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旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
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神算鬼謀の大商人 後編

 アンジェロのユーリに対する扱いは、格別であった。彼の馬車に乗って、移動する。馬車はほとんど揺れを感じさせず、ふかふかのクッションがわずかな揺れを心地よいものへと変えてくれる。旅の行程には無理はなく、明るいうちでも次の町まで遠いときは野宿を避けた。

 高級宿に設えられたプールの中で、ユーリは優雅に泳いで見せる。透き通ったブルーの水の中は涼やかで、ゆらゆらと髪を揺らしながらユーリは長く潜り、そして水面へと顔を出す。

「楽しんでいるようですね、ユーリ」

 茶色のガウンを身に着けたアンジェロが、ユーリに声をかける。

「ほえ、うん! 冷たくって、気持ちいいよ。アンジェロも、入る?」

 ユーリの誘いに、アンジェロは微笑んで首を横へ振る。

「私は、ここであなたの姿を見ているだけで、充分楽しんでいますから」

「ほえ……」

 言われて、ユーリは水の中にある自分の恰好を見下ろし少し赤くなる。大胆な白のリボン風ビキニは、可愛らしさの中に艶を閉じ込めたような、見事なデザインだった。泳ぎ回れば、背中の長いリボンがひらひらと舞い踊る。アンジェロに勧められたいくつかの水着の中から、ユーリは可愛らしさでそれを選んだ。だが、身に着けてアンジェロの視線の前に立つと、やはり恥ずかしさが浮き彫りにされてしまう。

「もう少し、大人しいのにしとけばよかったかな……?」

「大変、良く似合っていると思いますよ、私は」

 にこやかに言うアンジェロの視線の中には、測るような、見透かすような強い気配があった。視線の当たる場所が、熱いほどに、それは感じられる。だが、ユーリにとってその熱は、嫌なものでは無かった。

「……ありがと、アンジェロ」

 お礼を言って、ユーリはまた泳ぎ始める。水の中で、ユーリの頬はにへらと緩んでいた。

 水着を着替えて、宿を出る。颯爽と歩くアンジェロの隣で、ユーリはアンジェロの腕にしがみついて一緒に歩く。ゆったりとしたズボン風の下衣と、上はチューブトップで大胆に肩を出し、首には金色のネックレスを巻いて髪はアップにまとめる。それらは全て、この町を歩くためにアンジェロが用意してくれたものだった。衣服が、アンジェロの色に染められてゆく。ユーリはそれを、嬉しく誇らしい気持ちで受け入れていた。

「何か、欲しいものがあれば、遠慮なく言ってください。私にできることは、それくらいなのですから」

 ローブにターバン、布で顔を隠した姿のアンジェロが、そう嘯く。

「ほえ、一緒にいるだけで、楽しいよ、アンジェロ!」

 返したユーリの言葉に、アンジェロが笑みの気配を見せる。

「あなたは、私の思った通り……いえ、それ以上のものを私にくれるのですね」

 布越しに聞こえる優しい声に、ユーリはにへらと笑みを返す。落ち着いた市場通りには色々なものが並べられていて、それはユーリの目を楽しませるには充分なものだった。色とりどりの果物や、綺麗な織の布、妖しく光る宝石を、ユーリはアンジェロと共に歩き、眺めては嬌声を上げる。見上げればアンジェロの眼は、どこかぎらぎらしたものを湛えて市場の品々を見つめている。大商人としての彼の熱を感じるその視線に、ユーリはそっと感嘆の息を吐く。そんな、折りである。アンジェロが、ぴたりと足を止めた。

