恋の弓引く愛天使 前編
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その日の街道は、平和であった。五台の馬車を連ねたキャラバンの一行は、幌の上に一人の少女と黒いドレスの幼女を乗せて順調に進んでいた。町から町への静かな行進に、彩りを添えるのは少女の手にあるリュートである。ほろん、ほろんと風に乗り、陽気なメロディが宙へと溶けてゆく。少女の上げる歌声に、楽しげに身体を揺らすのは幼女であった。
「今日も今日とて良い日和ー、荷馬車は行くの、どこまでもー」
「この分だと、本当にどこまでも行けそうね」
御者台から、女性が合いの手を入れるように声を上げる。
「ククク……お前の歌声も、地平の彼方まで届いてゆきそうだな、ユーリ」
幼女が含み笑いをして、少女を横目で見つめて言った。
「ほえー、魔物も出て来ないしー、平和っていいよねー」
「……奴らは奴らで、平和なのだぞ?」
少女の歌声に、幼女が少し憮然とした口調で言う。
「平和という概念に関して、少し話し合いが必要のようね、魔王様とは」
御者台から、女性が幼女へ声をかけた。
「人間が、大人しくテーブルに着くのであればな。お前たちは、少し好戦的に過ぎる」
リュートの調べに心地よさげに肩を揺らしながら、幼女が言った。
「もし、交渉の機会があれば同席させていただきたいわね。商売の、タネになりそうだわ」
「……お前はお前で、中々に面白いな。ユーリ程ではないが」
「お褒めに与り、光栄ね。あなたとは、仲良くやっていけそうだわ。あなたが、ユーリに酷い事をしない限りにおいては、だけれども」
御者台から上がった声に、幼女はきょとんとした顔になる。
「魔族を統べる魔王たる余に対し、随分と余裕があるのだな、お前は」
幼女が問いかけるように言うと、女性は苦笑いを浮かべる。
「ユーリと一緒に旅をしているのだもの。大抵のことには、慣れてしまうわ。それに……」
幌の上を見上げ、女性が不敵に笑って見せる。
「変にへりくだるよりも、こういう態度のほうが好みでしょう? あなたは」
女性の言葉に、幼女もまた大きく笑みを浮かべた。
「なるほど。人間の商人というのも、意外に侮れぬものだな」
笑みを交わし合う二人の間で、少女は陽気に弦を爪弾く。
「仲良くやってーいけそうでー、安心安心ひと安心ー……ほえ?」
うんうんとうなずきながら歌い上げた少女が、前方を見やり鳴き声を上げる。それは少女の、口癖のようなものだった。
街道をゆく馬車の前方には、平坦な道がずっと続いている。山も無ければ、谷も無い。何の変哲もなく、平和な光景である。だが、ユーリの耳がぴくりと動き、結い上げた髪から零れ落ちる。何かが、ある。ユーリの第六感が、そう告げているのだ。
「どうした、ユーリ? もっと、余のために奏でてはくれぬのか?」
横で流し目をくれる魔王シアを放置して、ユーリは馬車の前方へと目を凝らす。
「ほえ……そこっ!」
御者台の上へ、ユーリは短い足を一閃させた。ぱしり、と足首が何かを弾きとばし、街道の傍らへと落とす。
「どうしたの、ユーリ?」
御者台で、ユーリを見上げながらシャイナが問う。
「シャイナ、少し、伏せててね」
幌から御者台へと飛び降りたユーリは、シャイナの身体を上から押さえて伏せさせる。ユーリの右手がさっと閃き、飛来してきたものをつかみ取った。
「いきなり、どうしたのユーリ?」
身を起こしたシャイナに、ユーリは手の中のものを見せる。
「敵襲、かな。シャイナに向かって、飛んできてたんだよ」
開いたユーリの手の中には、ハートの矢じりを持つ三本の矢があった。シャイナがユーリの手を見つめ、きょとんと首を傾げる。
「一体、何が飛んできたのかしら?」
シャイナの反応に、ユーリはシャイナの目の前に矢を持ち上げて見せる。
