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セイラとユージーン

本編『悪堕ち姫のお姉さま』(N1817DF)

後日談に出てくるセイラ(エリザベスの友人)と、その婚約者ユージーンの馴れ初め話です。男性視点。

 

 私はユージーン・ハワード。

 このヴァッシュランド国の公爵家の一つであるハワード家の嫡男である。


 公爵家嫡男という立場は様々な思惑にさらされる。公爵家の跡取りとして幼い頃より教育を受け、安全の為にと行動も交友関係も非常に制限されてきたことに、思うところはあるが不満はない。

 人を見る目はかなり鍛えられたし、欲や悪意を浴びせられる事には慣れた。が、だからと言って心身にダメージが残らないというわけではない。ほとほと疲れた時に私が頼るのがフレイザー家だった。


 フレイザー侯爵家とは、父同士が学友でさらに次男のブライアンと私が同じ歳ということで、一番近しく過ごしてきた。

 日々繰り返される終わらない学習と鍛錬の合間、フレイザー家の子どもたち――穏やかな長兄のアルバート、活動的なブライアンと走り回るひと時は、唯一自分が子どもであることを感じられる時間だった。

 裏を読む必要のない友との遠駆けや、他愛ない話、温かいお茶。そんなものが私を支える大事な柱だった。



 フレイザー家にセイラが産まれたのは私とブライアンが5歳の時。男系の家に稀な女児の誕生だった。ブライアンの両親のみならずその叔父のヴィンセントまでもが、天使の来訪にまさに狂喜乱舞の体だったのをよく覚えている。


 赤子というものは騒がしいものだと聞いていたが、セイラは実におとなしい赤ん坊だった。たいして夜泣きもぐずりもせず、起きているときは深緑の大きな目をくりくりさせて面白そうに周りを見回している。乳をねだる泣き声ですら控えめで、満足すれば静かに眠る。

 誰に抱かれてもにこにことする愛らしさに、母親を取られたはずの二人の兄も妬くどころか競って可愛がる有様だった。


 私には兄弟がいないので、セイラと、翌年に産まれた弟のシリル (こちらは普通に泣き喚く赤ん坊だったので、フレイザー家の乳母は逆に安心したらしい)という初めてできた小さな弟妹に、当然のように夢中になった。

 歩けるようになる前から庭に連れ出し、乳母や使用人に連れ帰られるまで一緒に遊んだ。絵本を読んでやったり、乳母に習って花輪飾りを作ったり、馬に乗せてやったり。


 大きくなっても一緒にいるのは楽しかった。どこに行くにもついて来たがるシリルは本当の弟のように思えたし、本好きで、領民とも交流の多いセイラと話すのは興味深かった。見つけた花や鳥の名前、読んだ本、屋敷の壁に掛かるタペストリーに描かれた歴史……。

 茶会などで会うほかの令嬢たちの甲高い気取った話し方とは違い、セイラが紡ぐ言葉は柔らかで温かく、不思議といつまでも聞いていたいと思えた。




 その日。親戚筋のやけに王権に執着している大叔父様とやらが起こした何度目かの騒ぎを父と二人で鎮め、彼には遠方へ隠居をしてもらうという骨の折れる仕事が一段落した私は、例に漏れずフレイザー家を訪れた。このような時はいつも連絡もなしに訪れるのだが、運悪く皆出払っていて家にいるのはセイラ一人だった。

 長ずるにつれて屋外での行動を制限されるようになってきたセイラだが、気晴らしが必要そうな私の様子に気付いてか乗馬に誘ってきた。


「秘密の場所にご案内します」


 いたずらっぽく両端をあげた唇に人差し指をあてて、こちらを見上げる大きな深緑の瞳。

 その瞳に吸い込まれた。

 にっこり笑ってそのまま前に向き直り手綱を握る横顔を、言葉もなく見つめ続けた。


 つばの広い帽子の下で緩く纏められた艶やかな黒髪。

 白い肌を覗かせる細い首。すっと伸ばした背中。

 整っているが為に少し冷たい印象だが、笑うと甘く溶ける目元。


 生まれた時から見てきて、ずっとそばにいた妹……“妹” だったはずのセイラが、初めて会う知らない女の子に見えた。


 お兄さまやシリルにもまだ内緒にしてくださいね、と案内されたのは屋敷にほど近い森だった。子どもの頃によく遊びにきた場所で「秘密」というようなものは無かったはずだ。

 毎年夏になると水浴びを楽しんだ泉のほとりでお互いの馬を繋ぎ、訝しみながらも隣り合って大きめの岩に腰掛ける。手袋を外して水の冷たさを楽しむ、白い指先から目が離せない。動揺と収まらない動悸を隠しながら当たり障りのない言葉を探した。


