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旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
32/58

冷たい眼鏡とガラス管 前編

ついに前編だけで一万字を超えてしまいました。長丁場となりますので、お飲み物などをご用意の上お読みください。

 酒場の中に、リュートの音色と歌声が流れている。店内に設えられたステージの上に、観客たちの視線は釘付けになっていた。リュートを爪弾く吟遊詩人の少女もまた、歌声を上げながら観客たちと同じものへ目を向ける。少女の目の前で、赤いロングドレスを着た女性が踊っていた。

 背中の開いた大胆なドレスから、長い腕が軽やかに舞う。スカートの裾から時折のぞく白い足が、流麗なステップを刻む。観客の、いや店内のほとんどの視線は、舞い踊る女性に集められていた。

「ふむ……」

 カウンターで、赤い液体の入ったグラスを傾け幼女が息を吐く。町の酒場にそぐわない、フリルをふんだんに使った黒のドレス姿の幼女は、吟遊詩人の少女に目を向けたまま一息にグラスを空けた。

「もう一杯、貰おうか、店主」

 とん、と小さな手が、空になったグラスを置く。すっと、新しいグラスが差し出され、空のグラスを下げてゆく。

「悪くは、無いな」

 グラスに注がれた液体を、舐めるように幼女は口にする。酒場のマスターは虚ろな眼で一礼すると、幼女の前から姿を消した。

 ちびちびと液体を飲みながら、幼女はステージを見やる。

「クク……夜更かしも、偶には悪くない」

 陽気なメロディを奏でる吟遊詩人の少女へ向けて、幼女が微笑んだ。血のように赤い唇と青白い肌の色が作り出すそれは、その外見に似合わず妖艶さを感じさせるものだった。


 その日最後の一曲を奏で終えて、ユーリは音の余韻の残るステージを降りた。たちまちに拍手が沸き起こる。ただし、それはユーリへ向けられたものではない。観客たちの歓声や口笛は、ユーリの前を歩く女性に贈られたものであった。

「いやあ、シルビアさんの踊りっぷり、良かったよ!」

 酔客の称賛に、女性はにこりと笑う。

「ありがと。でも、今夜気持ちよく踊れたのは、素敵な吟遊詩人さんがいたからよ」

 そう言って、女性はステージを降りてきたユーリに向けて手を差し伸べる。

「ほえ? あ、ありがとう」

 手を取り握手をするユーリの頬へ、女性が腰を屈めて軽くキスをする。ぱりん、と店のどこかでグラスの割れる音がした。

「みんな、この小さな詩人さんにも、拍手をしてあげて頂戴!」

 女性の呼びかけに、観客たちが大きな拍手で応える、ユーリも微笑み、手を振っていた。そこに、観客たちの輪を断ち割るようにして黒いゴシックロリータのドレスが現れた。

「ほえ、シア。どしたの?」

 険しい顔をして近づいてくるシアに、ユーリは小首を傾げる。

「……余のユーリに、気安く触れるな」

 握られたままだったユーリと女性の手を、シアが手刀で引き離す。そのままシアが身を割り込ませ、ユーリを抱きかかえるようにして女性を睨み付けた。

「あら、可愛らしい。妹さん……ではないようだけど、あなたは?」

「無礼な。余は、魔族を統べる魔界のモガモガ」

 あらぬことを口走りかけるシアの口を、ユーリが慌てて塞ぐ。

「ほえ、す、すみません! この子、ちょっと寂しがりやさんで……ほら、シア。あっちのテーブル行こ?」

 ユーリは言って、シアの手を引く。ぎゅっと痛いほどに握り返してはきたものの、シアは大人しくついてきた。ウエイターに料理の注文をして、一息ついたところでユーリはシアを見つめる。