「これ、見えないかな? この矢が、シャイナに向かって飛んできたんだよ?」
ユーリは言ったが、シャイナの反応は訝しげなものだった。眼鏡を直し、懸命にユーリの指を見つめて目を細めて唸っている。
「恐らく、人間には見えていないのだろうな」
幌の上から、シアがユーリの背後へと飛び降りてきて言った。
「ほえ、シアは、コレが見えてる?」
背中から顔を出したシアの前へ、ユーリは手の中にある三本の矢を持ち上げる。
「うむ、見えるぞ。そして追加で二本、こちらへ飛んできているのも」
シアの言葉に、ユーリはうなずいてシャイナの胸の前で左手を動かす。もう二本、ユーリの手の中に矢が追加された。
「ほえ。正確に、シャイナの心臓を狙ってる……すごい腕だね。ねえ、シア。もしかしてコレ、あなたの差し金だったりする?」
ユーリの問いに、シアがユーリの肩の上で首を横へ振る。
「馬鹿を言え。余がどうして、こんな回りくどい手段で、お前の友人を討たねばならんのだ? それに、確かに余の麾下には魔界随一の射手もいるが、こんな悪趣味な矢じりを使ってはいない」
「悪趣味? 結構、可愛いと思うけど。ハートの形に見えるし」
「ふむ……お前はこの形を、可愛い、と思うのだな? なるほど」
ユーリとシアがそんなことを言い交わしている前で、シャイナが息を吐いた。
「ともかく、私に向かって矢が飛んできていて、ユーリがそれを止めてくれたのね。ありがとう。それで、どうすればいいかしら? 馬車の中に、隠れていたほうがいいのかしらね?」
シャイナの問いかけに、ユーリは首を横へ振る。
「勢いからして、生半可な防壁だと効果無いね。これだけ射られたら、さすがに狙撃場所は特定できたし、私ちょっと行ってくる。シアは、念のためシャイナの側にいてくれる?」
問いかけに、シアは憮然とした顔を見せる。
「余が、どうしてお前の言に従わねばならぬ。片時も、余はお前の側から離れたくは無いのだが?」
頬を膨らませるシアに、ユーリは頭を掻きながら新たに飛来する矢を捕まえる。あまり、時間は無いようだった。
「うーん……それなら、今日は一緒にご飯食べてあげるから、お願い」
「シャイナのことは、余に任せておけ。余の手にかかれば、そのような矢など一本たりとも届かせはせぬ」
二秒とかからない、素早い転身だった。
「ほえ、それじゃ、よろしくね」
言い置いて、ユーリは御者台を飛び出し街道を駆け出した。ぐんぐんと速度を上げたユーリの背後で、馬車が小さくなってゆく。風に乗って目を細め、ユーリは行く手を見つめる。
「……いた!」
弓を引き絞る、姿が見えた。平坦な道の真ん中で堂々と、一人の男が立っていた。ゆったりとした布を身体に巻き付けただけの、簡素な出で立ちだった。男の手には、白鳥を思わせる優美な曲線を描く弓があり、番えられた五本の矢が、ユーリの背後めがけて射出される。飛んでゆこうとする矢をつかみ取り、ユーリは男へ肉薄した。
「まさか、姿が見えて……」
男が驚愕の表情を見せるが、ユーリの動きは俊敏だった。男の内懐へ飛び込み、弓に張られた弦を外す。
「ほえ。こんな往来の真ん中にいたら、そりゃ見えるよ」
言いながらユーリは男の首筋へ手刀を落とすべく、背後に回る。そこで、ユーリの動きがぴたりと止まった。
「翼……」
男の広く逞しい広背筋には、一対の真っ白な翼が生えていた。折りたたまれた翼は、肩甲骨の付け根から生えているようで、継ぎ目も無くそれは本物のように見える。
「……どうやら本当に、私の姿が見えているようですね」
そう言って、男が振り返る。ユーリは腰を落とし、油断なく身構えて対峙する。ゆったりとした衣装に包まれた男の肉体は、いわゆる細マッチョという体型である。肩幅は広く、はだけられた片胸は輝かんばかりの白い肌。かすかに張った咽喉仏の上には、細く尖った顎とスリムな頬があり、切れ長の瞳の色は藍色だった。太く形良い眉は金色で、それは男のやや短い髪の色と同じである。
