた五枚の手札が、奇跡のような一手を創りだしていた。その光景に、男は驚愕の顔のまま、膝からゆっくりと崩れ落ちてゆく。
「俺の、勝ちだぜ」
場に賭けられた赤いチップを二枚、ダイスがひょいと取った。
「お見事でございます、ダイス様」
恭しく、執事が一礼をする。
「こっちにゃ、運命の女神がついてるもんでね」
言いながら、ダイスがユーリへウインクを寄越してくる。曖昧に笑みを返すユーリの視界の端で、ローブの男が屈強な二人の黒服に引き摺られ、どこかへ連れ去られてゆく。
「……あの人は、どうなるんですか?」
思わず、ユーリは執事に聞いた。
「このテーブルには、二つの命が賭けられておりました。ダイス様の勝利により、彼は命を失ってしまったのですよ」
穏やかな顔で、執事が言う。ほどなく、何かの叫び声がユーリの耳へと届いてくる。それは、断末魔の叫びに聞こえた。
「……ダイス」
ダイスの袖を引き、ユーリは不安にその顔を見上げる。
「心配無えよ。俺は、必ず勝つ」
ぽん、と頭に手を置かれ、ユーリは言葉を飲み込んだ。
「ギャンブルを、続けられますか?」
執事の問いに、ダイスはうなずく。
「当たり前だ。ここまで来て、後に退けるかよ。んで、次の相手は、誰だ?」
黒服たちがやってきて、テーブルの上に散らばったカードを片付けてゆく。片づけを終えた黒服の一人が、執事へ耳打ちをした。
「……なるほど。では、アレを」
執事の指示に黒服がうなずき、やがてテーブルの上には黒いカップがひとつ、そして二つのサイコロが置かれた。
「どうやら、先ほどの勝利の余りの鮮やかさに、当店のディーラーたちが及び腰になってしまったようでして……これは、私どもの不手際ですな。まずは、お詫びを」
胸の前に手を挙げて、執事が一礼する。
「無理も無えよ。あのカード使いは、ガトラだろ? 街一番の腕利きを伸しちまったんじゃ、後に続くも無い話だ」
「ご存知でございましたか。確かにあれは、そんな名の男でありました。もう二度と、カードを繰ることは出来なくなりましたが。ともあれ、次のお相手ですが」
言いながら、執事がテーブルの対面に立ち、カップを手に取る。
「僭越ながら、私が務めさせていただきます」
優雅な手つきで執事がサイコロを二つ、指の間へ挟む。
「やめとけ。俺の名を、知らねえわけじゃ無えんだろ?」
顔の前で片手を振って、ダイスは言う。
「もちろん。ダイス様の名は、サイコロを意味しておられることも、サイコロの賭博を、最も得意とされていることも、承知の上です」
執事の手がひらめき、二つのサイコロがカップの中へと投じられる。カラカラと、黒いカップの中でサイコロが音を立てた。
「なら、悪いことは言わねえ……」
腕組みをして言うダイスの前で、執事がカップを逆さにしてテーブルへと叩きつけるように置いた。それはまるで、挑戦状を突き付けるような荒々しい動作だった。くい、と顔を上げた執事が、今までとは違うぎらついた瞳で見上げてくる。
「お受け、いただけますでしょうか?」
カップに添えた右手をそのままに、執事は左手でテーブルを叩く。手を退ければ、そこには赤いチップがあった。
「……受けるぜ。あんたはどうも、本気らしい。本気で、俺を殺しにきてる目だ」
二つの赤いチップを、テーブルに投げてダイスが答える。
「足りない一つのチップは、案内料だ。俺が勝ったら、オーナーの所へ連れて行け」
「もとより、そのつもりにございます。さて、それではルールを……」
「ピンゾロだ。俺の命を、そこへ賭ける」
執事の言葉を遮り、ダイスは明瞭な声音で言った。そこには、何のブレも無く、へらへらとした軽口も何も無い。ただ真っすぐな、言葉があった。
