伸るか反るかの賭博者 前編
今回も長めです。お茶菓子などご用意して、ご覧ください。
その男が、酒場へ入ってくると酔客たちがざわめいた。彼らの視線は、男に向けられたものではない。男の腕を取って身体を密着させ、親しげな様子を見せる少女に対して目を向けているのだ。
ひらひらとした薄絹のようなものを纏い、その下には慎ましくもしなやかな肢体がわずかな布に隠されている。そんな大胆な恰好でなくとも、周囲の目を引かずにはおれないほどの美少女だった。
一方で男も、目つきの鋭すぎるきらいはあるが端正な顔立ちではあった。だが、少女のあまりの可憐な美しさに、男の容姿などはどうでも良いと周囲の認識は流れる。トレイを運ぶウエイトレスでさえ、少女の姿に見惚れてしまう程だった。
そんな店内で、男は一つのテーブルに目をつける。テーブルの上には三人分のグラスと、散らばったカードがあった。そして、椅子は四つ。男は少女の腕から手を抜くと、テーブルの男たちに断りもなくどかりと椅子に腰かけた。
「な、なんでえ?」
酔いに濁った眼で、三人の男が椅子に座った男を見る。
「俺も、混ぜてくれねえか? ポーカーだろ?」
軽い調子で、椅子に座った男が言う。問われた男たちはその男と、ひっついていた少女へ交互に目をやった。
「ほえ、お願いします」
少女の口から、気の抜けたような音と一緒に可愛らしい懇願が発せられる。ぺこり、と頭を軽く下げる仕草も添えられては、男たちには異の唱えようもない。
「一人飛んじまったからなあ……あんた、強いのか?」
男の一人が、そう問いかける。
「……そこそこは、やれるぜ。カモるつもりなら、火傷するかもな?」
手慣れた手つきで、男はカードを集めながら言った。鮮やかな手つきだったが、男の手からカードが一枚、ぴょこんと飛び出る。少女へ向けて飛んだカードは、細くたおやかな少女の手で受け止められる。
「幸運の、祝福を」
おどけた調子で男が言うと、少女はカードに軽く口をつける。ちゅっと音を立ててから返されるカードを男は受け取り、手のひらでそれをひっくり返す。カードには、ハートのクイーンが描かれていた。
「それじゃあ、始めようか」
楽しげに言う男の後ろで、少女は少し顔を赤くして、俯いていた。恥ずかしかったのかも知れない。
カウンターに男と並んで座りながら、ユーリはグラスを傾ける。お酒の味など、味わう余裕がユーリの心には無い。横に座る男へ目をやると、財布の中の金貨を数えていた。
「……幾らに、なったの?」
じとっとした目を向けるユーリには目もくれず、男は鼻歌交じりで財布を置いてグラスを手に取った。
「まあまあって、とこだ。景気の良い連中かと思ったが、意外としけてやがった」
言いながら男が酒を呷り、財布を逆さにしてカウンターに中身を落とす。ばらばらに金貨が零れ落ちる、と思いきや、金貨は整然と積み上がり、カウンターに小さな塔を作る。
「ほえ、何してるの?」
出来上がった塔を見つめ、ユーリは訊いた。
「今夜の酒代。一杯分と少しくらいにしか、ならなかった」
つまらなそうに言って、男がグラスの中身を干した。そして素早く、男が立ち上がる。
「行くぞ、ユーリ。ここでの稼ぎは、もう仕舞いだ」
そう言って男は、さっさと出口へ向けて歩き出す。
「ほえ? もう行くの? 待ってよ」
ユーリは慌ててグラスの中身を飲み干し、カウンターに自分の酒代を置いて男の後を追った。男は早足で、ユーリが追いつくのを待ったりはしない。だが、ユーリにとっては男に追いつくことは容易であった。夜更けの路地の暗がりに、男が足を止める。その側に、ユーリが駆け寄った。
「待ってってば、ダイス。一人で歩くと、危ないよ?」