「シア、どうしちゃったの? シアが魔王だってバレたら、大騒ぎになるから黙っててって、私言ったよね?」

 ユーリの言葉に、シアはふんと鼻を鳴らす。

「それが、どうしたというのだ。お前の頬が、汚されたのだぞ?」

 ハンカチを取り出したシアが、ユーリの右頬をごしごしと拭きながら言う。

「ほえ、痛い、痛いよシア。あんなの、挨拶程度のことでしょ? 何で怒ってるの」

 シアの手が、止まった。

「……挨拶程度、なのか。なれば……余も、ユーリに挨拶したいのだが」

「ほえ? こんばんは。これでいい?」

「そういうことではない」

 シアの細い指が、ユーリの顎に添えられる。近づいてくるシアの顔を、ユーリは両手で押し留めた。

「ちょっと、シア、落ち着いて? ね? 力入って、痛いよ」

 ユーリの声に、シアが顎から手を離し、浮かせていた腰を椅子に深く下ろした。

「……すまぬ。今宵の余は、少し変だ。お前の痛がることなど、したくは無いのだが」

「うん。確かに変だね。もう日付も変わってるし、こんな時間まで起きてるからじゃないかな? お城へ戻って、ぐっすり寝た方がいいよ」

 深刻な顔を見せるシアに、ユーリは苦笑しながら言った。

「……そうだな。少し、気を落ち着ける必要がある。今宵の逢瀬は、これまでか……さらばだ、ユーリ。また明日」

「待って、シア」

 足元に魔法陣を浮かび上がらせるシアを、ユーリは制止する。

「……どうした、ユーリ? おやすみのキスをしたいのか?」

 無邪気な笑顔で言うシアに、ユーリは首を横へ振る。

「お店のマスターにかけた魅了を解いて、それから歩いて外へ行って、人に見られない場所で転移して」

 虚ろな眼で割れたグラスを片付けているマスターを指差し、ユーリは言った。

「……わかった。お前がそう言うのであれば、そうしよう」

 小さく落胆の息を吐いて、シアがマスターに向かい指をパチリと鳴らす。びくん、とマスターの身体がのけ反り、光を失っていた瞳に輝きが戻ってくる。

「これで、良いか?」

「うん。それから、今後はしつこく年齢聞かれたからっていちいち魅了して言う事聞かせるのも、やめてね?」

「……善処しよう。ではユーリ、今度こそ、さらばだ」

 身を翻すシアの顔に、寂しげな色が過ぎる。

「ほえ、待って、シア」

 ユーリは椅子から立ち上がり、シアの手を取った。

「まだ、何かあるのか?」

 そう言って振り向いたシアの頬へ、ユーリは軽く口をつける。目の前で、シアの大きな瞳が瞬いた。

「おやすみ、シア」

 微笑むユーリへ、シアが呆然と頬に手をやった。驚いていた顔に、やがて満面の笑みが浮かぶ。

「ああ、良い夜を、ユーリ」

 くるんと軽やかに身を回し、シアがスキップをしながら店を出てゆく。ふわりと揺れる金髪を見送り、ユーリは肩をすくめた。

「ほえ、ああいう姿だけ見ると、可愛いんだけど……」

 なんとも複雑な気分でテーブルに戻ると、タイミングよく料理が運ばれてきた。香辛料の効いた匂いに、ユーリのお腹がぐうと鳴る。

「ま、いっか」

 能天気に呟き、ユーリは食事に取り掛かった。ライブの後ということもあり、テーブルに並んだ料理は瞬く間に消えていった。

 膨れたお腹をさすりつつ、ユーリはワインをちびちびと飲んでいた。そこへ、グラスを片手にやってきた者がいた。先ほど、ユーリの演奏に合わせて踊っていた女性である。

「ここ、いいかしら?」

 ついさっきシアの座っていた椅子を指して、女性が言う。

「ほえ、どうぞ」

 うなずいたユーリの前で、女性が椅子に腰を下ろす。

「ありがとう。さっきの、女の子は?」

 きょろきょろと店内を見回し、女性が問いかける。

「あ、あの子は、もう帰っちゃいました。その、さっきは、ごめんなさい」

「いいのよ。難しそうな子だったもの。今度会ったら、今日のお詫びにジュースでも、奢らせてもらえないかしら?」

「お詫び、ですか?」

 首を傾げるユーリへ、女性が悪戯っぽく笑う。

「そう。大事なお姉さんに、ちょっかいかけてごめんなさいって」

 女性の言葉に、ユーリは口に含んだワインを噴き出しかけて、むせた。

「ほ、ほえ、別に、そういう気遣いは、大丈夫ですから。帰りにはもう、機嫌も直ってましたし」

「そう? それならいいんだけど」

 微笑んで、女性が立ち上がる。すらりとした長身の女性に、ユーリは感嘆の息を吐く。

「なあに?」

 ユーリの視線に気づいた女性が、ちょこんと首を傾げた。

「ほえ。背、高いなって、思っただけです」

 ふりふりと片手を振りながら、ユーリは言った。

「あら、そんなこと。あなただって、そのうちもっと伸びるわよ」

 女性の言葉に、ユーリは首を横へ振る。

「もう、五年くらい背が伸びてないんです。だから、私はもう……」

 顔を俯けるユーリへ、女性がそっと歩み寄る。

「大丈夫。何がきっかけで、成長するかはわからないわ。私も今はこんなだけど、二年くらい前に一気に伸びたのよ? それまでは、あなたよりも少し高いくらいの背しか無かったの」

