青い海と貝殻の首飾り 前編
感想、ブクマ等ありがとうございます。大変励みになります。
風の凪いだ海の上へ、音色は溶けてゆく。ヤシの木が揺れ、月明かりに照らされた砂浜をカニが横切っていった。四方を海に囲まれた、小さな村だった。寄り添うように建てられた家々の、最も大きな集会所からその歌は聞こえていた。
「海の中に揺れるー、サンゴ礁が綺麗でー、カラフルなお魚がー、挨拶をしてゆくのー」
陽気なメロディを奏でる少女の手にあるのは、リュートである。髪を結い上げ、旅装束で歌う彼女は吟遊詩人であった。綺麗、というよりは可愛らしいと形容したほうが似合うような、そんな少女である。
少女を囲んで、リズムに肩を揺らすのは島の住民たちだった。酒場の無いこの島で、訪れた吟遊詩人の演奏は何よりの娯楽といえた。大人たちは酒を持ち寄り、子供たちもつまみの干し魚などをかじって歌に聴き入っていた。
子供たちの中に、身体の大きな少年の姿があった。日に焼けて褐色の肌は細めではあるもののたくましく、顔つきにはまだ幼さがある。大人と子供の中間にいる、アンバランスさがその少年にはあった。
少年はじっと、少女を見つめる。薄手の、派手な衣装に身を包み歌う少女が少年に向かって、にこりと笑った。弾かれたように、少年は顔をあらぬ方向へと向ける。そうして横目で、少女を盗み見る。
「きれいだね、セルバ兄。それに、とってもたのしいよ」
少年の傍らで、まだ幼い女の子がはしゃいだ声を上げた。少女の周囲には、光を放つ魔法の球体がいくつも展開されている。それはまるで宝石のように、いくつもの色がちりばめられていた。
「……あのくらい、海へ行けばいくらでも見れる。それより、大人しく聴いていろよ」
ぶっきらぼうに言って、少年は子供の頭を撫でる。だが、言葉とは裏腹に、少年の目は光を、そしてその中で歌う少女を追いかけていた。そうして、演奏が終わると大人たちの拍手と歓声が沸き起こり、子供たちも立ち上がって少女へと駆け寄ってゆく。
「いこう、セルバ兄」
手を引かれ、少年も少女へと歩み寄ってゆく。だがその足は途中で止まり、手を引いた子供は不思議そうな顔で少年を見上げる。
「行ってこいよ。俺、見てるから」
「うん」
少年の手から子供の手が離れ、少女の元へと駆け出してゆく。その背を眺めつつ、少年は視線を動かす。そして、子供に囲まれる少女を見た。ひらひらとした衣装のあちこちが引っ張られ、ちらちらと少女の白い肌が目に映る。さっと、少年は目を逸らした。
子供たちの次は、大人たちが少女を囲んだ。強い酒の入った杯を、次々に少女へと渡してゆく。島の、歓迎の儀式だった。そこにはもう、少年の居場所は無い。戻って来た子供の手を引いて、少年は背を向ける。ちらり、と振り返った少年の目に、陽気に杯を傾ける少女の姿が映った。
「……あんなでも、大人なんだな」
「どうしたの、セルバ兄?」
呟いた声に、手を握る子供が顔を上げる。
「……なんでもない。行くぞ、ラン」
言って少年は、早足で歩き出す。振り返ることは、もう無かった。
夜を徹してのどんちゃん騒ぎが終わり、死屍累々の朝がやってきた。集会所にはマグロのようになった男と女が横たわり、思い思いに寝息を立てている。そんな中で、一人の少女がむくりと身を起こした。
「ユーリ、昨日はお疲れ様」
そんな少女の元へ、女性がやってきて声をかけた。
「シャイナ、おはよう。すっごいね、この島。持ってきたお酒、昨日で全部飲んじゃったんじゃないかな」
ユーリは横たわる島民を見渡してから、シャイナに顔を向けて言った。
「そこまではいかないけれど、半分は消費したと思うわ。あなたは平気?」
問いかけるシャイナに、ユーリはこくんとうなずいて見せる。
「途中から、飲んだふりしてたから大丈夫。それより、風の調子はどう?」
問い返すユーリへ、シャイナは首を横へ振る。
「まだ、ダメね。あと五日は、風待ちよ。だからあなたも、そのつもりでいて頂戴」
「五日かあ……まあ、何とかなるかな」
「……ユーリ、あなたまさか」
眉を寄せるシャイナへ、ユーリはふるふると首を振った。
「違うよ、シャイナ。そういうのじゃないよ。ただ、少し気になる子がいるの」
ユーリの言葉に、シャイナは険しい顔でユーリの目を覗き込んでくる。
