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旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
33/58

冷たい眼鏡とガラス管 後編

金曜に更新するつもりが、日付をまたいでしまいました。お待ちいただいていた方々には、深くお詫び申し上げます。

 魔王城の朝、魔王の元に集まった魔族たちは朝の体操と会議を終えて、きびきびとした動作で会議室を後にしてゆく。やがて会議室の中には、魔王シアと魔将軍、魔参謀と魔神官の四人だけが残った。

 異形の者たちがいなくなり、広くなった部屋の机にシアは一枚の紙を置く。それは、ユーリの似顔絵だった。クレヨンを画材に描かれた似顔絵は、温かみを感じさせるものであった。

「さて、此度お前たちを残したのには、理由がある」

 シアの言葉に、魔将軍らの視線が集まる。

「この小娘は……魔王様のご執心のお相手でしたな」

 魔将軍の言葉に、魔参謀がうなずいた。

「吟遊詩人ユーリ。我らの調略が実を結び、ついに魔王様の友人にまで登りつめたハーフエルフの少女ですな」

 魔参謀の言葉を、重々しくうなずく魔神官が引き継ぐ。

「我が暗黒教団の活躍によるものです。もっとも、魔王様の魅力無くしては達成の出来なかった偉業ではありますが」

 手を組み合わせて祈りの型を見せる魔神官に、シアはうなずいた。

「うむ。お前たちは皆、ユーリと面識がある。作戦を遂行する上で、多少なりともその人となりに触れたことのある者たちだ。魔界随一の称号を持つお前たちならば、此度の件に関しても、きっと余の援けとなるであろう」

 シアの言葉に、三者一様に驚きの表情を見せ、そして揃った動きで深く一礼する。

「勿体なきお言葉にございます」

「全知全能の神たる魔王様の信頼に、我が身命を賭して、必ずや応えてご覧に入れましょう」

 魔将軍と魔神官が、それぞれ感謝の言葉を口にする。

「……して、魔王様。此度の件について、詳しくお聞かせ願えませぬか」

 魔参謀が冷静に、シアを見据えて言った。シアはうなずいて見せ、そして語り始める。雁首揃えた魔界随一の三者たちが、時折うなずきを交えながら静聴する。

「……というわけで、余の第二形態を見たユーリは興奮した様子で、余に裏切り者と言って席を立ってしまったのだ。この反応について、お前たちはどう考える?」

 シアの問いに、魔将軍が椅子を蹴って立ち上がる。

「魔王様に対し、何という無礼! 許してはおけませぬ!」

 いきりたつ魔将軍に、シアは右手を挙げて制する。

「ユーリに対し、余は礼を求めてはおらぬ。お前の言葉も解るが、問題はそこではない」

 すぱりと切れ味の良い口調で、シアは断じた。魔将軍が肩を落とし、椅子へ腰を下ろす。

「やはり、魔王様への敬意と愛情が足りぬように思われます。我らの暗黒教団へ入信させてはいかがでしょうか?」

 魔神官の言葉に、シアは首を横へ振る。

「ユーリを思想に染め上げてはならぬ。ユーリは、何物にも染まらぬままであって欲しいと余は願っている」

 じっと魔神官を見据えてシアが言う。魔神官はむむと唸り、残念そうな顔を見せた。

「お前の意見は、どうだ、魔参謀ルクスオルよ?」

 沈黙を続ける魔参謀へ、シアは問いかけた。

「……聡明かつ冷静沈着な魔王様におかれましては、らしくありませぬな。此度の件は、考えるまでも無いことかと存じ上げまする」

 自信に満ちた声音で、魔参謀が言った。

「ほう、お前には、解ると申すか」

「はい。私が愚考いたしまするに、かの小娘は魔王様に恐れと、そして羨望を抱いたのでありましょう」

「ほう、恐れと、羨望……」

 目を細くするシアに、魔参謀がうなずいた。

「左様にございます。人間とは自らが決して持ち得ぬ力を恐れ、そして羨むものです。かの小娘がエルフであっても、それは同様にございます。何故ならば、魔王様の御力はまさに別格であらせられるからでございます」