「ほえ、アンジェロ……?」

 問いつつ、ユーリはアンジェロの視線の先を見やる。市場通りの真ん中で、二人の行く手を遮るように誰かが胸を押さえ、うずくまっていた。

「おぉ……どうか、どうかお助けを……」

 ぼろ布を纏ったその男は、のろのろとユーリに向かって手を伸ばし、掠れた声を上げる。ユーリはアンジェロの腕から離れ、男の側へと駆け寄った。

「ほえ、どうしたの?」

 声をかけたユーリの手を、男ががしりと掴む。

「お、お願いです……どうか、私を、医者の元へ、連れて行ってくれませんか? 私は、病人です」

 男の言葉に、ユーリが素直にうなずく。

「ほえ、うん。わかった。お医者さんのとこまで、運べばいいんだね?」

 ユーリの問いに男は弱々しくうなずき、市場の間の細い路地を指差した。

「あ、あちらへ……わ、私のかかりつけの、医者がおりますので……」

 ユーリは、男の指すほうへと目を向ける。細く暗い路地の先に、闇色の怪しげな扉が浮いていた。いかにも、といった風情に、ユーリは少したじろぐ。

「ほえ……あ、あそこ?」

「そうです……私を、助けてくれるのでしょう? さあ、早く!」

 強い力で、男がユーリの手を握りしめる。そのとき、黙って見ていたアンジェロが一歩、動いた。

「医者なら、私の手の者を呼びましょう。どこがお悪いのか、聞いてもよろしいですか?」

 背後に指示を出しながら、アンジェロが男の前に立った。男はアンジェロの顔を見て、びくりと肩を震わせる。

「い、いえ、そちらの旦那様の御手を煩わせるなど、とんでもありません! 医者のいるところも、すぐそこですので、この女の子に、少し手伝っていただければ……」

「彼女は、私の大事な連れです。彼女の時間を使うことは、私のそれと等しい。それに、心配はいりません。私の配下の医者は、とても優秀です。たとえあなたがどんな病気を患っていたとしても、治療できますよ。それとも……」

 ぐい、と身を乗り出して、アンジェロが男に顔を近づける。

「この子を、連れてゆきたい事情でもおありなのですか?」

 アンジェロの言葉に、ユーリの頭にぴんと閃くものがあった。男の気配を探り、ユーリは男を指差し声を上げる。

「ほえ、この人、一昨日酒場で会った魔族の人だ!」

 ユーリの指摘に、男が慌てたように立ち上がり、身体の前で両手を振る。

「と、とんでもありません! 人違いです! 私は普通の、どこにでもいる病人です! 商人じゃないですから!」

 男の様子に、アンジェロが呆れたように深く息を吐いた。

「語るに落ちましたね。どうやら確かに、一昨日の方で間違いは無いようですね」

「な、何を根拠にそのような……」

「ユーリは、あなたと一昨日会ったこと、そして魔族であることは言いましたが、商人だとは一言も言ってはいません。そして、あの町からここまでやってきたのは、私とユーリ、あとは私の使用人のみ。であれば、一昨日酒場で会った魔族が商人の姿をしていたことをこの場で知っているとすれば、あとは当人ぐらいのものでしょう。まあ、一昨日と姿かたちは違いますが、私の推測は、間違ってはいない筈です」

 きっぱりとした断定に男は押し黙り、ユーリは小さく拍手を贈る。

「……一度ならず二度までも、我が策を破るとはな。貴様、只者ではないな」

 憎悪に歪めた顔を、男はアンジェロに向ける。

「あなたの行為は、策というにはあまりにお粗末すぎますね。もう少し、人間の機微というものを知ってから出直すべきでしょう」

 対するアンジェロが、涼しい顔で言う。男はふるふると肩を震わせ、両手を戦慄かせる。

「こ、この、魔界随一の知恵者、魔参謀ルクスオルに対して……なんと無礼な!」

「ですが、あなたはこの場で事を荒立てる気は無い。そうですね? それならば、引き際を弁えなさい。時は金なり、と言います。これ以上、あなたに付き合う義理はこちらには……」

