表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅して恋する吟遊詩人  作者: S.U.Y
23/58

寡黙で優しい療術師 後編

 食堂も兼ねた昼の酒場は、多くの人で賑わっていた。混みあったテーブルの数々を見て、ジェイとユーリは入口で立ち尽くす。

「ほえ、すっごく混んでますね」

 見上げて言うユーリに、ジェイは顎に手を当て、うなずいた。

「……そうだな。これは、店を替えたほうが」

 言いかけたジェイの元へ、給仕がトレイを放り出して駆け寄ってくる。

「も、もしかして、救国の剣聖、ジェイ様ですか!? い、いらっしゃいませ!」

 給仕の上げた大声に、ジェイの眉がぴくりと動く。

「……リチャードの奴、盛大に吹いたな」

 小さな呟きを耳にして、ユーリは首を少し傾げる。だが、ユーリが口を開く前に、酒場のマスターがどすどすと駆け寄ってきた。

「いやあ、流浪の剣聖様にテーブルを用意できないとあっちゃあ、こっちの面目が立たねえ。ちょっと、待ってておくんなせえ。おい! そこの客、ちょっと詰めろ! 水とキャベツだけでずっと粘ってるお前だよ! ほら、どいたどいた!」

 物凄い勢いで、マスターがテーブルにいた客をどかせてゆく。

「お、おい、何もそこまで……」

 ジェイが片手を挙げて言うが、マスターはにっこりと笑って空いたテーブルを指差した。

「いいんです。どうせ、ツケで飲んでる連中なんですから。ささ、英雄様、こちらのテーブルへ。連れのちっこい姉さんも、どうぞ」

 あれよ、という間に背中を押され、ジェイはテーブルへと着いた。向かいに、ユーリもちょこんと座る。ユーリの視界には、ジェイの背中へ視線が集まるのがよく見えた。

「ほえ、ジェイさん、人気者ですね」

 にへら、と頬を緩めてユーリが言う。ジェイは顔を俯けて、小さく嘆息する。

「……大げさに、騒いでいるだけだ。それに、俺は……」

「大げさなんかじゃ、ありません。ジェイさんは、少なくともこの町では、救国の英雄なんです」

 自嘲気味なジェイを遮り、ユーリが言った。きらきらした尊敬を込めた眼差しを向ければ、ジェイは居心地悪そうに身を縮める。謙虚な剣士様の仕草に、ユーリの胸がきゅんと鳴った。

 注文した料理が運ばれてきて、ようやく食事となった。マスターのサービスで大盛となった料理を、ジェイは勢いよく、しかし下品にならない仕草で平らげてゆく。フォークを持ったまま、ユーリはその健啖ぶりを眺める。

