神算鬼謀の大商人 前編
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酒場の中へ、爪弾く音色が響き行く。陽気なリュートの音色に、酒場の酔客たちは歌い、踊る。ステージも無いほどの小さな酒場であったが、ほろりほろりと音色が届けば、リュートを奏でる少女は場所を選ばなかった。客席のひとつひとつを巡り、少女はにこやかな笑みと、高く美しい声を分け隔てなく配ってゆく。カウンターの上に置かれたおひねりを入れる革袋は、夜更けを前にしてすでに銅貨や銀貨で満杯となっていた。
拍手喝采を受けて、少女はカウンターの前でくるりと身を翻し、一礼する。可憐なその振る舞いに、観客たちが口笛を吹き、遠慮のない大声ではしゃぎたてる。騒がしい、夜の小さな宴は続いてゆく。そんな中で、少女をじっと見つめる一対の瞳があった。全身をゆったりとした茶色のローブで覆い、白いターバンを頭に巻いて口元を隠すような布を顔に垂らしている。いかにも、怪しい男であった。
少女が、ちらりと男へ目をやった。男の視線と、少女の視線が一瞬、交錯する。だが、すぐに少女は視線を外す。店内のあちこちから、少女を呼ぶ声が上がっていた。笑顔を向けて、少女は小さく手を振る。男も、そんな少女から目を離し、テーブルの上のグラスを持ち上げるのであった。
カウンターの上に置いた革袋を持ち上げ、ユーリはマスターに食事の注文をする。ずっしりと重い袋と料理を持って、空いたテーブルへとユーリは移動する。香ばしい湯気を立てている焼きたてのパンにほんわかとしていたユーリの顔が、一瞬固まった。
酒場の隅の席に、怪しい男が一人いた。不思議な、気配の男だった。演奏を終えたとき、一瞬だけ合った視線を思い出す。それはまるで、ぴんと張られた天秤の片方に乗せられ、もう片方へ錘を乗せて重さを測られる、そんな感覚の視線だった。何気なく、ユーリは男のほうへ目をやりながら、空いたテーブルへと歩いてゆく。どん、と何かがユーリに真正面からぶつかったのは、そんな時だった。ガシャン、と何かが破砕する音と、尻餅をついた商人風の男の姿があった。
「ほ、ほえ、ごめんなさい! 私、よそ見してたから……大丈夫?」
気の抜けるような鳴き声は、ユーリの口癖である。空いたテーブルの上に料理と革袋を投げ置いて、ユーリは男の側へ寄った。
「わ、私は大丈夫だが……ひいい!」
びっくりした顔の男が、素早く手元を見て悲鳴を上げる。高級そうな絹の袋に包まれた、いびつな形の何かを見つめる男の顔が、どんどんと青ざめてゆく。
「ほえ? どうしたの?」
問いかけるユーリの前で、男が素早く絹の袋の口を解く。カチャカチャと、砕けた陶器のぶつかる音が聞こえた。
「わ、私の、大事な壺が……ああっ!」
手の中にある袋の中身を見て、男は天を仰いで悲痛な声を上げる。ユーリも、袋の中を見た。
「ほえ……ばらばら、だね」
白っぽい陶器のカケラが、袋の中を満たしていた。ぽつり、と言ったユーリを、男がキッと睨みつける。
「どうしてくれるんですか! この壺は古代王朝の貴重な発掘物で、とある貴族様に金貨百万枚で買っていただく約束をしていたのに! ああっ、このままでは私の首は撥ねられてしまうことでしょう!」
「ほえ、ごめんなさい……」
物凄い剣幕の男に、ユーリは小さくなって謝る。
「ごめんなさい、では済みませんよ! 金貨百万枚、いや、古代王朝の発掘物を……どうしてくれるんですか!」
「ほえ……」
ユーリの額に、冷や汗が浮かぶ。一介の吟遊詩人であるユーリには、どうすることもできない金額である。
「い、いつまでかかるかわからないけど、弁償、します」
そう言うユーリに、男は激しく首を横へ振る。
「お金の問題ではありません! これを買ってくださる貴族様への、私の信用の問題なのです! あなたにもし、弁償するつもりがあるのなら、明日にでも貴族様の元へ行って、謝罪をしてください!」
「ほえ、わかり、まし…」
勢いに圧され、ユーリが首を縦に振りかける。