「なるほど。理解の及ばぬほどに隔絶した力を見せつけられ、恐れを抱いたということか……だが、裏切り者、とはどういう意図だ?」

 シアの問いに、魔参謀は指を一本、立てて見せる。

「まず、魔王様とかの小娘は友人関係にあります。友人とは、普通対等であるものにございます。かの小娘は、魔王様の御情けによって友人の座に居るわけでありますが、それを理解していなかった。ゆえに、魔王様の御力の一端を見た折に、対等ではない、と感じたのではないでしょうか」

 ふむ、とうなずくシアに、魔参謀は二本目の指を立てる。

「そして第二に、席を立った件についてです。こちらは、簡単です。かの小娘は、魔王様の至高の戦闘形態である最終形態にただならぬ恐れを抱いております。魔王様の形態変化を理解しておらぬのであれば、形態が変化すること自体を恐れ逃げ出したというのが、導き出される推論にございますれば」

「つまり、余はユーリに形態変化を理解させねばならぬ、ということか」

 言葉を遮り言ったシアに、魔参謀は我が意を得たりとうなずく。

「はい。そうすることにより、かの小娘の魔王様への理解は一層深まり、敬愛と友情はなお強き絆となる筈でございます。錬金術師などよりも、魔王様の御力と智慧の方がより優れている、と理解すればかの小娘も必ずやこちらへ靡きましょう。で、あるならば……」

「まずは、形態変化のマニュアルを、作成するべき、か」

 顔を寄せ合い、シアと魔参謀が草案を練り始める。ぽかん、と口を開けた魔将軍と魔神官が、互いに顔を見合わせた。

「……我らの出る幕では、無いようだな魔神官殿」

「……そうだな、魔将軍殿」

 魔王の名において呼び集められた以上、勝手に会議室を出ることもできずに二人は息を吐くばかりだった。

「仕方ない。茶でも淹れてくるとしようか」

「では、こちらで軽食を手配いたしましょう」

 手持無沙汰な二人の魔族が、甲斐甲斐しく動き始める。今日も魔王城は、平和であった。


 その日の朝もユーリは、サイラスの錬金術研究所に足を運んでいた。試験管を手にしたサイラスが、ふむとかううむとか唸る間、暇を持て余したユーリはリュートを爪弾く。雑然とした研究室の中に、ほろりと音色が溶けてゆく。

「気が散るので、やめろ」

 あっという間に、サイラスに怒られてしまった。ユーリは仕方なく、リュートを仕舞い懐からコウモリのぬいぐるみを取り出した。それはシアに貰ったもので、お腹を押すとキューと鳴く。

「ほえ、ほえー」

 静かな研究室の中に、ほえ、キューと二種類の鳴き声が合唱する。しばらくコウモリのお腹を押していたユーリだったが、ふと視線を感じて顔を上げる。

「…………」

 サイラスが、黙ったままユーリを見つめていた。

「ほえ、なあに?」

 首を傾げるユーリへ、サイラスが視線を逸らし首を横へ振る。

「……なんでもない」

 試験管に入った薬液を見つめて、サイラスが言った。ユーリはまた、コウモリのお腹を押す。キュー、と鳴き声が上がる。視線を感じ、サイラスへ顔を向ける。サイラスが、黙って視線を逸らす。

「……ほえ」

 今度は、サイラスへ視線を向けたままコウモリのお腹を押した。ユーリの視線に気づいているのか、サイラスが視線を向けてくることは無い。だが、その長い耳がぴくりと僅かに動いた。