ユーリが呼びかけた男、ダイスの腕を取って言った。
「ああ、最近の夜道は、物騒だもんな、ユーリ。特に、こぉんな裏路地の中には、無粋な連中が潜んでるもんだ」
じろり、とダイスが見やるのは、月の明かりも届かぬ細い路地。その闇の中で、もぞりと動く影があった。
「てめえ、見えてやがるのかよ……」
言いながら、出てくるのは人相の悪そうな大男と、陰に隠れるような三人の男たちである。後ろの男たちを見て、ユーリは少し目を見開いた。
「ほえ、さっきのテーブルにいた人たちだ……」
悠然と立つダイスの前に、大男が行く手を遮るように立った。大男の全身からは、暴力を生業とする男の臭いが漂ってくるようだった。
「てめえが、いかさま師のダイスだな? このあたりで、派手に稼いでるっていう」
厳つい顔を向けた大男が、ダイスに言った。
「いかさま師? 誰だ、んな野暮ったい呼び名を付けやがったのは」
ちっちっち、とダイスが人差し指を立てて横に振る。ユーリはダイスの腕から、そっと離れた。
「俺を呼ぶなら、賭博者のダイスって、呼んでくれ」
親指を立てて自分を指し、ダイスが言った。大男とダイスの間に、ひゅるりと風が吹き抜ける。
「ねえ、ダイス。何だか、痛々しいよ……」
冷めた目で、ユーリは告げた。
「俺なりのアイデンティティなんだ。女子供にゃわからねえかも知れねえが」
「いいや、俺たちにもさっぱりだ。だが、そんなこたあどうでもいい!」
右手を顎に当てて左手を右肘に添える、といったポーズを取るダイスの前で、大男が上着を脱いだ。逆三角形に発達した、見事な筋肉が現れる。大男が拳をボキボキと鳴らし、ダイスを見下ろす。
「俺の手下から、よくもいかさまでカネを巻き上げてくれやがったな……ちっとばかし、痛い目を見せてやる」
大男の言葉に、ダイスは鼻で笑って見せる。
「はん、お前らこそ、アコギな稼ぎしやがって。カードってのは、楽しく遊ぶもんだ。人の良い親方衆を、脅して付き合わせるようなもんじゃねえ。カード遊びを解ってねえもんだから、俺がちっとばかし教えてやった。それだけだ」
「あ、ありゃあ、同意の上だ! 俺たちは、別に」
大男の後ろで、三人の男の中から声が上がった。
「お前らは、黙ってろ!」
大男が首を後ろへ向けて、一喝する。それから、ダイスへと向き直った。
「ともかく、だ。オハナシの前に、殴らせろ。それからてめえを、然るべきところに突き出してやる」
「そいつは、国家権力てえ奴かい?」
不敵な笑みを浮かべ、ダイスが問う。大男が、にやけながら首をゆっくりと横へ振った。
「いいや、その真反対の組織だ。てめえの首にゃ、結構な額の賞金がかかってるんでな」
「そりゃ、ご勘弁願いたいね。俺はこう見えて、まっとうに生きてるんだ。税金も、きっちり払ってる。孤児院に、寄付だってしてるんだぜ?」
おどけた表情で、ダイスが肩をすくめる。
「ほえ、そうなの?」
首を傾げたユーリが、訊いた。
「ああ、常々そう心がけちゃあいるぜ。手元にカネが無いから、出来ねえけどな」
ダイスの答えに、ユーリはがくりとなった。
「それ、やってないのと一緒だよ、ダイス……」
「んなこたあ、どうでもいいってんだ!」
大声に、ダイスとユーリは大男へと向き直る。
「でかい声、出すなよ。別にお前を忘れたわけじゃねえんだ。ただ、俺に手ぇ出すってんなら、その前に……ひとつ、賭けをしねえか?」
「賭け、だあ?」
ダイスの提案に、大男が怪訝な顔を見せる。ユーリの頭に、ぴん、と何かが閃いた。
「ねえ、ダイス。もしかして」
「この女の子と、戦って勝てたらどこにでも付いて行ってやるよ」
ユーリの言葉を遮り、ダイスがきっぱりと言い切った。
