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旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
26/58

行く道照らす聖人 前編

今回のお話には神官、宗教関係者などが登場しますので、前置きを。

当作品はフィクションであり、現実に存在するいかなる宗教にも関係することはございません。悪しからず、ご了承の上作品をお楽しみください。


仰々しく書きましたが、いつもの通りですのでご安心を。

 暗い洞窟の中を、少女は一人歩いていた。なぜ、そんな場所にいるのか。そして、なぜ一人なのか。それは、少女自身にもわからないことだった。ただ、少女は早足で、長い長い洞窟を歩いている。時折、後ろを振り返る。何かに、追われている。少女がそう思ったときには、いくつもの足音が少女の長い耳に届いてくる。

 地を蹴り、少女は走り出す。いや、それは前方への跳躍と言った方が正しい。洞窟の床を蹴り、壁を蹴り天井を蹴って、少女は駆け抜ける。だが、追いかけて来る足音は、遠くはならない。

「あっ」

 少女の足が、小石に躓き小柄な身体が傾いた。迫る地面に手をついて、くるりと身を回して少女は転倒を避けた。だが、その一瞬の動きが、致命的な隙となってしまう。再び駆け出そうとした少女の前方に、三角頭巾をかぶった風体の歪な影が、いくつも迫る。後方へ振り返れば、やはり同じ影が迫りくる。抵抗もむなしく、少女は影たちの虜となってしまう。

 影の頭上に担ぎ上げられ、少女は身動きもできずに洞窟の祭壇へと連れて来られた。いつの間にか、少女の身体は逆さ十字の組木に縛り付けられ、祭壇の中央に固定されてしまう。

「ほえ、頭に血が上るよ……誰か、助けて!」

 少女の叫びもむなしく響き、影たちが少女を囲んで奇妙なダンスを踊る。それは、一度見てしまうとひと月くらいは忘れられないくらいに、不気味なダンスであった。

「……! ……!」

 影たちが口々に叫び、ダンスは唐突に終わりを迎える。逆さの状態で、少女は影を割って現れた人物を、じっと見返す。黒い、ゴシックロリータのドレスに身を包んだ、それは魔王シアである。

「ついに、捕まえたぞ、ユーリ……!」

 魔王の姿が、歪む。少女の目の前でそれは、六メートルを超える巨体へと膨れ上がった。幼女の外見が、筋肉質で不気味な青い肌の巨人へと変わる。奇妙な鳥の鳴き声のような音を、少女の長い耳が捉える。それは、少女自身が上げた、恐怖の叫びであった……。


「ほえふやああああああ!」

 奇妙な叫び声を上げながら、ユーリはベッドの上で身を起こす。細かく痙攣する両腕を、自ら抱きしめるように握り、擦る。ごうごうと、ユーリは肺腑から恐怖のために乱れ切った呼吸の音を聞く。

「ほえ、夢、かあ……」

 呟いて、ユーリは額に手をやった。べっとりと、手のひらに汗がつく。悪夢の残滓に、ユーリはぶるりと身を震わせた。安宿の窓から、太陽の光が差し込んできている。眩しい光に目を細めながら、外の景色を眺めた。

「ほえ……お昼過ぎまで、寝ちゃったんだ」

 ベッドから降りたユーリは、青いマントに羽根付き帽子、吟遊詩人の恰好に着替えると部屋を出た。宿を出て、小走りに向かうのは、町の広場である。昼も過ぎれば、行き交う人々はどこか忙しない。雑踏をぬって広場にたどり着いたユーリは、中央にある噴水の前に人だかりを見つけて足を止めた。