 三回連続で、コウモリを鳴かせてみる。ぴくり、と三度、サイラスの耳が動く。

「ほえ、こういうの、好きなんだ?」

 キュー、とコウモリを鳴かせながら、ユーリは聞いた。

「……別に、嫌いな音ではない。それだけだ」

 ぴくりと耳を動かし、サイラスが答える。試験管の中の液体が、赤色からくすんだ紫色へと変わる。小さく息を吐き、サイラスが試験管を置いた。

「……順調?」

 問いかけてはみたものの、サイラスの表情からそうではないことは窺い知れる。案の定、サイラスは首を横へ振った。

「駄目だな。お前の血は、信じられんがハイエルフとダークエルフの混じり合ったものだ。これに手を加えるには、私の技術では難しいかも知れん」

 言いながら歩み寄ってくるサイラスの視線が、コウモリのぬいぐるみへと注がれる。

「触りたいの?」

「……インスピレーションが、必要だ。きっかけくらいには、なるかも知れない」

 仏頂面で言うサイラスに、ユーリは悪戯っぽく笑う。

「ほえ、素直に触らせてって言ってくれたら、いいのに」

「お前の薬の為だ。協力は惜しまないのではなかったか」

 差し出してきた右手に、ユーリはコウモリをそっと手渡す。

「友達に貰った、大事な物だから。優しく扱ってよね」

 コウモリを受け取ったサイラスは答えず、お腹をぐっと押す。キュー、とコウモリがひとつ鳴いた。

「……手作りなのか、これは?」

「うん、そうだよ。可愛いでしょ」

 微笑むユーリに、サイラスはコウモリをさらに鳴かせる。キュー、という音に、サイラスの耳がぴくぴくと動く。

「その子の鳴き声聞いてると、気分がちょっと落ち着くの」

「そうだな。これは、そのように作られたものだ……素晴らしい。分解しても、構わないか?」

「ほえ、駄目だよ。優しく扱ってって、言ったよね?」

 物騒な言葉に、ユーリは慌ててサイラスの手からコウモリを奪い取る。キュ、とコウモリが短く鳴いた。一瞬、何とももの悲しい表情を浮かべたサイラスが、真顔になって眼鏡をくいと上げる。

「……同じものを、また作らせることはできないか?」

「ほえ……どうだろ? 私がお願いすれば、作ってくれるかな。でも、分解とかするつもりなら、やだよ」

「錬金術の発展には、犠牲が付き物なのだが」

「ほえ、駄目なものは、駄目だよ。ねー?」

 コウモリを見つめ、ユーリはお腹を押す。キュー、と返事のようにコウモリが鳴いた。

「……ふむ。ならば、せめてその友人に、会ってみたいのだが」

「……どうして?」

「そいつの持つ技術が、私の錬金術を高めるのに役立つかも知れないからだ。もしかすると、薬の研究が一気に片付くかも知れん」

 そう言われて、ユーリは少し考え込む。シアとは、昨日喧嘩別れのような事をしてしまったばかりだった。そのせいか、今朝は姿を見せてはいない。基本的にシアがユーリに寄ってくるので、ユーリからシアを呼び出すことは不可能なのである。そしてユーリは、昨日のシアの第二形態を思い浮かべる。もやもやとした気持ちが、ユーリの胸の中に沸きだしてくる。あの姿のシアを、サイラスには会わせたくはない。ユーリはほとんど本能的に、そう思ってしまった。