「少し、待ってくださいますか?」
そのとき、男の背後から声が上がった。こつん、こつんと酒場の床を鳴らし、ゆっくりと歩み寄ってくる足音。
「な、何ですかあなたは! 今は、私とユーリさんの話の途中です!」
男が首を後ろへ向けて、寄ってくる者へと言う。
「ほえ、隅っこにいた、変な人……」
その姿を見て、ユーリは小さく呟く。茶色に、金の縁取りをしたローブに、頭にはターバン、そして顔の前には薄い布を垂らしている。そんな男が、破片の入った袋を指差した。
「見た所、その壺は古代王朝の発掘物などでは無いようですが」
静かな調子で、その男は言った。
「な、何ですと! あ、あなたは、私の大事な商品に、けちをつけられるおつもりか!」
「大事な商品ならば、どうしてこんな場所に持ってきたのですか? そちらの、吟遊詩人のお嬢さんがぶつからなくとも、何かの拍子で破損してしまうかも知れない、こんな小さな酒場に」
男の言葉に、カウンターの向こうから小さくて悪かったな、と声が届いてくる。だが、それはユーリも二人の男も黙殺した。
「わ、私が悪いと、そう、おっしゃりたいのか! 私は、被害者だぞ!」
「こちらの問いに答えていただきたい。どうしてあなたは、あなたの自称を信じるならば、取り換えの効かない、納品も間近な貴重品を持って、酒場に来たのですか。そしてどうして、彼女……ユーリさん? の隙を伺い、ぶつかっていったのでしょうか」
問いかけに、袋を持った男は絶句する。怪しい風体の男の、隠されていない眼の部分からは鋭い眼光が男へ向けられている。
「そして何より……どうして、そちらの吟遊詩人のお嬢さんの名前を、あなたは知っているのでしょうか?」
「そ、それは……そうだ、演奏前に、名乗っていたじゃないか!」
「そんな事実はありません」
男の言葉を、怪しい男は切って捨てる。
「ほえ……そうだっけ?」
首を傾げるユーリだったが、横合いから口を出すのは憚られた。そんな空気だった。
「あなたは初めから、こちらのお嬢さんを狙ってぶつかった。……ぶつかって落としたにしては、割れ方も不自然ですし、あらかじめ砕いておいたのでしょうか? まあ、どちらでも良いことです。ありもしない貴重品の壺の弁償を装い、大金を強請ろうとした……わけではなく、貴族に、こちらのお嬢さんに会うように要求した。つまりあなたの狙いは、こちらのお嬢さんを貴族様とやらに会わせる、もしくはそう偽ってこちらのお嬢さんを誘拐すること……違いますか?」
問いかけに、袋を持った男は顔を俯かせ、全身を細かく震わせた。男の様子に、ユーリは思わず身を固くして、一歩距離を離す。俯いた男の口から、低く小さな呟きが漏れた。
「おのれ……あと一歩というところで……まあ良い。邪魔も入ったことだし、ここは大人しく引くとしようか」
鋭敏なユーリの耳には、その声は明瞭に聞こえた。聞き取れなかったのか、怪しい風体の男は鋭い視線を向けたままだった。
「転移!」
力ある言葉が袋の男から放たれ、その姿がふっと掻き消える。一瞬の後には、怪しい風体の男とユーリの二人だけが、その場へ残された。
「あれは……魔術師、いや、魔族でしょうか……?」
呆然と目を見開いた男が、呟く。魔族、という言葉に、ユーリの頭の中にぽん、と浮かび上がる顔があった。傲岸不遜な幼女魔王、シアの顔だった。ぶんぶんと頭を振って、ユーリはその顔を頭の中から消し去ると目の前の男に向かって勢いよく頭を下げた。
「ほえ、助けていただいて、ありがとうございます! あなたが割って入ってくれなかったら、私、とんでもない目に遭わされるところでした!」
頭を下げた拍子に、結い上げたユーリの髪の中から長い耳がひょこんと飛び出した。
「いいえ。私も商人をしている者なので、色々と聞き捨てならず首を突っ込んだまでです。お気になさらず。なるほど、あなたは、エルフなのですね。そして、魔族に狙われている……まあ、立ち話もなんですし、よろしければ、お食事をご一緒させていただけますか?」
