紅顔の奉公人 後編
左右に田園地帯の拡がる道を、少年と少女は手を繋いで歩いていた。キャラバンと別れた、ルタとユーリである。ユーリの背には、大きな風呂敷包みがあった。ガチャガチャと音立てるそれは、シャイナからの餞別の品だった。
「ユーリさん、やっぱり僕も、支えたほうがいいんじゃないですか?」
ルタが、気遣わしげな視線を向けてくる。ユーリはにへらと笑顔のままで、首を横へ振った。
「ほえ、これくらいなら、全然平気だよ。それに、手、繋いでいたいから」
ユーリの言葉に、ルタが顔を真っ赤にして俯く。耳の先まで赤くなったルタを見つめながら、ユーリは手のひらにぎゅっと籠められる感触を愛おしむように握り返す。背中の荷は、羽のように軽く感じられた。
「……ごめんなさい、ユーリさん。荷物、全部持たせてしまって」
ルタの言葉に、ユーリはぎゅっぎゅと繋いだ手に力を込める。
「ほえ、いいんだよ、ルタ。ルタは、重い荷物を持つよりも出来ることがあるでしょ? 私、商売はさっぱりだから、覚えるまではルタに丸投げしちゃうし。だから、これは私の役目なの」
「ユーリさん……ありがとう、ございます。僕に、付いてきてくれて。便利だとか、そういうことでなく、ユーリさんがいてくれるだけで、僕は嬉しいです」
ルタの言葉に、今度はユーリが耳の先まで赤くなる。田舎の村へ行くので、長い耳は髪に隠さずふよふよと風に揺れるに任せている。
「ほえ、ルタ……私も、嬉しい」
相好を崩すユーリに、ルタも笑顔を向けてくる。
「ユーリさんは、頼れるお姉さんみたいで、素敵だなって思います」
ガチャリ、とユーリの背で荷物が小さく音を立てた。
「ユーリさん?」
問いかけるルタへ、ユーリは何でもない、と微笑みを返す。
「お姉さんみたい……ううん、大丈夫。ちゃんとステップアップしてるんだから」
ルタに聞こえないように、ユーリは口の中でこっそりと呟く。そんな様子を気にした風もなく、ルタはまた前を向いて口を開いた。
「たまにどこからともなく降ってきたりして、シャイナさんへ抱きついて泣いてる姿も、可愛いなって思ってました」
ガチャリ、とまたユーリの背で荷物が音を立てる。
「ほえ……恥ずかしいとこ、見られてたんだね」
ユーリの言葉に、ルタは小さく笑った。
「普段は頼れるお姉さんで、可愛いところがあって……僕の故郷にいた、姉代わりの人を思い出してしまったりして……」
ガチャン、とユーリの背で荷物が音を立てる。手を繋いだまま、ユーリはルタの前に回り込み反対側の手を肩へと置いた。
「ルタ、そのお姉さん代わりの人って……」
「僕の、初恋の人でした。僕が奉公へ出されるときに、結婚するって言って、それきり音信不通でしたけれど……」
唐突な行動に、少し驚いた様子を見せたルタの言葉に、ユーリはほっと息を吐く。
「ほえ、そっか。結婚しちゃったんだね、その人」
「はい。今も村にいると思いますから、機会があったら会ってみます?」
ルタの言葉に、ユーリはほえとうなずいた。
「ルタの初恋の人だもん。会ってみたい」
「そのうちに、引き合わせます。村の唯一の商店の娘さんなので、たぶんすぐに会えると思いますよ」
再びルタの隣に移動して、ユーリはまた歩き始める。にへら、とその頬が緩んだ。
「どうしたんですか?」
「ほえ……ルタの、初恋の人に、私、似てるんだよね? えへへ」
「はい。姿かたちではなく、雰囲気が、ですけどね。ふふ」
繋いだ手を振って、ユーリとルタは歩いてゆく。やがて行く手には、家々が建ち並ぶ小さな村が見えてきた。
「ここが、僕の故郷の村です。小さいけれど、良い村ですよ」
わずかに胸を張り、誇らしげにルタが言う。隣でユーリも村を見つめ、うなずいた。