「ほえ……なんだろ?」

 背中からリュートを取り出し、調律しながらユーリは人だかりへと近づいてゆく。ユーリの耳に、声が聞こえてくる。

「偉大なる神の教え、雄大なる永遠の調べ、その身全てを捧げて祈れ……」

 朗々と、聞こえてくるその声はリズムよく、聞く者の心へ深く染み込んでゆく。うっとりと聞きほれる見物人の袖を、ユーリはくいと引いた。

「ん? ああ、昨日酒場で歌っていた、吟遊詩人のお嬢さんか。どうしたんだい?」

 振り向いた男が、ユーリに笑顔を向ける。

「ほえ、昨日は、ありがと。ねえ、おじさん。あの歌、なあに?」

 ユーリも微笑み返しながら、人だかりの中心を指して聞いた。

「神様に捧げる歌、賛美歌だよ。聖人ひじりびと様が、この町に来てね。布教のために、歌ってくださっているんだ」

「ほえ、神様に捧げる歌……」

 男の隣で、ユーリはぴょんと跳び上がって歌声を上げる人物を見た。質素で粗末な布服で、革のサンダルを履いた中年の男性が、両手を拡げ一心に歌い上げる姿が見える。

「神の愛は至高、高まり冴える思考、日曜は教会へ行こう!」

 肩まで届く長髪を振り乱し、男性は歌う。頭頂部は円形に剃られており、てかりと太陽の光を照り返す。整えられた口ひげに覆われた大きな口から、魂を震わせる低音が放たれていた。

「ほえ……面白そう」

 男の歌声にじっと耳を傾け、ユーリはリュートを構える。

「慈悲をもたらす神の光、裁きを下す神の怒り、驕り高ぶる人はヒヤリ……」

 歌声の合間に、ほろん、と一音を入れる。軽快な男のリズムに合わせ、ほろほろとユーリは音を紡ぎ出す。見物人たちがそれに気づき、さっと左右へ動く。人垣が割れて、ユーリの前に道ができた。

「導いてー、導いてー」

 陽気に歌いながら、ユーリはリュートをかき鳴らし男性の隣へと並ぶ。こくん、とうなずき合い、ユーリと男性は歌声と音色を重ね合わせてゆく。

「この町に幸あれ、ひとの心に愛あれ、祈る心に未来あれ!」

 陽気なユーリの音色に、男性の声音がどこまでも拡がってゆく。時に激しく、時にゆったりと、メロディを変えながらユーリはリュートを爪弾く。男性の歌声はますます深く、そして鋭くなってゆく。いかなる奇跡か、ユーリと男性の身体がぼんやりとした光を纏い始める。神々しく美しい白光に、見物人たちは両手を組み合わせ、膝をついて祈りを捧げていた。

「鳴り響く我が声、燃え出る我が身光れ、偉大なる神と共にあれ!」

「神様神様仏さまー」

 不思議な高揚感に包まれ、ユーリも忘我の境地にあった。優しく温かな光に包まれ、目の前の景色、空の色までもが薔薇色へと変わってゆく。じんと全身に、心地よい痺れのような感覚が走る。ふわりとした浮遊感に、ユーリはうっとりと目を閉じる。

 そのときである。広場に、大きな音が響いた。ぼわあん、と打ち鳴らされたのは、銅鑼の音であった。突然の騒音に、男性とユーリの音色が止まる。ほどなくして、広場の端から黒いローブに三角頭巾の怪しげな団体がやってきて、人だかりの前で止まった。

「な、何だあんたらは!?」

 見物人が声を上げ、三角頭巾たちに問いかける。だが、三角頭巾たちは何も答えず、かわりに先頭の三角頭巾が捧げ持った銅鑼を鳴らす。ぼわあん、と大きな音が、その場へと響き渡る。大音声の仕業か、見物人たちがばたばたと倒れ伏した。

