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旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
35/58

恋煩いの処方箋 後編

今回も、とても長くなりました。適度に休憩などを挟んでご覧ください。

 山肌を縫う下り坂を降りてゆく馬車の一団が、徐々に小さくなってゆく。山小屋の屋根の上で、ユーリは別離の調べを奏でていた。

「さよーなら、さよーなら、またー逢う日までー」

 哀切溢れる美しい歌声が、木々の間を吹き抜ける風に乗って、どこまでも遠く響いてゆく。豆粒ほどに小さくなったシャイナの馬車にも、きっと届いているだろう。最後の一音を爪弾き終えたユーリには、そんな確信があった。

「ユーリ、あまり長く外にいると、身体に障ります。そろそろ、中に入りませんか?」

 聞こえてきた青年の声に、ユーリの長く尖った耳がぴょこんと揺れる。

「ほえ、わかった。すぐに降りるね」

 リュートを抱えたままユーリは屋根から飛び降り、空中で器用に一回転して着地する。ぱちぱちぱち、と青年が華麗なポーズを決めるユーリに拍手を贈った。

「もう、すっかり調子は良くなったみたいですね」

 青年の言葉に、ユーリは笑顔でうなずく。

「ほえ、まだちょっと、変な感じはするけど……これくらいなら、平気だよ」

 くいくいと腰や肩を捻るユーリに、青年が笑顔を返す。

「ええ。身体の成長に、意識が追いついてきたのでしょう。ですが、まだ関節が痛むようなら、変化は続くはずです。くれぐれも、無理はしないようにしてくださいね」

「大丈夫、大丈夫。何かあっても、先生が診てくれるんだよね?」

 嘯くユーリに、青年が真面目な顔になった。

「それはそうですが、健康が一番ですから。僕の出番は、無いほうが喜ばしいのですよ」

「ほえ、そうだね。でも、いざっていう時は、頼りにしてるからね、先生」

 にへらと頬を緩め、ユーリは青年に身を寄せる。ユーリの頭に、青年の少し硬い手のひらの感触があった。

「やれやれ。甘えん坊さんですね、ユーリは」

「えへへー、先生」

 頬を染めながら、ユーリはさらに青年に身を擦りよせる。ふっと、青年の身体が離れた。

「さて、僕は薬草の研究の続きをします。ユーリは、適当に寛いでいてください」

「ほえ、うん……先生」

「何でしょうか、ユーリ?」

 山小屋の玄関口で振り向いた青年に、ユーリはとびっきりの笑顔を見せた。

「お仕事、頑張ってね。私で手伝えることなら、何でもするから!」

 ユーリの言葉に、青年が目を細め微笑する。

「ありがとう、ユーリ。本調子になったら、薬草の採集でもお願いするかも知れません」

 青年の答えに、ユーリは薄い胸を叩く。

「任せてよ。身体を使うのは、ちょっと得意だから」

 こうして、青年とユーリの共同生活は始まったのである。


 山の上には、様々な植物が自生していた。カゴを片手に、ユーリはハートの形の葉っぱを集めてゆく。

「ほえ、これは、根っこを使うんだっけ」

 目の覚めるような青色の小さな花を咲かせる草を引き抜き、カゴへ入れる。

「お花は、家に飾ろうかな」

 にっこりと花に微笑みかけて、ユーリは呟く。青年の元に転がり込んで今日で丁度一週間、ユーリの中では山小屋はもうすっかり自宅となっていた。

「ほえ、こっちのは食べられるやつだね。今夜のおかずにしようっと」

 渦巻き型の山菜を抜いて、これもカゴへ入れる。カゴがいっぱいになるのに、それほど時間はかからない。崖の上で揺れる赤い花にちょこんと指を当てて、山頂からユーリは集落を見下ろした。