男の見えない口元が、笑みの気配を見せる。
「ほえ、もちろんです! あ、私、吟遊詩人のユーリっていいます!」
「ええ。知っていますよ。先ほど、ステージの上で、名乗っていらしたのを、聞いておりましたので」
「ほえ? でも、さっき……」
首を傾げるユーリに、男が目を弓なりに曲げて見せる。
「ハッタリ、というものです。どのみち、彼はあなたの演奏を、まともに聞いてはいない様子でした。勿体無いことです」
しれっと言いながら肩をすくめ、男がテーブルに着く。向かい側に座りながら、ユーリは男に素直な尊敬の目を向けた。
「場の流れを有利に変えるためには、時には嘘も必要だって、シャイナも言ってました。あ、シャイナっていうのは、私の親友で、あなたと同じ商人なんです。キャラバンを率いて、あっちこっちを巡ってるんです」
「シャイナさんの名前は、聞き及んでいます。やり手の商人だ、と。なるほど。あなたが、『あの』ユーリさんですか……これは、顔を隠したままでは、失礼にあたりますね」
そう言って、男はターバンに手をかけてするすると脱ぎ、頭の後ろへ手をやって顔の前の布も取った。幕を取り除くように現れた顔に、ユーリは思わず息を呑む。
「ほえ……綺麗……」
しゅっとした、細い輪郭の顔にくっきりとした端正な目鼻立ち。声を聞かなければそれは、女性と見まごうほどの美しく中性的な顔だった。細い眉の下には、切れ長の瞳がある。ゆるやかな笑みをもって、その深い藍色の瞳がユーリを見つめていた。薄紫の髪は、長すぎず短すぎず、それは男に神秘的な印象を与えるものだった。
「初めまして、ユーリさん。私は、商人のアンジェロと申します。かねてより、あなたにお会いしてお話したいことがありましたが、今夜は、どうやら幸運な夜のようですね。私にとっても、そして、あなたにとっても……」
ぽーっとなって見惚れるユーリの耳に、心地よい音楽のような男の言葉が届いてくる。心なしか、焼きたてパンよりも良い香りが、男から漂ってくるような気がした。
「ほえ……アンジェロさん……」
「呼び捨てで、構いませんよ。私にも、そうすることを許していただけるのであれば、なお光栄です」
柔らかく笑い、男がグラスを掲げて見せる。ユーリも慌ててグラスを持ち上げると、男がそこへ自分のグラスを合わせてくる。かちん、と乾いた音が、鳴った。
「今夜の出会いに、乾杯」
「ほえ、す、素敵なアンジェロ……に、か、乾杯」
にへら、と笑ってユーリはグラスを傾ける。男も、うっすらと微笑みながらその形良い唇に透明なグラスを当てて中身を干してゆく。琥珀色の液体が、紅を引いたような美しい口の中へと消えてゆく。ユーリは飽くことなく、それを見つめていた。
暗雲たちこめる魔王城の頂上、魔王の私室でシアは這いつくばる男の報告を聞いていた。
「……つまり、失敗した、ということか?」
ロココ調の椅子に腰を下ろし、足を組んで拳に顎を乗せながら、シアは問う。
「私の、三十六ある計略のひとつが潰えた、ということに過ぎません、魔王様。計画自体は、順調でした。あとは、魔王城まで連れて来るだけ、といったところで、邪魔者が……」
「言い訳など、余は聞かぬ」
左手を横へ振り抜きながら、シアは不機嫌に眉を顰める。
「お前の話では、明日にでもユーリが来る、ということだったではないか、魔参謀ルクスオルよ。それが、失敗しました、とはな。とても、魔界随一の知恵者の言葉とは、思えぬ」
「はっ、申し訳、ございませぬ!」
「ユーリのために、厨房へ篭り一日中鍋をかき回しておった余の苦労、どうしてくれるのだ、ルクスオルよ? あやつのために、咽喉に良いブルーベリーを、ハチミツと一緒にくたくたになるまで煮込んでおったのだぞ!」
「つ、次こそは、必ずや……」
「次、じゃと? その言葉、信じても良いのか、ルクスオル?」
「ははっ、この魔参謀ルクスオル、一命に代えましても!」
顔を上げた魔参謀には、決死の覚悟があった。シアはうなずき、左の掌を上へと向ける。ぽん、と音立てて、現れるのは紫色のどろどろしたものを封じ込めたガラス瓶である。