「……良いのでしょうか? 偶数か、奇数かを当てていただくよりも、難しいことになりますが」
「ピンゾロ。一の目が、揃って上を向いてる。俺が賭けるのは、そこだけだ」
ダイスの返事に、執事はしばし押し黙り、やがて静かにカップを上げた。側で見ていたユーリが、はっと息を呑んだ。
「……お見事に、ございます」
カップの中にあったのは、一の目、ピンと呼ばれるものが二つ並んだピンゾロである。
「ほえ……すごいよ、ダイス」
顔を綻ばせて見上げるユーリに、ダイスはつまらなそうな表情を浮かべて執事を見るのみだった。
「さあ、約束だ。チップがわりの案内、支払ってもらおうか」
無表情に言うダイスとは対照的に、執事の顔はどこか晴れ晴れとした色になっていた。
「……畏まりまして、ございます。ご案内いたしましょう」
恭しく一礼して、執事はダイスとユーリに背を向け歩き出す。
「ユーリ。そのサイコロ、持ってけ」
「ほえ? うん、わかった」
後へ続こうとしたユーリへ、ダイスが言った。ユーリはうなずき、サイコロを手に取って胸元へと仕舞う。それから、執事とダイスの後を追った。
カードやルーレットなど、様々な遊戯台の置かれた部屋の最奥に、豪奢な扉があった。入口に立つ黒服へ、執事がうなずく。それだけで、黒服たちは左右へ別れて道を開けた。
「オーナー、賭博者のダイス様が、おいでになられました」
扉をノックして、執事が静かに言った。間髪入れず、扉が左右へと開く。
「入りなさい」
聞こえた声は、女性のものだった。しっとりと重く耳に残る声には、どこか気品が感じられる。
執事が、一礼して入室を促した。
「私は、ここまでにございます。どうぞ、中へお進みください」
ユーリの横でダイスがうなずき、部屋の中へと歩を進める。豪奢な扉の向こうには、華美な魔法の灯りのついた一室があった。そして、金貨を積み上げた机の向こうに、一人の女性が座っていた。
「ようこそ、タンブリング男爵。五体無事にここまでたどり着いた手際、実に見事でしたわ」
嫣然と笑みを浮かべ、女性がダイスへ向けて言う。聞きなれない名前に、ユーリは小さく首を傾げた。
「……その名で俺を呼ぶってことは、全部が仕舞いになっちまう、ってことだぜ、公爵夫人テレーザさんよ」
じっと女性へ視線を向けて、ダイスが言った。ユーリも、一緒になって女性を見つめる。公爵夫人と呼ばれるからには、なるほどとうなずける気品ある顔立ちだった。細く尖って描かれた眉には知性が感じられ、高い鼻には揺るがぬ威風と狡知が見て取れる。だが、その細い瞳には弱々しい光があるのみだった。
「構いません。どうせ、全てはもう終わり。腕利きの、王国秘密捜査官であるあなたがここに来た以上は、ね」
諦観を込めた言葉とともに、女性は肩を落とす。
「あんたの、火遊びが無けりゃ、公爵の地位は盤石だった。だがあんたは、そこで満足出来なかった。だから、ご法度の闇カジノのオーナーなんぞを、やっていたんだな」
「調べは、ついているというわけね。なら、猶更抵抗はしないわ。ここで、私を捕まえてゆくおつもりかしら?」
問いかけに、ダイスは首を横へ振る。
「いいや、あんたには後日、しかるべき筋の使者を立てるさ。その地位に相応しい扱いで、せめて最後までは、な」
二人の会話を聞きながら、ユーリはあっと胸の中で声にならない声を上げる。二人の因縁については、よくはわからない。言葉を交わし合う様子には、どこか仇敵同士とも友人同士とも取れる響きがある。だが、交わされている会話には、この都市の属する王国の、それもかなり根深いところのスキャンダルが含まれている。傍観していては、巻き込まれて碌な目に遭わないことだろう。ユーリは、大きく息を吸った。
「あの」
「ユーリ」