「……こういう、長閑な所もいいよね」

 背中のリュートを取り出して、構えた。爪弾くメロディが、ゆったりと空へ響いてゆく。

「青い空ー、気持ちいい風ー、ほえ、ぽかぽかお日様さんさんとー」

 伸びやかな歌声が、山の空気に溶けてゆく。どこからか、木を叩く木こりの音が応じるように上がった。ひとしきり歌ったユーリが演奏を終え、リュートを背中に仕舞う。

「ほえ、ちょっと物足りないかな……」

 都会の賑々しい酒場の、酔客たちからの拍手は無い。染み入るような静寂に、鳥の声と木こりの音色だけが、ユーリの耳に届いてくる。

「うん、薬草もいっぱい採れたし、今日はもう帰ろっかな」

 呟いて、ユーリは山の斜面を一気に駆け下りた。

 山小屋へ戻り、診療室の扉を開ける。

「おかえりなさい、ユーリ」

 ごりごりとすり鉢の前で手を動かしながら、青年が言った。

「ただいま、先生。今日は、たくさん採れたよ。これ、干して使うんだっけ?」

 振り向く青年に微笑み、ユーリはカゴを差し出す。

「ええ。これだけの数を、よく集められましたね。これだけあれば、しばらくは大丈夫ですよ」

 カゴに山盛りになった薬草を前に、青年は目を丸くし、それから微笑みかけてくる。

「ほえ、先生の役に立てたなら、嬉しい」

 にへら、と頬を緩めてユーリは言った。カゴの中から、採ってきた薬草、山菜と花を分類して並べてゆく。用途も処置方法も、様々にあった。

「先生、見て」

 青い花を髪に挿して、ユーリははしゃいだ声を上げる。

「よく、似合ってますよ、ユーリ。それは根の部分だけを使うので、お花は好きにしてください」

「ほえ、じゃあこっちは?」

 手のひらほどの白い花を頭に当てて、ユーリは小首を傾げる。

「ええ、とても可愛いですね。ですが、そちらは花弁を使うものですから、置いていっていただけますか?」

 にこやかに青年が言う。

「ほえ、うん……先生、これから研究?」

「はい。まずは下処理をしてから、成分の抽出を。大量に採ってきてもらって、本当に助かりましたよ、ユーリ」

「他ならぬ先生のためだもん。それじゃあ、私も山菜のあく抜きとかしてくるから。今日の晩御飯は、期待しててね」

 分類した山菜をひとつかみして、ユーリは微笑む、

「ええ、楽しみにしています。あ、ユーリ」

 背中を向けかけたユーリを、青年が呼び止める。

「ほえ、なあに、先生?」

 問いかけるユーリの胸元へ、青年が赤い花を差し出した。

「僕は、こちらが一番似合うと思いますよ」

「ほえ、ありがと、先生!」

 花を受け取り、ユーリは診療室を出た。


「ほえ、ほえ、ほえー」

 台所で鍋をかき混ぜながら、ユーリは鼻歌を歌う。動きに合わせて頭の横で、赤い小さな花が揺れる。フリフリのエプロンを身に着けて、おたまを握る手がリズミカルに動く。くつくつと煮立った鍋の中身が一体となり、良い香りを漂わせていた。