磨き上げられた美術品のような男の美しさに、ユーリははっと息を呑んだ。
「……天使、様?」
ユーリの口から漏れた呟きに、男が真面目な顔でうなずく。
「見破られてしまっては、仕方ありません。その通りです、私は、愛を司る天使、愛天使ラブエルと申します」
弓を片手に、男は優雅に一礼する。ふわり、と風に乗り、男のほうから柑橘系の良い香りが漂ってくる。
「愛、天使、様……? ほえ、初めまして。私は、吟遊詩人のユーリっていいます」
ぺこり、とユーリも頭を下げる。男がユーリへ、にこりと微笑んだ。
「ユーリさん。良い、名前ですね。主の恩寵を、感じます。なるほど、エルフならば、私の姿を見ることができても、おかしくはありませんね」
そう言う男が見やるのは、ユーリの長い耳だった。ぴこん、と耳を揺らし、ユーリはもじもじと爪先で地面を弄る。
「ほえ、それほどでも、ありません。というか、普通に見えましたよ? 殺気が無かったから、気配は解りにくかったんですけど……何してるんですか?」
顔を上げたユーリが、男に問いかける。
「見て、わかりますよね? 弓の弦を、張り直しているのです」
地面に弓を立てて、男は弓弦を引き絞る。男の手の中で、瞬く間に弓は半月の張りを取り戻した。
「ほえ、それ、どうするんですか?」
「もちろん、この矢で心臓を射るのですよ」
にこやかに言った男が、弓の弦を引く。何も無い空間に現れるのは、ハート形の矢じりを持つあの矢だった。
「ほえ!」
すかさずユーリは右手で手刀を作り、男の弓に番えられた矢を叩き折る。
「何をするのでしょうか」
男が、困ったようにユーリを見下ろす。
「ほえ、どうして自然な流れで私の親友の心臓を射抜こうとするんですか?」
きつい視線で、ユーリは男を見上げて言った。
「それはもちろん、シャイナさんの運命を、告げるためですよ。そのためには正確に、心臓を射抜かなければならないのです」
大真面目な顔で、男は言った。
「ほえ、運命? 愛天使様って、死神みたいなことするんですか?」
問いかけに、男はきょとんとして、そして笑った。
「まさか。どうやら、勘違いされているようですね。私の矢は、人を傷つけるためのものではありません。私が射抜くのは、その人の恋心なのです。キューピッドの伝説、知ってますよね?」
男の言葉に、ユーリはしばし考え、こくんとうなずいた。
「ほえ。キューピッドの恋の矢で射抜かれた者同士は運命の恋人になって、永遠に結ばれるっていう、アレですよね?」
ユーリの答えに、男は軽くうなずいて再び弓を構える。
「そうです。そして、この度シャイナさんが、運命に選ばれた、というわけです。納得が出来たのなら、邪魔はしないでいただけないでしょうか」
ぎりり、と男が弓を引き絞り、狙いを定める。
「ほえ!」
番えられた矢が、ユーリの手によって叩き落された。
「……何をするのでしょうか」
じっと、ユーリへ真面目な抗議の視線が注がれる。
「ほえ、キューピッドの伝説は知ってるけど、それとあなたが持ってる弓矢が本物の恋の矢だっていうこととは、繋がらない。もしあなたが変な恰好したイケメンの暗殺者さんだったら、シャイナが死んじゃいますよ」
じっと男の顔を見上げながら、ユーリが言った。顔を見ていると頬が熱くなって大変だったが、他の場所を見るにも恰好がいけない。どうにも、目のやり場に困る男だった。
「……本当に、これが恋の矢だと信じて貰えれば、邪魔はしないと約束してくれますか?」
真摯な男の目が、ユーリの瞳を射抜く。どくん、とユーリの心臓が、鼓動をひとつ上げた。
「……うん。でも、どうやって」
うなずいたユーリの目の前で、男の姿が消える。次の瞬間、ユーリの胸にきゅうんと切ない痛みが走った。