「てめえ……正気か?」
大男が、ダイスからユーリへ視線を移して訊いた。その視線の嫌らしさに、ユーリはぶるっと総身を震わせる。あまり、見続けられたくない種の目付きだった。
「この賭博者のダイス、手前で言いだした賭けだ。負けたら、好きにすりゃいいさ。ただ、俺が勝ったら、お前は俺の質問に答えろ。ひとつでいい。さあ、受けるかい?」
「ほえ、私に選択権は?」
「無い」
ニカッと笑い、親指を立ててダイスが身を横へ引いた。
「ははは、悪く思うなよ、お嬢ちゃん。受けてやらあ、ダイス!」
ニタリと気味悪い笑みを浮かべ、大男がユーリへと飛びかかってくる。両腕を大鷲のように拡げ、大質量の筋肉が眼前へと迫る。ユーリは小さく息を吐き、身を沈めた。
「借りひとつぶん、返しだからね」
地面へ伏せるようにしたユーリが、片足を跳ね上げながら言った。
「ぐえ」
大男の両腕が空を切り、そして潰されたような悲鳴を残してその肉体は天高く打ち上げられた。そして素早く身を起こし、飛び退いたユーリの目の前に大男が落下する。地響きを立てて地面にめり込んだ大男は、気絶していた。
「ひ、ひええっ!」
情けない叫び声を上げて、三人の男たちが逃げ散ってゆく。
「追わなくていいの、ダイス?」
問いかけるユーリに、ダイスが首を横へ振る。
「ああ。あいつらは、手下に過ぎねえ。大したことは知らねえだろう。こいつが起きたら、色々聞けばいいだろうよ」
言いながらダイスは、そのへんに落ちていた縄で大男をぐるぐるに縛り上げる。縄をしっかりと結び終えると、ダイスが大男を転がした。
「っと、重てえな。ユーリ、こいつを、そこの物陰に運んでくれ。人目につくと、ちょいとまずい」
言い置いて、ダイスはさっさと物陰のある路地へと歩いてゆく。
「ほえ……あんまり触りたくないんだけど……」
「つべこべ言わず、さっさとしろ」
路地から声で急かされて、ユーリは仕方なく大男をひょいと持ち上げる。意識を失った肉体はぐにゃりとして、持ちにくかった。
「借り、ふたつめ……」
「ダメだ。賭けじゃねえからな」
冷たい声に、ユーリは頬を膨らませる。
「何だ、文句があるのか?」
「……ううん、別に」
「ならいい。じゃあ、こいつを起こして、話聞くぞ」
てきぱきと言うダイスに、ユーリは肩を落として息を吐く。それから、大男にユーリが活を入れて、尋問が始まった。ダイスが話を訊く間、ユーリはずっとダイスの横顔を見つめていた。涼やかな目元に、不敵な笑みの似合う口。鼻梁は高くすっと通っている。細い眉が、吐く言葉に合わせて動く。ちょっと長めの黒髪と、金色の双眸の醸し出すコントラストが、綺麗だった。
「ん? 何見てんだ、ユーリ?」
ぐったりとした大男を前にして、ダイスがユーリへ顔を向けた。ぼへーっと見つめていたユーリは、我に返って首をぶんぶんと振る。
「ほ、ほえ、何でもないよ、何でも」
慌てるユーリに、ダイスはにやりと笑って見せる。
「俺に見惚れてたのか?」
「そんなわけ、ないよっ! それより、これからどうするの?」
怒鳴って誤魔化しつつ、ユーリは訊いた。
「今日はもう、遅いからな。宿に帰るさ。行くぜ」
さっと立ち上がり、ダイスが路地の出口へと歩き出す。
「ま、待ってよ、もう!」
立ち上がるユーリの傍らで、縛られたままの大男が小さく呻いた。
「畜生……もう、お終いだ……どうして、こんなことに……」
涙声の大男に少し同情しながら、ユーリはダイスの後を追う。
「ほえ、本当に、どうしてこんなことに、なっちゃったんだろ……」
人気の無い夜の路地を走りながら、ユーリはぼんやりと思い返す。それは、三日前のことだった。