「ほえ、できた!」

 隠し味にクルミを落とし、鍋をかまどから下ろす。木をくりぬいた深皿に盛り付ければ、スープは完成だった。

「あとは、パンだけだね……小麦粉も少なくなってきたから、明日は麓まで買い出しに行こうかな」

 トレイにスープとパンを乗せて、診療室へと向かう。二人分のトレイを両手に持ったまま、ユーリは器用に扉を開けた。

「ほえ、お待たせ、先生……うぐ」

 開いた扉の向こうから、青く苦い草の臭いが流れてくる。鼻を押さえるわけにもいかず、ユーリは顔を顰めて呻いた。

「ありがとうございます、ユーリ。今、少し手が離せないので食事はそのへんに置いておいてもらえますか?」

 ぴしぴしと目を刺す刺激の中から、青年の声が聞こえた。

「ほえ、先生……ここで食べるの?」

 恐る恐る、ユーリは問いかける。一瞬、窓を開けて空気の入れ替えを考えたがすぐにその考えは放棄した。こんな空気を流せば、ご近所さんに迷惑がかかってしまう。

「ええ。今日も、遅くまで研究を続けますので。先に食べて、ユーリは寝ていてください」

 返ってきた答えにユーリは逡巡するが、薬品の臭気に追い出されるように青年の分のトレイを置いて部屋を出た。後ろ手に扉を閉めつつ、台所へと戻る。山小屋は広く、食堂を兼ねた小さな居間もあったがそちらへ行く気にはなれなかった。

「ほえ……うん、おいしい」

 スープにパンを浸し、もそもそと夕食を平らげる。使い終わった食器は、洗い場に放り込んだ。

「……先生、忙しいのかな」

 呟き、台所のテーブルの上に肘を置いて手のひらに顎を乗せる。一緒に暮らし始めてから、ずっとそうだった。草を挽いて汁を煮詰めたり、薬品に混ぜてみたり、青年はひたすら研究に明け暮れていた。ふたりの時間は、朝食をとる僅かな間しかない。現状を想えば、ユーリの口から長い息が漏れた。

「……もしかして、恋人になってくれるっていうのは、私に言う事聞かせるために仕方なく、だったのかな」

 ぽつり、と漏らしたユーリは、即座に首を横へ振った。

「ほえ、そんなこと無いよね。お花、可愛いって言ってくれたし……えへへ」

 昼間の様子を思い返し、今度はにへらと頬を緩ませる。一人でうんとうなずき、ユーリは立ち上がった。

「きっと、研究に一区切りついたら、いちゃらぶできるよね。うんうん」

 冷たい水に浸けていた食器を洗い、ユーリはひとりごちる。赤い花が、頭の横で揺れていた。


 湯浴みを済ませ、寝間着に着替えたユーリはベッドへ入った。少し間隔を置いて並べられたベッドの片方を、ユーリは少しだけ引き寄せる。同居を始めてから、毎夜続けてきたことだった。

 初め、寝室にはベッドが一つしか置かれていなかった。ユーリとしては一つのベッドでも良かったのだが、青年がうなずかず、診療室で寝ることを主張した。それならば、とユーリが十分足らずで作り上げたのが、もう一つのベッドなのである。ぴたりと誂えたように青年のベッドの隣へ収まるように作ったユーリのベッドは、人一人分の間隔を空けて設置される運びとなった。ユーリの努力の甲斐あって、その間隔は今は半分ほどまでに詰められている。

「ほえ。これなら、もう少しだね」

 布団にくるまり、満足そうにユーリはうなずく。くだらないことかも知れないが、本人としては真剣なのである。ベッドの距離が縮まれば、そのぶん青年との距離も縮まる。ぴたりと繋がってしまえば、ころころと転がってくっつけるかも知れないのだ。

「でも……できれば先生からが、いいな」

 呟いてから、ユーリは真っ赤になって布団を頭からかぶった。ユーリは瞬時に眠ることのできる特技を持っている。野宿などもする旅の途次では、必要なものだった。意識を眠りに落とし、呼吸を静かなものへと整えてゆく。

「おやすみなさい……先生」

 ささやかな吐息で、ユーリは言った。

 眠り始めてから、しばらくが経ったとき、ユーリの意識は覚醒をする。研ぎ澄まされたユーリの感覚は、たとえ眠っていてもちょっとした変事に気付く。本能で身を起こそうとする身体の動きを、ユーリは抑え込んだ。

「ほえ……先生?」

 代わりに、ほとんど吐息だけで囁く。直後、青年がユーリへと覆いかぶさってきた。ぴん、とユーリの頭の中に、閃くものがあった。ついに、来たのだ。その時が。どくんとユーリの心臓が、ひっくり返るくらいに激しく鼓動する。素早く手を動かして、ユーリは青年の身体との間にある布団を抜き取った。