 男性とユーリを包んでいた白い光が、霧散する。だが、ユーリたちは無事であった。倒れ伏した人々を見渡し、ユーリは三角頭巾を睨み付ける。

「ほえ、あなたたち、一体なに? どうして、こんなことをするの」

 問いかけに、三角頭巾たちは言葉も無く、ただユーリと男性の前で横一列に並ぶ。すっと、真ん中に立った三角頭巾が前に出た。

「……ユーリ、だな?」

 確認をするように呼び掛けてくる三角頭巾に、ユーリは腰を落として身構える。

「そうだけど、あなたは誰?」

 問い返すユーリへ、呼びかけて来た男が頭巾を取った。現れたのは、魔族特有の青い肌と黒々とした二本の角である。

「我こそは、魔界随一の神官、魔神官アブジン! 魔王様の命により、お前に神の教えを説きにきたのだ」

 金色の双眸をカッと見開き、魔族がユーリに視線をぶつけてくる。魔族の口にした言葉に、ユーリは背筋をぶるりと震わせた。

「ま、魔王の……?」

 ぽん、とユーリの頭に浮かぶのは、魔王シアの最終形態である。禍々しいその姿は、思い返してでさえユーリの肌に粟を生じさせる。がちがちと、ユーリの歯が意思に反して鳴り始める。ぎゅっと、絞めつけられるような恐怖に、ユーリは両腕を抱き締めて身を縮めた。

「……大丈夫です。神が、あなたと共にあります」

 静かな低い声が、ユーリの耳に届く。ぽん、と温かな手のひらが、ユーリの背中へ触れる。ユーリの視界へ、すっと男性の背中が現れた。

「魔族が、神官を名乗るとは烏滸がましい……どこの誰かは存じませんが、神の子に害を成すのであれば、容赦はいたしませんよ」

 低く、お腹に響くその声はユーリを護り、魔族へと突き立てられる。魔族が、不敵に笑う。

「ふん、聖人とかいう、脆弱な人間の生臭坊主か。そこをどけ。今、お前に用は無い」

 男性に視線を置いたまま、魔族がパチリと指を鳴らす。後ろの三角頭巾が、ぼわあんと銅鑼を打つ。黒い波動が音波に乗って、男性へと襲い掛かる。男性は胸を張り、大きく息を吸いこんだ。

「神の光、神の守り、悪しきものども打ち砕き!」

 男性の身体から、眩い光が放たれる。それは黒い波動とぶつかり、相殺した。

「ほう、聖言を使う、か。面白い。まずはお前から、我が神へ……魔王様へ、帰依させてくれよう! 楽団、奏でよ!」

 魔族の合図とともに、三角頭巾たちがそれぞれブルースハープ、アコーディオン、コンガにトライアングル、シンバルと銅鑼など様々な楽器を取り出し構えた。

「ほえ、逃げて、おじさん!」

 ただならぬ気配に、ユーリが声を上げる。男性は広い背中を見せたまま、首だけで振り向いて笑って見せる。

「心配いりません。このルヴァン、伊達に聖人の名を神より授かってはおりませんので……ユーリさん、といいましたか。怖ければ、下がっていてください。ここは、私一人で充分です」