「射抜く相手には、決して私の姿は見えません。それが、愛天使の、私の力です。どうでしょう、本物だと、信じていただけましたか?」
気が付けば、膝をついていたユーリの前に男が手を差し伸べていた。
「ほえ……うん。すっごい、きゅんってしました。しばらく、動けないくらいに。でも、どうして私に手を差し伸べてるんですか? 今のうちに、射っちゃえばいいのに」
ユーリの問いかけに、男が柔らかく微笑む。
「それだと、意味が無いでしょう。私はただ、あなたに認めてほしかっただけなのです」
男の声に、その笑顔に、ユーリの胸は先ほどよりもきつく、きつく締めあげられるように痛む。
「ほ、え……」
「どうか、なさいましたか?」
心配そうな顔で、男がユーリの顔を覗き込もうとする。ユーリはパッと跳び下がり、男から離れた。
「な、何でもありません、何でも……」
ふるふると首を振る動きに合わせ、ユーリの長い耳が揺れる。
「そうですか。納得、いただけたようですね。それでは……」
気を取り直し、男がまた弓を引く。矢を番える腕に、ユーリはそっと手を乗せた。
「……何でしょうか」
小さく首を傾げる男に、ユーリは蚊の鳴くような声を出す。
「……相手」
「はい?」
「相手、誰ですか? シャイナが、こんな気持ちになっちゃう、相手って」
「……それを教えたら、もう邪魔はしないでいてくれますか?」
問いかけに、ユーリは俯く。うん、ともはい、とも言えない。ただ、腕に乗せた手のひらが、途方もなく熱く感じられた。それがずっと続けば、それだけで良い。そんな想いが、ユーリの胸の内を焦がしていた。
「……シャイナのことを射たら、どこかへ行っちゃいますか?」
答えの代わりに、そんな言葉が口をついて出ていた。
「……それは、仕事ですから、ね。今この瞬間にも、世界のどこかで恋が生まれ、愛天使の力を必要とする人々がいるのです。シャイナさんだけのために、時間を割くわけにはいきません」
淡々と、男は言った。
「ほえ……わかりました。相手を教えてくれたら、私は邪魔しません。それどころかお手伝い、しちゃいます。だから、教えてください」
じっと見上げるユーリの瞳を、男はしばらく見つめる。男が、小さく息を吐いた。
「……決意は、固いようですね。わかりました。それなら、教えましょう。ただし、他言無用です。本人たちに知られては、運命に狂いが生じるかも知れませんので。それから、約束は、必ず守ってください。私の恋の矢を、決して妨げることの無いように」
男の言葉に、ユーリはこっくりとうなずいた。
「ほえ。神様に誓って、約束は守ります」
ユーリの宣誓に、男はひとつうなずいた。
「わかりました。シャイナさんのお相手は……ゴドーさんです。同じキャラバンの、副長を務めておられる男性です」
「ほええ!?」
奇怪な声を上げて、ユーリは大きく目を見開いた。キャラバンの副長、ゴドーの顔を思い浮かべてシャイナと並べてみる。美女と野獣、あるいは義理の父娘、もしくは悪徳企業の社長と秘書。よくわからないが、ユーリの中に色んな言葉が浮かんでくる。だが、それはどれも恋人と呼ぶには相応しいものでは無い。
「シャイナさんを射た後、タイミングを見計らってゴドーさんにも恋の矢を射ます。それが、私の仕事です。ご理解、いただけましたか?」
ぼーっと突っ立つユーリへ、男が問いかける。
「ほえ……あ、はい」
よからぬ想像を膨らませていたユーリが、その声で我に返った。
「では……約束通り、射させていただきますね」
ぎりり、と男が弓を引き絞る。ユーリはもう、手出しはしなかった。
「ほえ、もうちょい右、かも」
「なるほど、確かに」