 のしかかる青年の身体の重みと熱さが伝わり、ユーリは頬を真っ赤に染める。

「先生……」

 熱のある吐息を口に乗せて、青年の顔を見上げる。目を閉じた青年の顔が、近づいてくる。ユーリは、ゆっくりと目を閉じて唇をそっと突き出した。

 ぽすん、とユーリの頭の横に青年の頭が落ちた。ユーリの長い耳が、青年の口元へと挟まれた。聞こえてくるのは、すう、すうという寝息ばかりである。

「ほえ、先生。寝ちゃったの?」

 ユーリの声に、青年が口をモゴモゴと動かす。少し乾いた唇が、ユーリの耳をくすぐった。

「ひゃ、先生……あ、これ、完全に寝てる……」

 頬を突いたり脇腹をこしょこしょしてみたが、青年の眠りは深く意識を取り戻す様子は無い。息を吐いて、ユーリは払いのけた布団に片足を伸ばし、青年の身体の上から器用に掛けなおす。

「もう、先生ってば、しょうがないんだから……」

 草の臭いの染み付いた身体を抱き締めて、ユーリは目を閉じる。静かな鼓動が、ユーリの耳に心地よく響いていった。


 翌朝、ユーリは上機嫌で朝食を並べてゆく。フリフリのエプロンを身に纏い、身だしなみは完璧だった。

「おはようございます、ユーリ。今日は一段と、元気そうですね」

 洗顔を済ませてさっぱりとした顔の青年が、ユーリに向けて微笑んだ。

「おはよ、先生。もう、食事はできてるよ」

 パンとサラダとスープの並んだ食卓に、青年が感嘆の息を吐く。

「毎朝、ありがとうございます。ユーリの作るご飯は、とても美味しいですからね。毎朝が、楽しみになります」

 向かい合わせに座ったふたりが、食事を始める。

「先生、昨日は疲れてたの? 着替えもしないで、寝ちゃってたよ?」

 サラダをかじりながら、首を傾げてユーリは言った。

「ええ。夜半過ぎまで、研究を続けてしまいまして……ベッドに入る頃には、意識がもう無かったくらいです。これは、ユーリが?」

 言いながら、青年が差すのは自分の着ている寝間着である。ユーリはこっくりとうなずいた。

「ほえ。よれよれになったら、格好悪いから。今朝洗って、ちゃんと干してあるからね。新しいの出してあるから、ご飯終わったら着替えてね」

 ユーリの言葉に、青年が感じ入ったように目を潤ませる。

「……ユーリは、よく気がついてくれますね。綺麗で、聡明で……」

「ほえ? ど、どうしたのいきなり」

 笑顔で言う青年に、ユーリは照れるより先に驚いてしまう。

「いえ、僕のような研究馬鹿には、勿体無いくらいの恋人だな、と」

「ほえ、先生は、人を助けるために研究してるんだよね? 私は、そんな先生の邪魔になってないか、心配なくらいで」

 フォークを置いて、しどろもどろに答えるユーリの手を、青年がそっと握る。

「……ユーリ。本当に、僕でいいんですか?」

「先生……?」

 言葉の意図がわからず、ユーリは首をちょこんと傾ける。赤い花が、揺れた。

「ユーリには、好きな人が、いたんじゃないんでしょうか」

 言われて、ユーリの頭の中に広く逞しい背中が一瞬過ぎった。だが、すぐに首を横へ振ってユーリは青年の手を握り返す。

「今は、私は先生が好き。他の人なんて、もう目に入らないくらいに。先生は? 私のこと、好き?」

 祈るような気持ちで、ユーリは訊いた。わずかに頬を染めた青年が、小さくうなずく。

「はい。僕は、あなたが好きです、ユーリ……」

 真剣な顔で、青年が言った。そして、ユーリの手をくいと引く。ぴん、とユーリの頭の中に、閃くものがあった。今度こそ、来たのだ。その時が。ユーリは椅子から腰を浮かせ、青年の目をじっと見つめる。手のひらから、熱い脈動が伝わってくる。これは、行ける流れである。確信と共に、ユーリはそっと目を閉じた。