「まだだ! ここで引き下がるわけにはいかぬ!」

 叫んで、男は懐に手を入れる。

「ほえ、アンジェロ、下がって!」

 ユーリがアンジェロと男の間に割って入り、腰を落として身構える。だが、そんなユーリに対し男は空いた片手をぶんぶんと振って制止する。

「ま、待て、小娘! お前と争うつもりは無い! こ、これを、お前に渡すだけだ! 受け取れ!」

 そう言って男が差し出してきたのは、どろどろとした紫色の何かが入ったガラス瓶である。

「ほえ、いらない」

 即答であった。男の口から、悲鳴のような声が上がる。

「そ、そんな! ではせめて、一口だけでも、口に含んでくれないか! そして、味の感想も!」

「それ、食べ物だったの……? 魔王って、相変わらず趣味悪いね」

 ジト目になったユーリが、ガラス瓶を見やり心底気味悪そうに言う。男の表情が、必死を通り越して悲壮なものになった。

「なんとか、なんとかせめて一口! でなければ、我は魔王様に合わせる顔が無いのだ!」

 ガラス瓶を捧げ持ったまま、男が器用に何度も土下座する。

「ほえ……それじゃあ、一口だけだよ?」

 根負けしたユーリが、ガラス瓶に指を近づける。

「ユーリ、いけません!」

 慌てて止めようとするアンジェロに、ユーリはにへらと笑顔を向ける。

「心配しなくて、大丈夫だよ。私、毒物には耐性があるから。でも……ありがと、アンジェロ」

 言いながら、ユーリはガラス瓶の口へ指を浅く入れる。

「ん。すぐに解るような毒は、入ってないみたい」

 指先の神経から情報を得たユーリは、そのままどろりとしたものを指に乗せ、顔を顰めつつもそれを口の中へと入れる。むぐ、と口を動かしたユーリの表情が、少し緩んだ。

「ほえ……ちょっと甘すぎるかもだけど、意外といけるね。コレ、どうしたの?」

 ユーリの感想に、男は身を起こして胸を張る。

「ククク……それは、魔王様手ずから作られた、お前の胃袋を支配するための代物よ。地獄の業火に煮詰められ、臓腑を蕩かす甘美に、耐えられるかな……?」

 男の言葉に、ユーリは首を横へ振る。

「ほえ。だから、甘すぎだってば。レモンとか入れた方がいいって、伝えておいて。私はもう、食べないけど」

「なん……だと……小娘、貴様魔王様から与えられた、脳も蕩ける甘美を……」

「もう、いいでしょ? 中身も食べたし、感想も言ったよ。だったらもう、用は無いよね。私、アンジェロとデートの途中だから、これ以上邪魔しないでね。行こ、アンジェロ」

 そう言い残し、ユーリはアンジェロの腕を引いてその場を立ち去る。残された男、魔参謀ルクスオルの横を、乾いた風が走り抜けてゆく。ふと、ルクスオルは手元のガラス瓶に視線を落とす。

「……確か、賞味期限は常温で三日であったな。だが、あの様子では、小娘はもはやこれを口に入れることはあるまい……ならば!」

 口の上へガラス瓶を持ち上げたルクスオルが、それを逆さまにする。どろりとした紫色の何かが、一気にルクスオルの口の中へと流れ込んでゆく。

「あっまあああああい!」

 頭を押さえながら、ルクスオルはしばしその場で悶絶するのであった。


 翌日夕刻、ユーリはアンジェロと共に馬車で大きな町の門をくぐっていた。家路につく人々で賑わう大通りを、馬車は粛々と進んでゆく。その行く手には、大きな丸い建物があった。

「ほえ……おっきい建物だね。あれは何?」

 馬車の窓から見上げて言うユーリは、つやつやとしていた。昨晩、宿に戻ってから施された、それは本格的なエステの効果であった。

「あそこで、ユーリには舞台に立っていただきます。契約通りに、ね」

 向かいの席で、相変わらず顔を隠したアンジェロが静かに言った。ふつふつと沸き立つような熱を帯びたアンジェロの気配に、ユーリは唾を飲み、うなずく。

「ほえ。あんなにおっきなステージで歌うんだね……」

 応じるように気を昂らせるユーリに、アンジェロがうなずいて見せる。

「ええ。歌っていただきます。契約は、一度だけ。ですが……もしあなたが望むならば、今後いくらでも舞台を用意することも、私にはできます。それを、覚えていてください、ユーリ」