「失敗は、許さぬ。次は必ず、ユーリをここへ連れてくるのだ! あと、これをユーリへ渡しておけ。常温でも、三日は保つ。できれば、味の感想も聞いてくるのだ。よいな?」
「ははっ!」
恭しく跪き、魔参謀が瓶を両手で受け取ると退出してゆく。一人になったシアは、息をひとつ吐いてベッドへころりと横になる。
「ククク……魔参謀の計画が失敗しようとも、アレを口にすればきっと、ユーリはここへ望んで来ることになるだろう。古来より、胃袋を掴んだものが、勝利を掴む。余の全てを込めて、思い知らせてやろうぞ、ユーリ……明日は、スポンジも焼いてやろう。魔界の獄炎にて形作られる至高の甘味に、その身も心も、蕩かせてやる……ククク、フフフフ、ハーッハハハハハ!」
原寸大のユーリ人形を抱きしめて、シアは邪悪に笑った。遠雷が轟く中、けたたましく笑う魔王の声に魔物たちは畏れ、慄いたのであった。
夜明け前、キャラバン副長のゴドーから上がってきた収益の書類を前に、シャイナは眉をひそめていた。魔族の活動が緩やかなものになり、街道を襲う魔物の数は減少している。だが、それに伴い物の動きは活発となって、同業者が増えてしまっているのだ。儲けは薄くなり、仕事も減ってゆく。キャラバンの長として、何とかできないものか。頭を抱えるシャイナの背後で、コンコンとドアが鳴った。
「はい、どなたかしら?」
立ち上がり、シャイナは問いかける。
「ほえ……私」
鳴き声で、ドアの向こうに立つ人物は特定できた。シャイナは鍵を開けて、ユーリを中へと迎え入れる。
「珍しいわね、ユーリ。あなたが、大人しく普通に入ってくるなんて」
吟遊詩人装束のまま、ユーリがベッドにちょこんと腰をかける。
「どうしたの、ユーリ?」
隣へ座ったシャイナは、穏やかに言った。
「ほえ、シャイナ。実は……」
ユーリが懐に手を入れて、一枚の紙を引っ張り出してシャイナへ差し出す。受け取って、紙面に目を通したシャイナはユーリの顔をまじまじと見つめた。
「契約書……アンジェロって、あの、大商人のアンジェロ? ユーリ、あなた、どうやってあんな大物と知り合ったの?」
問いかけると、ユーリがにへらと笑った。ぴん、とシャイナの頭の中に、閃くものがあった。
「ほえ。酒場で、会ったの。ちょっとしたトラブルがあって、たぶん、魔王の仕業なんだけど……危ない所を、助けてくれたの。すっごい綺麗で、指も細くって……でも、声はちゃんと男の人で……」
胸の前で人差し指をいじいじと合わせながら、くねくねしつつユーリが言う。これは、間違いない。シャイナの中で、閃きは確信へと変わる。
「……惚れたのね。出会ったばかりの男に」
ユーリが、こくん、とうなずいた。
「アンジェロが、私と、契約したいって、言ってくれたの。どうしても、私が必要だって……そう言われたら、私、断れなくって……」
眉をハの字にして、ユーリが俯く。シャイナは黙って、ユーリの肩に手を回し、抱き寄せた。
「……いいのよ、ユーリ。私は、あなたと一緒にいたいけれど、そのためにあなたが、幸せを手放すことなんて、無いわ。せっかくのチャンスじゃない。行って、幸せになりなさい」
「シャイナ……うん、ありがと」
「ついでに、アンジェロさんに私のキャラバンのこと、贔屓にしてもらえるように頼んでくれると、嬉しいんだけれど、ね」
悪戯っぽく、シャイナは言った。
「ほえ、もちろんだよ!」
「お馬鹿ね、冗談よ。大商人の元で、あなたは世界中に轟くような名声を手にしなさいな。私が、どこにいても聞こえるくらいの演奏を。それが、私の望みよ」
「うん……うん……」
にっこりと笑う親友の顔を優しく見つめるシャイナの瞳に、うっすらと浮かぶ滴があった。それを見られまいと、シャイナはユーリを抱き寄せ、ベッドに寝転がる。
「ほえ、シャイナ……苦しい」
くぐもったユーリの声が、シャイナの胸に心地よい振動となって響く。爽やかな朝には似つかわしくない、別れの時間をシャイナは静かに噛みしめるのであった。