「ほえ、のんびりしてて良い感じだね。ルタの家は、どこにあるの?」
ユーリの言葉に、ルタは村の奥の方にある藁ぶき屋根の家を指差した。
「あの家です。でも、まずは商店へ寄りましょうか。いつまでも、重い荷物をユーリさんに背負わせたくありませんから」
「ほえ、私は別にいいよ?」
そう言ったユーリへ、ルタが首を横へ振る。
「いえ、ユーリさんのために、僕がそうしたいんです。それに、シャイナさんに言われたこともあります」
「ほえ、シャイナが?」
「はい。親の顔よりまず銭を拝め、と」
あまりに風情の無い言葉に、ユーリはぷっと吹き出した。ルタも、声を上げて一緒に笑う。
「うん。ルタがいいなら、それで」
ひとしきり笑い合った後、少し相談をしてからユーリとルタは連れ立って村の中心にある大きな建物へと入って行った。
「いらっしゃい……おや、その顔、もしかして、ルタじゃないかい?」
小ぢんまりとした商店の中にいた壮年の男が、入ってきたルタを見て声をかけた。
「はい。御無沙汰しておりました。先日年季奉公を終えて、帰って参りました」
笑顔でうなずき、ルタが丁寧にお辞儀をして見せる。ユーリも隣で、ルタに倣って頭を下げた。
「おお、無事で何よりだった。そちらさんは、ルタ?」
男がユーリに顔を向けて、聞いた。
「お世話になっていたキャラバンに所属していた人で、ユーリさんっていいます」
「ほ、ほえ。ユーリです」
じっと品定めをするような男の視線に、ユーリは少したじろぎながら挨拶をした。
「……恋人さんかい?」
ちらり、とルタへ男が眼を移して言った。ルタは顔を赤くして、こくりとうなずく。男は一瞬、驚いたような顔を見せたがその表情はすぐに消える。
「それは、良かったね。可愛らしい娘さんじゃないか。御両親には、もう挨拶をしたのかい?」
男の問いに、ルタが首を横へ振る。
「いいえ。実はその前に、見てほしいものがありまして」
言いながら、ルタがユーリに目配せする。ユーリは手近にあったテーブルの上へ、風呂敷包みを下ろして中身を開いた。
「ほう……これは、農具だね?」
包みの中から出てきたものに、男が眼を光らせる。
「はい。最新式のもので、今の村にあるものよりも性能の良いものです。これを、買っていただけないかと思いまして」
にっこりと笑いながら、ルタが言った。ふむ、とうなずいた男が、店のカウンターからソロバンを取り出して弾く。ぱちぱちと、乾いた音が鳴った。
「……ルタの帰郷祝いも兼ねて、これくらいでどうだろうか」
ソロバンの珠が示す値に、ルタは即座に首を横へ振る。
「奉公先をお世話いただいた恩もありますし、このくらいでどうですか?」
ぱちり、とルタが弾くのは一ケタ上の珠である。今度は、男が首を振った。
「それじゃあ、うちの儲けがほとんど無い。せめて、これくらいで……」
男が珠を弾き、半分の値が示される。首を振ったルタが、ユーリへ目配せをした。農具を風呂敷へと包み直し、ユーリは背中へとそれを担ぐ。
「どうしても、元手がいるんです。無理を言っているつもりは無かったんですが……仕方ないですね。ユーリさん、隣の村まで行きましょうか」
言いながら、ルタが入口の戸を開ける。慌てて、男が追いすがる。
「ま、まあ、待ってくれ、ルタ。よし、私も男だ。初めの言い値で、買い取ろうじゃあないか」
男の言葉に、ルタは満足そうにうなずく。
「ありがとうございます、おじさん。代わりに、行商を始めたら、おじさんの所に優先的に商品を卸しますよ」
涼しい顔で言うルタに、男は苦笑を浮かべた。