 女性の言葉に、ユーリはまじまじと女性の全身を眺める。美人系の顔立ちと、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるプロポーションと、高いヒールの靴を差し引いても高い身長があった。

「……本当、ですか?」

 疑いの目を、女性に向ける。あっけらかんと笑う女性には、嘘をついている気配は無い。

「ええ、本当よ。背が低いのが、悩みだったの。好きな人には子供扱いされるし……」

「ほえ、そうだったんですか! 私も、そうなんです! どうやったら、背が伸びたりしたんですか?」

 勢いよく食いつくユーリに、女性が唇に人差し指を当てて悪戯っぽく微笑む。

「本当は内緒にしなきゃ駄目って言われてるんだけど……気持ちよく躍らせて貰えたし、特別に教えてあげる」

 女性が、ユーリの耳元に口を寄せて囁く。一言も聞き漏らすまい、とユーリは真剣な表情で耳を傾けた。

「……というわけよ。もし、あなたも悩んでいるなら、一度試してみたらどうかしら」

「はい! ありがとうございます、踊りのお姉さん!」

「シルビア、よ。良かったらまた、あなたの歌で躍らせてくれるかしら?」

「ほえ、喜んで!」

 大喜びで、ユーリはうなずいたのであった。


 宿の一室で、シャイナは地図とにらめっこをしていた。細くしなやかな指が、地図の部分をなぞり、そのたびにシャイナは息を吐いて頭を振る。

「……陸路は、駄目かしらね」

 港町へ行き、船に乗ることを視野に入れてみる。だが、すぐに首を振った。

「風待ちの時間が、勿体無いわ。これじゃあ、いくら稼げても効率が悪すぎる……」

 頭を抱えるシャイナの背後で、鍵を掛けていた部屋の扉がバタンと勢いよく開いた。

「シャイナ! 聞いて聞いて!」

 振り向いたシャイナの視線に、ユーリの顔がアップで映る。ほんのりと、ワインの香りが漂ってきた。

「ユーリ……どうしたの、そんなに興奮して」

 ずり落ちた眼鏡を直しながら、シャイナは問いかけた。

「あのね、シャイナ! 私の背が、伸びるかもしれない!」

「……どういうことかしら?」

 唐突な言葉に、シャイナは目をぱちくりとさせる。ぐいぐいと身を寄せてくるユーリが、開きっぱなしの扉へ右手を振った。ばたん、とひとりでに扉が閉まる。

「ほえ。極秘の情報だから、ちゃんと戸締りしとかないとだね」

 閉まった扉を確認して、ユーリがうなずく。

「極秘?」

「ほえ。そうなの。実は、この町に錬金術師のサイラスっていう人がいるんだけど、その人に頼めば背を伸ばしてくれるっていう話を、聞いたの」

 鼻息荒く、ユーリが一気にまくしたてる。

「錬金術師……? 何だか、怪しげね」

 シャイナは首を傾げ、頭の中で錬金術師をイメージしてみる。怪しげな壺を前に、ヒヒヒと笑いながら何かを投入する。もくもくと煙が出て、ヒヒヒという笑い声だけが聞こえてくる。そんなイメージだった。

「酒場で踊ってたシルビアっていう、ナイスバディの踊り子さんが言ってたの! 私くらいの背丈しか無かったけど、サイラスさんに貰ったお薬のお陰で、こーんなに背が伸びたって! これは、もしかするともしかするかも知れないよ! 背が高くなったら、私、お母さんみたいになっちゃうかも!」