 不敵な眼光を向けて、アンジェロが言う。ユーリはにへら、と笑い、うなずいた。

「ほえ、わかった。でも、アンジェロのためだったら私、ずっと歌っていてもいいよ」

 ユーリの言葉に、アンジェロはもう一度うなずき、窓の外へと目をやった。

「……その言葉、今夜の舞台が終わったとき、もう一度聞かせてくれると、嬉しいですね」

 アンジェロの含みのある言葉に、ユーリは少し首を傾げ、微笑んだ。二人を乗せた馬車が吸い込まれるように、丸い建物へと入ってゆく。馬車から降りたユーリはアンジェロと離れ、女性の係員に案内されるままに控室へと向かう。連れて来られたのは、少々武骨な印象の小部屋だった。

「ほえ……壁に、武器がいっぱいかけてあるね」

 部屋に視線を巡らせて、ユーリが呟く。

「お好きなものを、使われて構いません」

 係員の言葉に、ユーリは首を傾げる。

「ほえ? 武器は使わないよ?」

 言いながら、ユーリはリュートを掲げて見せる。

「……なるほど、それが武器なのですね」

 係員の納得した口調に、ユーリはうなずく。

「うん。ずっと一緒に旅をしてきた、私の相棒なんだよ」

 リュートの胴を撫でながら、ユーリは言った。

「かしこまりました。それでは、この衣装にお着換えください」

 係員はうなずき、ユーリに衣服を差し出してくる。

「ほえ……これ、肌面積結構多くない?」

 受け取ったユーリは、衣装を見やり眉を寄せた。それはほとんど昨日の水着と変わらない、そんな代物である。

「……アンジェロ様が、ご用意されたものなのですが」

「ほえ、じゃあ着る」

 ぱぱっとユーリは早着替えをする。着終って、くるりと一回転して見せるユーリへ係員が革の小さなベルトを差し出してくる。

「ほえ、これは?」

「アンジェロ様がご用意された、チョーカーでございます」

「ほえ、わかった」

 何の迷いも無く、ユーリは首にベルトを巻き付ける。

「ほえ? 魔力が、出せなくなっちゃった」

 チョーカーを付けた途端に、ユーリの体内の魔力が沈静化する。そんなユーリの様子にはお構いなしに、係員は香油の入った小瓶を取り出した。

「これを、塗るようにと」

「アンジェロの指示なんだね。わかった」

 ぬるりとした透明の油のようなものを、係員がユーリの全身へと手早く塗り付けてゆく。

「……なんか、少し美味しそうな匂いだね、この香油」

 くん、と鼻を鳴らすユーリに、係員はうなずいて見せる。どうやらこれで、準備は完了のようだった。控室を出たユーリは、係員に案内されるままに細く暗い通路を歩いてゆく。

「では、ご武運を……」

 係員が恭しく一礼し、手を伸べて先へと促す。重い鉄格子のついた入口が、ぽっかりと開いていた。

「……これも、演出?」

 係員に問いかけるユーリであったが、応えは無い。仕方なく、ユーリは上げられた鉄格子の下をくぐり、場内へと足を踏み入れた。途端に、光魔法の強い光源がユーリを照らす。

『さあ、皆様拍手でお迎えください! 本日のメーンイベント、麗しきエルフの生贄の少女が今、入場いたしました!』

 魔法で拡大された声が、びりびりとユーリの耳を震わせる。

「ほえ?」

 目を見開くユーリの背後で、鉄格子ががしゃんと下ろされた。

「ね、ねえ、これって、どういうこと!?」

 闇の中へ問いかけるユーリだったが、係員は静々と背中を見せて歩み去ってゆく。呼び止めるべく声を上げようとしたところへ、耳をつんざく大歓声がユーリに襲い掛かる。

『それでは、対の門からいよいよチャンピオンの登場です! エルフを食って十余年、屠ったエルフは百を超える! 超重量級の太い奴! 拍手でお迎えください! オォーク、キィーング!』

 振り返ったユーリの視界の中で、前方の鉄格子がゆっくりと開く。ずしん、ずしんと重い足音が、響く振動が小柄なユーリの身体を跳ねさせる。中から現れたのは、身の丈三メートルほどの巨大な豚頭の怪物だった。

