美しき悪の華 前編
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人気の無い砂利道を、五台の馬車が進んでゆく。車輪が砂利を噛んで、ガラガラと大きな音を立てる。その合間を縫うように、ほろり、ほろりと聞こえるのはリュートの音色だった。
馬車の幌の上に腰掛けて、足をぶらぶらさせている少女がいた。少女の手元にはリュートがあり、音色はそこから聞こえてくる。
「林の中のー、小粋な道をゆくー、ほえ、静かなとこだねー」
少女の陽気な歌声と気の抜けるような鳴き声が、道の両脇の林へと消えてゆく。遠くのほうで、鳥が鳴いた。なんとも、長閑な空気が漂っていた。
そんな空気を切り裂くように、一本の矢が先頭の馬車に飛来する。風を切る矢じりは、馬車の少し前方へと突き立った。同時に、左右の林の木々が揺れて姿を現すものがあった。それは、数十人規模の黒い鎧兜を身に着けた兵士たちである。
「停まれ!」
馬車の前に出てきた兵士が、構えた槍を突き付けてくる。矢を射こまれたこともあり、馬車は速やかに停車した。先頭の馬車の御者台から女性が立ち上がり、幌の上の少女と視線を交わす。未だ暢気にリュートをかき鳴らしている少女に、女性はひとつ、うなずいた。
「一体、何の御用でしょうか?」
兵士に向き直り、女性が言った。声をかけてきた兵士は槍を立て、ふんぞり返ってその声を受ける。
「我らは、ジグムント公爵領の兵である! 我らの領内を通行する馬車の積み荷を、改めに参った! 大人しく馬車から降りて受け入れれば、命ばかりは助けてやる!」
高圧的な兵士の言葉に、女性は顔を顰める。
「受け入れなければ、どうするというのですか?」
女性の問いに、兵士が片手を挙げる。周囲に展開する兵士たちが、一斉に槍を馬車へと向けた。
「手荒な真似はしたくは無いが、公爵様に盾突くのであらば、容赦はせぬ」
緊迫した空気の中、リュートの音色が途切れた。幌に腰掛けていた少女が飛び降り、女性の傍らに立つ。
「大人しく、言う事聞いた方がいいね、シャイナ。少なくとも、殺されることは無いと思う」
少女が、女性にだけ聞こえるように言う。
「どうにか、出来ないの、ユーリ?」
囁く声で問う女性に、少女は首を横へ振った。
「シャイナとこの馬車だけなら、守れるけど……林の中に、弓兵もたくさんいるみたいだから」
少女の言葉に、女性は肩を落として息を吐いた。女性は御者台から降りて、兵士へと歩み寄る。
「私たちはただのキャラバンで、公爵様に逆らうつもりは一切ありませんわ。積み荷は、公爵様への御届け物もございます。万が一のことがあっては、私たちには責任の取りようもございません。御取調べは、慎重にお願いいたします」
言いながら、女性は兵士の手を取った。その手の中へ、数枚の金貨を握らせる。兵士の眼が、一瞬手の中の金貨へと向けられた。
「……いいだろう。本来ならばここで荷を取り上げるところであるが、公爵様への届け物となれば話は別だ。領都まで、我らがその馬車を護送してやろう。もちろん、護衛の報酬は別途いただくことになるが」
勝手な物言いに女性は内心呆れつつ、表面上は笑顔を浮かべてうなずいた。
「お心遣い、感謝いたしますわ」
そう言って、女性は御者台へと戻る。兵士たちが散開し、馬車の左右と前後を固める形を取った。徒歩の兵士に合わせて、馬車はゆったりと進み始める。
「なんだか、とんでもない所へ来ちゃったね、シャイナ」
御者台に腰掛ける女性へ、少女が苦笑を浮かべつつ言った。
「……余計な出費だわ、まったく。報酬が良すぎる割に誰も受けていない依頼だったから、おかしいとは思ったのよ……」
ぼやきながら、女性は馬車を操る。
「ほえ、下調べって、大事だね」
「……あなたにそれを言われるなんて、私も焼きが回ったものね」
ぞろぞろと兵士を引き連れて、馬車は林の砂利道を抜けてゆく。それから領都へと着くまでに、同じ格好の兵士の一団に五回、遭遇したのであった。
領都にあるジグムント公爵邸は広々とした、華美な造りの豪邸だった。応接室の巨大なソファの中心に、身を寄せ合うようにして少女と女性が座っている。
「ほえ、すっごい広いね、シャイナ。これだけ広いと、落ち着かないよ」
もぞもぞと身じろぎしながら、吟遊詩人の少女ユーリが言う。気の抜ける鳴き声は、彼女の口癖のようなものであった。