 ユーリの言葉に、シャイナはユーリの両親を思い浮かべる。穏やかに笑いかけるユーリの父親の顔が浮かび、シャイナはちょっぴり頬を赤く染めた。

「そ、そういえば、あなたのお母さんには、まだ会ったことは無いわね。どんな人なのかしら?」

「お父さんと同じくらい背が高くて、とっても綺麗で格好いいの」

 綺麗で格好いい、という言葉に、シャイナの頭の中でユーリの父親が女装した姿が浮かぶ。

「……うん。それはそれで、悪くは無いかしらね? うん」

「ほえ、シャイナ。何だか顔が赤いよ? 大丈夫?」

 顔を覗き込んでくるユーリに、シャイナは大きく首を横へ振る。

「え、ええ。大丈夫よ。それで、そのサイラスって錬金術師のところへ行くのかしら?」

 問いかけに、ユーリが満面の笑みでうなずく。

「もちろん、今は夜中だから、明日の朝イチで行くよ! そして、背を伸ばしてもらうの!」

 うっとりと胸の前で両手を組み合わせながら、ユーリがきりもみ回転しつつベッドへダイブする。

「だから、今日はもう寝るね、シャイナ。おやすみ」

「……おやすみなさい、ユーリ」

 シャイナが呼びかけたときには、既にユーリの口からはすやすやと寝息が零れていた。

「……錬金術師、ね。どんなのかは知らないけれど、マトモな人であることを祈るわ」

 呟いて、シャイナは地図へと目を戻す。そうしているうちに、夜は更けていった。


 翌日の朝、宿の食事をあっという間に平らげたユーリは町はずれの大きな屋敷の前に立っていた。屋敷の玄関門の上には、丁寧に『サイラス錬金術研究所』という看板まで掲げられている。

「ほえ……大きな屋敷だけど、外には誰もいない?」

 きょろきょろと首を回し、ユーリは言った。大きな木造建築の屋敷の門からは、古い木の温かみを感じる。閉じられた門に手をかけてみるが、動かない。引いても押しても、同じだった。

「ほえ……朝、早すぎたのかな」

 ちゅんちゅんと雀の鳴き声を聞いて、ユーリは首を傾げる。

「だけど、雀が起きてるんだもん。きっと、サイラスって人も起きてるよね。あ、もしかして門が壊れて、開かなくなっちゃってるのかも」

 うんうん、とうなずいたユーリは門から少し離れ、助走をつけて駆け出した。目の前に迫る門に足裏をつけて、勢いのまま駆け上る。乗り越えてぽんと身を宙へと投げれば、そこはもう屋敷の敷地の中であった。

「ごめんくださーい!」

 入口の前で、ユーリは声を張り上げる。中から、応じるものは何も無い。だが、ユーリの鋭い感覚は、屋敷の内部に人の気配を捉えていた。そっと、ユーリは入口の扉へ手をかける。こちらは、門と違ってあっさりと開いた。

「ほえ……お邪魔しまーす」

 気配を消し、足音を忍ばせてユーリは屋敷の中へと踏み込んでゆく。灯りの無い、暗い廊下の木目が包み込んでくるような雰囲気を醸し出す。人の気配を頼りに、ユーリは薄闇の中をひたひたと進んだ。

「この扉の、向こうからだね……」

 大きな木の扉の前で、ユーリは五感を研ぎ澄ませる。内部で、液体を煮沸するような、ぼこぼこと泡立つ音が聞こえてくる。中で、何かが行われていることは、間違い無い。ごくり、と唾を飲み、ユーリは大扉へ手をかけようとした。

 そのとき、大扉が勢いよく開いた。とっさにユーリは、音を立てずに真後ろへと身を引いた。ユーリの目の前を扉が通過して、全開になったままで停止する。扉の向こうには、誰の姿も見えない。

「今は、大事な実験の最中だ、招かれざる客よ。大人しく帰れ」

 涼やかな美声が、部屋の中から聞こえてくる。

「あ、あの」

 ばたん、と大扉が開いたときと同様に唐突に閉まった。声を上げかけていたユーリの姿が、扉の前に取り残される。

「入口の、認識装置の異常か? エルフ以外は、ここへは入れないように設定しておいた筈だが……後で、メンテナンスが必要か」

 部屋の奥隅にある、ガラス管を組み合わせた実験器具の前で男が言った。

「ほえ、よくわかんないけど、私、エルフだから。そのナントカ装置っていうのは、たぶん正常だよ」

 白衣の男へ歩み寄りながら、ユーリは言う。

「あの扉の閉鎖速度に追いついたのか。興味深い。これが終われば、話くらいは聞いてやろう」

 眉ひとつ動かすことなく、男が言った。その視線は、ガラス管の中を移動する液状の物質に注がれている。

「ほえ、それ、なあに?」

「液状化した銀から、一つの物質を抜き取るための装置だ。そして黙れ。でなければ、帰れ」

 ヒヤリ、と男の全身から、冷気のようなものが放たれる。異様な迫力に、ユーリは口を閉じて男をじっと見る。長身細身の、神経質そうな顔つきの男だった。ぱりっとした白衣を着こなし、銀縁の眼鏡からのぞく深緑色の瞳が美しい。整った彫りの深い目鼻立ちは、どこか中性的なものを感じさせる。そして、ユーリの視線は男のある一点で、止まっていた。