冬の訪れとともに、シャイナのキャラバンは大きな都市へとやってきた。大陸の南に位置するこの都市近郊では、冬場でも雪は降らず村や町へ馬車で行き来ができるのだ。そのため、多くの旅人たちが冬を越すために都市に集まっていた。
都市は大きく、酒場もあちこちに点在していた。旅人たちで賑わう酒場で、ユーリはステージを終えてカウンターで一人、食事をしていた。それなりに受けもよく、おひねりも弾んで貰えたこともあり、ユーリはいい気分で酒食を愉しんでいた。
そんな時、視界の隅に入ってきたものがあった。カード遊びに興じる、男たちの姿である。何とはなしに彼らを見つめていたユーリの目が、すっと細められる。ユーリが目を向けるのは、ユーリに背を向けて座る一人の男であった。赤いシャツを粋に着こなし、カードを繰る手さばきも鮮やかだ。
ユーリは険しい顔になって、立ち上がった。てくてくと、そのまま男たちのテーブルへと歩いてゆく。男たちはユーリの接近に気を払う様子もなく、カード遊びを続けてゆく。
「そら、エースのスリーカードだ!」
赤いシャツの男の対面で、カードが置かれた。三枚のエースのカードを前に、赤いシャツの男の唇がにやりと歪む。
「それじゃ、こっちの手を……」
「待って」
カードを出そうとした赤いシャツの男へ、ユーリが声をかける。
「あん? 何だ、あんた。今、いいとこだから邪魔しねえでくれねえか?」
くるりと振り向いた男が、ユーリを見上げて言った。
「あなた、カードをすり替えたでしょ」
そんな男へ、ユーリは静かな声で言った。透き通るような、美しい歌声を思わせる声音である。
「ほう、俺が、いかさましたってのか?」
指摘を受けた男が、どこか笑みを含んだような表情で問う。ユーリは、こくんとうなずいた。
「うん。さっきの手番で、カードを取るとき、山場の真ん中と下の方から二枚、手札とすり替えたのが見えたの」
ユーリの言葉に、テーブルにいた他の男たちが顔を見合わせ、ざわめいた。
「お、おい、お嬢ちゃん。それは、本当かい?」
男の一人の問いかけに、ユーリはうなずく。
「間違いないよ。この人、たしかにカードをすり替えた」
確信をもって言うユーリに、男たちの視線が赤いシャツの男へと集まった。
「……どういうことだ、ダイス?」
男の一人が、低い声で訊いた。ダイス、と呼ばれた赤いシャツの男は、カードを握りしめ、身体を震わせる。
「くくく……まさか、俺のいかさまを見破る奴がいるなんてな……」
言いながら、赤いシャツの男がカードをテーブルに置いた。クイーンのカードが四枚、揃っている。
「ク、クイーンのフォーカード……てめえ!」
激昂した男のひとりが、立ち上がって叫ぶ。だが、赤いシャツの男は落ち着いた様子で、両手を胸の前に挙げた。
「おいおい、お前さんは、俺のいかさまを見破れなかった。だから、この勝負はお前さんの負けだ。そこは、間違えんなよ」
「なんだとっ!」
今度は別の男が、立ち上がる。
「お前らは、俺にいかさま使うなって、言ったか? なら、どんなズルをしようと、俺の勝手だろ? 大体、三対一でやってんだ。俺のがいかさまだってんなら、お前さんらもいかさまだぜ?」
「……確かに、お前の言う通りだよ、ダイス」
三人目の男が立ち上がり、どさりと金貨の入った袋を置いた。
「お、おい!」
「今回は、お前の勝ちだ、ダイス。だが、これ以上は、好きにはさせねえ。覚えておくんだな」
行くぞ、と男は他の二人を引っ張るように酒場を出て行った。そのやり取りに、ユーリはただ呆然と立ち尽くして見守るのみである。
「あーあ。白けちまったな……せっかくの、いい勝負だったってのに」
残った男が、両腕を頭の後ろで組んでユーリを見上げて言った。