自分は何の関係も無い善意の第三者です。だから、このへんでお暇させてください。そう言おうとしたユーリの口は、ダイスの手によって塞がれた。
「そちらの可愛らしいお嬢さんは、あなたの恋人かしら、タンブリング男爵?」
むーむーとくぐもった声を上げるユーリの口を押さえつつ、ダイスがうなずく。
「ああ。噂になっちまってるから、知ってるだろうが、こいつは俺の婚約者でね。もちろん、腕利きの秘密捜査官だ。下手な手出しをすりゃ、それは王の意思に逆らうってことになるぜ」
「まあ、そうだったの。てっきり、賭け事のカタに協力を要請した、善意の第三者かと思いましたわ。そうであれば、ここにいる以上、タダで済む話では無かったのだけれど」
女性の言葉に、にへらと笑って誤魔化すユーリの額に冷や汗が流れる。危ない所であった。
「ともあれ、公爵夫人。このチップは、証拠品として貰っていくぜ。また後日、裁判所で会おう」
ダイスが指の間に挟んだ三枚の赤いチップを女性に見せつけ、言った。
「ええ。私は、逃げも隠れもしませんわ、ダイス。それから、そちらのお嬢さんも」
にっこりと笑う女性に片手を挙げて、ダイスは踵を返した。くっついているユーリも、それに合わせて女性に背を向ける。そうして二人は、黒服たちの険しい視線に見送られつつも、闇カジノを後にする。
「済まなかったな、ユーリ。巻き込んぢまってよ」
頭の後ろで腕を組んだダイスが、ぽつりと言った。すでにカジノのあった区画からは離れ、宿への帰り道である。
「ほえ……ダイスって、貴族の人なの?」
すぐ近くにあるダイスの横顔を見つめながら、ユーリは聞いた。
「ああ。といっても、下っ端の下っ端くらいだけどな。色々と縁があって、王様から便利使いされてるんだ。それでよ、ユーリ。もし良かったらだが、本物の、俺の婚約者に、なる気は無えか?」
ユーリの視線から目をそらし、前を見ながらダイスが言った。
「ほえ、私が?」
「ああ。お前さんは、腕が立つ。それに、変装もできる。こういう仕事にゃ、向いてると思うが、どうだ?」
ダイスの言葉にユーリは俯き、しばらく言葉を探す。ユーリの中に、ダイスに惹かれている部分が、少なからずあった。鉄火場を共に潜り抜けた、奇妙な連帯感のようなものもある。だが、その思いはまだ淡く、ほんの小さな無自覚のものである。
「ほえ……私は……その」
ユーリが言葉を紡ぎ出そうとしたとき、ダイスがぴたりと足を止めた。ダイスの横顔に、緊張感が満ちてゆく。
「ダイス?」
様子の変わったダイスへ、ユーリが訝しげに問う。だが、それに答えたのはダイスではない。
「随分と、見せつけてくれるではないか、ダイスとやら」
それは高い、少年のような声だった。ぞくり、とユーリの背筋に、言い知れぬものが這い上がってゆく感覚があった。
「ほ…え…?」
ユーリが、視線を前へと向ける。
「……やっぱり、タダで帰すつもりは無え、ってとこなのか?」
肩をすくめ、ダイスが立ちはだかる人影に向かって言った。傍らで、ユーリは大きな瞳を一杯に見開き、掠れた声を上げる。
「え……まさか……」
それは、ユーリよりも小さいくらいの、子供のような背丈であった。肩より少し上で切りそろえられた、見事な金髪。妖しく輝く、ルビーレッドの瞳。華奢に見える小さな身体を覆うのは、黒い燕尾服である。服装と、髪型を除けばその少年の姿は、ユーリのよく知っている人物に酷似していた。
「……公爵夫人も、人が悪いぜ。帰り道に、ちゃあんと用意してるんだからな」
ユーリの視界を遮るように、ダイスの背中が被さった。
「ほえ、ダイス……?」
きょとん、としたユーリへ、ダイスが後ろに回した右手で逃げろとサインを送ってくる。
「あ、その、ダイス、あのね」