「……どうした、食わないのか?」

 フォークに刺したパスタを持ち上げながら、ジェイが聞く。

「ほ、ほえ。すっごい勢いだなって、思ってただけです。お腹、空いてたんですか?」

 問いかけに、ジェイは小さく首を横へ振る。

「……食えるときに、食っておく。こういう商売をしていると、そうなる」

 ジェイが、少し胸を張って言った。

「剣士様ですもんね。身体が、資本なんですね」

 言いながら、ユーリもパスタを刺して口へ運ぶ。

「……いや、俺は」

「ほえ、美味しい! ジェイさん、このソースに使われてる香辛料、たぶんうちのキャラバンが運んできたものなんですよ」

 口の中で弾けた絶妙な苦みと辛さに、ユーリが声を上げる。

「……そうなのか。ユーリは、キャラバン付きの吟遊詩人なのか?」

 ジェイの問いに、ユーリはうなずく。

「はい。世界中を、旅して廻ってるんです。楽しい事、いっぱいあるんですよ」

 にへら、と笑ってユーリが言う。口直しにシチューを飲み込んだジェイが、目を細めた。

「……俺も、相棒と一緒にあちこち行っている。冒険者として」

「ほえ、ジェイさんの相棒って……女のひと、ですか?」

 フォークを止めて問いかけるユーリに、ジェイは首を横へ振る。

「……男だ。リチャードという。ユーリと同じ吟遊詩人で、腕はいいが少し大げさに騒ぐ悪癖がある」

 ジェイの答えに、ユーリは胸の中でほっと息を吐いた。

「ほえ……良かった」

「何が良かったんだ?」

 じっと見つめてくるジェイに、ユーリは慌てて手と首を振る。

「い、いえ、何でもありません。もしかして、ジェイさんの相棒って、昨日ステージで歌ってた人ですか?」

 ユーリの問いに、ジェイは一瞬だけ顔を顰め、それからうなずいた。

「……そうだ。あいつは、昨日も……あんな歌を歌って……俺を、何だと思っている……俺は、俺の本分は、剣士ではなく」

 フォークを動かしながら、ジェイは相棒への感情を吐露してゆく。

「ほえ、ジェイさん」

 ユーリが、ジェイの頬にすっと手を伸ばす。

「……うん?」

 ぴたり、とジェイの動きが止まる。ユーリは、ジェイの頬についたシチューを指に掬い、自分の口へと運んだ。

「ほえ、美味しい。シチュー、跳ねちゃってますよ?」

 にへら、と笑ってからユーリは少し咎めるような視線を送る。

「す、すまない……」

 真っ赤になって俯くジェイに、ユーリは再び頬を緩めてうなずいた。

「相棒さんのことになると、周りが見えなくなっちゃうんですね。ほえ、ちょっと、羨ましいです」

「う……あ……その、すまない」

「いいんです、そういうところも、素敵ですよ、ジェイさん」

 しどろもどろになるジェイを、ユーリは優しい眼差しで見つめ続けた。


 ユーリとジェイの座るテーブルを、店内の観葉植物の陰から見守る者が二人いた。一人は、商人風の妙齢の女性、シャイナである。その鋭い視線を向ける相手は、ジェイであった。頭の中で、ぱちぱちとソロバンを弾くその横で、派手派手しい服装の若い男がにやにやと笑っていた。

「どうよ、俺の相棒。良い男だろ?」

 若い男が、シャイナに小声で言った。

「確かに、『買い』ではあるわね。あなたの話を、全て鵜呑みにすれば、だけれども、リチャード?」

 若い男、リチャードはシャイナの言葉に自信満々の顔でうなずく。

「俺は、嘘は言わない主義でね。多少、色付けはしているがあいつの実力は本物だぜ。昨日歌った武勇伝も、混じりっ気なしの本物だ」

「話半分だとしても、雇う価値は充分ね。何より、ユーリがあんなに嬉しそうだもの」

 シャイナとリチャードの見守る前で、ユーリがジェイの頬に手を伸ばし、付いていたシチューを口に入れる。リチャードが、ヒュウ、と口笛を吹いた。

「へえ、あのジェイがいいようにされるなんて……こりゃ、珍しいもんが見れた」

「ユーリったら……本気なのね」

 観葉植物の陰で、二人はそれぞれに呟いた。目の先にある、幸せそうな空間をしばらく眺めて二人はテーブルに戻る。その上にあるのは、昼食ではなく飲み物と書類であった。

「さて、それじゃあ、お金の話をしようか、美人の姉さん?」

 挑む様なリチャードの目に、シャイナも顔を引き締めて応じる。

「ええ。あなたたち二人の値段、値切るつもりは無いけれど……きっちりと、出させてもらうわよ」

 嫣然と微笑み、シャイナは言った。今まさに、交渉の火ぶたが切って落とされる、その直前のことである。

「……ユーリ」

「ほえ、ジェイ」

 がたり、と椅子を蹴立てて、ユーリとジェイが立ち上がる。

「ありゃ、何事だ?」

 遠目にそれを見たリチャードが、声を上げた。シャイナも振り返り、二人へと目をやる。

「全員、ここを動くな!」

「ほえ、シャイナ、ちょっと行ってくるね!」

 大声を上げて酒場を出るジェイに続き、ユーリもシャイナへ軽く手を振って出てゆく。ざわり、と酒場の中に騒然とした空気が漂い始めた。

「何だかきなくさい事に、なってきやがったな」

 言葉とは裏腹に、リチャードは実に楽しそうな表情を浮かべる。

「……やっぱり、バレてたのね。流石、ユーリだわ」

 苦笑して、シャイナはそっと息を吐いたのであった。


 酒場を出たジェイとユーリは、町の入口へと駆けた。目的の場所に近づくにつれて、逆方向へ走る人が波となって二人を飲み込んでゆく。流れに逆らいながら、ジェイとユーリは悠々とそこへたどり着いた。