「気になるって、どういう意味で? いい、ユーリ。この島は、大陸から十日もかかる絶海の孤島なのよ。そんな所に、あなたを置いていくことなんて、私にはできないわよ」
「だから、違うってば。ただ……笑わない子がいたの。私の演奏で。それだけ。背丈は大人だったけど、あの顔つきはまだ子供よ。宴会にもいなかったし。私が、子供相手に惚れたりするわけないでしょ」
「どんな子だったの」
「細いけれど引き締まった身体で、ちっちゃい子と一緒にいた。たぶん、妹ね。ぼさぼさの髪をひっつめてたけど、切ってくれる人がいないのかな? あと、貝殻で作った首飾りをしてた。目は鳶色で、眉も太めだった」
次々と出てくる言葉に、シャイナの目が細くじっとりとしたものになる。
「……随分、ご執心ね。よく見てるじゃない」
「だけど、まだ子供だよ。私と違って」
えへん、と胸を張るユーリに、シャイナは呆れたように息を吐いた。
「見た目は、五十歩百歩じゃないかしら? まあ、いいわ。せっかくいい天気なんだし、少しは島を見て回ってきたら?」
「シャイナはどうするの?」
「私は、干物の作り方でも見てるわ。観光は、昨日で済ませたから」
「そう、わかった。変な気配も無いし、シャイナものんびりするといいよ」
言って、ユーリは立ち上がる。シャイナに小さく手を振って、集会所の外へ出た。眩しい太陽の光に差し貫かれ、ユーリは額に手をかざす。
「……ほんとに、良い天気だね。大人たちはみんな酔い潰れてるけれど……この島、大丈夫なのかな?」
呟きながら、ユーリはあてもなく歩き出した。
本気を出せば、一時間もあれば一周できそうな島だった。ユーリはのんびりと歩き、浜辺にたどり着く。静かな、エメラルドグリーンの海がユーリの前方に大きく広がっていた。
「ねえ、いつまでついてくるの?」
振り向かず、ユーリが声をかける。ユーリの背後、少し離れた場所には子供の手を引いた少年が一人立っていた。
「……別に。ついてってるつもりはねえよ」
少年の言葉にユーリは振り返り、じっとその顔を見つめる。
「隠してもダメだよ。私には、わかるんだから。私に、何か用があるんでしょ?」
にっとユーリは子供に微笑み、少年へと言った。
「……こいつが、妹がお前と話したいって言うから、連れてきたんだ」
じっと睨み付けるような目をユーリへ向けて、少年が答える。その横で、子供がおずおずと頭を下げた。
「こ、こんにちは、歌のおねーさん」
頭を上げた子供へ、ユーリは少し背を曲げて視線を合わせる。
「こんにちは。私は、ユーリ。旅の吟遊詩人だよ。あなたは、何ていうの?」
問いかけると、子供はもじもじと身じろぎをして顔を下へ向ける。
「……ラン、っていうの」
「そう、ランちゃんって、いうんだね。素敵な名前だね」
ぱっと、花開くような笑みがランの顔に浮かぶ。
「ありがと、歌のおねーさん。あのね、おねーさんに、お願いがあるの」
「お願い?」
ランの言葉に、ユーリは小首を傾げる。
「歌ってほしい歌が、あるの。むかし、おかーさんが好きだった歌なの」
言って、ランはメロディを口ずさむ。それは、古い時代の流行歌だった。ユーリはリュートを出して、弦を鳴らす。
「こんな感じだっけ……? いいよ、歌ってあげる」
青空に、ほろりほろりと音色が溶けてゆく。古い言い回しを、解りやすい言葉に変えて、ユーリは歌い上げる。ランは笑みの形に口を大きく開けて、音に聴き入っていた。その横で少年は腕を頭の後ろで組み、海の彼方を見つめている。少年の身体が、微かにリズムを取るように動いていた。
「いつか、帰るあなたを、待ってーいるーっと、どうだった?」
最後の一音を弾き終えたユーリに、ランが跳びあがって喜んで見せた。
「すごいすごい! 歌のおねーさん、ありがと!」
全身で喜びを表すランの側で、少年が頬を掻きながらユーリを見やる。その目には、先ほどまでには無かった柔らかさがあった。
「無理言って、ごめんな。俺たちの母さんが、好きだった歌なんだ」
少年の言葉に、ユーリの頭にぴん、と閃くものがあった。
「きっと、素敵なお母さんだったんだね……ねえ、あなたの名前は?」
「……セルバ」
「それじゃあ、セルバ。私、ランちゃんと遊びたいんだけれど、一緒にどう?」