「……見事、の一言に尽きるわね。これだけ無駄に、そして無駄なくお金をかけているなんて」
わけのわからない呟きを漏らすのは、ユーリの隣に座るキャラバンの長シャイナであった。
「ほえ、無駄なのに無駄が無いの?」
首を傾げるユーリに、シャイナは窓際に置かれた花瓶を指差した。
「ええ。例えばあの花瓶の模様。あれだけを見てどう思う?」
「うーん……派手派手だね。金色できらきらしてて、お花活けるのにはあんまり向いてなさそう」
ユーリの答えに、シャイナはうなずく。
「そう。あれは花瓶であって、花瓶でない。花を活けられない花瓶なんて、無駄の極致ね。でも、あの窓のステンドグラス、それから壁紙と合わせて見て御覧なさい」
シャイナが次に指すのは、花瓶の周囲である。花瓶の模様に合わせて、窓の光彩、そして壁紙へと続く光景はまるで一枚の絵画のように溶け込んでいる。
「ほえ……よく見ると、繋がってるんだね」
「ええ。私の見た所、あれらの作者はまったく別の人間で……」
「ねえ、シャイナ。その話、長くなりそう?」
話の腰をへし折って、ユーリが尋ねる。シャイナは、小さく息を吐いた。
「……あなた、吟遊詩人なんでしょう? こういう芸術関連のことも、詳しくなくっちゃ駄目なんじゃないの?」
「ほえ。私は、直感だけを信じるタイプだからいいんだよ。それより、無駄で無駄が無いのはなんとなく解ったけど、公爵様ってどんな人なのかな?」
「……ろくでもない人間であることは、確かだわ」
切って捨てるように、シャイナが言う。
「ほえ? でも、芸術的なセンスは、あるんだよね?」
首を傾げてユーリが問う。
「そうね。でも、センスと人間性は、また別のものよ。町の様子、来るときに見てきたでしょう?」
「うん。なんか、元気無い町だったね。市場通りも、ほとんど人いなかったし……」
「活気が無くて、貧困にあえぐ町並み。そして、華美で豪奢なお屋敷。ここから推測できるのは、領主たる公爵様は、ろくでもない悪徳領主だってことよ。十中八九、ハゲでデブで脂ぎった感じのいやらしい親父なんじゃないかしら?」
「でも、シャイナ。あの肖像画、きっと公爵様だよね? すっごい美形だけれど?」
ユーリが指さすのは、壁に掛けられた大きな額だった。そこに描かれているのは、不敵な笑みを浮かべてワイングラスを傾ける黒髪の貴公子である。
「あんなの、美化しまくってるに決まっているじゃない。それに、今代の公爵様とは限らないわよ。何十年前かの姿絵かも知れないじゃない。時の流れって、残酷なものね」
どうやらシャイナの中では、既に公爵の姿は決定されているようだった。
「決めつけるのは、良くないよ。きっと……あ、シャイナ。誰か来るよ」
希望的観測を口にしかけたユーリが、囁き声に切り替える。こつん、こつんと近づいてくる足音があった。
少しして、足音の主が姿を見せた。背は低く、そして横幅が大きい。てかてかと広い額はどこまでも続いており、それはシャイナの予測していた姿と同じものである。
「そなたらが、贈り物を届けに来た者であるか」
粘っこい声で、その男は言った。
「はい。公爵様生誕の祝いの品を、届けに参りました。私は、シャイナ。しがないキャラバンの長をしております」
立ち上がり、頭を下げようとするシャイナを、男は右手を出して止めた。
「なれば、こちらへ。挨拶は、公爵様の前でするが良い」
男は身体つきに似合わぬ素振りで身を翻し、廊下の奥を手で示して歩き出す。慌てて立ち上がったシャイナとユーリが、男の後を追った。
「……あの、貴方様が、公爵様ではないのですか?」
シャイナの問いに、男は太い首をぐるりと回す。
「私は、公爵様の秘書だが? 君は一体、何を言っておるのかね……」
「ほえ、何でもないんです、何でも。待っている間に、ちょっとイロイロあっただけなんです。どうぞ、お気になさらず」
ユーリが誤魔化すように笑いながら、男に言った。男はそれ以上突っ込む様子は無く、再び歩き始める。
「……シャイナ」
じとっとした目で、ユーリがシャイナを見上げる。
「……ごめんなさい。あんまり、イメージ通りの人が来たものだから、つい」
しゅんと肩を落とし、シャイナが言った。
「しっかりしてよね。公爵様の前で、失礼なこと言ったりしたら……」