「ほ、ほえええええ!?」

 リュートを持ったまま、ユーリは驚愕に声を震わせる。きょろきょろと、忙しなく視線を動かしたユーリの頭の中に、ぴん、と閃くものがあった。周囲は広い円形で、高い壁に囲まれている。壁の上には観客席があり、そこには熱狂した観客たちが声を張り上げる姿がある。そして地面は赤茶けた砂になっており、その色は幾多の血で染められてきたことだろう。ここは、闘技場だった。

『さて、メーンイベントがいよいよ開始されます! 実況は私、モンドーがお送りいたします! そして解説席にはな、なんと! 今回の興行の仕掛け人、大商人アンジェロ様が来てくださいました! アンジェロさん、よろしくお願いします!』

『はい、よろしくお願いします』

 聞こえてきた静かな声に、ユーリは観客席を見回した。一段高く設えられた場所に、その姿はあった。呆然と、ユーリはそれを見上げる。

『いやあ、今回はアンジェロさん。よくぞ実現してくださいました! 闇ギルドで噂になっているかの最強のエルフ、ユーリちゃんを連れて来るとは、いやはやそのお顔の広さには脱帽です!』

『はい。皆さんに楽しんでいただきたい一心で、私も力を尽させていただきました』

『ありがとうございます! あっと、ここで試合開始の鐘が鳴ったぞ! チャンピオン、オークキングがユーリちゃんに向けて突進だ! これは危ない!』

『ユーリさんには、魔法を封じるチョーカーを身に着けていただいてますからね。もしかすると、一方的な試合になってしまうかもしれません』

『構いません! 我々は、それが見たいんです! あっと、呆然と立ち尽くすユーリちゃんだが……あっさりと突進を受け……い、いや、違う! アレは残像だあっ!』

『手元の資料によりますと、彼女は体術もかなり遣うそうですが……』

『どこだ、どこに消えた!? 探し回るチャンピオン! あっ、いました! なんとユーリちゃんは膝の裏! チャンピオンの膝の裏に回り込んで……おっと、チャンピオンが体勢を崩したあっ! 首筋に手刀ーっ! チャンピオン、まさかの一撃で気絶だ! ここで試合終了の鐘! なんという番狂わせ! 勝ったのは、魔法を封じられたユーリちゃんです! 鮮やかな勝利でした! 場内を乱れ飛ぶのはチャンピオンへの掛札です! お静まりください! そんなことをしてもお金は戻りません!』

 沸き立つ場内を呆然と見上げるユーリの側へ、係員がやってくる。ユーリは促されるままに、控室へと戻った。

「いやはや、勝つとは思っていましたが、まさか一撃とは……やはり、私の目に狂いは無かったようですね」

 しばらくして、顔を隠したアンジェロが姿を見せる。

「アンジェロ……これは、一体、何……?」

 座り込んでいたユーリが、幽鬼の様にふらりと立ち上がる。

「ええ。見世物興行ですよ。闇ギルドの開催する、賭け試合です」

 しれっと言うアンジェロに、ユーリは詰め寄った。

「初めから、これが目的だったの?」

 睨み据えるユーリの目の前で、アンジェロがこくりとうなずいた。

「そうです。あなたの情報を集め、私がすべて手配しました。まあ、魔族の介入は想定外ですがね」

「一体、どうして?」

 問いかけたユーリに、アンジェロは肩を震わせ、笑う。

「……わかりませんか、ユーリ?」

「わかんないよ! どうして私を見世物なんかにするの!」

「……私は、商人です。求められた商品は、どんな手を使っても顧客に提供するのが商人です!」

 ばさり、とアンジェロはターバンと布をむしり取り、露わになった表情をユーリへ見せる。そこには、満面の笑みがあった。

「ユーリも見たでしょう! 観客たちの喜び、嘆く様を! 聞いたでしょう! 魂を震わせるほどの、心の叫びを! 巨大なオークキングを、ちっちゃな少女が殴り倒す! その光景に、誰もが驚き、声を上げる! どんな歌よりも素晴らしい、最高の歌声でしたよ! これほど素晴らしい興行を、私はやってのけた!」