「……なるほど。年季奉公を、遊んで過ごしたわけでは無かったようだね。いや、頼もしくなったよ、ルタ。お金を準備してくるから、少し座って待っていてくれないか? 今、カレンにお茶を淹れて来させるから」
男の言葉に、ルタが意外そうな表情を浮かべる。
「カレンさんが、いるんですか?」
ルタの問いに、男がうなずいた。
「ああ。嫁にも行かず、ずっと商売の勉強をしていてね……まあ、それももう終わるだろうけれど」
言いながら、男はルタとユーリに椅子を勧めて見せの奥へと消えた。
「ほえ……ねえ、ルタ。カレンさんって、もしかして……」
ユーリの言葉を遮るように、足音が近づいてくる。どたどたと慌ただしく駆け寄ってきたのは、一人の女性だった。
「ルタ! おかえりなさい!」
ガチャン、とテーブルの上にティーセットを叩きつけるように置くと、女性はそのままルタの首へと腕を巻き付け飛びついた。ユーリの頭の中に、ぴん、と閃くものがあった。
「カ、カレンさん!」
狼狽えて名を呼ぶルタに、ユーリは目の前の女性がカレンという名で、ルタの初恋の人だと知った。
「……ドコが似てるんだろう」
こっそりと、ユーリは呟く。女性にしては高い背丈と、ぱっちりとした気の強そうな顔立ち、そして波打つ栗色の長く綺麗な髪に、質素な服にはボリュームのある女性らしい曲線が浮き出ている。比べてみれば、その差は歴然である。
「ルタ、帰ってきてくれて、本当に良かった! 私、ずっと待ってたんだからね?」
「ま、待ってたって、カレンさん……どうして、僕を?」
問いかけるルタに、カレンは身を離し、両手でルタの頬を包み込むようにして見つめる。
「もちろん、貴方と一緒になって、商売をするためよ! 四年前、私、言ったわよね?」
カレンの言葉に、ルタとユーリは目を真ん丸にしてぽかんと口を開ける。
「……ねえ、ルタ。どういうこと?」
ユーリが低い声で、ルタへと問いかける。ルタも首を傾げ、カレンを見返した。
「カレンさん。四年前、言ってましたよね? 『四年経って、戻って来るまで待っててなんてあげないんだから! 私、結婚するんだからねっ!』って……」
問いかけに、カレンはテレテレとした笑みを浮かべ、ばしばしとルタの肩を叩く。
「あれは、ちょっと素直になれなかっただけなの! それくらい、解りなさい!」
勢いに圧され、ルタがしどろもどろになって視線をユーリとカレンに彷徨わせる。
「え、えと、その、カレンさん、あの、僕……その、この人と」
途切れ途切れの言葉に、カレンがユーリへと目を向けてくる。
「あら。この子……なあに? まさか、ルタ……」
鋭く見据えてくるカレンの脇で、ルタがじっとユーリへと視線を投げかけてくる。目配せにもにたその視線に、ユーリの頭にぴん、と閃くものがあった。それは、商売における値段交渉の術策である。ものを売るときは、足元を見られてはならない。商品の価値を高めるために、条件の合わない相手に対しては気の無い素振りを見せつけ、価格を吊り上げる。そうすることによって、互いの妥協点を探るのだ。
商店に入る前に、ルタとした相談がユーリを動かした。一流の商売人となるルタに相応しい態度とは、何か。ユーリはそれを念頭に置いて、言葉を紡ぐ。
「ほえ……別に、私はルタの恋人なんかじゃないんだからね? シャイナに言われて、仕方なく付いてきてあげただけなんだから! その人、初恋の人なんでしょ? だったら、その人とくっつけばいいじゃない!」
ユーリの言葉に、ルタの顔が青ざめる。その表情は先ほどの、商店の男と同じように、ユーリには見えた。あとは、仕上げだけだった。ユーリは入口のドアを開け、外へと出てゆく。
「ルタなんか、知らない! その人と、仲良くしてたらいいのよ!」