そんなことを言っている間に、男に促されて二人は部屋へと入った。豪奢な部屋の中には大きな机があり、そこに一人の青年が腰掛けている。その姿は応接間にあった肖像画と、ある一点を除いてはそっくりだった。
「ほえ、目つき悪いね」
思わず、ユーリは指摘していた。青年の目は肖像画のそれよりも鋭く、目の周りも少し黒ずんでいた。そして青年の眉が、不快そうに顰められる。
「……初対面で、随分な物言いだな。この、ジグムント公爵に対して」
座したまま見下してくるような、サディスティックな眼光がユーリを射抜く。
「あ、その、ごめんなさい! 応接間の肖像画と、あんまり違っていたものだから! ほら、全体的に違うなら何となくスルーできるんだけど、一部だけすっごく違ってると、違和感がすごくて……」
「ユーリ!」
わたわたといらぬことを口走るユーリの口を、シャイナが押さえる。そんな二人を見やり、青年はふるふると全身を震わせた。
「ククク……言ってくれるではないか、小娘」
青年の全身から、威圧感がどっと溢れた。目つきの悪さも相まって、それはひどく邪悪に見えた。ユーリの口を押えるシャイナの手が、恐怖に震える。ユーリはそんなシャイナの手をそっと押しのけて、青年の前に立つ。
「公爵様。目つきが悪いなんて言って、ごめんなさい。生まれつきだから、仕方ないことですよね。でも、私は小娘じゃありません」
そう言って、ユーリは結った髪の中から耳を取り出した。長く尖ったそれは、エルフの耳だ。
「ほう……エルフか」
青年は、面白い、といったふうに唇を歪める。ユーリは、うなずいた。
「はい。こう見えても私は、人間である公爵様よりも年上です。だから、小娘って言ったことは、謝ってください」
きっぱりと、ユーリは言い切った。身長のことは、これでも気にしているのだ。
「公爵たるこの俺に、謝罪をしろと? ククク……面白いな、お前。名前は?」
「ユーリです。吟遊詩人の。あっちは、私の相棒のシャイナです。公爵様、シャイナが怖がるので、あんまり睨まないであげてくれませんか?」
ユーリの言葉に、青年は呆気にとられた顔になり、それから片手で顔を押さえ、低く笑った。
「ククク、フハハ、ハーッハハハ! この俺に対して、ここまでハッキリものを言った女は、お前が初めてだ、ユーリとやら! 愉快、実に愉快だ!」
いきなり大笑いをし始めた青年に、ユーリは目を丸くする。邪悪っぽいオーラは消えるどころか、部屋中に蔓延している。カタカタと震えるのはシャイナばかりではなく、秘書の男もぷるぷると贅肉を震わせていた。
「あの、公爵様」
「ジグ、だ! お前には、そう呼ぶことを許そう、ユーリ! ただし様を付けるのを忘れるな!」
ハイテンションな青年に、ユーリは肩をすくめて小さく息を吐いた。
「ほえ、それじゃあ、ジグ様。そろそろ本題入っても、いいですか?」
ユーリの言葉に、青年は哄笑をぴたりと止めた。
「ああ。問題無い。確か、届け物だったか」
「はい。ジグ様生誕二十年を記念して、こちらの小箱と……歌を」
そう言ってユーリは懐から取り出した小箱を机の上に置き、背中からリュートを出して構えた。
「歌、だと?」
問いかける青年に、ユーリはうなずいてリュートを爪弾き始める。ほろん、ほろんと柔らかな音色が、部屋の中を満たしてゆく。青い顔で震えていたシャイナと秘書の男の表情が、安らかなものへと変わってゆく。
「あなたがー、生まれてー、二十年ー。元気でー、暮らしてー、いますかー」
慈愛をこめて、ユーリが歌い始める。それは温かな、メッセージを込めた歌声であった。
「生まれたー、ときのー、喜びをー、今もー、ずっとー、覚えていますー」
青年の瞳が、ユーリをじっと見つめる。睨み付けるような目つきだったが、それはユーリにとっては怖いものでは無い。ユーリは歌に込められた感情を、メッセージを伝えるために忘我の極致にいた。
「おめでとうー、そして、ありがとうー。これからも、あなたに、幸せをー」
ほろろろん、と静かに弦を鳴らし、余韻を残して演奏は終わった。ユーリは閉じていた目を開き、青年を見やる。そこにあるのは、鋭い視線だった。陶器のように白い肌は紅潮し、引き締められた口元はぴくぴくと動いている。青年の手元で、小箱が開かれていた。
「……ユーリ、確かに、贈り物は受け取った。遠くの領に嫁いだ伯母上には、感謝をせねばな。金銀財宝は世にあれど、これは何にも勝る贈り物であった」