 男性の声が、ユーリの胸の内深くへと染み渡ってゆく。ユーリの震えが、ぴたりと止まった。

「それなら……私も一緒に、るよ!」

 リュートを構え、ユーリは男性の隣へと歩を進める。男性はにっこりと笑ってうなずき、表情を引き締めて魔族へ顔を向ける。

「いかに聖言使いといえど、この人数差ではどうにもなるまい! ゆくぞ!」

 魔族が叫び、三角頭巾の楽団が禍々しい騒音を立て始める。

「闇の支配こそ至高、聴こう魔王様の御言葉、波止場に揺蕩う船の様に心揺られて……」

 魔族の言葉とともに、その全身から黒い波動が二人へと襲い掛かる。

「神の意思に従い、邪悪を打ち祓い、穏やかな心乱されない……!」

 男性の放つ光が、やってくる波動を打ち消す。ほろん、とユーリはリュートの音を乗せて、男の声に寄り添った。

「感じ取れ絶望、冴えわたる舌峰、讃えるは麗しき魔王!」

 魔王の名を用い、魔族がユーリに重圧をかける。たらり、とユーリの頬を冷や汗が落ちてゆく。

「訪れる未来、明るい期待、あまねく拡がる神の慈愛!」

 歌声がユーリを包み、護り励ますように響く。にっ、と唇を笑みに形作り、ユーリはリュートを爪弾く。強い光がユーリから放たれ、それは男性の全身を包んだ。

「闇の瘴気、正気を失い、泣いて縋れよ哀れな人間!」

 ぼわあん、と銅鑼が鳴り、魔族の波動が一段と強まった。音の瘴気はすでに暴風と化し、真正面からユーリたちに吹き付けてくる。

「くっ……吹き渡る風、神の息吹爆ぜ、燃えよ我が思いのたけ!」

 ごうごうと鳴る風の音に、男性の声が途切れ途切れになってしまう。男性の身に纏っていた白光が、魔族の波動と打ち消し合って消えた。

「ふははは! さあいくぞとどめの一撃! 劇的にそれは悲劇! 喜劇など入る隙なく……む、どうした銅鑼よ! 音を止めるな……ああっ!」

 突然鳴りやんだ銅鑼の音に魔族が振り向き、歌を止める。見れば三角頭巾が倒れ、その側には角材を持った町の男衆が眉を怒らせ立っていた。魔族が音波をユーリたちへ向けて放っていたために、周囲には瘴気は無く騒音が鳴り響くだけとなり、接近を許してしまったのだ。

「広場でじゃんじゃか音鳴らしやがって、うるせえんだよお前ら! そういうのは、他所でやれ!」

 男衆の代表と思しきねじり鉢巻きの親父が、魔族を怒鳴りつける。その間にも、三角頭巾たちは打ち倒され、楽器を取り落としていった。

「……き、今日のところは、ここまでだ! だが、次は必ず調伏してくれるぞ、ユーリ、それに聖人も!」

「いいからさっさと帰れ! 近所迷惑だ!」

「あ、ハイ。すみません……」

 親父に怒鳴られて、魔族は倒れた三角頭巾たちを起こしてのろのろと去ってゆく。

「……危ないところを、ありがとうございました。親父さん」

 男性が、親父に向かって頭を下げる。

「何、いいってことよ。そっちのお嬢ちゃんも、無事で良かったぜ。ああいう怪しい連中がうろつかねえように、念入りに祈っておいてくれよな、聖人様!」

 豪快に笑いながら、男衆を率いて親父は立ち去っていった。ユーリは男性と顔を見合わせ、笑い合う。

「ほえ、ルヴァンさん、ありがとう。私ひとりだったら、きっと攫われて、酷い目にあわされてたと思う」

 ぺこりと頭を下げるユーリに、男性は首を横へ振る。

「いいえ。神が、あの親父さんたちを寄越してくれたお陰です。私の力ではありません」

 そう言いながら、男性が照れたように笑う。なんて、奥ゆかしい人なんだろう。思い見つめるユーリの胸が、きゅんと鳴った。

 ぱんぱんと服の埃を払い、ユーリは居住まいを正して男性に改めて向き直る。

「わ、私、吟遊詩人のユーリっていいます。あの、ルヴァンさん、その、よかったら、今からご飯でも、食べに行きませんか?」

 急に改まって口にしたユーリの言葉に、男性は少し目を瞬かせ、それから微笑でうなずいた。

「ええ。あなたのような麗しい女性からのお誘いです。喜んで、お受けいたしましょう。ですが、その前に……」

 男性が、言葉を切って周囲を見渡す。広場のあちこちで、倒れた見物人たちを助け起こす男衆の姿が見えた。

「あちらを、先に手伝ってからでも、よろしいですか?」

 男性の問いかけに、

「うん!」

 ユーリは笑顔でうなずいた。


 稲光に、黒曜石のような照りを城壁が見せる。魔王城は、今日も暗雲に包まれていた。

「……人間相手に、不覚を取ったのか。魔族ともあろうものが」

 白磁のティーカップに淹れた緑茶をすすりながら、シアは呆れたように呟く。

「面目次第もございません。ですが、手ごたえはありました」

 組まれた足の、ぺたんこ靴の下に跪くのは魔神官である。

「手ごたえ、とな?」

 カップを置いて、机の上にあった小さなコウモリのぬいぐるみを摘まみ上げ、弄びつつシアは問う。

「はっ。かの小娘の身体には、ダークエルフの血が流れておりまする。それは我が闇の教義の放つ波動と、非常に相性がよく……」

 ばきり、とシアの手元で音が鳴る。ほっそりとした幼い手のひらが、椅子のひじ掛けを握り潰した音である。もう片方の手にあったコウモリのぬいぐるみが、ぎゅむと握られ歪んだ。