ランの左手を取って、ユーリが言う。一緒に、ランが首を傾げてセルバを見上げた。
「……歌のお礼だ。それくらいなら、いい」
セルバがランの右手を取り、手を繋いだ三人は波打ち際へと走った。
海水に腰まで浸かったランが、海水を両手でぎゅっと握って水鉄砲を放つ。放物線を描き、海水はユーリの顔へ命中した。
「ほえ、水がしょっぱい」
「あはは、歌のおねーさん、変な声!」
気の抜けたユーリの鳴き声に、ランが指さして笑う。それは、ユーリの口癖だった。
「ほえ、ランちゃん、お返し!」
しゅぱ、とユーリが水を掬い上げ、ランに降りかける。頭から水をかぶったランが、きゃあと悲鳴を上げた。たちまちに、水鉄砲の応酬が始まる。
「ほえ、セルバにも、えい!」
ぼーっと眺めていたセルバに、ユーリは大量の水を降りかける。
「ぶは、な、何するんだよ!」
「暑そうだったから、つい……ほえ!」
反撃とばかりに、セルバが放った水鉄砲がユーリの顔に直撃した。海の中へ倒れたユーリは、浮き上がることなく沈んでゆく。
「おねーさん?」
「……おい、大丈夫か?」
駆け寄る兄妹の前へ、ユーリの頭が勢いよく飛び出した。
「それ、大波だよー!」
ユーリの手で集められた海水が、ざばりと降り注ぐ。ずぶぬれになった兄妹を指して、ユーリが笑った。
それから浅い場所でひと泳ぎをした三人は、波打ち際に戻り身体を休める。ユーリ、ラン、セルバの順に、川の字になって砂浜へ寝ころんだ。
「歌のおねーさん、その耳……」
ユーリが、結い上げていた髪を解いたとき、ランが声を上げた。
「ほえ? ああ、うん。私、エルフなんだ」
ぴん、と張った耳が、髪の中から出てきていた。
「わあ、すごい。ねえ、さわってもいい?」
「うん、いいよ。セルバも触る?」
「……別に、いい」
そっぽを向いて寝ころぶセルバの横で、ランに遠慮なく耳を弄られユーリはほえほえと悲鳴を上げる。そうして休憩を終えた三人は、夕日が沈む頃まで海岸で遊び続けていた。
それから三日後の夜。あてがわれた宿代わりの空き家で、ユーリはリュートの弦の手入れをしていた。昼間はセルバとラン、そして他の子供たちのために海岸で爪弾くこともあり、潮風で痛んでしまっていた。
「島の子供たちと、随分仲良くなったのね、ユーリ」
シャイナが側へ来て、ユーリの横に座った。
「うん。みんな、良い子たちだよ」
弦に油を塗りながら、ユーリが答える。
「あの子とは、どうなったの?」
「あの子って、どの子?」
「ほら、この前あなたが言っていた、あの大きな子」
「ほえ……ああ、セルバのことね。うん、セルバとも、仲良くなれたよ。まだ、笑ってはくれないけれど」
弦を張り直しながら、ユーリが言った。横合いから、ユーリの顔をじっと覗き込んでいたシャイナがほっと息を吐く。
「その様子だと……今回は安心できるわね」
シャイナの言葉に、ユーリの顔に苦笑が浮かんだ。
「もう……大丈夫だって、言ってるでしょ? 私、子供相手に惚れたりしないってば」
「そう、なら、いいんだけれど」
そう言ったシャイナの元へ、キャラバンの人員がやってきた。
「シャイナさん、お客さんです。ユーリさんに、会いたいと言ってる子供がいまして」
報告に、シャイナがユーリへと顔を向ける。
「ユーリ、あなたにお客さんよ」
「ほえ、聞こえてる。お手入れも終わったし、ちょっと行って来るね」
リュートを手に、ユーリは立ち上がる。
「気をつけるのよ、ユーリ。もう、夜も遅いんだから」
心配そうな声を上げるシャイナに、ユーリは顔だけ振り向けて笑顔を見せる。
「大丈夫。変な気配も無いし、危険なことなんてそうそうないよ」
言い置いて、ユーリは家の入口へと向かった。
「ほえ? こんばんは。珍しいね、ここに来るなんて」
入口の前に立っていた人物に、ユーリは声をかける。
「……ユーリに、話しがあって」
短く応じるのは、セルバであった。
「まあ、セルバならいいか。上がって? って言っても、ここ、借りてる場所だけど」
家の中へ手招くユーリに、セルバは首を横へ振る。
「来てほしい場所が、あるんだ」
そう言って、セルバはじっとユーリを見つめてきた。ユーリは少し考えて、うなずいた。
「ほえ、いいよ。行こう」