「ほえ……いつでも会えるって訳じゃないから、難しいかも」

 眉根を寄せて、にへらと作り笑いをしながらユーリは言った。

「……そうか。残念だ」

 がっくりと肩を落とし、サイラスは再び実験器具へと向き直る。ずらりと並んだ試験管の中へ、スポイトの薬液を一滴ずつ、落としてゆく。

「ほえ、そろそろお昼だし、一息入れたら?」

 黙々と作業を続ける長身の背中へ、ユーリは声をかける。

「残り時間が、あと二日と数時間しか無い。ならば、休んでいる暇は無い。もちろん、お前もだ」

 くるり、と振り向いたサイラスが、三本の試験管を突き出してくる。

「ほえ、これは?」

 問いかけるユーリに、サイラスの眼鏡がきらりと光る。

「ちょっとした実験だ。五分おきに、右から一本ずつ飲め。効果が出れば、さらに続ける」

 ごくりと唾を飲み、試験管を見る。三本とも、毒々しい色合いの液体が入っていた。

「……飲んでも、大丈夫だよね?」

 試験管を指差して問いかけるユーリに、サイラスがにやりと笑った。

「錬金術の発展には、犠牲はつきものだ……いや、冗談だ」

「あんまり、笑えないよ……」

 言いながら、ユーリは言われた通りに試験管を口の上で傾け、液体を飲み込む。甘くも苦くも無いそれは、逆に飲み込むのに苦労をするような粘度と味であった。

「ほええ……すっごくまずいね」

「味を加えると効果が薄まる。我慢しろ」

 そう言って、サイラスが一歩後ろへ下がる。

「ほえ?」

 首を傾げかけたユーリの頭に、ぴりりと何かが走り抜けた。

「なんか、頭がむずむずしてきた……ほえぇ」

 ぞわり、と頭皮の上を襲い掛かってくるのは、痒みであった。結い上げて束ねた髪の付け根が、痒くなる。髪を解いたユーリは、思い切り掻き毟りたい衝動をなんとかこらえ、頭を手のひらで強く揉んだ。

「ほえ、これ、何なの……うぅ」

 ユーリの様子を見て、サイラスがひとつうなずく。

「手始めに、髪を伸ばす薬を作ってみた。痒いのは、副作用だな」

 さらっととんでもないことを言うサイラスの声は、ユーリにはほとんど届いてはいない。急速に伸び始めた髪の毛が、指の間を滑ってゆく。あっという間に、髪先が床へくっついたが伸びはまだまだ止まらない。

「ほえ、止めてー!」

 ざわざわと伸びてくる髪の毛に包まれ、毛玉のようになったユーリが叫ぶと髪の成長はようやく止まった。

「ふむ。良い結果だ。三メートルは伸びたか。だが、薬の効果が切れるのが、思ったよりも早いな。やはり、改良が必要か」

 さらさらと、メモを取る音が聞こえてくる。

「……ねえ、これ、切ってもいい?」

 毛玉の中から、ユーリは言った。

「好きにしろ。だが、切った髪は実験材料になる。束ねて置いておけ」

 ごとん、とユーリの足元に何かが置かれた。伸びすぎた前髪のおかげで見えないが、そこへ髪を入れろということなのだろう。髪の重さに辟易していたユーリは、とりあえず懐から鋏を取り出し適当に髪を切った。もさもさとした髪の毛をまとめて、箱の中へと入れる。

「ねえ、鏡無いかな? ちょっと仕上げをしたいんだけど」

 そう言ったユーリの前に、二本目の試験管が突き出された。

「それは、後だ。次の薬を飲め。背を、伸ばしたいんだろう?」

 頬を膨らませつつ、ユーリは二本目を口にする。やはり味は無く、どろりとした液体は咽喉越しも最悪であった。

「うえぇ……今度は、何のお薬なの?」

 じろり、と視線を向けるユーリを、サイラスは冷淡な瞳で見下ろす。

「爪だ。靴は脱いでおいたほうがいいな」

「ほええ!?」

 ユーリの両手両足に、むずがゆい感覚が走り抜ける。急いで靴と靴下を脱いだユーリの足の爪が、見る間に伸びてゆく。手の爪も、信じられないくらいに伸びた。

「……うん、さすがに怖いよ」

 かちかちと、手の爪を打ち合わせて鳴らしつつユーリは呟く。伸びた爪は途中でくるりと渦を巻き、ぶらぶらと揺れていた。それを見やりつつ、サイラスが眉を顰める。

「薬の効果時間が、短いな。もう少し伸びると思っていたのだが……」

 メモを取り始めるサイラスの前で、ユーリは息を吐いて爪を切り落とす。

「髪の毛と、同じ場所でいい?」

 箱を前に問いかけるユーリに、サイラスは小さくうなずく。ユーリは素早く爪を箱に仕舞うと、爪切りで両手両足の爪を整えた。やすりがけが終わったところで、三本目の試験管が突き出される。