「お前は、ユーリと相性が良い、と申すのか?」

 底冷えのする赤い瞳が、魔神官を睨み付ける。

「は、はい。ですがそれはひいて見れば魔王様との相性が良い、ということにつながります。我が闇の教義とは魔王様の教え、つまりは魔王様自身のことに他なりません」

 慌てて言葉を紡ぐ魔神官に、シアは視線を緩める。

「なれば、良し」

「はっ。ですので、今回の事が成れば、かの小娘も畏敬の念を以て『魔王様好き好き!』と言うことは狂いの無い現実と相成りましょう」

 コウモリのぬいぐるみを見つめながら、シアはその光景を頭に浮かべる。

「……ふむ。それならば、早急に事を成してみせよ。手が要るようであれば、魔将軍ギーザと魔参謀ルクスオルもお前に貸し与える」

「勿体なきお言葉。ですが、彼らの手を借りるまでもございません。魔神官の名に懸けて、そして我が神、魔王様の御名に懸けまして、聖人を排除しかの小娘を調伏せしめてご覧に入れます」

「……なれば、これを」

 平伏する魔神官に、シアは手にしたコウモリのぬいぐるみを差し出した。

「これは……」

「余の、手製の品だ。ユーリへ、渡せ。腹を押すとキューと鳴く。それも伝えよ」

「はっ。必ずや……」

 さっと一礼をして、身を起こした魔神官がぬいぐるみを受け取り退室してゆく。ドアが閉まると、シアはカップを持ち上げ窓の外を見る。目を刺す雷光に、シアは目を細めた。

「ククク……楽しみだな、ユーリ。お前を迎える準備は、着々と整っているぞ……?」

 暗雲の中に、シアの三段笑いがこだましてゆく。魔獣たちが吠え猛り、その高い声に応える。庭に設えられた花壇では、色とりどりの食人花が咲き誇り蕾を揺らしていた。


 持ち込んだサンドイッチを、殺風景な宿の部屋で食べながらシャイナは書類をめくる。荷の内容と、依頼の照らし合わせ、それから地域の物価をまとめたそれは副官ゴドーの手による書類だった。瓶詰した井戸水を口へ含み、食べ物をまとめて嚥下してゆく。シャイナの頭には食事の味は無く、書類の上の数字だけが巡っていた。

「やっぱり、麦かしらね……?」

 ぼそり、とシャイナが呟く。

「ほえ、麦?」

 隣に現れたユーリが、横から書類を覗き込んで言った。

「ええ。粉にしたものを運べば、お手軽だもの。今日は、もう帰って来たのかしら、ユーリ?」

 書類から顔を上げたシャイナは、ユーリへと顔を向ける。時刻は宵の口といったところで、宵っ張りのユーリがこの時間に宿の部屋へ来ることは珍しい。

「ただいま、シャイナ。ちょっと、今、いい?」

 ベッドに腰掛けて問うユーリに、シャイナはうなずく。

「ええ。どうしたの、何か、あったのかしら?」

 椅子の向きを変えて、ユーリへと向き合う。顔を俯けて、ユーリがもじもじと親指を擦り合わせ始めた。

「あのね、私……」

 口を開いたユーリの胸元で、何かが揺れる。見ると、ユーリの胸には十字架をあしらった首飾りが提げられていた。見つめる視線に気づいたのか、ユーリが上目遣いにちらとシャイナを見返してくる。