ユーリの返事に、セルバは黙って踵を返した。薄手のシャツが、月明かりに透けて細身の背中のシルエットが見える。昼間に海で見た半裸の肉体を思い出し、ユーリの胸がわずかに高鳴った。
「ほえ……セルバって、良い身体してるね」
歩きながら、ユーリはそんなことを呟く。
「……父さんと母さんが死んで、ランと二人になったとき……俺が何とかしなきゃって、思ったから」
「……やっぱり、そうだったんだね」
早足で歩く背中を追いながら、ユーリが小さく言った。
「気づいてたんだな」
「まあね。ランちゃんの前では、言わないほうがいいと思って、聞いたりはしなかったけれど……笑えなくなったのは、それが原因?」
「かもしれない。俺は……頑張らなくちゃ、いけないから」
セルバの言葉に、ユーリに胸が締め付けられるような感覚が訪れる。
「セルバ……」
かける言葉は見つからず、黙々と二人は月明かりの下を歩いた。やがて、たどり着いたのは切り立った崖の上だった。尖った絶壁の上に、ぽつんと一つの石碑が置かれている。
「ここで、歌ってくれないか、ユーリ」
振り向いたセルバの目には、真摯な光が宿っていた。
「……お墓?」
ユーリの問いに、セルバはうなずく。
「二人で漁に出て、そのまま帰って来なかった。だから、海の見える場所へ、俺が建てたんだ」
セルバの言葉に、ユーリはうなずいてリュートを構えた。奏でるのは、静かな鎮魂歌である。ほろん、ほろんと音色が流れ、波の音と一緒になってゆく。セルバはじっと目を閉じて、音に耳を傾けていた。
「……ありがとう。これで、父さんも母さんも、浮かばれる」
静謐な音の時間が終わり、セルバの目には涙が浮かんでいた。
「セルバ……大丈夫。あなただけが、頑張らなくてもいいんだよ」
そっと、リュートを下ろしたユーリがセルバに近づいて、細い肩を抱きしめる。呆然と受け入れたセルバが、やがてその腕をぐっとユーリの背に回す。膝を折り、ユーリの胸にもたれかかってくるセルバの頭を、ユーリは優しく抱きしめた。熱い滴が、ユーリの胸へと落ちる。
「私が、側にいてあげるから……セルバ」
嗚咽に震える背中を、ユーリの手がそっと撫でる。
「……ありがとう、ユーリ。でも」
すっと、セルバが顔を上げる。涙で濡れた、くしゃくしゃになった顔。見つめるユーリの胸に、どきんと衝撃が走った。
「大丈夫。ずっと、側にいるから……」
そうしてしばらく、抱き合うふたりを月の灯りが照らしていた。
次の日の夜、シャイナの前でユーリは顔を俯けていた。視線の先には、セルバの身に着けていた貝殻の首飾りがあった。白い巻貝を中心にあしらった、それは見事な逸品である。
「……それ、貰ったのね。ユーリ」
「うん……」
貝殻を指で弄りながら、ユーリが言う。あの崖の上で、セルバが曲のお礼にとくれたものだった。視線を上げると、シャイナが怖い顔をしていた。
「……惚れたのね、ユーリ?」
問いかけに、ユーリは小さくうなずいた。縋り付いてくるようなセルバの瞳がユーリの脳裏に甦り、にへら、と相好が崩れる。キッ、とシャイナに睨まれて、すぐに顔を引き締める。
「子供には、興味無いんじゃなかったの?」
責めるような口調に、ユーリは身を縮める。
「……でも、私、放っておけない」
顔を上げて、小さい声でユーリが言った。
「ここは絶海の孤島で、船が出たらもう簡単には戻ってこれないのよ? 島で、あの子と一緒に骨を埋めるの?」
「……うん。それでも、いいの」
言いながら、セルバの隣で老人になるまでの人生をシミュレートしたユーリはまたにへらと笑う。そんな様子のユーリに、シャイナは大きく息を吐いた。
「……わかったわ。こうなったら、あなたが言う事を聞かないのは、よくわかってるもの」
シャイナが、ぎゅっとユーリを抱きしめる。
「ほえ……シャイナ」
ユーリは抗することをせず、シャイナに身を任せる。
「何年かに一度、顔を見に来るわ。この島を通る依頼が無くても、あなたに会いに行くから。幸せに、なりなさい」
「……ありがとう、シャイナ。私、漁師のお手伝いしながら、幸せに暮らす。会いに来てくれたシャイナに、美味しいお魚、いっぱいご馳走してあげるから」
抱擁する二人の頬を、涙が伝う。こうして、別れの夜が更けてゆくのであった。