「公爵夫人……? 何だ、それは?」
しどろもどろになったユーリの声に重なって、少年が問いを発する。
「あくまで他人って、ことにしてえんだな? ま、当然か」
「確かに余は大悪魔であり、お前とは他人だ。そして、余は、お前には何の用も無い。痛い目を見たくなければ、この場より疾くと失せよ」
「なるほど。狙いは、ユーリってわけか。ならなおさら、退けねえな」
ひゅるり、と乾いた風が、二人の間を吹き抜けてゆく。無防備に立っているだけの少年に、ダイスが腰を低く落として身構える。ダイスの頬を、冷や汗が伝って落ちた。
「あの、ダイス?」
「ユーリ、早く逃げろ。時間稼ぎにもならねえかも知れねえが、俺が何とかする。お前は、そのまま宿の主に伝えるんだ。『妻鳥は闇の籠の中に…」
「えと、たぶん、大丈夫だよ?」
言いながら、ユーリがダイスの背中からひょこりと顔を出す。伺い見れば、少年は傲岸不遜な笑みでユーリを見返してくる。
「ほえ、あなた……シアの、ご兄弟さんかな?」
問いかけに、少年はにんまりと笑う。
「ククク……余が、そう見えるか?」
逆に問われ、ユーリは少年をしげしげと見つめてうなずいた。
「うん。どう考えても、魔……あっち系の人だよね。ダイス、この人、私の関係者だよ。公爵夫人は、絶対に関係ないから」
「んあ?」
間抜けな声を漏らしたダイスが、ユーリと少年に視線を行き来させる。
「そう、言ったはずだが? お前は、耳か頭でも悪いのではないのか?」
さも愉快そうに、少年は嘲笑を浮かべる。間違いない、とユーリの中で確信が生まれた。小さくうなずくユーリへ目をやり、少年が笑みを悪戯っぽいものに変える。きゅ、とユーリの胸が、微かに軋んだ。
「だったら、何の用だ? どのみち、ユーリに手出ししようってんなら、黙っちゃいねえぜ」
「ユーリに、話があるのだ。余の邪魔をするな」
面倒そうにダイスを見やり、少年が片手を振って見せた。尊大そのものな仕草に、ダイスの頭からかちんと音がした。
「あいにく、こっちもユーリと大事な話をしていてな。俺の後でってんなら、いいぜ。ただし、そりゃ二年三か月と十四日後になっちまうが」
「……ほう、どういうことだ、ユーリ?」
少年が、ユーリを見やり首を傾げて見せる。
「ほえ……その、賭けに、負けちゃって。その間、私はダイスの恋人にならないといけないの」
「賭け……?」
「ああ。こういうやつだ」
首の斜角を深める少年に、ダイスが指の間にサイコロを二つ、挟んで見せる。
「あんたがユーリと話をしたいってんなら、俺と勝負しねえか? あんたが勝てば、ユーリの負け分は全部チャラにしてやってもいいぜ」
「ほえ、ダイス……?」
とんでもないことを言いだすダイスの顔を、ユーリは見上げる。
「止めるなよ、ユーリ。どこの誰だか知らねえが、とんでもねえ相手だってことは、わかる。賭博者として、ここは退けねえ」
ぎらついた瞳で、ダイスは少年を睨み付けていた。賭博者の闘志あふれる横顔に、ユーリはそれ以上何も言えず半歩下がる。
「ククク……面白い」
対峙する少年が、すっと右の掌を下にして顔の前へと持ち上げた。何もない地面から、禍々しい黒の羅紗を張ったテーブルが現れる。
「ルールは?」
問いかける少年に、ダイスが首を横へ振った。
「まだ、あんたのチップを確認してねえ。あんた、ユーリの為に、何を賭けられる?」
「全て。余の持つありとあらゆるものを、ここへ賭けよう」
即答だった。思わず少年を凝視したユーリに、不遜な笑みが返される。ぼっと、ユーリの身体に熱が灯った。
「……上等だ。サイコロ転がして、二で丁度割り切れる数なら丁、半端が出るなら半、だ」