バタン、と後ろ手にドアを閉めて、ユーリはさっと商店の前の草むらへと身を隠した。完全に気配まで消せば、もう立ち去ったようにしか見えないだろう。あとは、ドアを開けて出てきたルタを抱きしめ、にっこり笑えば仲直り。カレンにも、もうつけ入る隙間が無くなるほどに仲良くなってしまえば何の問題も無いことだった。
じっと、ユーリは待った。すぐにでも、追いかけてくるはずだ。そう思えば、一秒一秒が間延びするほど長く感じられた。
ユーリの肩に、雀が止まる。番の雀らしく、ちゅんちゅんとさえずりながら互いに身を寄せ合っていた。まだかな、と思いながら、ユーリは微笑ましく雀たちを見つめる。
ドアの向こうから、話し声が聞こえてくる。
『カレンさん、ごめんなさい。僕は、あの人を追いかけて妻にしなければならないんです! 大事な人なんです!』
『ダメ、行かせない! 私を捨てるなんて、許さないんだから!』
『カレン、諦めるんだ。お父さんが、お金持ちの貴族でもあてがってあげるから』
手持無沙汰なユーリは、勝手な想像を膨らませた脳内会話に聴き入っていた。実際は、意外と分厚い戸であるらしく、本気を出さなければ聞き取れないくらいに小さな声だった。
やがて夕焼けに、村が赤く染まってゆく。カラスの鳴き声が、ユーリの耳に空しく届いた。耳を澄ませば、商店の中から聞こえてくるのはカレンの涼やかな笑い声である。呆然となるユーリの肩を、ぽん、と誰かの手が叩いた。
「……ほえ?」
振り向くと、村人らしい一人の老婆が立っていた。
「具合でも、悪いのかい、お嬢ちゃん?」
しわがれた、優しい声だった。ユーリは力なく首を横へ振り、立ち上がる。
「ううん、大丈夫です。ありがとうございます」
元気のない声に、老婆は心配そうに顔を歪める。
「行く所が、無いのかい? 良かったら、私の家に来るかい?」
心のこもった問いかけに、ユーリはふるふると首を振って老婆に背を向ける。
「大丈夫、です。帰るところは、ありますから……ありがとう。お元気で……」
リュートを取り出し、ほろんと奏でたユーリは地面を蹴り、夕暮れの風に乗って木の葉のように舞い上がった。風に巻かれて飛び去るユーリを、老婆は目を真ん丸にして見送っていた。
「あんれまあ……」
聞こえてきた呟きとともに、ユーリは暮れ征く空を駆け渡る。行く手には、円陣を組むキャラバンの馬車があった。
たき火の前で、憂い顔で鍋をかき混ぜるシャイナの背後へ、ユーリは音もなく姿を現す。てくてくと歩み寄り、ユーリはシャイナの背中へと抱きついた。
「ふ、え!? ユ、ユーリ! あなた、どうして、いつの間に!」
驚きの声を上げ、振り向くシャイナの胸へユーリは顔を埋める。
「ほええええん!」
泣き声が、夜の闇へと響いていった。
どんより曇った空の下を、五台の馬車が駆け抜けてゆく。先頭の馬車の幌の上には、リュートを手に空を見上げるユーリの姿があった。
「今日のお空は、ご機嫌斜めー。お洗濯ものもなかなか、乾かないー」
湿度で重くなった空気の中に、陽気なメロディが溶けてゆく。ユーリの背には旗竿があり、シャイナとユーリの洗濯物が風に揺れていた。
「本当に、おかしな天気ねえ……」
御者台で、シャイナも空を見上げて言った。少し急ぎ足になってゆく馬車の上で、ほろりほろりと音が紡がれていく。こうして、ユーリの旅はまだ続くのであった。
なお、故郷の村へと帰った少年はやがて大きなキャラバンを作り、商売の手を大きく広げていったのだがそれは今のユーリたちには知る由もない話なのであった。
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