「サイラス……さん? あなた、その耳」

「黙れ、と言った筈だ。次は無い」

 長く尖った耳を微かに揺らし、男が言った。ユーリは押し黙り、髪に結いこんで隠した耳をぴょこんと出す。男の眼の前で、ガラス管を通った液体が一滴、ビーカーの中へと注がれた。その瞬間、ビーカーの中で小さな爆発が起き、黒い煙がもくもくと上がる。煙は薄く拡がり、部屋全体を覆ってゆく。実験が、失敗でもしたのだろうか。ユーリは首を傾げ、男の顔を見上げた。

「……よし、成功だ」

 まさかの、成功だった。

「何を作ってたの?」

 漂う煙を手で払いのけながら、ユーリが問う。

「殺虫剤、というものだ。この煙で、虫を殺す」

 ビーカーを掲げるように持ちながら、男が言った。男の鼻や口に、黒い煙はどんどんと吸い込まれていく。

「ほえ、吸っても、大丈夫なの、それ?」

「人体に、直ちに影響は無い。それで、お前のような子供が、私の研究所に一体何の用だ。いや待て、言わなくてもわかる。背が伸びないのは遺伝子の不具合だ。諦めろ。それとも、お前も森へ帰れと言いに来たクチか? 私は帰らん。お前が帰れ。話は終わりだ」

 ぶんぶん、とハエを払うように手を動かして、男は一方的に言いきった。あんまりな態度に、ユーリはむっとしたが、悲願達成がかかっている。そうそう、引き下がれるものではなかった。

「そんなこと言わないで、話を聞いて」

「大方、人間にでも恋をした、とかそういう類の話だろう。どいつもこいつも、皆自分のことばかり語りたがる。私の研究の時間を割いてまで、それは必要なことなのか?」

 かちん、とユーリの頭で音が鳴った。

「少なくとも、殺虫剤よりは大事なことだもん!」

「そうやって私の研究に半信半疑の目を向けながら、自分の欲望を叶えてくれと言う。低俗だな。人間に揉まれて、森の一族の慎み深さを失ったのか? お前は、どこの森の者だ」

 冷たく蔑む目で、男が言った。

「ほえ……向こうの大陸の、森生まれだよ……」

 ユーリは男を睨みつけながら、それでもちゃんとした方角を指差しつつ答えた。男の目が、一瞬大きく見開かれる。

「海を渡ってきた、と言うのか……変わり者だな、お前は。それにその魔力。どこか、何かが混じっている気がする……」

 すん、と男が鼻を鳴らし、ユーリの頭に顔を近づける。

「ほえ、何するの!」

 男から身を離し、ユーリが後ろへ下がる。じりり、と開いた間合いを、男が詰めてきた。

「気が変わった。お前を、研究させろ。そうすれば、背を伸ばす薬でも胸を膨らませる薬でも、好きなものを作ってやる。どうせ、人間の男どもに子供扱いされているんだろう?」

「見透かすの、やめてよ! だ、誰があなたなんかの研究に、協力するもんですか!」

「お前のそれは、遺伝子による細胞の変換ミスが原因だ。通常の手段では、どんな手を使おうともう成長は出来ない。だが、お前を研究出来れば、薬は作れる。お前も欲望を叶え、私の研究も進む。ウィンウィン、というものではないか?」

 うぐ、と言葉を詰まらせるユーリに、男はにじり寄りながらさらに言葉を重ねる。

「お前はもう、夜一人で歩くたびにお節介な人間に声をかけられなくても済む。酒を飲みたくなったときも、大手を振って酒場へ行ける。お前を子供だと馬鹿にしていた男どもも、手のひらを返したように寄ってくるようになる。決断の時は、今だ。変わりたい、と望んだのは、お前なのだろう」