「あ、これね、教会のなの。今日、ちょっと魔族と色々あって、聖人さまに助けてもらったんだ。その後で、これをくれたの」

 言いながら、ユーリの指が古びた十字架をそっと撫でる。大切なものに触れるように、優しく、そっと十字架をなぞるその動きに、シャイナの頭の中にぴんと何かが閃いた。

「……もしかして、ユーリ」

 問いかけに、ユーリが顔を上げ、にへらと緩んだ頬を見せる。

「うん。その……」

「惚れたのね?」

 重ねた問いに、ユーリがこくんとうなずいた。

「聖地を巡って、道々の町に寄って布教をしてるんだって。シャイナは、知ってる? ルヴァンさんって、いうんだけど」

「耳にしたことは、あるわ。まあ、私は神様よりもお金を信じるほうだから、縁の無い人ではあるのだけれど」

 言うと、ユーリが苦笑する。

「あはは。シャイナは、もう少し信心持ってもいいんじゃないかな? 神様は、商売にも加護を与えてくれるんだよ?」

 ユーリの言葉に、シャイナは両手を拡げて首を横へ振る。

「神頼みしたって、どうにもならないものなのよ、この業界は。それで? ユーリはどうしたいの? 彼の、巡礼の旅に、付いて行きたい?」

 問いかけると、ユーリは顔を俯ける。

「うん……でも、私、エルフだから……連れてってって言ったら、迷惑がかかるかもだし……」

「教会は、そのへん厳しいものね。でもね、ユーリ。大事なのは、信じること、思いを、貫くことよ。その聖人様には、あなたがエルフだっていうこと、言ったの?」

 ふるふる、とユーリが首を振った。

「ううん。まだ、何も言ってないよ。私がエルフだってことも、好きっていうことも、何も……」

 ユーリの言葉に、シャイナは目を丸くする。

「珍しいわね。いつも考え無しのあなたが、突っ走らずに慎重でいるなんて」

「ほえ、それって、どういう意味? まあ、実際そうなんだけどね……でも、教会が関係してくると、ちょっと考えちゃうんだよ……」

「結婚式も教会で挙げようとしてたあなたが?」

「ほえ、そんなことあったっけ?」

 首を傾げるユーリに、シャイナは苦笑する。

「過去のことをすっぽり忘れるのは、本当にあなたらしいわ、ユーリ。でもね、だとすると、今回の聖人様に対して慎重になってるのは、あなたらしくないってことになるわ、ユーリ」

「ほえ……でも」

 不安な顔を見せるユーリの言葉を、シャイナは遮る。

「でもも、だっても、無し。気づいたら、突っ走っちゃっているでしょ、いつも。だから、今回もそれでいい、と私は思うわ。聖人様に全部打ち明けて、ぶつかっていらっしゃいな。そうして受け入れてくれないような器量の狭い男なら、こっちから振ってやればいいのよ。ね? どうせ、明日も会う約束、しているんでしょう?」

 シャイナの言葉に、ユーリが俯いていた顔を上げる。ふっくらとした、繊細な造りのその顔をシャイナは両手で挟み込む。

「何も考えず、頭空っぽにして向き合ってきなさい。それが、あなたでしょう?」

 ユーリの澄んだ瞳が、シャイナの目を覗き込んでくる。やがて、ユーリの口が笑みの形になる。

「……うん、そうだよね。言わなきゃ、何も始まらないもんね。わかった、私、言ってみる!」

 シャイナの手を振り切って、ユーリが元気よくうなずいた。

「上手くいったら、ユーリは聖人様の奥さんになるのね……あ、聖人様って、結婚できたかしら?」

「実質奥さんだけど、関係は内緒、ってことになるのかも……わかんないけど」

「それも、聞いてみれば? 明日に」

「ほえ、そうだね。それで、いいよね」

 ひとしきり笑い合ったあと、ユーリは明日に備えるために早めの床に就いた。机に戻り、書類へ向かったシャイナは横目でちらりとユーリの寝顔を見る。すやすやと、寝顔だけを見れば大人しく、清楚な少女の横顔だった。

「上手くいくと、いいわね……ユーリ」

 呟くシャイナの胸に、寂しさとも嬉しさともつかぬ思いが浮かぶ。聖人と聖地巡礼の旅をするとなれば、シャイナとは自然と行く道が異なってしまう。それを思うと、胸を締め付けられるような思いがこみ上げてくる。頭を振って、シャイナはそれをかき消し書類へと向き合った。顔つきが、親友へと向けるそれからキャラバンの長のものへと変わる。

 安らかな寝息の横で、シャイナの夜はまだこれからなのであった。

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