「ほう、ようやくやって来たか。お前が、ユーリだな?」

 人ごみを抜け出した二人の前へ、漆黒の全身鎧に身を包んだ魔族がその姿を見せた。手には曲がりくねった、抜身の剣をぶら下げている。全身から漂う殺気と魔力は、尋常のものではない。

「ほ、ほえ? 私?」

 自分の顔を指差して聞くユーリに、魔族がうなずく。

「そうだ。そして、魔王様を小細工で撃退してちょっといい気になっている人間の剣士! お前にも用がある!」

「……俺は別に、いい気になってはいないが……どうやら、俺もご指名のようだな」

 灰色の外套を翻し、木剣の柄に手をやったジェイが静かに言った。

「俺は、魔界随一の剣士、魔将軍ギーザ! そこの人間の男を、けちょんけちょんに負かしに来た!」

 威風堂々と、魔族が言った。

「……なぜ、そんなことを?」

 怪訝な顔になって、ジェイが聞いた。

「知らん! 命令だ!」

 魔族が、きっぱりと言い切った。裂帛の気合と、潔さがそこにはあった。

「ほえ、それって、魔王の命令?」

 ユーリが聞くと、魔族はこくりとうなずく。

「いかにも! 魔王様の魅力が解らぬ鈍いお前に、魔族の魅力を思い知らせてやれ、との命令もある!」

 魔族の言葉に、ユーリは困惑した顔をジェイへと向ける。ジェイもまた、眉をひそめてユーリを見返した。

「どうしよう、ジェイさん。あんまり、お話通じそうにないヒトみたいですけど」

「……どうもこうも、防魔結界を斬られた以上、黙って帰すわけにもいかないな」

 すらり、と木剣を抜いて、ジェイが言う。それを見て、魔族が右手を前へと突き出した。

「待て。そんなちっぽけな木剣で、この俺の魔剣と勝負するつもりか? それでは、武器の差がありすぎて勝負にならん。これを使え」

 魔族が言って、鉄の剣を二本取り出し一本をジェイの足元へと投げた。ジェイがそれを拾い上げ、無造作に一振りする。ひゅん、と小気味よい音が鳴った。

「……武器が同等ならば、負けた時に言い訳はできない。そういうことか」

 ジェイの言葉に、魔族がうなずく。

「いかにも! 俺は魔剣による百以上の必殺技を封じられることになるが、それもまた良いハンデになるだろう! さあ、覚悟は良いか!」

「ほえ、覚悟も何も、どうして尋常に勝負する必要があるの? ジェイさん、ここは、二人掛かりでやっつけましょう」

 言いながら、懐から大きな爆弾を取り出そうとするユーリへジェイが手を挙げる。

「……いや、こいつは俺一人で充分だ。ユーリは、下がって見ていろ」

 木剣を腰に収め、鉄の剣を正眼に構えてジェイが言った。潔く言い放つ決意の顔に、ユーリは爆弾を懐へと仕舞い直す。

「別に、俺は二人掛かりでも構わんぞ?」

鉄の剣を担ぎ上げ、肩に乗せるようにして構えながら魔族が言う。曲がりくねった魔剣は、背中へ抜身のまま背負っていた。

「……御託はいい。さっさと掛かって来い」

 ジェイの言葉に、魔族がぐっと腰を落とした。胸の前で手を握りしめて、ユーリはごくりと唾を飲む。ジェイは一人で充分と言ったが、対峙している魔族の気配は本物の剣士の持つ剣気に満ちていた。