 男の挙げた例に、ユーリは思わずきょとんとしてしまう。

「ほえ……やけに、具体的なこと言うんだね」

「この町の、馬鹿な踊り子のおかげでな。しばらく、そういう来客が絶えなかったんだ」

 吐き捨てるような男の言葉に、ぴん、とユーリの頭の中に、閃くものがあった。

「……シルビアさんのこと、好きだったり、したの?」

「……昔のことだ、関係ない。それより、今はお前の決断だぞ」

 少し、ほんの少し、男が傷ついた顔を見せる。俯いて、前髪の向こうで銀縁眼鏡がきらりと光る。ユーリは男の瞳の中に、癒さない悲しみを見た気がした。

「……いいよ、研究、させてあげる。でも、あんまり無茶なことは、しないでね?」

 こくり、とユーリはうなずいた。うなずいて、しまっていた。自分でも、わからない何かに後押しをされるように、微笑んで言葉を口に出す。

「それは、こちらのセリフだ。研究して、薬を作ってやる。だから安心して、その身を差し出せ」

 にやり、と不敵に笑い、男が言った。傲岸不遜なその態度に、ユーリは幼女な魔王を思い出してぷっと吹き出す。

「ほえ、そっくりだ」

「何がそっくりなんだ」

 聞き返され、ユーリは慌てて首を横へ振る。

「ううん、何でもないよ、何でも」

 誤魔化し笑いを浮かべるユーリの前で、男が口の中で何かを呟く。

「そっくりなのは、お前のほうだ……」

 その呟きは小さく、ユーリの耳にもはっきりとは聞こえない。

「ほえ? どしたの?」

 首を傾げるユーリに、男は何でもない、と言ったのであった。


 シアにしてみれば、遅い夕食の時間であった。ユーリと共に居なければ、とっくに床へ入っている。それでも、笑顔全開のにこやかなユーリを前にすれば、少々の眠気などどこかへ吹っ飛んでいってしまう。

「やけに機嫌が良いのだな、ユーリ。演奏にも、艶が出ていた」

「ほえ、わかっちゃった? さすがシアだね。ふふふ」

 にへら、と頬を緩ませるユーリに、シアは怪訝な顔を向ける。

「昼間、どこかへ姿をくらませていたことに、何か関係があるのか?」

 問いかけに、ユーリはうんうん、とうなずく。

「ほえ、そうなの。私の長年の夢が、叶うかも知れない……ううん、叶う時が、来たんだよ!」

 くるくるとスープのスプーンを回しながら、ユーリが言った。

「ほう、お前の、夢が叶う……それは例えば、魔王の連れ合いとなり未来永劫魔王城で暮らす、といったものか? それならすぐにでも叶えて……」

「違うよ。あのね……背が、伸びるんだ、私」

 すかっ、と肩透かしを食らい、シアは気の抜けた顔でユーリを見返す。

「……背が、伸びる? 何だ、そんなことか」

 小さく息を吐くシアへ、ユーリが真面目な顔を寄せてくる。

「ほえ、そんなことじゃ……って、何するのシア!」

 鼻先に少し口づけをすると、ユーリは鼻を押さえて顔を引っ込める。

「挨拶だ。気にするな」

 飄々と言ってのけるシアに、ユーリが横目を向けてくる。

「ほえ……余計なことを覚えて……うん、でも、まあいっか。今日は気分もいいし」

 すぐさま機嫌を直すユーリに、シアはおやと心中で眉を寄せる。いつものユーリであれば、そこそこ長い時間、機嫌を損ねてしまっている筈だった。ユーリの表情、一挙手一投足に至るまで今では専門家となったシアの分析では、そのはずだった。

「……それで、どうやったら背が伸びるというのだ? お前はもう、成人なのだろう?」

 ぺろり、と唇を舌でひと舐めしてからシアは聞いた。今は、ユーリに訪れた変化を知るほうが先決だった。

「うん。あのね……サイラスっていう、錬金術師の人が、お薬を作ってくれるんだ。それを飲んだら、昨日の踊り子さん、シルビアさんって言うんだけど、あの人みたいになれるんだよ」