 バタン、と大きな音を立てて居間の扉が開いたのは、その時だった。驚いたユーリの横っ腹に、勢いよく何かがぶつかってくる。押されるままによろめいて、ユーリの手は青年から離れた。

「ユーリよ、余は、ついにやったぞ!」

 胸の中で感極まった声を上げるのは、金髪幼女魔王シアである。

「ほ、ほえ、シア? 今、いいところなんだから、邪魔しないでって……あれ、シア? 何かボロボロだね。あと、ちっちゃくなった?」

 ぐりぐりと頭を擦り付けてくるシアに、ユーリは声を上げる。以前は立っていれば肩のあたりにあったシアの頭は、胸のあたりに落ち着いている。そして、シアの身に着けた黒のゴシックロリータのドレスはあちこちが破けて焦げたりしていた。

「ふむ……余の最小サイズは変わらぬ。お前が大きくなったのではないか、ユーリ?」

 言ってシアが身を離し、ユーリをまじまじと見つめる。

「ほえ、そんなに違う?」

 首を傾げ、ユーリはくるりと身を回す。シアが、うなずきを見せた。

「うむ。やはり、お前が大きくなったのだ。第二形態を、手に入れたのか?」

「違うよ。普通に、成長したの。シアと一緒にしないで」

 ぷく、と頬を膨らませてユーリは言った。

「ほえ、それでシア。何しに来たの? 今、とってもいいところだったんだけど」

 横目になって睨むユーリに、シアが胸を張る。

「そうだ、ユーリよ。まさにそのことだ。死病に侵されたお前を救うために、余はついにやったのだ!」

「……死病? あっ」

 ユーリは、声を上げた。同時に一週間前の醜態を思い返し、羞恥に顔が赤くなる。

「あ、あのね、シア。あれは、その……」

 もじもじとするユーリを前に、シアが手を突き出した。

「何も言わずとも、解っている。余は、お前をずっと見つめ続けてきたのだ。死病の恐怖に耐えて、暮らしてきたのであろう。だが、もう案ずることなど、何もない!」

 大見得を切ったシアが、居間の入口を振り返る。開け放たれた扉の前に、いつの間にか一人の女性が立っていた。

「……お、おはようございます、ユーリ、さん……」

 陰気で気弱な笑みを見せる女性が、居間へと入ってくる。それだけで、部屋の温度が五度くらいは下がった気がした。黒いローブを纏い、端からのぞく青白い手足は痩せている。頬もこけて肉が削げ、赤い眼は乾ききっていた。黒いウエーブのかかった長髪を揺らし、一歩、一歩とよろめくように女性はユーリの前まで歩み寄ってきた。

「ほ、ほえ? あなたは……?」

 若干引き気味になりながら、ユーリは問いかける。女性が、動作だけは優雅に一礼を見せた。

「死神……です。ダイアナといいます。ユーリ、さん。この度は、こちらの手違いで、お騒がせしてしまい……申し訳ありませんでした」

「し、死神? ねえ、シア、どういうこと?」

 頭を深く下げる死神を指差して、ユーリはシアに問う。

「うむ。余はあれから冥府に赴き、お前の寿命を延ばすよう死神に申し付けた。言う事を聞かないので、戦いになったのだ。長く、苦しい戦いであった……だが、喜べユーリよ。余は、死神に打ち勝ち、こうして連れてくることができたのだ」