「頑張ってください、ジェイさん」

 ユーリの応援に、ジェイが視線をちらりとユーリへ向けてうなずく。そこにできた一瞬の隙を、魔族は見逃しはしなかった。低い体勢から、一気に間合いを詰めると肩に乗せた剣を振りかぶり、一気に振り下ろす。

「秘剣、兜割り! お前の頭蓋、砕いてくれる!」

 振り下ろされる剛剣の刃が、ジェイに迫る。息を呑むユーリの視界の中で、ジェイがふっと笑った。

「……ふんっ!」

 ジェイが剣の切っ先を上げて、魔族と交錯する。ぎいん、と鋭い音が鳴り、魔族が身をのけぞらせる。鉄の刃が走り、魔族の脇腹から肩口にかけて火花が散った。

「く、まだだ!」

 魔族の身体がコマのように回転し、ジェイに向けて胴薙ぎの一撃を繰り出してきた。

「ほえ、鎧で防ぐなんて、ずるい!」

 思わず叫んだユーリへ、ジェイがにやりと不敵に笑う。

「構わない。俺には、丁度いいハンデだ」

 言いながらジェイは、迫る剣先を寸の見切りで躱し、振り抜いて無防備となった魔族の小手に強烈な一撃を叩きこむ。衝撃で、魔族の剣がすっぽ抜けてあらぬ方向へと飛んでいった。

「……勝負、ありだな」

 魔族の兜の前へ、ジェイが鉄の剣先を突き付けて言う。魔族の顔が、悔しげに歪んだ。

「おのれ……手に馴染んだ魔剣であれば、このような醜態、晒さずに済んだものを……!」

「なら、魔剣で来い」

 剣を引き、再び正眼に構えてジェイが言う。

「その傲慢、後悔させてくれるわ! 秘剣、抜き打ち大上段!」

 魔族の手が背中に回り、曲がりくねった魔剣を抜き打ちに大上段から振り下ろす。秘剣の名前そのままの、動きである。対するジェイは、正眼に構えた剣をずらし、その一撃を受け流す。だが、流石は魔剣であるというべきか、ジェイの手にある鉄の剣は勢いを殺しきれず、ぽっきりと折れた。

「もらった! 秘剣、大風車!」

 くるり、と魔族が身体を回転させ、横に寝かせた魔剣を振り抜こうとする。

「危ない!」

 ユーリが思わず上げた声と、

「神樹ユグドラシルよ!」

 ジェイが裂帛の気合で木剣を引き抜き叫んだ声とが、重なった。ジェイの居合い抜きに抜き放った木剣と、曲がりくねった魔剣の刃が激突する。一瞬の後、くるくると宙を舞ったのは曲がりくねった魔剣の刃である。半ばほどで折れた魔剣を、魔族が呆然と見つめる。そこへ、ジェイが木剣の切っ先を突き付けた。