 きらきらと瞳を輝かせ、ユーリが言う。

「錬金術師……?」

 問いかけるシアに、ユーリがにへらとうなずく。

「うん。今は私のサイボー? とかいうのを分析してもらうために、血とか採ってもらったところ。たっぷり抜いたから、今日は鉄分たくさん摂らなくっちゃなんだよ」

 そう言って、山積みになったほうれん草のお浸しにユーリが手をつける。

「ユーリの……血……余にも、少し貰えるか?」

「ほえ、イヤだよ。何に使うの、気持ち悪い」

 心底嫌そうな顔を見せるユーリに、シアは頬を膨らませる。

「その、サイラスとかいう錬金術師には、やったのだろう? なれば、ユーリの背丈を伸ばすことが可能な者であれば、血を頂くことができる。そういうことだな?」

「ほえ……シア、吸血鬼にでもなったの?」

「馬鹿を言え。あのような出来そこないの魔物に、どうして余が身を落とさねばならぬ。余はただ、寝室に置いた……いや、何でも無い。忘れよ」

「ほえ……すっごく、気になるんだけど?」

 怪訝な顔を見せるユーリに、シアは出来る限りの笑顔を向けた。

「そんなことよりも、だ。余が、お前の背丈を伸ばしてやれば、そのサイラスという錬金術師なる者の所へは、行かなくて良い。そういうことで、良いな?」

「……いくらシアが魔……アレでも、出来ないと思うけどなあ……」

 疑いの目を向けてくるユーリに、シアのプライドにちくりと小さな棘が刺さる。

「人間の錬金術師に出来て、余に出来ぬとでも?」

「サイラスは、エルフだよ?」

「では、余がエルフに劣らぬ能を持っていることを、証明してやろうぞ」

 椅子から立ち上がり、シアは全身に軽く魔力を循環させる。体中が、熱を以て魔力に反応を見せる。

「ほえ、シア、何をするつもりなの?」

「見せてやろう。これが余の、第二形態だ……!」

 眩い光が、一瞬シアから放たれる。身体に窮屈な拘束感を感じて、シアは少し顔をしかめた。

「どうだ、ユーリ?」

「ほえ……」

 目の前で言葉を失うユーリを見下ろして、シアは微笑みを見せる。その身体は普段の幼女のものではなく、妖艶な美女へと変化を遂げていた。身体を窮屈に絞めつけるのは、ゴシックロリータのドレスである。色んな部分が大きくなってしまったために、今にもはち切れんばかりの装束になってしまっている。

「形態変化を覚えれば、お前もこのように自由自在に姿を変化させられる。余が、手取り足取り、教えてやろう。だから、ユーリ……ユーリ?」

 見下ろすシアの前で、口を真一文字に引き結んだユーリが瞳に涙を溜めてゆく。

「シアの、裏切り者おおお!」

 大音声を響かせて、シアの側を疾風となったユーリが駆け抜けてゆく。

「ユーリ……? 裏切り者、とは何だ……余は、何かユーリを裏切ったのか? むむむ……」

 頭を抱え、シアはテーブルへ座る。太股がほとんど露わになるような格好に、店内がどよめいた。

「……城へ戻り、知恵者を集めて会議を開こう。原因を、探らねば」

 集まる視線を黙殺し、シアは大人しく歩いて酒場のドアをくぐる。そうしろ、と昨日ユーリに言われたからだ。そのまま暗い路地裏へ入ったシアの姿は、ふっと掻き消えた。


 一方で、夜半過ぎまで書類とにらめっこをしていたシャイナは、ぐずりながら帰ってきたユーリを抱いて途方に暮れていた。

「ほえ……シアが、シアが……うう、酷いよ……」

「すっかり仲良くなってたと思ったら、どうしたのよ、一体……」

「シアが、いきなりぼんきゅっぼーんになって……うう」

 要領を得ないユーリの涙声に、シャイナは優しく背を叩いてやることしか出来なかった。

「三日後にはここを出るけれど……大丈夫なの、ユーリ?」

 問いかけに、応えは返らない。珍しく朝早くから活動をしていたユーリは既に、言いたいことだけを言って眠ってしまっていた。

「……仕方ないわね、もう」

 よいしょ、とシャイナはユーリの身体を持ち上げて、ベッドへと運ぶ。抱きついたまま離れてはくれなかったので、一緒に寝転がった。

「ほえ……ぜったいに、みかえしてやるんだから……」

 シャイナの耳元を、ユーリの寝言がくすぐった。

「はいはい、そうね。おやすみなさい……」

 煮詰まった仕事のため寝不足であったシャイナの意識は、すぐに落ちた。

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