それどころか、男に助言をし、照準の精度を上げることもした。男の弓が、いや男は全身を弓と化し、恋の矢を番えて狙いを定める。吹き渡る風が、そのささやきをふっとひそめる一瞬、男は恋の矢を放った。ハートの矢じりは風を巻き込み、空気を貫きシャイナの胸元へと吸い込まれるように飛んでゆく。山なりに描いた放物線の終着点、豊かなシャイナの胸の左側へ、ハートが突き刺さらんとしたその刹那。幼く、小さな手がその矢をつかみ取り、ぽいと道端へ投げ捨てた。それは、魔王シアの幼い手であった。
「なっ……!」
にやり、と不敵な笑みを浮かべ、シアが男の方へと視線を向けている。手のひらを丸くして筒を作り、ユーリはシアの得意げな顔を見てうんとうなずいた。
「邪魔が、入っちゃいましたね。でも、大丈夫。もう一回、頑張りましょう?」
がっくりと肩を落とす男へ、ユーリは言ったのである。
夕食前になって、ユーリがようやく戻って来た。
「おかえりなさい、ユーリ。どうだったかしら?」
出迎えたシャイナは、心配そうに言った。
「ほえ……あ、シャイナ……うん、大丈夫」
ふらふらとした足取りで戻って来たユーリを出迎えようとしたシャイナの横を、シアが通り抜ける。
「大丈夫には、見えぬな。シャイナよ、寝床を用意せよ」
「あ、はい。すぐに、用意するわ」
シアの指示に、シャイナの身体は自然に動く。命じることに慣れた、魔王の威厳がそこにあった。簡易寝具を馬車の中に敷き、シャイナが戻るとシアはユーリのおでこに自分の額をくっつけていた。
「ふむ。熱が少しあるな。夕食は、食べられそうか?」
「あ……うん……大丈夫」
シアの問いかけに、ユーリが力ない笑みを浮かべる。
「寝床の用意は、出来たわよ」
「うむ、ご苦労。夕食も、そちらへ運べ。余と、ユーリの分を」
小さくうなずいたシアが、ユーリの膝へと手をかけて、ひょいと持ち上げる。もう片方の手で首の後ろを支えるそれは、お姫様抱っこと呼ばれるものだった。
「ほえ……自分で歩けるよ、シア……」
「そうは見えぬ。余が寝床まで連れて行く。大人しくしていろ」
有無を言わさず、シアがユーリを運んでゆく。横目でそれを追いつつも、シャイナは二人分の夕食を椀へとよそった。
「ユーリさん、どうしちまったんですかね?」
そっと寄ってきた副長のゴドーが、ユーリの運ばれた馬車を見やりつつ言う。厳つい顔には、心配そうな色があった。
「飛び出して行く前は普通だったから……やっぱり、何かあったのかも知れないわね。ゴドー、後で、お茶を淹れてくれないかしら?」
椀を運ぶシャイナに、ゴドーがうなずいて見せる。
「へい。あっしの茶で良けりゃ、いくらでも」
微かな笑みを見せるゴドーへ、シャイナも微笑んだ。
「お願いするわ。あなたのお茶は、苦いけれども美味しいから」
ユーリとシアの待つ馬車へと、シャイナは食事を運んだ。それからシアに追い出され、シャイナは馬車を出て夕食を摂った。ユーリのことは心配だったが、今はシアに任せるしかない。黙々と食事を済ませると、シャイナの前に茶の入ったカップが差し出される。顔を上げれば、そこにはゴドーの姿があった。
「……ありがとう、ゴドー」
「いいえ。シャイナさんの苦労に比べりゃ、何てこたありやせん」
カップを持ったまま、ゴドーが顎で示すのはユーリのいる馬車だった。カップを受け取り、シャイナは苦笑を浮かべる。
「ユーリは余がしっかりと看病するゆえ、お前は下がっておれ、ですって。本当に、大変そうね、あの子も」
シャイナの言葉に、ゴドーが茶をすすり苦い顔を見せる。
「シャイナさんがいいのなら、あっしは何も言いやせんが……ちっこいお嬢ちゃんに、キャラバンの長がああせいこうせい言われるってのは、どうにも恰好がつきやせんね」
ちらり、とゴドーが馬車を眺めて言った。
「訳ありなのよ、色々と。あの子のことは……まあ、お客さんだと思えばいいわ。資産家であることは、間違いないわよ、彼女は」