「……お前の、負けだ」

 ジェイの言葉の直後、魔族の背後へ折れた魔剣の切っ先が落ちて刺さった。

「く……こ、こんなはずでは……覚えておれ!」

 屈辱の表情を浮かべながら、魔族の行動は素早かった。振り返って魔剣の切っ先を拾い上げると、脱兎の勢いで彼方へと駆けてゆく。

「……逃げ足だけは、魔界随一のようだな」

 ほのかに青く光る木剣を腰へ差し、ジェイが呆れたように呟いた。

「ほえ、すごい、すごいよ、ジェイさん!」

 ユーリは歓声を上げて、ジェイへと飛びついた。

「なっ、ユ、ユーリ!」

 狼狽えるジェイに抱きついて、ユーリはくるくるとジェイごと回った。

「ユーリ、は、離れ……」

「あんなに強い魔族をけちょんけちょんにしちゃうなんて、ジェイさんってば本当に無双の剣聖なんですね!」

 ジェイの首にしがみつきながら、ユーリは華やいだ声を上げる。戸惑っていたジェイの顔が、真顔に変わった。

「ほえ、どうしたんですか、ジェイさん?」

 小首を傾げ、至近距離でユーリは問いかける。

「あ、いや、その、俺は……その」

 今度は顔を真っ赤にして、ジェイが何かを言いかける。そのとき、ユーリの耳に何かが聞こえた。

「ほえ、女の子の……泣き声? ジェイさん」

 抱擁を解いて、ユーリがジェイに呼びかけて駆け出す。ジェイがうなずき、その後を追った。

 泣き声の聞こえたほうへやってきたユーリの前には、細い路地でぺたりと座り込んで泣く女の子の姿があった。

「ほえ、どうしたの?」

 駆け寄ったユーリは、すぐにその理由を知った。女の子の膝には、真新しい擦り傷が出来ている。

「あのね、逃げてたら、ミーコとはぐれて、探してたら転んで、痛いの」

 つたない言葉遣いで、女の子が訴える。ユーリの背後へ、ジェイが追いついてきた。

「……怪我をしているのか。見せてみろ」

 頭上から響くぶっきらぼうな声に、女の子は少し怯えた顔になる。

「ほえ、ジェイさん。駄目ですよ、いきなり近寄ったら。この子、怯えてます」

 ユーリの声に、ジェイが足を止める。

「……俺は、傷を」

「手当は、私がしますから。ほら、お薬塗ってあげるから、傷を見せて?」

 ユーリが優しく微笑むと、女の子はほっとした顔で膝をユーリの前へと出した。ユーリは手早く、傷薬を塗って包帯を巻く。手慣れた、応急処置の手さばきだった。

「ほえ。これでもう、痛くないでしょ?」

「うん! ありがとう、お姉さん!」

 にっこりと笑った女の子だったが、その表情はすぐに曇ってしまう。

「でも、ミーコ、どこ行っちゃったのかな……」

「ほえ、ミーコちゃんって、お友達?」

「うん。真っ白くてちっちゃな、猫なんだ。うちで飼ってるの」

「ほえ。猫さんだね。ジェイさん、ミーコちゃんを、一緒に探して……あれ?」

 振り返ったユーリが、声を上げる。ジェイの姿が、いつの間にか消えていた。と、路地の奥で青白く何かが光った。女の子をかばうように、ユーリがそちらへ身体を向ける。まもなく、路地の奥から白猫を抱いたジェイが姿を見せた。