「ほえ……自業自得、だと思う。フェアなやり方じゃないよ」
「だから、気になって飯も食えなくなった、ってとこか?」
じっと見つめる男の言葉に、ユーリは目を見開いた。
「ほえ、どうしてわかるの?」
「口の端に、ソースが付いてる」
指摘に、ユーリは口の端を指で拭う。見れば、わずかにソースが付いていた。
「あんた、さっきまで歌ってた吟遊詩人だろ? なら、歌い終わったら飯を食うよな? もちろん、そうじゃないのもいるが、ここにいてソースくっつけてるってことは、飯の最中だ。そんで、ご指摘通り俺はいかさまをしていた。それをわざわざ言いに来るってことは……って、考えただけだぜ」
得意げに言う男に、ユーリは何も言えずにハンカチで指を拭った。そうしながら、ユーリは男の爪先から頭の先まで、ゆっくりと視線を動かして眺める。黒いブーツに、長い足を黒ズボンで覆っている。痩せ気味の上半身には、赤いシャツを身に着けている。上二つのボタンを開けた隙間からは、白い肌とわずかに鎖骨が見えた。
「ん? 何だ? 気になるとこでも、あるのか?」
ぼうっと視線を動かすユーリに、男がにやにやと笑って見せる。
「べ、別に、何もないよ」
言いながら、その場を離れようとするユーリの手を、男が引いた。
「待てよ。せっかくだから、あんたも賭け事、していかないか?」
「ほえ、私が? 別に、私、お金には困ってないよ?」
「だろうな。さっき、しこたま稼いでいたものな。それより、あんたは納得いってない筈だ。俺が、いかさまを手段に稼いでることに、な」
男の言葉に、ユーリは素直にうなずいた。
「うん。正直、あんまり見ていたくないって思う」
「フェアじゃないから、か。だがな、駆け引きってやつの一種だとは、思っちゃくれねえか? そもそも、見破れない奴が悪いって。俺はこう見えて、善人だ。税金はちゃんと払うし、教会にお布施もするんだぜ。誓って俺は、悪事を働いちゃいない」
そんなことを言う男から視線を外し、ユーリはテーブルの上を見つめる。重たそうな財布が、置かれていた。それは目の前の男のものではない。
「あのカネは……まあ、そんな俺に対する寄付ってやつだな。まあ、そいつはどうでもいい。今から俺と一勝負して、あんたが勝ったら俺は、あんたの見ている前ではもういかさまはしない。そういう賭けは、どうだ?」
「……私が、負けたら?」
財布から目を戻し、男を見つめて訊いた。
「そん時は……俺の女になる、ってのはどうだ?」
男の金色の瞳が、ユーリを見据える。そこに、嘘の気配は感じられない。
「……いいよ。でも、私が負けるなんて、有り得ないけど」
ユーリの答えに、男は満足そうにうなずいた。
「決まり、だな。じゃあ、ゲームの内容だが……カードじゃあ、つまらねえな。石取りにするか」
「石取り?」
問いかけるユーリの前で、男はテーブルの上を片付ける。対面にユーリが腰掛け、余った椅子にカードが綺麗に積み上げられた。残ったのは、出て行った男が置いていった財布である。
「この中から、無造作にテーブルにコインをぶちまける。それを互いに順番で、一枚から三枚、好きな数を取っていく。最後の一枚を取ったほうが、負けだ。どうだ、簡単だろ?」
言いながら、男は財布を逆さにしてコインをテーブルに落とす。ちゃりちゃりと積み上がる金貨の山を、男は均してゆく。テーブル上に、十八枚のコインが並んだ。男が、そのうちの一枚を手に取る。
「それじゃ、先攻後攻を決めようか。こっちが表で、こっちが裏だ。さ、どっちに賭ける?」
「ほえ……じゃあ表で」
うなずいて、男が親指でコインを弾いた。キン、と澄んだ音を立てて、コインが浮き上がる。ユーリの手が伸びて、横合いからそのコインをひったくった。