にたり、と青年の口が、邪悪な笑みを形作る。迫力に思わず身を引きそうになったユーリの手を、青年が掴む。
「ほえっ?」
「そして伯母上は、手紙を添えてくれていた。気に入った者がいれば、この指輪を贈り伴侶とするように、と……」
ユーリの手を握る青年の、もう片方の手が小箱へと伸びる。取り出されたのは、赤い指輪だった。青年の表情と相まって、それは呪いの指輪のようにも見えた。
「ユーリ。俺は、お前が気に入った。俺の前で好き勝手に囀るその口も、そして美しい歌声も。少々寸足らずではあるが、そこは何も言わん。それがお前であるなら、俺は構いはしない」
すっと、ユーリの眼前に赤い指輪が差し出された。ユーリの左手を、熱を帯びた青年の指がぎゅっと握ってくる。サディスティックな顔つきに似合わない、熱と汗。とくん、とユーリは自身の心音が、高まるのを感じた。
「……俺の、妻になれ、ユーリ。受け入れるのであれば、お前にもこれ以上ないほどの贅沢を味あわせてやろう」
熱の篭ったその声に、ユーリはじっと青年を見返した。
「……もし、断れば?」
ユーリの問いに、青年はちらりとシャイナへ視線を動かす。
「我が公爵家の力をもってすれば、キャラバンひとつを消すことなど容易いことだぞ?」
その言葉に、背後でシャイナの身体がびくりと震える。だが、ユーリはそれよりも、左手に添えられた手の熱を感じていた。
「……わかりました。あなたの、妻になります」
はっきりとした声で、ユーリが言った。同時に、差し出された指輪を左手の薬指へとはめ込んだ。
「そうか……」
「ただし、妻となるのはシャイナのキャラバンが、安全にこの領を出てからです。それまでは、婚約ということでいいですね?」
問いかけに、青年はユーリから身を離し、どかりと椅子へ腰を下ろした。
「充分だ。お前が約定を違えぬならば、すぐにでも叶えてやろう」
腹の上で手を組んで、青年は高らかに笑った。
公爵家の客室は広く、ベッドはふかふかであった。飛び込んだユーリは、ぽんぽんと弾む感触に歓声を上げる。そんな様子を、シャイナは沈痛な面持ちで見つめていた。
「……ユーリ、ごめんなさい」
シャイナが言うと、ユーリは跳ねるのをやめてベッドの端へと腰掛ける。
「ほえ、別にいいよ。悪いのは、強引なジグ様なんだし」
あっけらかんと言い放つユーリの身体を、シャイナはぎゅっと抱きしめる。
「私が、あんな依頼受けなければ……ごめん、ごめんね、ユーリ」
嗚咽がこみ上げ、背中が震える。ぽん、ぽん、とユーリは、その背を優しく叩いてくれる。
「シャイナのせいじゃないから、気にしないで。それに、前向きに考えたらすごいことなんだよ。公爵夫人になって、贅沢三昧だし。あ、でも、ちょっとは良政心がけるようには言ってみるつもり。領内の兵士使って山賊まがいのことしてたら、商人さんも来なくなって大変なことになっちゃうから」
「ユーリ……」
涙でぼやける顔を上げて、ユーリを見つめる。
「あなた、それでいいの?」
問いかけに、ユーリはうんとうなずく。
「贅沢な暮らしは保証されてるようなものだし、ジグ様も、ちょっと目つき悪いけど美形だし……」
にへら、とユーリの頬が緩む。
「ユーリ……まさか、その、公爵様に、惚れたの?」
流れていた涙が、ひゅっと引っ込んだ。てれてれとしながら、ユーリは小さくうなずく。
「あの人、たぶんすっごい寂しがりやなんだと思う。若くして公爵になって、領地を任されて……目つき悪くて、変な迫力あるから、ちょっとねじくれちゃっただけなんだよ」
そう言って、ユーリが眺めるのは彼女の左手薬指にある指輪だった。緩んだ表情を見て、シャイナの中の罪悪感がちょっぴり薄くなる。
「……公爵様の悪政が無くなったら、私もちょくちょく遊びに来てもいいかしら?」
「うん。贅沢三昧で、もてなしてあげるよ、シャイナ」
笑顔を交わし合い、二人はそのままベッドへと寝ころんだ。二人で入っても、まだ余裕のある広々としたベッドである。目を閉じて、しばらくするとシャイナの胸の中でユーリが静かな寝息を立て始めた。
「……ありがとう、ユーリ」
ぎゅっと頭を抱きしめて、シャイナは呟く。もぞもぞと、苦しそうにユーリが頭を動かした。別れの夜はこうして、恙なく過ぎてゆくのであった。