「立場が、はっきりしてりゃいいんですがね。まあ、底知れない雰囲気もありやすし、あんまり口出ししねえよう、皆には言っておきやす」
たき火を前に、静かな時間が過ぎてゆく。ゴドーと茶を喫するこの時間を、シャイナは気に入っていた。カップに口を付ければ、強烈な苦みのある茶が咽喉を滑り降りてゆく。胃の中に、温かなものが満たされ、爽やかな後味が息をするたびに吹き抜けてゆく。頭の中が、すっきりと冴えわたるようだった。
「……ちなみに、どのくらいの資産をお持ちなんですかい、あのお嬢ちゃんは?」
ゴドーの問いに、シャイナは少し考える。
「……城一つと、領地がいくつか、かしら?」
シャイナにしても、シアの資産の全ては計り知れない。魔物を従えているとはいえ、それらの生産力や税の徴収などは行われているのか、それもわからない。
「余の価値を計るつもりか? お前たち、商人の秤で。面白いが、意味は無いな。重さに釣り合う黄金など、世界中から集めても足りぬぞ?」
シャイナの背後から、そんな声が聞こえてくる。振り向こうとしたシャイナの隣へ、小さな身体が座り込んだ。
「ユーリの様子は、どうだったかしら、まお……シア様?」
魔王様、と言いかけてシャイナはすぐに修正する。ゴドーや他のキャラバンの者たちには、シアが魔王であることは説明してはいない。余計な混乱を避けるためには、必要なことだった。
「クク……案ずるな。余が手ずから食べさせてやったゆえ、明日には元気になっておることだろう。お前たちは、何を飲んでいるのだ」
シャイナとゴドーの持ったカップを一瞥し、シアが問う。口を開いたのは、ゴドーだった。
「茶、でさあ。ちっとばかし苦いので、お嬢様のお口にゃ、合わないと思いやすがね」
ゴドーの言葉に、シアの眉がぴくりと動いた。
「ほう、面白い。余を試そうというのか? なればその茶とやら、余に供してみせよ」
へい、とうなずいてゴドーが茶を淹れる。シアがカップを受け取り、一口含んだ。
「……苦い、な」
顔を少し顰めて、シアが言った。
「そうですかい」
「うむ。だが、後味は悪くは無い。口の中が、洗い流されてゆくようだ。うむ、見事。お前、余に仕えてみる気は無いか? この茶というものには、それだけの価値がある」
にやり、と笑みを浮かべてシアが言う。
「光栄の至りですが、あっしはここが気に入っておりやすので。お気持ちだけ、頂戴しときまさあ」
大柄な身体で、大仰な身振りでゴドーが一礼する。
「クク……それは、残念だな」
シアの方も本気では無かったのか、微笑をしてから再びカップに口を付ける。シャイナも茶をすすり、静かな時間が過ぎてゆく。
「ユーリ……大丈夫だと、良いのだけれど……」
ちらりと馬車を見て、シャイナが口の中で呟く。
「この茶、ユーリにも飲ませてやりたい。淹れ方を、余に教えることはできぬか?」
「へえ、長年の勘で淹れておりやすので、ちいと、お嬢様にゃ難しいんじゃねえかと、思いやすが」
更け行く夜の中で、ゴドーとシアのやり取りにシャイナはぼんやりと耳を傾けていた。
馬車に設えられた寝床の中で、ユーリは幾度目かの寝返りをうつ。布団の中でユーリの表情が、くるくると変わる。にへら、と頬を緩ませたと思えば、すぐ後にはなんとも辛そうな顔になる。
「ほえ……天使様の力になってあげたいけれど、シャイナとゴドーさん、くっつけたらどっか行っちゃうんだよね……うぅ……どうすればいいのかな」
ぐるぐると同じことが頭を巡り、考え過ぎて知恵熱を出してしまったのである。
「……明日、もう一度会って、その時にどうするか、決めるしかない、かな……」
ぎゅっと布団にくるまり、ユーリは目を閉じる。頭の中には、愛天使ラブエルの姿と、シャイナとゴドーの顔が交互に浮かぶ。
「ほえ……どうしよう」
くるくると表情を変えながら、ユーリの煩悶は一晩中続くのであった。