「……今度は、何?」

 半目になったユーリが、サイラスに問う。

「肌質を変える薬だ。今度は、どこも伸びはしない」

 サイラスの言葉を信じて薬を飲んだユーリの全身が、虹色に点滅した。戻るのに、一分ほどかかった。


 それからも、様々な実験が繰り返された。大量の薬を飲み、身体のあちこちがおかしな具合になったが、ユーリの体調そのものはすこぶる良好であった。二日間、不眠不休で実験に付き合っていたが、不思議と眠たくなることもお腹が減ることも無かった。身体の異変が大変で、それどころでは無かったというのも、あった。

 そのへんに積み上げられたがらくたの上に座ったユーリの前で、サイラスが幾十本目かの試験管に薬液を投じる。薄紫の液体の中に、金色の粒が沈んでゆく。やがて粒は溶けて、液体全体がうっすらと煌き始める。

「やった、成功だ……!」

 眼鏡を光らせ、サイラスが陶然とした声を漏らす。

「ほえ、出来たの!?」

 駆け寄ろうとするユーリを左手を出して押し留め、サイラスはしっかりとうなずく。

「ああ。お前の遺伝子的欠陥を、正常なものへと戻す薬が、ついに出来た。長く、苦しい戦いだった……」

「感動に浸ってないで、早く飲ませてよ、サイラス!」

 白衣の袖を引くも、サイラスは動かない。飛びついて試験管を奪おう、と決めたユーリが腰を屈めたとき、背後の空間が歪む。

「クク……ユーリよ、待たせたな!」

 ぎゅっと、後ろから幼い声とともにシアが抱きついてくる。衝撃にたたらを踏んだユーリは、バランスを崩してサイラスへとぶつかってしまう。よろり、とよろけたサイラスの手から、試験管が零れ落ちる。あっ、とユーリの口から、声にならない叫びが漏れた。スローモーションのように、ガラスの管が床へと落ちてゆくのが見えた。懸命に、ユーリは手を伸ばす。一センチ、また一センチと試験管に指は近づく。だが、速度が足りない。床に身体を伏せてしまっている身としては、腕の長さも足りない。絶望を目に浮かべながら、ユーリは砕け散ろうとする試験管を見つめていた。