 幼い身体を精一杯に反り返らせて、シアが言った。死神が、頭を上げる。

「償いといたしまして、二百年の寿命にプラスして、三百年を寿命とさせていただきます。ご不満であれば、もう少し裁量いたしますが……お許し願えますでしょうか……」

「ほえ、三百年……」

 呆然となったユーリが、その数字を口にする。

「どうだ、ユーリよ? いかにも短いとは思うが、余との逢瀬には充分な時間であろう。そして、寿命を迎えたのであればその時は、また死神と交渉をすればよい。余が付いている限り、お前は永遠の生を余と謳歌できるのだ」

 傲岸な笑みを浮かべ、シアが言う。そちらへは目をくれず、ユーリは死神を見つめる。

「ほえ、ダイアナさん。それなら、私の寿命を延ばす代わりに、あの人の寿命を延ばすこと、できませんか?」

 ユーリに言われ、死神が青年へと目を向ける。びくん、と死神の身体が震えたように、見えた。

「……わ、私は女性専門ですので、男性の方は、その、何とも……ああ」

 言いながら、死神の視線は青年に吸いついたように離れない。

「ほえ……何?」

 死神の様子に、ユーリは声を上げる。

「何と、美しい魂でしょうか……ああ……そ、そこの御方、どうか、私と一緒に冥府へ来ていただけないでしょうか。冥府には、迷える魂がたくさん流れてきます。彼らの救いとなり、私と共に冥府を治めていただければ……」

「だ、駄目に決まってるでしょ!? 何考えてるの? 先生、先生からも、何か言ってやってよ」

 顔色を変えて大声を出すユーリの前に、青年がそっと割り込んだ。

「ダイアナさん、と仰いましたか。手を、見せていただけますか?」

 青年の言葉に、死神がやせ衰えた手を差し出す。魔王との戦いの末なのか元からなのか、その手は病的なまでに青白く、筋張ってしまっていた。

「……かすかに、脈がありますね。微熱もあるようです。肌の張りも、良くない。これは……治療が必要ですね」

 軽い診察を終えて、青年が言う。

「えっ、せ、先生?」

 戸惑うユーリに背を向けたまま、青年が死神の手を両手で包むように握りしめた。

「どうか、僕にあなたを治療させていただけないでしょうか?」

 真摯な瞳で、真っすぐに死神を見つめ青年が言った。青白い死神の頬に、わずかな朱が差し込む。

「……はい。ですが、私は冥府の管理を任された身です。すぐに冥府へ戻らねば」

「ならば、僕がそこへ向かいましょう。こんなに重篤な病人を、放っておくわけにはいきませんから」

 ぱっと立ち上がった青年が姿を消し、白衣を纏いカバンを持って再び現れる。

「では、行きましょうか」

 死神の手を取ろうとする青年の腕を、ユーリははっしと掴んだ。

「ほえ、駄目だよ、先生! 冥府に行ったら、死んじゃうよ!」

 必死の形相で、ユーリは制止する。だが、青年は首を横へ振りユーリの肩へ手を置いた。

「たとえ決死の道であろうとも、進まねばならないならば行くのみなのです、ユーリ。僕は、医師ですから。病苦に悶える人を、放っておいてはいられません」

「先生! それなら私も……!」

「ユーリ。僕は、あなたが好きです。だからこそ、決死の道へ巻き込むことは出来ません。それに、あなたは医師では無いのです。あなたは、あなたの歩むべき道を、お行きなさい」