「何すんだよ」
言いながら、男の口元は笑っていた。
「これ、どっちも裏だよ」
ユーリの目には、男がコインを指で弾く直前、もう一つのコインを張り合わせる早業が見えていた。
「そうだった。あんたにゃ、いかさまは通じないんだったな。俺の負けだ。あんたが、先攻でいいよ」
ちっとも悪びれた様子のない男に、ユーリは小さく息を吐いた。
「じゃあ、取るね」
言いながら、ユーリは二枚の金貨を取った。ユーリの意識は、男の手元へ向けられている。これで、場のコインは十六枚になっていた。
「まずは、様子見ってとこか? それじゃあ、俺は思い切って……」
男が、三枚を取る。残りは、十三枚になった。
「ほえ……何も、していないみたいだね」
言いながら、ユーリは慎重に一枚を取った。
「ああ。コインを増やしたりはしねえ。減らすのは、そういうゲームだから、いいだろ?」
言いながら男は、三枚を取る。
「ちゃんと、自分の手番ならね。じゃあ、私は二枚」
言いながら、二枚を取る。
「それじゃ、お揃いに俺も二枚」
男も、二枚を手元へ引き寄せる。場に、五枚のコインが残った。男に注意を向けていたユーリは、場のコインに手を伸ばそうとして固まった。
「どうした、あんたの番だぜ?」
促してくる男に、ユーリは動けない。額を伝う冷や汗が、ユーリの鼻筋を通って落ちた。
「ほえ……えっと……」
一枚を取れば、恐らく男は三枚取るだろう。そうなれば、最期の一枚はユーリが取ってしまい負けとなってしまう。二枚取っても、三枚取っても、それは同じことだった。
「パ、パスで……」
「パスは、無しだ」
男が、冷たい声で告げる。
「じゃ、じゃあ、四枚……」
「取れるのは、三枚までだ。そう言ったろ? ほら、どうすんだ」
完敗であった。ぐにゃりと、ユーリの視界が歪む。
「うう……もう、一回……」
涙目になって、へたり込んだユーリは男を見上げる。
「いいけど、何賭けるんだ? この勝負は俺の勝ちだから、あんたはもう俺の女になった、ってことだが」
「そ、それは……」
「それは?」
意地悪く、男が聞き返す。
「い、一日だけだから! ほら、期間とか、決めてなかったし!」
「はあ?」
「と、とにかく、一日だけ! だから、私は一日ずつ賭けるの! 私が勝ったら、その、女になるって話は、無しで!」
呆れたような男に、ユーリは強引に言い放つ。肩をすくめた男が苦笑を見せて、うなずいた。
「わかった。それじゃあ、一日ずつ賭けようか。俺が譲歩してやるんだから、これ以上文句は言うなよ?」
「ほえ、わかってる!」
うなずくユーリの前に、再びコインが並べられる。今度は、十六枚。熱くなったユーリの前で、男がコイントスをする。裏が出た。男の先攻で、勝負は始まった……
気づけばユーリは、百日間ほど男の恋人として過ごすことになってしまっていた。
「うぅ……そんな……」
すっかり客のいなくなった酒場で、ユーリは膝を抱えてさめざめと泣く。男が、後ろ頭をがりがりと掻いてユーリを見つめた。
「何も、そんな泣くこたあ、無いだろうが……自業自得、ってやつだぜ。俺は、二十日超えたあたりで止めたろ?」
「どうして、勝てないの……」
男の言葉を聞き流し、ユーリは呆然と呟く。
「……まあ、女になれったって、無理にアレコレしようたあ思わねえ。ちょいと、俺の行く先々に、付き合ってくれりゃあいい。そういうことにしといてやるから、泣くな」
男の言葉に、ユーリはがばっと顔を上げた。
「ほえ、ほんと!?」
生気を取り戻したユーリに向けて、男がうなずいて見せる。
「ああ。ただし……色々、やってもらうけどな」
にやりと笑う男に、ユーリの頭の中にあらぬ想像が浮かぶ。顔色が、真っ青になった。