「うん、何だ、これは?」

 ひょい、と細くしなやかな指先が、試験管を摘まみ上げる。ぎりぎりのところで、シアが手を伸ばしたのだ。

「ほえ、ナイスキャッチだよ、シア!」

「クク……それほどのことでは、無い」

 歓声を上げるユーリに、シアが胸を張る。呆然と立つサイラスへ試験管を渡したシアが、ユーリに向けて手を差し伸べてくる。手を取って、ユーリは立ち上がった。

「ほえ、でもいきなり抱き着かないでよ。もう少しで、お薬が駄目になっちゃうとこだったんだから」

「ふむ。それは済まなかったな、ユーリ。だが、案ずるな。薬など無くとも、背丈を伸ばす方法を余が教えてやろう」

 そう言って、シアは黒い一冊の本を取り出した。表紙には金の文字で、『はじめての形態変化』と書かれている。手渡されたそれに、ユーリは軽く目を落とす。

『まず、リラックスして全身に魔力を込めます。そうして、お腹にゆっくりと力を入れます』

 コミカルなイラスト付きで、そんなことが書かれていた。ユーリは本を閉じ、シアに苦笑して見せる。

「ほえ、ありがと。でも、もうお薬は完成したんだよ……」

 ユーリの背後で、カシャンと何かが落ちて割れる音がした。振り向くと、全身をわなわなと震わせるサイラスの足元にガラス片と金色に輝く液体があった。

「ほ、え……? サイラス……え?」

 サイラスの手元にあった試験管は、どこにも無い。そして、足元のガラス片。一瞬、ユーリは何が起こったのかを理解できずにサイラスとガラス片へ視線を往復させる。

「す……」

 サイラスの口から、呼気とともに言葉が漏れる。

「す?」

 混乱し切ったユーリは首を傾げ、サイラスの言葉を繰り返す。

「素晴らしい! 全身から醸し出される魔力! そして衣装に込められた尋常ならざる品と格! これぞ、私が追い求める錬金術の技術の粋! まさに頂点! おお、お前……いえ、あなたは一体何者であらせられるのか!」

 血走った眼付きでシアを見据え、サイラスが叫ぶ。

「ユーリよ、何だ、この男は?」

 困惑した様子で、シアがサイラスを指差しユーリに問いかける。

「ほえ、サイラスっていう、錬金術師……」

「ほう。この男が……ユーリのアレやコレを、集めているのか」

「人聞きの悪い言い方、止めて? そ、そうだ、それよりサイラス、お薬、どうしたの?」

 問いかけたユーリに、サイラスはけたたましく笑う。

「薬? ああ、あんなもの、どうでも良い! 私の人生は、この御方に出会うためにあったのだ! 幼き姿に超一流の魔道具をさらりと着こなすその姿! ああ、私は今理想郷、世界樹の中に抱かれた安息を得て……」

「やかましい」

 ぺちん、とシアがサイラスの頬を張りとばす。魔王のわりと加減の無い一撃は、積んであったがらくたの山を吹き飛ばし、サイラスの身体を屋敷の外へと吹き飛ばす。部屋の中央に置かれた錬金釜の中に、ぼちゃんと飛沫を上げてがらくたが落ちてゆく。

「ほえ、サイラスが……」

 目の前の出来事に呆然となったユーリの頬を、シアが両手で挟み込む。

「あのような変態に頼らずとも、ユーリには余が付いている。何も、案ずることは無い……む?」

 柔らかく微笑むシアの顔が、不意に引き締まる。ゴゴゴ、と不気味な振動が、部屋の中に響いていた。ユーリの視線が研究室の中を彷徨い、錬金釜を見やる。あっ、とユーリの胸の中で、声にならない声が上がった。錬金釜が不気味な光を放ち、大きく膨れ上がっている。見て取った瞬間に、ユーリの身体が押し倒された。

「ユーリ、伏せていろ!」

「シア!」

 呼び合う二人の前で、大爆発が起こった。


 押し倒したユーリを前に、シアは冷静に爆発の威力を算出する。この屋敷はおろか、この町丸ごとを灰燼と化すには充分な威力だ。そう判じたシアは、即座に全身の魔力を練り上げ集中する。猶予は、ほんの一瞬である。

「第二、いや、第三でゆくか」

 一瞬の判断で、シアの身体が光に包まれる。一瞬、ちらりとユーリの顔を見た。呆然と見上げるその瞳から、姿を隠すようにシアは爆発の光へと身を寄せた。

「怖ければ、見ていなくていい……ユーリ」

 大きく膨れ上がった身体を使い、爆風を圧して抑え込む。じりじりと、肌の焼ける感覚にシアの表情が歪む。すさまじい熱量が、全身を襲ってくる。だがシアは、怯みはしなかった。愛する者を、守りたい。ただその思いのみで、爆発を抑えきったのである。

「ユーリ……」

 振り向いたシアは、伏せたままぐったりと目を閉じるユーリを見つめる。エルフの耳は、感度が良すぎる。そのために、衝撃音をまともに受けて、気絶してしまったようであった。