「ジェイさん。もしかして、その子……」

「ミーコ!」

 ユーリの脇を抜けて、女の子がジェイに駆け寄った。

「……路地の奥に、隠れていた」

 ジェイが身を屈めて、女の子に猫をそっと手渡す。女の子の腕の中で、猫は元気な鳴き声を上げた。

「ありがとう、お姉ちゃんと、お兄ちゃん!」

 にっこりと、女の子が笑って頭を下げる。それから女の子は、細い路地の出口へと駆けていった。ユーリは小さく手を振って、それを見送った。

「ほえ、ジェイさん。あの猫ちゃんに、何かしました?」

 女の子の姿が見えなくなってから、ユーリはジェイを見上げて言った。

「……怪我をしていたようだったから、治療術を施した」

 ジェイの言葉に、ユーリは目をきらきらさせて微笑む。

「ほえ、ジェイさんは治療術も使えるんですね、すごい!」

 ユーリの称賛に、ジェイは後ろ頭をぽりぽりと掻いた。

「いや、俺の本業は、むしろ……」

 ジェイが言いかけたとき、細い路地へ声がかけられた。

「おおーい! ジェイ、それに、ユーリちゃん? 大丈夫か?」

 路地の入口に立った派手な青い装束の青年が、二人に呼びかけてくる。

「……リチャード」

「ほえ、ジェイさんの相棒さんですか? 初めまして、私は、吟遊詩人のユーリです!」

 ユーリの挨拶に、リチャードが屈託のない笑顔を見せる。それから、リチャードは紳士の礼をひとつ、ユーリに捧げた。

「初めまして、麗しいお嬢様。俺はリチャード。こいつの相棒で、俺も吟遊詩人なんだ」

 美形の青年の見せるお道化た仕草に、ユーリは笑みを浮かべる。

「ほえ、お話は、ジェイさんから少し聞いてます。聞いた通り、面白い人ですね」

 ユーリの言葉に、リチャードはジェイを見つめる。

「何話したんだ、ジェイ?」

「……お前が、大ぼら吹きのお調子者、ということは話してある」

「ひでえ! 俺は、嘘はつかない主義だって、お前知ってるくせに!」

 大仰に天を仰ぎ、リチャードが嘆いて見せる。

「……ユーリ、気にするな。こいつはいつも、こんな感じだ」

 そう言うジェイの口ぶりには、どこかリチャードへの信頼を感じさせるものがあった。

「ほえ、仲、いいんですね」

 ユーリは微笑み、ジェイに言った。

「……腐れ縁、というやつだ」

「ますますひでえな相棒!? ま、それより、事は片付いたのか、ジェイ?」

 オーバーリアクションにのけ反って見せたリチャードが、不意に真面目な顔になって聞いた。

「……ああ。ひとまずは、終わった」

 短く答えたジェイに、リチャードがうなずく。

「そっか。なら、宴会だな!」

 素早くジェイの背後に回ったリチャードが、ジェイの背中を押す。

「……どうして、そうなる」

「いいからいいから! あ、ユーリちゃん。良かったら、今日のステージ譲ろうか? こいつの活躍、是非とも歌にしてやってほしいんだけど」

 リチャードの提案に、ユーリは満面の笑みでうなずいた。

「ほえ! ありがとうございます! ジェイさんの活躍を歌にできるなんて、素敵です!」

「お、おい! 俺は、歌にしてほしいなんて……」

「まあまあ。じゃあ、さっきの酒場に戻ろう! ステージが、待ってるぜ!」

 言い合いながら駆ける二人に続いて、ユーリも駆け出した。


 満員の酒場のステージで、光魔法のライトを浴びてユーリはリュートを爪弾いた。ほろん、ほろんと音色も軽く、それはユーリのこれまでの生涯最高の音色といえた。

「勇ましきー、剣聖の一撃がー、闇を砕いて光となるー。 無双の剣聖、その名も高き、ジェーイ!」

 わっと、歓声が湧き上がる。手を叩き足を踏み鳴らし、観客のコールは止まらない。

「治療魔法も、使えるよー、無双の剣聖、ジェーイ!」

 観客が、どっと沸く。ユーリには、解っていた。この場の観客が望むのは、ジェイの武勇伝だ。だからユーリは、その目で見た魔族とジェイの戦いを、その剣捌きを、己の情熱と力量全てを賭けて歌い切った。割れんばかりの拍手の中、ステージに上がってくる者の姿があった。

「いや、いやお見事! 素晴らしい歌でした! 昨日の歌も良かったが、今日のは迫力が、そして情熱が違う! ユーリさん、今日の歌を、他の町に、いや王国中に、いやいや大陸中に広めても良いでしょうか?」

 問いかけに、ユーリは汗の粒を浮かべた顔で、しかし満面の笑みでうなずく。

「ほえ、もちろんです! ジェイの凄さを、是非とも大陸中に!」

 ユーリの答えに、観客がまた沸いた。そうして次にステージへ上がってくるのは、見目麗しくも神々しい鎧に身を包んだ騎士だった。

「音に聞こえし無双の剣聖、ジェイどのを、是非とも我が王国の騎士団に迎えたい! ジェイ殿、如何であるか? 望む限りの報奨、そして名誉を授ける用意もある!」

 騎士の言葉に、観客と、そしてユーリは拍手を贈る。その相手は、もちろんジェイである。酒場の中央で、顔を俯ける英雄に、全員の視線が集まってくる。

「……俺は」

 肩を震わせ、ジェイがぽつりと言う。しん、と酒場が静まり返り、その声を聞き逃すまいと固唾をのんで見守る。そんな中、ジェイはがばりと顔を上げた。その顔には、なぜか憤怒の形相が浮かんでいた。