 あっ、とユーリの胸の中で、声にならない声が漏れた。今の今になって、アンジェロの本質が理解できた。狂っている。彼は、興行に狂っているのだ。顔を隠していたのは、もしかするとその狂気を悟らせないようにするためだったのかもしれない。そう思えば、ユーリは目の前の男からじりりと後ずさる。

「ほえ、あなたの狂気に、これ以上付き合ってなんていられない! 契約はもうおしまい! 二度と、もうあなたとは契約しないんだから! さよなら!」

 風を巻いて、ユーリは駆け去る。その背中を追って来るような男の哄笑に、ユーリは耳を塞ぎながら走り続けた。勝ち誇ったような男の笑い声が、いつまでも耳について離れない。野を越え町を越え、ユーリは一直線に目指す。帰るべき場所へと、真っすぐに。

「ユーリ! 戻って、来たの!?」

 声を上げるシャイナの腕の中へ、ユーリは固く目を閉じたまま飛び込んだ。迎え入れられた柔らかな場所で、ユーリは絞り上げるように親友を抱き締める。ぐえ、と頭上で声が聞こえた気がしたが、小さく震えて嗚咽するユーリの耳には、それは聞こえてはいなかった。

「ほええええん!」

「ユ、ユーリ……もう少し、やさ、しく……」

 目を白黒させるシャイナに抱かれ、ユーリは泣き声を上げた。絞めつけられながらも、シャイナの手はユーリの背を優しく撫で続けていた。



 魔王の私室の窓から、稲光が差し込んでくる。跪く魔参謀から報告を受けたシアは、黒いフリルのついたエプロンの紐をほどき、椅子へとかける。

「……魔界随一の知恵者が、いいように翻弄されて帰ってくる、か」

 こつこつ、とシアの爪が叩くのは、一つの水晶玉だった。テーブルの上に置かれたダークグレーのスポンジケーキの表面に、小さな人の苦悶の顔が浮かび、消える。

「も、申し訳、ありません!」

「一部始終を、見ていた。余から言うことは、何も無い」

 シアの冷たい言葉に、魔参謀はぶるりと身を震わせる。

「お、お待ちください、魔王様! どうか、どうかこのルクスオルめに、もう一度機会を!」

「下がれ、魔界随一の知恵者よ。これ以上、余を失望させるな……!」

 ははっ、と一礼し、いつも以上の素早さで魔参謀が姿を消した。

「生かして、おかれるのでございますか、魔王様?」

 部屋の入口で、新たに訪れた影が言う。

「最低限の仕事を、奴は果たした。それを、評価したまでのこと。お前は、失敗するなよ? 私は、それほど甘くは無い」

「……我が神の、み名において。かの小娘の篭絡、必ずや果たして見せましょう」

 邪悪な神官のようなローブを揺らし、影が一礼する。手を振って下がらせると、シアはスポンジケーキに塗りたくった緑色のクリームを指ですくい、ひと舐めする。

「……ちょうど良いと思っていたが、お前には少し甘すぎるようだな、余は……ユーリ」

 シアは窓の外、彼方の方角を見つめて息を吐く。

「……ままならぬものよ。だが、余は決して諦めはせぬ。手に入れたいと欲するものは、全て余は手にして見せようぞ!」

 暗雲垂れこめる魔王の城から、三段笑いがこだまする。それは遠く、どこまでも響いてゆくようだった。


 のどかな道行く馬車の幌の上、陽気にリュートを爪弾いていたユーリは背中を震わせた。

「ほえー、今何かー、やなもの感じたよー」

「大丈夫? 風邪でも引いたんじゃないかしら、ユーリ?」

「ほえ、大丈夫ー」

 ほろん、と陽気な音色を奏で、彼方に目を向けるユーリを乗せて馬車は進んでゆく。どこまでも、ユーリの旅は続いてゆくのであった。


 なお、とある大商人が開いた興行で八百長試合の疑いをかけられ、闇ギルドに命を狙われた大商人は多額の金を闇ギルドへ支払うはめになったのだがそれはユーリの知る由もない話なのであった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

お楽しみいただけましたらば、幸いです。

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