「……ここに来たのは随分久しぶりだ」

「お兄さまたちとはもっと遠くに行かれますものね。お陰様でここは私が独り占めしております」


 時々ですけれど、と少し恥ずかしそうに打ち明ける。一人歩きを咎めようとしたのを察してか、慌ててニールも一緒にだと首を振る。今この時もどこか目立たないところに控えているはずの、ヴィンセントが連れてきた元騎士団員の護衛役――薄金茶の短髪に金の目の青年――を思い出せば胸がざわついた。

 慣れない感情の動きに戸惑いながら取り留めもない話をして暫くが過ぎた頃、ふと、何かに気づいたセイラが口を噤む。


「よかった。いらっしゃいました」

「なに?」


 お静かに、と立てた指先を対岸の林へ向ければ、木漏れ日が差し込む木々の向こうから何かがゆっくり近づいて来るのが見える。


「……赤鹿?」


 大きな体躯に素晴らしく立派な角の雄鹿だった。音も無く姿を現しこちらを一瞥すると、何もなかったように水を飲みはじめた。まるで王のように優雅で堂々たる様は、彼がこの森の主であることを如実に表している。

 時が止まったかのようなその静かな存在感に圧倒されているうちに、来た時と同じように林の中へと消えていった。

 知らず詰めていたらしい肺を緩め、大きく息をする。


「来るとだいたい会えるので嬉しくて。今日も来てくれてよかったです」

「……あのように立派な鹿は初めてだ」

「ユージーンさまのようだな、といつも思っていたのです」


 意外なことを言い出したセイラの顔を見る。彼女は鹿の消えた方を愛おしげに見つめたまま話し続ける。


「日に照らされると、毛がきらきらして金色に見えるのです。それに、一度近づいてきたことがあるのですが、あの黒い目が……泉を写すのか、ユージーンさまと同じ青紫に光っていて」

「そ、そうなのか」

「色だけではないのですよ」


 動物に似ていると言われているのに、何故か褒められていると感じる。表情を緩めてこちらに向き直る濃緑の瞳に、面映ゆいことを言われて戸惑う自分の姿が写る。ああ、心臓がうるさい。


「雰囲気が似ていらっしゃいます。一人で立つところも……だから、会いに来てくださると、とても嬉しいです」


 さっきまで聞こえていたはずの鳥の声も葉ずれの音も消えた森で、抱きしめてその目元に口付けたい衝動を必死で抑えた。

 学園への入学を翌年に控えた初夏。この日セイラは私の中で “妹” ではなくなった。



 学園に入ってしまえば帰宅は年に二度の休暇の時だけ。幼馴染というだけのこのままの関係で会えない間のことを考えると焼け付くような焦燥に駆られ、帰宅した足でそのまま両親の元へ行きセイラを伴侶にしたいと告げた。

 両親には「ようやくか」と呆れられ、フレイザー侯爵には「早過ぎる」と嘆かれ、セイラの叔父のヴィンセントには勝負を挑まれながら、どうにか許しを貰い婚約が整ったのは翌年の入学直前だった。

 ブライアンはと言えば、盛大にゴネたものの渋々頷いた。曰く「他の奴にやるよりはマシ」だと。


「お義兄さまと呼んでいいぞ」

「おう、呼んでやるから覚悟しておけ」


 ブライアンがニヤニヤしながら飛ばす軽口に答えると苦い顔をされた。小突き合っていると扉の方から声がかかる。


「ユージーンさま、お兄さま。馬車の支度が整ったそうです」


 瞳と同じ深い緑色のドレスを着たセイラが呼びに来た。ブライアンを先に行かせ、彼女の手を取る。


「……お手紙書きます」


 笑顔が見たいと思う一方で、自分と離れることを寂しいと言ってくれることに喜びを感じてしまう。一段と白い顔色に引きよせられるように片手を伸ばし、頬を包み込んで赤くなった目尻を親指でなぞる。


「うん。私も書くよ。セイラに忘れられないように、たくさん」

「わ、忘れるなんて、」

「いってきます、婚約者どの」


 言いかけた言葉を遮り、そのままセイラを引き寄せ額に口付けた。

 突然のことに硬直し耳まで赤く染める姿を目に焼き付けて、艶やかな髪をひと撫でするとようやくうるさく呼ぶブライアンの元へ足を進め、馬車に乗り込む。


「おせーよ」

「学園は逃げないよ」

「そういうことじゃねえって」


 抜けるような青空の下、慣れ親しんだ場所を後にしたのだった。


こちらは、私がいっっちばん最初に書いたのお話の一部で『悪堕ち姫のお姉さま』の別サイドになります。本編では後日談のみに出てくるセイラが、そちらではメインヒロインでした。

書いている途中でエリザベスとグレイスが顔を出しまして、結局、お話の方向を変えて『お姉さま』の方を書き上げることになりました。


iPadのメモを整理していたら出てきましたので、抜粋して改行など少し整えて載せてみましたが……なんか照れますね。

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