「ここにいては、危ないな」

 ユーリを片腕で担ぎ上げ、シアは壁を崩して屋敷を脱出する。その背後で、天上が崩落し屋敷は瓦礫と化してしまった。

「……ふむ。無事なようだな」

 呟いて、シアは物陰に身を潜める。集まってくる野次馬の、気配があった。

「ほ……え……」

 閉じていたユーリのまぶたが、微かに動く。

「……目を覚ますか。このような姿を見られては、また恐怖に怯えるやも知れぬ。戻らなくてはな」

 二メートル近くになったシアの肉体が光に包まれ、一瞬あとには幼女の姿へと戻る。

「ほえ……あれ、シア?」

 ぱちくり、と目を瞬かせるユーリに、シアは微笑んで見せる。

「おはよう、ユーリ」

 呆然とするユーリを、シアはぎゅっと抱きしめる。シアの腕の中で、ユーリがもがいた。

「ほえ、シア、どうしたの? 苦しいよ」

「すまぬ、ユーリ。怪我は無いか?」

 そっと抱擁を解いたシアが、ユーリを見つめて問う。目の前で、ユーリが首を傾げる。

「怪我? 私が? ううん、大丈夫みたいだけど……どうかしたの? というか、ここ、どこ?」

 ユーリの反応に、シアも首を傾げる。

「覚えて、おらぬのか? あのサイラスという錬金術師の屋敷で起こった爆発に、巻き込まれたことを」

 シアの言葉に、ユーリは頭を抱えて考え込む。

「ほえ……サイラス……うーん、わかんない」

 顔を上げ、あっけらかんとした表情でユーリが言った。どうやら、先ほどの爆発の衝撃で直近の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまったらしい。

「……忘れて、しまったか。まあ、良い。重要な事では無い。頭や身体に、異常が無ければ。動けるのであれば、シャイナの元へ戻るとするか。今日、この町を出るらしいからな」

「ほえ、もう出るんだ。わかった。それじゃ、シャイナのとこに戻ろ」

 ユーリの伸ばしてきた手を取って、シアはユーリと並んで歩き出す。

「ほえ、何だか人が多いね。何かあったのかな?」

 瓦礫の山となった屋敷跡に向かって、野次馬たちが駆けてゆく。それを見たユーリが、不思議そうに言った。

「さて、な。どこぞの錬金術師が、自爆でもしたのだろう。見物している暇は無いぞ、ユーリ。昼過ぎには、シャイナは町を出ると言っていた」

「ほえ、それじゃ、急がなきゃね。ほら、シア。早く早く」

 楽しそうにユーリが、シアの手を引いて足を速める。野次馬たちの波に逆らい、二人は風のように町を駆け抜ける。少し後で、宿の場所を忘れたユーリが足を止めるまで、それは続いた。手を繋いだまま、シアはずっと笑顔であった。


 大きな街道が枝分かれする道を、左へ折れて馬車は進んでゆく。立札には、山道と書かれていた。馬車の幌の上で身体をゆらゆらと揺らしながら、ユーリは静かにリュートを爪弾いていた。

「ほえ……夢の中に見た、大きな背中ー、あなたはいったい、誰なんだろう」

 ぼうっとして、心ここにあらずといった風情でユーリは歌う。

「あの町を出てから、ずっと様子が変ね、ユーリ。一体、どうしたのかしら?」

「さあな。余にも皆目、見当がつかぬ」

 ユーリを見上げて、シャイナとシアが心配そうに声を交わす。

「も一度、会いたいなー……」

 ほろりほろりと切ないメロディを漂わせ、馬車は進んでゆく。ユーリの旅は、まだまだ続くのであった。


 なお、爆発により全てを失った錬金術師サイラスは旅に出て、一人の魔族と出会う。その出会いが、シアと、そしてユーリに多大な影響を与えることとなるのだが、それはまた後の話なのであった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

次回より、投稿ペースを週一に落とします。活動報告に詳しいことを書きますので、お手すきの方はよろしければそちらもご覧ください。

楽しんでいただけましたら、幸いです。

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