 ふっと、青年が笑みを見せる。その瞳の中にある決意の強さに、ユーリの身は竦んだ。

「では……共に冥府へ……」

 死神が言って、青年の腕を取る。二人の全身が、青白い炎に包まれてゆく。

「先生、せんせーい!」

 薄れゆく青年の姿に、ユーリはあらん限りの声を上げた。さようなら。青年の口が、そう動いたようにユーリには見えた。

 炎は小屋に焦げ目ひとつつけることなく、徐々に小さくなって消えた。死神と青年の姿は無くなり、居間にはユーリとシアだけが取り残された。

「シア……」

 ゆっくりと顔を上げて、ユーリがシアに顔を向ける。

「ユーリ……?」

 気遣わしげな表情で、シアが見返してくる。ボロボロになったその姿を見て、ユーリは首を横へ振った。

「ううん、何でもない。シャイナのとこに、戻らなくちゃ……」

 力ない足取りで、ユーリは山小屋を出た。すぐ後ろから、シアもついてくる。

「ユーリ。なんとなれば、余がもう一度」

「いいの、シア。あの人が選んだのは、病人なの。だから、いいの……そんなにボロボロになるのも、もう、しなくていいの……」

 誰も居なくなった山小屋の屋根に駆け上がり、ユーリはリュートを取り出し爪弾いた。哀しく、切ない旋律が集落へと響いてゆく。

「さよなら……先生……」

 思いの丈を込めて、ユーリは涙に途切れる歌声を上げる。旋律に耳を傾けていたシアの背中から、一対の翼が生えた。

「行こうか、ユーリ。もう、ここに用はあるまい」

 ユーリの腰に、細く小さな指がそっと添えられる。ユーリは黙って、シアに身を任せた。シアに抱えられ、大空を舞い上がる。リュートの音色と涙を零しながら、ユーリは風に乗ってどこまでも飛んでいった。


 寒風吹きすさぶ北の大地の中に、キャラバンはいた。白くなる吐息を指先に吐きかけて揉み合わせながら、シャイナは空を見上げる。

「どうぞ、温かいうちに」

 鼻先に、香気と湯気を立てるカップが差し出された。

「ありがとう、ゴドー。北風が、厳しくなってきたわね」

 カップを受け取ったシャイナにうなずき、ゴドーも空を見上げる。

「……風が、泣いてるんでさあ。北風の鳴き声と一緒に、雪が降るって話もありますぜ」

 ゴドーの言葉に、シャイナは黙って空に視線を戻す。

「……来た道を振り返るのは、未練かしらね?」

「さあて、あっしには何とも……おや」

 空の一点を見つめたゴドーが、声を上げる。

「どうしたのかしら、ゴドー?」

「いえ、随分でっけえ鳥が、飛んでるもんだと思いやして……見間違いですかねえ?」

 言われて、シャイナもゴドーの見ていた方を見る。鉛色の雲が垂れ込めているばかりで、何も見えない。つんつん、と背後から腰をつつかれたのは、その時である。

「な……えぇっ?」

 振り向いたシャイナの視線の先には、少し大人びたエルフの少女と寄り添うシアの姿があった。

「ま……お嬢様? これ、もしかして……」

 少女を指差すシャイナの胸に、少女が飛び込んでくる。

「ほええええん!」

「ユーリ!? ユーリなの!?」

 驚きの声を上げつつも、胸の中で泣きじゃくるユーリの背をシャイナは優しく撫でる。

「本当に、見違えちゃったわね。お帰りなさい、ユーリ」

 肩口にあるユーリの顔へ向けて、シャイナは言った。



 さくさくと馬の蹄が雪を踏み、軽やかな音を立てる。連なった五台の馬車は、薄く積もった雪の上を進んでいた。

 先頭を行く馬車の幌の上で、少し丈の短い衣装とマントに身を包んだユーリがリュートを爪弾き、陽気なメロディを奏でる。

「しんしんしんとー、雪がー降るー。あったかいお茶が、恋しいなー」

「……その恰好だと、少しは寒いのかしらね。早く次の町で、お洋服を仕立て直さないといけないわね」

 御者台の上で、こちらは防寒着に着ぶくれたシャイナが言った。

「寒いのであれば、余が温めるというのはどうだ? 無論、人肌でだが」

「ほえ、人じゃないでしょ、シアはー」

 陽気な歌声と轍の跡を残して、ゆるゆると馬車は進んでゆく。ユーリの旅は、まだまだ続いてゆくのであった。


 なお、冥府へ赴いた青年は死神の専属医師となり、その激務を大いに助けたのであるが生者であるユーリたちにとってそれは知る由もない話なのであった。

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