取り出したカップにサイコロを入れ、カラカラと音立ててそれを回す。そしてダイスが、テーブルに叩きつけるように逆さにしたカップを置いた。
「さあ、賭けて貰おうじゃねえか! 丁か、それとも半か!」
「六、六、六のオーメン。余は、そこに賭けよう」
ひゅるり、と風が吹き抜ける。
「……いや、あのな、カップに入れたサイコロは、二つだぜ? そして賭けるのは、丁半どちらかで」
「お前の用意した答えには、乗らぬ。余は、六の目が三つに賭けた。さあ、開けて見せよ」
自信満面に、少年が促す。
「……賭けに、付き合う気は無え、ってことか?」
「本当に、お前は耳と頭の悪い男だな。余は、ちゃんとお前に付き合って、賭けた。さっさとカップを上げろ」
少年の答えに、ダイスは舌打ちする。賭博者としての矜持を穢された、そんな感情がユーリにも見て取れた。
「……ダイス」
呼びかけ、振り向く顔にユーリはうなずいた。祈るように重ねた両手を握りしめ、ユーリの視線もテーブルの上に注がれている。ゆっくりと、ダイスがカップを持ち上げた。
「……嘘、だろ?」
呆然と、ダイスが声を漏らす。そこには、六の目を上にして並ぶ三つのサイコロがあったのだ。
「ククク……余の、勝ちだな」
どさり、とダイスが膝から崩れ落ちるようにしてへたり込んだ。少年が右手をさっと振ると、テーブルが消えてカップと三つのサイコロがその目の前へと落ちる。
「ほえ……どうして、サイコロが三つに……?」
呟くユーリの眼前で、ダイスが弱々しく首を横へ振る。
「んなことは……どうでもいい。俺の、最も得意とするダイスゲームで、俺が負けた……いかさまだろうと何だろうと、見抜けなかった。それが、全てだ……」
散らばったサイコロをかき集め、よろよろとダイスが身を起こし、踵を返す。
「ダイス!」
呼びかけるユーリに、ダイスが背中で片手を挙げて見せる。
「あばよ、ユーリ……お前さんとの時間、楽しかったぜ」
悄然とした後ろ姿が、小さくなってゆく。ユーリには、ただ見送ることしか出来なかった。
「これで、ようやく話ができるな、ユーリよ」
ダイスの姿が消えて、しばらくして少年がぽつりと言った。
「ほえ……あなた、一体誰なの? シアの、弟さん? それとも、お兄さん?」
問いかけるユーリに、少年は優しい笑みを見せる。
「余には、兄も弟もいない。姉はいるが、別の大陸の魔王だ」
少年の言葉に、ユーリは大きく目を見開いた。
「で、でも、その喋り方とか、態度とか……別人には、見えないんだけど……まさか」
「余は、常に余である。魔を統べる王にして大悪魔。ユーリよ、余の名を、忘れたのか?」
黒いオーラを纏い、護岸不遜に見上げるその視線を受けてユーリは指を向ける。
「ほえ……シア、なの?」
どきん、どきんと心臓が鼓動を速めてゆく。
「ああ、そうだ。ククク……お前を驚かせるため、気配も変えておいたのだったか」
ユーリの目の前で、少年の気配が変わる。それは禍々しく強大な、魔王シアの気配であった。
「シ、シア……! どうして、そんな姿に?」
驚くユーリに、シアがゆっくりと、一歩一歩、近づいてくる。そしてシアの細い指先が、ユーリの頬を捉えた。
「お前のために、女の身を捨てた。これならば、良いのだろう、ユーリ?」
そう言って微笑むシアの顔には幼女の面影は無く、美しく妖しい少年の面持ちになっていた。
「ほええええええ!?」
ユーリの驚愕の鳴き声が、夜の街に響いてゆくのであった。
なお、後日都市で公爵夫人のスキャンダルが王国秘密捜査官の手により白日の下にさらされ政変が起きたのであるが、それは今のユーリたちにとっては些細な出来事に過ぎないのであった。
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