「ほえ……見世物……奴隷?」
「……人を何だと思ってんだ、ったく」
憮然としながら、男がユーリに向けて手を差し伸べる。
「そんじゃ早速、宿行くぞ。今日は寝て、明日っからきっちり百日間、働いてもらうからな」
「ほええええん!」
鳴き声を上げながらも、男に抗する術も無くユーリは連れて行かれたのであった。
宿に戻ると、ユーリはダイスと同じ部屋に入った。名目上は恋人同士であるものの、部屋の中ですることは石取りゲームである。そしてユーリの恋人期間は、いつの間にか一年を超えるくらいにまで膨れ上がっていた。
「なあ、そろそろ、諦めたらどうだ、ユーリ?」
「ほえええん! も、もう一回!」
「いいけど……ま、勝負しながら聞いてくれ。明日は別の店で、稼ぐ。ちょいと、荒っぽい連中の入る店なんだが……」
「ほえほえ……うん」
ダイスとの勝負と密談に、更け切った夜が白々と明けてゆく。こうしてユーリは、ドツボへと嵌ってゆくのであった。
ユーリとダイスの泊まる宿とは、別の宿屋の一室。机に書類を拡げたまま、シャイナは寝そべって天井を見上げていた。
「ユーリ、どこ行ったのかしら……魔王様も、姿を見せないし……はあ……」
ユーリが酒場へ行くと言って姿を消してから、もう四日目になろうとしていた。方々へ手を尽して行方を捜してはみているものの、都市は広く結果は芳しいものでは無かった。
ほえええん、とどこからか、ユーリの鳴き声が聞こえてくる。シャイナはじっと耳を澄ませ、それからふっと苦笑した。
「幻聴が聞こえてくるなんて、ね。ユーリ……」
仰向けになったまま、重い息を吐いて呟くシャイナであった。
一方、暗雲垂れこめる魔王城の頂上、魔王の部屋では真剣な面持ちで窓外を見据えるシアの姿があった。流れるような金髪に、ルビーレッドの見目麗しい幼女魔王は小さく息を吐く。
「もし、余の推測が正しければ、ユーリは……」
鈴を転がすような、可愛らしい声でシアは呟く。その傍らで、窓際の椅子に置かれた観葉植物魔物のつけた蕾がぱかりと開く。
「どうかされましたでしょうか、魔王さま?」
中から顔をのぞかせるのは、庭師の小悪魔チロルである。世話をしているのか食われかけているのか、その姿からは判然としない。
「ふむ。チロルか。何でもない……いや、お前に、聞きたいことがある」
「なんなりと」
蕾から這い出てきた小悪魔が、蜜か涎かわからぬものでべたべたになった全身を拭きながら傅いた。
「大切なものを……手に入れるために、何かを捨てなければならない。余は、初めてそれに出くわしたのだ。どうすればよいか」
「魔王さまであれば、なにものもてにはいるかとぞんじます。なれど、そーいうせんたくしであれば……」
「あれば?」
ぐっと身を乗り出すシアに、小悪魔は胸を張って言う。
「みこころの、ままに。それが、魔王というものです」
小悪魔の言葉と同時に、窓外に雷が落ちた。
「余の、心のままに……ふむ、そうか」
「はい。魔界は、魔王さまのおちからにてしたがえられておりますゆえ、どのようなめーれーでも、おちからがあればうけいれられましょう」
たどたどしく言う小悪魔に、シアは深くうなずいてゆく。
「そう、そうだな。余は、魔王。魔を統べる王である! なれば、全ては余の意のままに……それで、良いのであるな……ククク」
どおん、と遅れて遠雷の轟音が鳴り響く。その音すらかき消すように、シアの笑い声が魔王城から響き渡る。今日も、魔界は平和であった。
お読みいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけましたら、幸いです。