「俺の! 本業は! ヒーラーなんだあああああ!」

 力の限りジェイが叫び、周囲の酔客がびくりと身体を硬直させる。その隙をついて、ジェイは身を翻しいきなり駆け出した。酒場のドアを揺らし、姿を消した無双の剣聖に酒場の誰もが唖然とする。いや、たったひとり、そんな中で平然と身支度をする者がいた。それは、ジェイの相棒、リチャードである。

「あーあ、やっぱ、駄目だったか……」

 リチャードの漏らした呟きに、隣でぽかんとしていたシャイナが顔を向ける。

「……どういうことかしら?」

 問いかけに、リチャードは苦笑を向ける。

「あいつ、本業はヒーラーなんだ。剣は手慰み程度だって自称してて、でも、そっち方面で褒められるのを、嫌がってる節があってね。ユーリちゃんのこと、気に入ってるみたいだから、そこんところ矯正できるかなって思ったけど、やっぱ駄目だったみたいだわ。ああなったらもう、あいつはこの町には、いや、この国にはもう寄り付かないかも知れない」

 あっ、とユーリは胸の中で、声にならない声を上げる。ジェイを讃えるたびに、ジェイが見せた複雑な表情の正体。それが、今になって理解できてしまった。

 いまだ呆然とする酒場の中で、身支度を終えたリチャードが片手をさっと挙げた。

「まあ、縁があったらまた会おうぜ、シャイナさん。ユーリちゃんには、あいつが悪いんだから気にするなって、伝えておいてくれな。それじゃ、そーいうことで!」

 一陣の風のように、リチャードが駆け去った。白けた空気が残り、やがて酒場の人々は三々五々、散ってゆく。ユーリも、よろよろとステージを降りてシャイナの元へと歩み寄った。

「ユーリ……どうする? 追いかける?」

 そっと問いかけたシャイナへ、ユーリは首をふるふると振った。

「ううん……私、ジェイさんを、傷つけちゃったから……」

「気にするなって、リチャードは言っていたけれど……」

「ほえ、いいの」

 ぎゅっと、ユーリはシャイナにしがみつく。

「ユーリ……」

「悪いのは、魔王だから……あいつがいなければ、もっと素敵な出会いに、なってたから」

 それは、八つ当たりに近い言葉だった。ユーリにも、それは解っていた。だが、叫ばずにはおれなかった。

「ほええええん! 魔王の、馬鹿あああああ!」

 腕の中で大声を上げて泣くユーリを、シャイナはぎゅっと抱きしめたのであった。



 禍々しい魔王城の頂上、魔王の私室の中でシアはくしゅんとくしゃみをした。

「ふむ。生活リズムが乱れてしまったのか、風邪を引いたらしいな」

 ちーん、と洟をかみながら、シアは呟く。

「此度の計画が上手くいけば……ユーリに看病をさせるのも悪くはないな」

 シアの頭の中で、ナース服のユーリが微笑みかける。

「……少し、熱も出てきたか。今日は、少し早めに寝るとしよう」

 寝間着へ着替え、シアはもぞもぞとベッドに入る。その両の腕に抱きしめるのは、原寸大のユーリのぬいぐるみである。

「ユーリよ、余の熱を測ることを許すぞ、もちろん、おでことおでこで、だ。クク……くしゅん」

 可愛らしい寝息を立て、シアは夢の中へ落ちてゆく。魔王城は、今は平和なのであった。


 五台の馬車が連なって、街道を進んでゆく。幌の上には、陽気にリュートを爪弾くユーリの姿があった。

「今日も空気が美味しいねー、ほえ、おやつの時間はまだかなあ」

「そういえば、そろそろ休憩の時間だったわね」

 陽気な歌声に、シャイナが御者台で声を上げる。ゆるゆると進んでいた馬車が停まり、ぽかぽかと陽気の当たる街道でささやかな休憩の時間となった。馬車は停まるがユーリの旅は、まだまだ続くのであった。


 なお、ジェイとリチャードの二人も旅を続け、様々な事件に巻き込まれますます剣聖としての武名をジェイは高めてゆくのだが、それはユーリの与り知らぬ物語なのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今回から始まりました新展開、いかがだったでしょうか?

お楽しみいただけましたら、幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